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ニッポン人って何?〜「世界の果てからこんにちはU」

令和3年12月吉祥寺シアター:SCOT公演・「世界の果てからこんにちはU」

竹森洋一、塩原充知、加藤雅治、内藤千恵子、斎藤真紀、佐藤ジョンソンあき他

(鈴木忠志:構成・演出)


1)ニッポン人って何?

先日(令和3年12月)に吉祥寺シアターで鈴木忠志主催のSCOT公演「世界の果てからこんにちはU」を見てきました。(SCOTとは、Suzuki Company of Togaの略で、富山県利賀村に拠点を置く劇団です。)実は吉之助のお目当ては、公演後に行なわれた鈴木忠志と渡辺保との座談会であったのですが・そちらの方は概ね雑談に終始した感じで大した収穫はなく、イヤそこは両御大のお元気な姿を拝めただけで満足せねばならぬところではありますがね(鈴木忠志82歳・渡辺保86歳です)。ちょっとだけ面白かったのは渡辺先生が、2020年コロナ状況で軒並み劇場が休業に追い込まれた時、この最悪の状況にかすかな希望を見出すとすれば・それは劇場から質の悪い芝居が淘汰されることだなと密かに期待したのだけど、結局何も変わらなかったなあと仰ったことくらいでしたね。

ところで吉之助は鈴木忠志の芝居も数作を見たくらいのもの(「劇的なるものをめぐってU」についてはこちらを参照)で、普段は歌舞伎ばかりで現代演劇をそう見るわけでもないので・大したことは書けません。しかし、「世界の果てからこんにちはU」を見てから、芝居のなかで連呼される「ニッポン人」なるものがずっと気に掛かっていたので、そんなことでも綴りつつ観劇随想としたいと思います。

ところで「この世界は病院で、そのなかに人間は住んでいるのではないか」という演出コンセプトは、鈴木が「リア王」(初演1984年利賀山房)で初めて試みたものだそうです。舞台に車椅子に乗った病人たちが徘徊し、さらに医者や看護師が登場して(しかしこちらも正常ではなくて・かなりの重症である)、自らの心情を熱く語る(と云うよりも力説する・或いは演説するに近い)のです。そんな「世界の果てからこんにちはU」のなかで彼らが連呼するのが、「ニッポン」或いは「ニッポン人」と云う単語です。芝居ではこの二つの単語が執拗に繰り返されます。吉之助が普段見る歌舞伎とは次元がまったく異なる演劇です。筋はあるようでないようなもので、ここに列記しても大した意味はありません。正直申すと吉之助には何が何やらよく分からぬ芝居なのですが、「ニッポン人」の響きが吉之助の耳のなかでずっと長く残りました。多分それが鈴木の狙いなのだろうと思います。「世界の果てからこんにちはU」初演は令和3年(2021)9月利賀山房だそうですから、恐らく2020年春から始まり・現在も続いているコロナ状況が反映されたものだと思います。

劇中人物が自らの「心情」を熱く語り、それらはことごとく「ニッポン」或いは「ニッポン人」に結び付いています。吉之助も「歌舞伎素人講釈」で心情を語り(かぶき的心情という奴ね)・伝統を論じ・歌舞伎を考え続けて来ましたから、そこのところでは、つまりは「一病人」として、吉之助にも何か重なるところがあるのかも知れないなあと思いつつ芝居を見ました。しかし、芝居のなかの登場人物と吉之助が大きく異なると感じたのは、吉之助は確かに長年心情を語り・伝統を論じ・歌舞伎を考え続けて来て、それは確かに「ニッポン」或いは「ニッポン人」を考えると云うことに違いないのだろうけれども、そのなかで吉之助が「ニッポン」を意識したことはあまりなかったと云うことです。思えば師匠である武智鉄二には多少そう云うところがあったかも知れません。しかし、振り返って見ても、弟子である吉之助は文章のなかで日本・日本人という単語をあまり使わない方だと思います。吉之助にとっては「個」の問題の方が大事なのでね。自分のなかに在る「ニッポン」というものは、外的世界(非ニッポン的なもの)と接触することで違和感でしか意識されないものだと思います。日常生活でニッポン人のなかで安穏に暮らす分には、自分がニッポン人だと意識する機会などほとんどないはずです。羊水のなかに浮かんでいる胎児みたいなものです。母親の胎内を出て・外界に出て、初めて「私」が意識されるのです。それと同じことで、吉之助が「歌舞伎素人講釈」を書いているなかで思考が内的世界に浮遊している状態においては、吉之助が「ニッポン」を意識することはあまりないわけです。

それでは「世界の果てからこんにちはU」のなかで、登場人物がニッポン人・ニッポン人・・と熱く執拗に語るのは、一体彼らは誰に向かってしゃべっているのか?ということが問題になると思います。彼らが語り掛けている(つもりの)対象(相手)が違和感を醸し出しているのだろうと思います。これは多分題名がヒントになると思うのですが、「世界の果て=日出るところ=日本」ということで、相手に分かってもらえているかどうかは関係なく・登場人物がひたすらに熱く語る対象(相手)は、「かつてはニッポン人であったけれど・もはやニッポン人であることを忘れてしまったニッポン人」ということになるでしょうかねえ。(この稿つづく)

(R4・1・23)


2)最後の縁(よすが)

「世界の果てからこんにちはT」(初演1991年9月利賀 野外劇場)は、吉之助は見ていません。「T」が平成3年(1991)初演と云うことは、恐らく戦後日本のバブル景気の狂乱とその後の崩壊(一般的にバブル崩壊は1991年3月から1993年10月までの景気後退期を指す)が深く関連しているでしょう。シェークスピアの「マクベス」終幕に侍者がマクベスに夫人の死を告げる「陛下、お妃様がお亡くなりになりました」という台詞がありますが、「T」では、鈴木忠志はこの台詞を切り取って文句をニッポンに置き替えて、「ニッポンがお亡くなりになりました」とやって、これが大いに話題になったそうです。「世界の果てからこんにちはU」でも同じ手法が使われていて、チェーホフやイプセン・長谷川伸や唐木順三など、いろんなテキストが「ニッポン」或いは「ニッポン人」に置き換えらえれて登場します。しかし、置き変えた後の台詞が大事なのであって、元テキストの何をどう置き変えたかなんてことは、どうでも良いことです。

約30年後の新作「世界の果てからこんにちはU」が前作「T」とどう関連するかは分かりませんが、もうとっくの昔に「ニッポン」はお亡くなりになっているわけですから、ここで連呼される「ニッポン」或いは「ニッポン人」という言葉は、虚しく響くことになります。「この世界は病院だ」と云うことは、鈴木も「一病人」だということです。ここで連呼される台詞をそのまま聞けば、鈴木が主張するところの「ニッポン人」の定義とは、東映任侠映画を愛し・演歌を愛し・ラーメンが好き‥と云うことになりそうです。実はその程度のことなのです。

この辺は吉之助も「かぶき的心情」なんて言っていますが、実はこれも似たようなものかも知れません。「俺が・・俺が・・」の心情なんてものは、他人にいくら客観的に説明しようとしても、どうしても納得させ切れないものが残ります。だから「この俺が言ってるんだから・・お前にも分かるだろ」ということで、最後の最後に相手の同胞意識にすがらざるを得ない。逆に言うならばそこが最後の縁(よすが)なのであって、それがないならば「寺子屋」の松王と源蔵のドラマもありません。絶体絶命のところで松王が「かぶき的心情」を熱く投げかけても、これに源蔵が反応しなければドラマはありません。だから松王が源蔵のなかに(菅丞相との)縁を見出すことが出来ないのならば、ドラマは最初から起こりようがないわけです。

そうすると、鈴木が「もはやニッポン人であることを忘れてしまったニッポン人」に求める最後の縁って何でしょうか。恐らくは、そこ(縁)に訴えることしか、彼らに自分がかつて「ニッポン人」であったことを思い出させる手段は、もはや残されていない・・と云うことなのでしょうねえ。しかし、そこで鈴木に出来ることは・彼の世代であれば、東映任侠映画を愛し(仁義と負い目と・・)・演歌を愛し(酒と涙と・・)・ラーメンが好き(これは何だろね)‥と云う、その程度の珍妙なことになってしまうしかないことも鈴木はよく分かっているのです。「世界の果てからこんにちはU」のなかで、鈴木は分かっていて・それをやっているわけです。

そうすると、任侠映画だ・演歌だ・ラーメンだと言われても、約20年生まれが遅い吉之助にはピンと来ない(もっと生まれが遅い若者にはもっとピンと来ないだろう)のだが、吉之助のなかにも「ニッポン」或いは「ニッポン人」という響きのなかにまだいくらか反応する取っ掛かり(縁)が残っている気がするのです。「この俺(鈴木)が言うんだからサ・・ナッ、お前にも分かるだろ、同じニッポン人なんだからサア・・・」と訴えている気がするわけです。それだけが最後の縁なのです。これでこの芝居は十分役目を果たしているのかも知れませんねえ。

(R4・1・28)



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