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「手紙は必ず宛先に届く」〜二代目鴈治郎の政右衛門

昭和45年9月国立劇場:「伊賀越道中双六〜岡崎」

二代目中村鴈治郎(唐木政右衛門)、二代目中村扇雀(四代目坂田藤十郎)(女房お谷・誉田大内記)、十三代目片岡仁左衛門(山田幸兵衛)、四代目尾上菊次郎(幸兵衛女房およし・和田行家)、五代目片岡我童(十四代目片岡仁左衛門)(行家妻柴垣)、片岡秀公(五代目片岡我当)(和田志津馬)、片岡孝夫(十五代目片岡仁左衛門)(沢井股五郎)他

*本稿は別稿「唐木政右衛門と女房お谷」の続編として書かれています。


1)政右衛門と女房お谷

本稿で紹介するのは、昭和45年(1970)9月国立劇場での、通し狂言「伊賀越道中双六」の舞台映像ですが、本稿では第四幕「岡崎」を中心に論じることになります。二幕目・大和郡山唐木政右衛門屋敷(饅頭娘)については、別稿「唐木政右衛門と女房お谷」にて取り上げました。

親の許しを得ずに愛し合い、家を飛び出した政右衛門とお谷でした。ところが、お谷の父・和田行家が沢井股五郎に殺されて、弟・志津馬が仇討ちに立たねばなりません。志津馬は腕が立たず、強力な助太刀が必要である。そこで政右衛門が仇討ちに加わることになるのですが、二人は「愛し合う私たちには関係のないことだ」と、これを無視することだって、しようと思えば出来たはずです。どうせ勘当されているのですから。しかし、それをしなかったのは、やはり二人の結婚を正規なものであると親に認めてもらいたいと、政右衛門もお谷もそれを強く願っていたからに違いありません。政右衛門とお谷が夫婦であることを世間に認めさせるために、政右衛門は仇討ちに立つのです。

しかし、お谷は父から勘当された身ですから、このままでは夫政右衛門が身内として志津馬の助太刀に立つことは叶いません。そこで政右衛門がお谷を離縁して、まだ頑是ないお俊(お谷の妹)を妻に迎えます。形だけの結婚なのですが、こう云うことをしなければ、合法的に政右衛門は志津馬の助太刀を出来ないわけです。だから政右衛門がお谷を離縁したことで、逆に政右衛門がお谷をどれほど愛しているかが、はっきりと分かるのです。すべては愛するお谷のためにやったことでした。これが「饅頭娘」のドラマなのです。

第四幕「岡崎」では、再び政右衛門の決意が試されることになります。「政右衛門、お前はホントにお谷を愛しているのか、その証を見せよ」と云うことです。

別稿「仇討ち物の論理」で「岡崎」での極限状況で政右衛門が我が子を刺し殺す心理について詳細な分析をしました。本稿では、作者近松半二が「岡崎」で仕掛けた趣向について別視点から考えます。政右衛門と幸兵衛がすべてを了解した後、幕切れで駕籠のなかに潜んで様子を探っていた眼八を幸兵衛が一刀のもとに斬り捨て、

「まつその通りの手柄を待つぞ」 「まだお手の内は狂ひませぬな」 「ハヽヽヽヽ、やがて吉左右」 「吉左右」と、笑ふて祝ふ出立は、侍なりけり。

と二人が高笑いして、「岡崎」の幕が閉まります。ここでとても気になることは、幕切れが仇討ち物の、時代の論理に一気に染まってしまうことです。我が子を殺した父・政右衛門の苦悩、我が子を失った母・お谷の嘆きなど、一切が消し飛んでしまいます。巳之助殺しなど些細なことで、単なる趣向に過ぎず、ドラマ(悲劇)を形成する価値を見出さないかの如くのエンディングです。このような強烈に歪(いびつ)な構造が、「岡崎」の場にはあるわけなのです。

しかし、実はそこで、政右衛門がお谷をどれほど愛しているか、観客ははっきりと思い知ることになるのです。このことは、「饅頭娘」と「岡崎」との関連から見えて来ることです。これが「伊賀越」を通し上演で見ることの効用です。(この稿続く)

(R4・6・26)


2)手紙は必ず宛先に届く

「岡崎」の場を見ると、赤子・巳之助を抱いた女房お谷の登場は、かなり唐突です。政右衛門は、自分の素性を隠して前名・庄太郎のままで、久しぶりに再会した剣術の師匠(幸兵衛)から、敵・股五郎の行方を聞き出そうとしています。その大事な時に、外で何やら赤子を抱いて雪降る夜道で寒さに凍えて行き倒れた巡礼の女の呻き声がする・・・何とそれが自分を探してやって来た女房お谷であったのです。政右衛門は驚いたでしょう。どうしているはずのないお谷がそんなところにいるのか。そこに夫がいると知らないはずなのに、すぐそこにお谷が来ているのです。しかも選りによって最悪のタイミングにです。女房・赤子のことは気に掛かるが、ここで素性を明かすわけに行きません。そこで政右衛門はまるで素知らぬ振りをします。しかし、幸兵衛女房およしがお谷から赤子を預かって内にいれてしまいます。さらに守り袋から赤子が「政右衛門子・巳之助」だと知れてしまう。ここで赤子を人質に取られたら万事休すだ。追い込まれた政右衛門は赤子を引き寄せて、何と刺殺してしまうのです。

「岡崎」は、まるで偶然の集積のドラマのようです。夫を追って来た女房お谷が生き倒れたところが、偶然にも幸兵衛宅の前であったのです。お谷が倒れたところがどこか別の場所であったならば、或いはお谷が辿り着くタイミングがもう少し遅いか早いかしていれば、或いは女房およしがお谷から赤子を預からなければ、またはおよしが守り袋の中身を見なければ、赤子が「政右衛門子・巳之助」だと知れることはなく、政右衛門が我が子を刺殺することはなかったはずです。しかし、それらはすべて偶然に起こってしまって、政右衛門を一気に追い込んで行きます。

別稿「義賢から実盛へのメッセージ」のなかで、「源平布引滝」の二段目「義賢最後」は続く三段目「実盛物語」に向けて、「俺(義賢)は見事に死んで見せたぞ、君(実盛)は武士としてカッコ良く死ねるか」と云うメッセージを投げかけていると云うことを考察しました。それに応えて、今度は実盛が28年後の未来の自分に向けてメッセージを投げた、「実盛物語」とは、そのようなドラマなのです。ジャック・ラカンの精神分析のテーゼとして、「投函された手紙は必ず宛先に届く」と云うのがあります。それはどういう過程を経ようが、必ず「成る」ものです。スラヴォイ・ジジェックは、こんなことを書いています。

『友人が何気なく言った一言を小耳にはさむとか、ちょっとした不愉快な場面を目撃するといった、ごく些細なことによって、長いこと忘れていた記憶が蘇り、それによって私たちの日常生活がずたずたになる。ラカンのいうように、無意識的なトラウマは何かちょっとした偶然的な現実のかけらを使って生き延びる。精神分析においては、「運命」はそうした偶然駅な出会いを通して姿を現わし、次のような疑問を生じさせる。「もしあの友人の言葉を聞き逃していたらどうなっていただろうか。もし別の道を通って、あの場面を見ずに済んでいたらどうなっていただろうか」。こうした疑問は欺瞞的である。なぜなら「手紙は必ず宛先に届く」のだから。それは自分が登場する瞬間をじっと辛抱強く待っているのだ。もしその偶然の出来事が起きなかったとしても、別のちょっとした偶然が起きて、遅かれ早かれ、それを待ち受けていた場所を占め、トラウマに着火するのだ。(中略)私が受取人だから自分をそこに認識するのではない。私がそこに自分を認識する瞬間に、私は受取人になるのだ。だからこそ、手紙は必ず宛先に届くのだ。』(スラヴォイ・ジジェク:「汝の症候を楽しめ」〜「手紙は必ず宛先に届く」のはなぜか・筑摩書房)

軒先で赤子を抱いて・寒さで凍えて苦しんでいる女がいる・・・あれは愛する女房お谷だと政右衛門が認識した瞬間、政右衛門は「お前はホントにお谷を愛しているのか、その証を見せよ」と云うメッセージの受取人となるのです。同時に、仇討ちという行為の、真の残酷さを政右衛門は思い知ることになります。

先に述べた通り、政右衛門が義理の弟志津馬の助太刀を引き受けたのは、すべて女房お谷のためでした。剣術の腕前にかなりの自信がある政右衛門であっても、仇討ちは軽い気持ちで受けられることではありません。相当な覚悟が必要なことです。事実「饅頭娘」の場においても、政右衛門は愛するお谷を離縁する苦しみを経ねばなりませんでした。しかし、「運命」は執拗に、なおも厳しい試練の場を用意します。「運命」は、「お前が女房お谷のために助太刀を引き受けたと主張するのならば、お前がホントにお谷を愛していると云う、その証を見せよ」と再び政右衛門に迫るのです。これが「饅頭娘」から「岡崎」へ向けて放たれたメッセージなのです。政右衛門はこのメッセージを受け取らねばなりません。なぜならば「投函された手紙は必ず宛先に届く」からです。(この稿続く)

(R4・6・27)


3)手紙は必ず宛先に届く・続

「岡崎」を見取りで見ても、政右衛門の赤子殺しのドラマの本質を見誤ることはないと思います。それは仇討ちという行為の陳腐さを訴えています。(別稿「仇討ち物の論理」をご参照ください。)政右衛門を子殺しへと追い込むために作者近松半二が仕掛けた枷は、女房お谷への情愛も幸兵衛との師弟の絆も、「岡崎」のなかでは政右衛門を苦しめるための材料に過ぎません。苦難が襲い掛かるほど、政右衛門の怨念は高まり・研ぎ澄まされます。「おのれ、今に見ておれ」という風に。このような苦難の果てでなければ大望成就の喜びは決して得られないのです。「岡崎」に見られる悲劇は、状況が政右衛門に対して仕掛ける究極の返り討ちです。

しかし、夫の行先など知る当てもないのに、しかも選りによって最悪のタイミングに、どうしてお谷がすぐ幸兵衛宅軒先まで来ているのか。ここで半二が仕掛けた枷について、「主人公を追い込むためにここまでやるか、残酷なドラマだなあ」という思いをなかなか打ち消せないことも事実です。実は吉之助もそうでした。

ところが、今回、二幕目・大和郡山唐木政右衛門屋敷(饅頭娘)を含めた「伊賀越」通し上演の舞台映像を見ると、吉之助の目には、夫の後を追うお谷が赤子を連れて岡崎の幸兵衛宅にまで辿り着くことが、まったくスンナリ「必然」であると思えたのです。なぜならば「投函された手紙は必ず宛先に届く」からです。「運命」は、「お前が女房お谷のために助太刀を引き受けたと主張するのならば、お前がホントにお谷を愛していると云う、その証を見せよ」と再び政右衛門に迫るのです。これが「饅頭娘」から「岡崎」へ向けて放たれたメッセージです。そのメッセージを届けるために、お谷は赤子を連れてはるばる岡崎の幸兵衛宅まで辿り着くのです。このことは「岡崎」一幕だけを見たのでは分かりません。「饅頭娘」を含めて「伊賀越」を通しで見て初めてはっきりと知れることです。

イヤまったく、戯曲でも小説でも、作者が恣意的に登場人物を動かすことで出来上がるものではない。名作に於いては、登場人物が自分の意志で動こうとするのを、ただ作者が書き留めるに過ぎないと云うことを痛感させられました。吉之助も「岡崎」を、政右衛門を赤子殺しに追い込むために半二が仕掛けた作為的なドラマだとばかり思っていましたが、実はそうではなかったのです。「岡崎」とは、政右衛門とお谷と云う宿命の夫婦が紡ぎ出す、残酷なほどに悲しい「夫婦愛」のドラマであったわけです。そこから仇討ちという行為の陳腐さが浮かび上がります。「岡崎」で我が子を殺された女房お谷は、

「コレイノウ巳之助、物言ふてたも、母ぢやわいの。ゆうべまでも今朝までも、憂い辛いその中にも、てうちしたり芸尽し、父御によふ似た顔見せて自慢せふと楽しんだもの。逢ふとそのまゝ刺し殺す、惨たらしい父様を恨むるにも恨まれぬ。前生にどんな罪をして侍の子には生れしぞ。こんなことならさつきの時、母が死んだら憂目は見まい。仏のお慈悲のあるならば、今一度生き返り、乳房を吸ふてくれよかし」と、庭に転びつ這ひ廻り、抱きしめたるわれが身も雪と消ゆべき風情なり。

と嘆きますが、形通りで力がありません。普通ならば「アナタ、何てことをしたのヨオ」と大声で泣き叫んで夫を詰ってもよさそうなのに、お谷は「惨たらしい父様を恨むるにも恨まれぬ」とシクシク泣くだけです。お谷は、どうして夫がこのようなことをせねばならなかったかを、理解しているのです。同時にお谷は、自分が何故この時この場所に来なければならなかったのかも、分かってもいるのです。お谷は、宿命に吸い寄せられるが如く、しかし自分の意志で、メッセージを夫に届けに来たのです。「あなたがホントに私を愛しているか、その証を見せて」と云うことです。私が配達人だから自分をそこに認識するのではない。私がそこに自分を認識した瞬間に、私は配達人になると云うことです。

まあラカン・ジジェク的に「岡崎」を読むならば、吉之助にはこのような様相に見えると云うことですけどね。その一方、「あなたがホントに私を愛しているか」、その証が赤子殺しであると云うことならば、これで「巳之助は浮かばれるか」と云う疑問が、依然として吉之助のなかで重く響きます。これについては、吉之助は次のように考えます。多分、そうならざるを得ないところに、半二は、仇討ちという行為の、絶対的な非情さを見ているのです。質や程度の差はあれど、このような究極の選択の試練が平凡な個人の誰にでもいつでも降り掛かる可能性があるということ、つまり状況のなかで自分という人間はどう生きるべきか、それでも人は生きねばならぬのか、そのような厳しい問題提起を半二は観客に突き付けているのです。「岡崎」をそう読まなければ、殺された巳之助は浮かばれないと、吉之助は思います。(この稿続く)

(R4・7・4)


4)二代目鴈治郎の政右衛門

政右衛門は史上名立たる剣豪(実説は荒木又右エ門)ですから、押し出しの利いた・剛毅な時代物の役どころのイメージにどうしてもなってしまいます。仇討ちへの使命感と我が子を殺さねばならぬ苦悩との葛藤と悲愴感をそこに描くと云うことです。歴代の政右衛門役者を調べてもいずれも錚々たる時代物役者です。そうなる道理もよく理解出来ます。やはり見た目は大事なのです。そこへ行くと今回(昭和45年9月国立劇場)の、二代目鴈治郎の政右衛門は、見た目の押し出しが弱いと感じる方は少なくないかも知れません。確かに最初見た時は、剣豪にしてはちょっと頼りなさそうな印象がしなくもありません。ところが鴈治郎の政右衛門が上手いのは、そこからなのです。芝居を見るうちに、長年の和事芸で鴈治郎の身体に沁み込んだはんなりとした色気がジワジワ効果を発揮して来ます。見た目の剛毅さには不足はあるが、それを補って余りある表現の繊細さを備えた政右衛門なのです。歴代の政右衛門役者は知らず、この鴈治郎の政右衛門は、とてもユニークな存在ではないかと思います。

鴈治郎の政右衛門の良さは、「饅頭娘」から「岡崎」を通した時に、まざまざと実感されます。剣豪と和事芸なんてイメージ的に俄かに結び付かないと思います。しかし、「饅頭娘」での酔態の政右衛門がまさに茶屋場の由良助(やつし芸)であることが、「岡崎」から「饅頭娘」を振り返った時に、これほど利いて来るものかと吉之助も驚きました。「饅頭娘」から「岡崎」へ向けてメッセージが飛んでいたことがはっきりと分かるのです。そこから「岡崎」とは、宿命の夫婦が紡ぎ出す・残酷なほど悲しい「夫婦愛」のドラマであると知れます。政右衛門が赤子を殺さざるを得なかったところに、政右衛門がどれほど女房お谷を愛しているかが、はっきりと分かるのです。政右衛門が赤子を殺さざるを得なかったところに、政右衛門が二人の間に生まれた子供をどれほど大事に思っているかも、はっきりと分かるのです。幸兵衛は、次のように言っています。

「(政右衛門が)骨柄といひ手練といひ、天晴れ股五郎が片腕にせんものと、頼めば早速承知しながら、股五郎があり家を根を押して聞きたがるは心得ずと思ひしが、子を一抉りに刺し殺し、立派に言ひ放した目の内に、一滴浮む涙の色は隠しても隠されぬ。肉親の恩愛に初めてそれと、悟りしぞよ。

「岡崎」は確かに、仇討ちへの使命感とそのために我が子を殺さねばならぬ苦悩とのせめぎ合いのドラマであるのだけれども、その悲しみは「隠しても隠されぬ一滴浮む涙」だけで示されねばなりません。だからこそ政右衛門の悲しみがワサビのようにツーンと胸に来るのです。鴈治郎の政右衛門は、淡々としています。もしかしたら芝居が足りないように感じる方もいらっしゃるかも知れません。「岡崎」を見ると、政右衛門が「芝居」を出来そうなところは、確かに色々ありそうです。例えば雪が降り積もる軒先から赤子を抱えたお谷が苦しむ声が聞こえる、ここで政右衛門が「ああどうしよう・・」と云う思い入れで苦しみ・身をよじってみせる、そのような泣きの演技は「芝居」としてあり得るところです。しかし、そのような「らしい芝居」を見せれば見せるほど、緊張感がブツブツ切れてしまうのです。そこのところは最小限に抑えなくてはなりません。軒先にいる女を気にしていることを一切気取られてはならぬ。これがこの場面の政右衛門の性根なのです。「芝居」をしていないように見えて、それがホントの芝居なのです。ここで鴈治郎の身体が押し出しの利いた剛毅な印象でないことが、却って生きて来るのです。政右衛門の苦しみが、「しっとり」見えて来るのです。「私はここで苦しんでいます・悲しんでいます」なんてことさらな演技をしなくても、苦しみ・悲しみが身体からしっとり滲み出て来るのです。これは和事ができる役者ならではの政右衛門なのです。

仁左衛門の幸兵衛もなかなか良いですが、欲を申せば、もう少し敵役めいた感じがあっても良いかなと云う気もしますねえ。政右衛門は自分の素性を隠し・かつての愛弟子庄太郎として幸兵衛と接していますが、幸兵衛は股五郎の居場所をしきりに知りたがる庄太郎に不審の念を抱いています。もし政右衛門の素性が知れた時、師弟は剣を交えなくてはならぬのか・・・そのような不安を感じながら観客は舞台を見ることになるのですから、そのような緊張感をどこかに漂わせてもらいたい。そこが課題かなと思いますね。扇雀のお谷については、「饅頭娘」の項でも触れましたが、この時代の扇雀は女形としては美しさが生(なま)に過ぎる感じがしますが、我が子を無惨に殺された母親の悲しみはよく表現できていたと思います。

(R4・7・6)



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