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四代目歌昇と初代隼人の「鞘当」

令和3年8月歌舞伎座:「伊達競曲輪鞘当」

四代目中村歌昇(不破伴左衛門)、初代中村隼人(名古屋山三)、初代坂東新悟(茶屋女房お新)


)声のバランス設計

或る時、武智鉄二が七代目三津五郎に「六代目(菊五郎)のどこが、いちばん五代目(菊五郎)によく似ていますかね」と尋ねたそうです。すると三津五郎は即座に「それは声です」と答えて、「親子というのは、恐いものですねえ。目をつぶって聞いていると、五代目そっくりです。あんなに似るものですかねえ」と言ったそうです。六代目菊五郎の声は決して通りの良い声ではなかったようですが、遺された弁天小僧の録音など聞くと、菊五郎の台詞は低調子であったなと思います。この低調子は世話物では大きな武器になるわけですが、しかし、武智に拠れば、六代目の声は低調子ではあったけれど、うまく喉を使って結構高いところも響かせていたそうです。確かにそうでなければ、荒事の「車引」の梅王丸などを得意にすることは出来ぬはずです。世間ではどうも混同されている気配がありますが、「低調子」とは、声が小さいとか・声色が暗いと云うことではありません。声が低調子であることは悪いことではなく、そこは技術(と云うか喉の使い方)次第でどうにでもなるのです。

この逸話で推測されるのは、菊五郎の代々の家系が台詞が低調子であったと云うことです。このことは、「勧進帳」の弁慶と富樫をみれば、なるほどそうであったかと納得出来ます。九代目団十郎の高調子に対して、五代目菊五郎の低調子と云うことです。ちゃんと声のバランス設計がされているのです。実は、「鞘当」もそのように出来ています。初演(浮世柄比翼稲妻・文政6年・1823・江戸市村座)の時の配役は、不破が七代目団十郎・名古屋が三代目菊五郎でした。だから不破が高調子で・名古屋が低調子なのです。そこで不破の台詞をみると、冒頭の「遠からんものは音にも聞け・・」など高調子で朗々と発声されることを念頭に書かれていることが、一目瞭然です。これは成田屋代々の荒事のツラネの様式を衒(てら)っているわけです。「暫」のツラネと同じ様式なのです。

しかし、現行歌舞伎では、「勧進帳」も「鞘当」も、声のバランス設計がまったく混乱しています。富樫や名古屋を得意とした、大正〜昭和前期の名優・十五代目羽左衛門は、高調子でした。このイメージが現行歌舞伎にまでそのまま引き継がれてしまっているからです。そもそも歌舞伎役者は芝居のなかの役の間の声のバランスということをあまり考えないみたいですねえ。こう云うことは、様式感覚に直結する問題なんですがね。

残念ながら、今回(令和3年8月歌舞伎座)の「鞘当」も、歌昇の不破が低調子・隼人の名古屋が高調子になっていて、声のバランス設計が逆になっています。このため、二人が対決する渡り台詞が、何だか感覚的にスカッと割り切れない不満を感じます。ただし吉之助は配役が逆だとか言いたいのではありません。歌昇も隼人も頑張って、良いところを見せています。姿形はなかなかだし、声が通っていることは、良いことです。工夫すべきは、喉の使い方です。

台詞を「高調子にする」とは、音階のキー(調性)を高めに取ると云うことです。低調子であればキーを低めに取る。役が求めるキーに、自分の喉のキーを合わせれば良いのです。二人で本読みする時に、台詞の字句がどういう音の流れ(旋律)を求めているか、音階のキー(調)の探りを入れながら、互いにキーのバランスを調整していくことが大事です。音楽で云えば、チューニング(調律)みたいなものです。「鞘当」の様式感覚を正しく掴んでいれば、不破と名古屋の渡り台詞は、高調子と低調子の交錯となり、ユラユラ揺れる感覚に聞こえるはずです。今回の舞台では、台詞が高くなるべきところで高まらず、低くなるべきところが埋まってしまっています。だから流れが平坦になって、煮え切らない感覚になります。歌昇は心持ちキーを上げ気味に取る、隼人はキーを下げ気味に取る、そうするだけでもバランスはかなり改善するはずです。(この稿つづく)

(R3・9・3)


2)擬古劇的な衒い

「浮世柄比翼稲妻」は文政6年・1823・江戸市村座の初演で、不破伴左衛門と名古屋山三の世界と、幡随院長兵衛と白井権八の世界を綯い交ぜにしたものでした。16年前に出版されてベストセラーとなった山東京伝の「昔語稲妻草紙」を種本にして、歌舞伎で代々取り上げられてきたキャラクターを当世風俗のなかへ放り込んだのです。だから時代の枠組みを持っていますが、当然ながら根本は南北一流の生世話だと考えて良いものです。たまに「山三浪宅」が上演されることもありますが、もっぱら「鞘当」と「鈴ヶ森」が単独で取り上げられます。そうなると「鞘当」と「鈴ヶ森」がそれぞれ独立の幕として演出が洗いあげられて・肥大化し、「浮世柄」全体のことは次第に忘れられてしまうことも仕方がないことではあります

例えば「鞘当」ですが、不破と名古屋のキャラクターは、お国かぶきの昔から親しまれたものでした。元禄の初代団十郎も、「参会名護屋」(元禄10年・1697・江戸中村座)で不破を演じました。ちなみに本作は後に歌舞伎十八番に選定されることになる「暫」の原型であり、「鞘当」の趣向もそのように考えて良いです。不破は二代目団十郎に引き継がれて家の芸同然になって、「鞘当」の様式が確立していきます。歌舞伎十八番のなかに「不破」があることは、御存知の通りです。不破に敵役的な性格が濃いのは、四代目団十郎が実悪を得意としたことなどが影響しているそうです。文政6年「浮世柄」初演の不破を七代目団十郎に当てたのは、このような理由に拠るのです。

ところで歌舞伎の解説で、「鞘当」は「内容がない芝居だから・古劇の様式美と役者の容姿を愉しめばそれで良い」と云うようなことがよく書かれています。それは上記の通り「鞘当」が元禄歌舞伎の古色を伝えていると云うことからですが、「鞘当」を見取りで見る分には、まあそのように見ても一向差し支えないかも知れません。しかし、吉之助は内容がない芝居に付き合わされるのは叶わんし、見るからには多少であっても何らかの意味を見出したいと思います。

「鞘当」は、文政6年・1823・当時66歳の鶴屋南北が、当時からみれば100年以上も前になる、古(いにしえ)の元禄の「鞘当」の様式を衒(てら)って書いたものでした。「奇を衒う」と云うのは、気をひくために、わざと奇妙で風変りなことをしたりすること。当世風俗の「浮世柄」のなかに、擬古劇的な「鞘当」を意図的に挿入することの、「衒い」の意味を考える必要があります。当然元禄歌舞伎然とした芝居そのままであって良いはずがないのです。後期ロマン派のワーグナーが「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のなかで対位法やコラール形式を多用したとしても、それはバッハの時代の音楽とはまったく違うものとなります。これは当たり前のことなのです。現代から見れば、元禄(1700年前後)と文化文政(1820年前後)の違いなんてあってもないようなもので・どちらも似たような古劇の感触に思うかも知れませんが、南北は当世流の生世話の芝居のなかに古の「鞘当」の様式を放り込んで「奇を衒っている」わけですから、歌舞伎役者はそこのところをちゃんと仕分けて欲しいと思うのですねえ。これはもちろん今回の舞台だけのことを言っているのではありません。

つまり「鞘当」の不破と名古屋の渡り台詞は、もちろん元禄荒事のツラネの様式を引いたものですが、決して元禄歌舞伎そのままであってはならないわけなのです。様式にどっぷり浸ったような感触であっては困る。極端に云えば、「元禄歌舞伎らし」ければそれで良いのです。どこかに新しい写実の・生きの良さがあって、これが文化文政の南北の生世話に通じるところが感じられれば、面白くなるのではないでしょうか。文化文政期というのは、「成田屋の荒事なんて単純で内容がなくて、もう時代遅れで詰らない」という声が次第に出始めた時期でした。役者評判記にもそんなことが書かれています。このような観客の雰囲気を察知して、当時33歳であった七代目団十郎も、ケレン早替りや色悪とか、新たな芸域開拓を必死で模索せざるを得なかったのです。そんな時期に書かれたのが、この「鞘当」です。

このことは別の側面からも察せられます。三代目菊五郎(当時40歳)と七代目団十郎は仲違いしていましたが、「浮世柄」初演前年の顔見世興行で、五代目半四郎の仲裁により仲直りしました。「鞘当」は因縁の二人が対決し半四郎(当時48歳)が留女で出る趣向で書かれたのです。つまりこれは楽屋オチでもあったわけで、初演を見た観客は当然この経緯をよく知っていました。成田屋ッ・音羽屋ッと、両者の贔屓の観客の声援の応酬が凄かったでしょうねえ。最初のうちは様式めかした仰々しい雰囲気で始まったものが、次第に緊張が解けて、半四郎の留女の登場で一転して「今」風(生世話)の芝居に砕けていく、「鞘当」のなかに、そのような様式の大きな揺れ動きがあることが想像されます。これで擬古劇の「鞘当」が、「浮世柄」の生世話の枠組みにぴったり納まることになります。(この稿つづく)

(R3・9・7)


3)様式と写実の揺らぎ

つまり「鞘当」は、元禄歌舞伎の様式を衒った文化文政期の現代劇だと云うことです。だから芝居のなかに、古(いにしえ)と今の、様式の揺れ動きが感じ取られねばなりません。しかし、今回の舞台に限りませんが、現行歌舞伎で見る「鞘当」は、伝統にどっぷり浸って・いわゆる「様式美」を売り物にしていますから、そう云う様相がなかなか見え難い。様式美・様式美と言っていると、感触がどうしても時代の・重い感触の方へ傾いてしまいます。

様式の揺れ動きを考えるためには、「不破が高調子で・名古屋が低調子である」という音楽的配置から見れば良いです。不破(団十郎)の高調子が、元禄荒事のツラネの様式を踏まえたものであることは、前述しました。基本は二拍子のリズムです。しかし、文化文政から見れば元禄はずっと昔のことですから、それは様式の方へ傾斜して、自然と心持ち遅めのテンポになります。写実から離れるということです。一方、名古屋(菊五郎)は二拍子のリズムを踏まえつつ、これに自分の領分(写実・世話)で以て対抗しようとします。低調子は写実のためのの武器になるものです。写実ですから、同じ二拍子でも、それはいくらか早めなもの(前に進む力を持ったもの)になるでしょう。これで不破の台詞とのコントラスト(対照)を付けるのです。「鞘当」の様式自体が、様式と写実・或いは時代と世話の揺らぎを包含しているわけです。芝居が進行してドラマが盛り上がっていくに従って、揺らぎの間隔は、次第に狭まって行きます。つまり台詞の速度が徐々に速くなっていく、これは鶴屋南北の生世話の二拍子のリズムに段々近づいていくと云うことです。こうして最初は元禄歌舞伎の様式を衒っていたものが、いつの間にか文化文政期の現代劇(生世話)の様相に変化して行く、この芝居はそのような設計になっているのです。(注:別稿「アジタートなリズム〜歌舞伎の台詞のリズムを考える」をご参照ください。ところで本稿は「鞘当」についてですが、別稿で本年8月歌舞伎座「鈴ヶ森」について書きましたが、実は「鈴ヶ森」も似たような問題を孕んでいるということだけ言っておきます。)

このようなことは、気を付けて聞けば、様式の方へ傾斜して重ったるい現行歌舞伎からでも、察することが出来ます。もちろん今回の舞台(令和3年8月歌舞伎座)からも、これは察せられます。ただし時代と世話のコントラストが、十分付いているとは言えません。原因のひとつは、前述の通り、不破が高調子で・名古屋が低調子であるべきところを、逆に取っていることにあります。もうひとつは、隼人の名古屋が、恐らく役の優美さを強調しようとする意図(優美さを出そうとして高調子に取ると云う意図もある)でしょうが、台詞を伸ばし気味に取って、二拍子のリズムを崩してしまっているせいです。(ただし本舞台にかかるといくらか持ち直しました。)ここは不破の台詞の二拍子に付かず離れず、しかし、台詞のテンポを名古屋が確実にリードして行く必要があります。(これは「勧進帳」の山伏問答のテンポを富樫がリードするのと同じことです。)

まあ、そう云うところはありますけれども、それは今後の課題としておきましょう。まずは現行歌舞伎の伝えるところをしっかり学ぶことは、これは当然のことです。歌昇も隼人も初めての役に力いっぱい体当たりして、気持ちのいい舞台になりましたね。新悟の留女も手堅いところを見せてくれました。

(R3・9・9)



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