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木ノ下歌舞伎の「千本桜・大物浦」

令和3年3月シアター・トラム:木ノ下歌舞伎・「義経千本桜〜渡海屋・大物浦」

佐藤誠(渡海屋銀平実は平知盛)、大川潤子(お柳実は典侍局)、大石将弘(源義経)、立蔵葉子(お安実は安徳帝)

(木ノ下歌舞伎、脚本補綴:木ノ下裕一、演出:多田淳之介)

(この原稿は完結しました。最新の章はこちら。)


1)木ノ下歌舞伎の「千本桜・大物浦」

本稿で紹介するのは、令和3年3月に三軒茶屋のシアター・トラムで行なわれた木ノ下歌舞伎による「義経千本桜〜渡海屋・大物浦」の舞台映像です。木ノ下歌舞伎は、歌舞伎など古典を現代的視点で読み直し・現代の風俗や音楽を駆使して再構築する現代劇団です。吉之助は平成28年(2016)5月に「東海道四谷怪談」の舞台を見ましたが、歌舞伎の真似事ではない独自のスタイルを持っており、鶴屋南北を自由な発想で作り替えています。長年の上演で南北の作意を捻じ曲げてしまった感のある現行歌舞伎と比べて、南北へのリスペクトを感じさせる出来に仕上がっていました。

とは云え、これは現代演劇として、まったく別物と見れば良いことです。別に吉之助は歌舞伎の現代化の可能性がここにあるとするつもりはありません。しかし、現代劇団が古典を材料にこれだけのことが出来るなら、本家本元の歌舞伎は何やっとるのじゃ、これが本家の底力であるぞ・どうじゃ畏れ入ったかと云うところを見せ付けてくれよ・・とは思いますがね。

 

まあそう云うわけで、今回は「義経千本桜〜渡海屋・大物浦」の舞台映像を見たわけです。今回は歌舞伎オリジナルでなく・義太夫狂言ですから、「四谷怪談」の時とは木ノ下歌舞伎の勝手が異なって来るのは当然です。今回の「千本桜」の方が、ずいぶん歌舞伎に寄った印象がしました。木ノ下歌舞伎は、完コピと云って(完全コピーと云う意味)、舞台稽古の手始めに本家・歌舞伎の舞台映像を見ながら・その通りに真似して演る試みをするのだそうです。そうやって本家の型の意図やら、演技の息などを学ぶのだそうです。「四谷怪談」の時は出来上がった舞台に完コピの名残りが意外と出ないもんだなあと感心して見ましたが、今回の「千本桜」では、これを意識的に舞台の方に取り入れているようです。もちろん台詞は古語混じりとは云え・口調は現代風ですし、歌舞伎の下手な真似事にはなっていませんが、例えば渡海屋に梶原の家来(ただし偽)が乗り込んで・逆に銀平にやり込められる場面、幽霊装束の知盛登場の場面、或いは知盛入水の場面など、いつも歌舞伎ばかり見ている吉之助は、もうちょっと歌舞伎でないスタイルで解体出来ないものかなと思いましたが、確かにカブキしてみたくなる場面ではあるな。普段現代劇を専らご覧になる若い観客には良い古典入門になっているのかな?そうであればよろしいのですが。

それと舞台映像を見ての感想ですが、(マイクセッティングのせいもあるようですが)音響が大きすぎると云うことも含めて、音楽が過剰であると感じました。恐らく音楽の使い方にこだわりがあるのだろうと察しますが、もっと役者の素の台詞と演技で勝負をしていただきたい気がしました。とは云え、現代劇は、音楽にせよ衣装にせよ、ポップな素材を自由に駆使出来て、歌舞伎役者はさぞ羨ましかろうと思います。

実は、吉之助が今回の「渡海屋・大物浦」で感心したところは、全部現代語で独自に付け加えられたところなのです。例えば知盛の戦いが形勢不利と悟って、典侍の局が「(自害することを)覚悟しないと・・」と呟くと、安徳帝が

「ねえ、覚悟・覚悟って、どこに連れてくのォ?」

と言うのはとても面白く、或る意味ここは今回の「大物浦」の最重要のポイントだと思いますねえ。安徳帝の純真無垢な非政治性がよく出ています。大人たちの勝手な都合で・あっちこっちに連れまわされて、ホントこの子は可哀相です。そのちょっと前の台詞ですが、典侍の局が

「毎日毎日、みんなで船問屋やって来て、いつか昔みたいにちゃんと暮らせるようになろうねって言ってやって来たのに、その知盛がいなくなっちゃって・・・帰ってきてよオ」

と泣くのも、平家落人の気持ちがよく分かる気がします。いきり立って長刀を振り上げて迫って来る知盛に、義経が落ち着いた口調で、しかし軽く、

「知盛さん、一回落ち着いて話聞いてもらってもいいですか?・・凄いですよ、八島で死んだと見せかけて、こんなところで船宿の主人なんかやってずっと暮らしてたんですよね、ボクに復讐するためだけに・・・なかなかできることじゃない、タダ者じゃない・・・でもそのタダ者じゃない感じが普段から出てるって云うか・・だから渡海屋でお会いした時にこの人タダ者じゃないな・ひょっとしたら平家の生き残りかなって思って・・・」

と語りかけるのもちょっと笑える感じで、とても面白いです。それと入水の直前に知盛が、義経と手を取り合って、二人して泣く場面は、なかなか感動的です。こういう場面が歌舞伎の舞台にあっても良いかな・・などと、ちょっと思いますねえ。ラスト・シーンで知盛が入水した後、青々と広がる海(舞台)上で茫然と立ち尽くす義経の姿も、印象的です。このような具合で素材である「渡海屋・大物浦」を解体できれば、芝居が肩の力が抜けた感じになって、面白いものに出来上がりそうな気がします。

ところで先に引いた典侍の局の台詞から想像をしますが、平家一門が八島で滅びて(これは「千本桜」での設定)、命からがら逃げ延びた知盛や典侍の局その他の者たちが身分を隠して大物浦で廻船問屋をやって暮らしている、大物浦は人の行き来が多い場所だから・落人が身を隠すつもりならあまり適していないと思うけど・そこはまあ置くとして、知盛たちはそのまま名も無き庶民として静かに慎ましく暮らしていくつもりであった、あの人が来るまでは・・・ところが、これはまったく偶然のことだったのだが、たまたまあの人・平家を滅ぼした源義経一行が廻船問屋を訪れてしまった、それで知盛はすっかり忘れていた復讐心をムラムラと燃え上がらせ、平家再興の夢を賭けて決死の戦いを始めたと、そう云うドラマが「渡海屋」であると云うのは、まあそのような設定は有りかなと思います。

この場合、娘お安(安徳帝)は、貧しくても平和に・安心して慎ましく・静かに暮らしていきたい・名も無き庶民(国民)の願いを象徴するものと考えて良いだろうと思います。だから純真無垢な安徳帝をお守りするところに、知盛の大義がありそうです。今回の木ノ下歌舞伎の「渡海屋・大物浦」の基本コンセプトは多分ここにあると思うのですが、しかし、実際に木ノ下歌舞伎の舞台を見てみると、全体の筋がいささか原作とか歴史背景に付き過ぎているせいか、コンセプトがブレて見えるところがありますねえ。古典のゴツゴツ感を敢えて取り入れようと云う意図だろうと思いますが、ちょっと肩に力が入り過ぎた印象がします。まあ歌舞伎や文楽でも「渡海屋・大物浦」は、主題の重さでも・スケールに於いても、超ド級の大物ですから、肩に力が入るのは無理もないのですけどね。(この稿続く)

(R3・4・25)


2)木ノ下歌舞伎の工夫

古典を字句を変えずに・これをそのまま現代劇化するならば、時代設定も・背景にある倫理道徳も異なるわけですから、そこに齟齬が生じるのは当然のことです。また生じた齟齬自体が、古典と現代との間の、我々が問い直さねばならない問題を浮き彫りにすることになるでしょう。例えば欧米演劇でよく行なわれる・時代設定が現代でジーパン・Tシャツ姿で演じられる「ハムレット」や「マクベス」などは、そんなものです。

しかし、木ノ下歌舞伎のように、現代の事象を取り込んで、新たに脚本を自由に書き直して古典を現代劇化しようと云うのであれば、主題を研ぎ澄ますために、適切なアレンジを施す必要があります。もちろん「渡海屋・大物浦」を、これを戦争批判だと解釈しても・ここから天皇制批判を掘り起こしても、それは自由自在です。そこが木ノ下歌舞伎の強みであるわけです。しかし、今回の「渡海屋・大物浦」が、五年前の「四谷怪談」のほどに現代劇化がスムーズに行っていない印象がするのは、歴史知識・原作(歌舞伎・あるいは文楽)の筋に付き過ぎであるからだろうと思います。もうちょっと思い切って原作から離れることが必要かも知れませんねえ。

今回の「渡海屋・大物浦」は大体2時間15分くらいの上演時間(休息時間なし)ですが、そのうち45分ほどの前座があります。最初の15分位で、保元の乱から平治の乱・さらに源平合戦で平家が滅ぶまでを描き(「千本桜」との辻褄を合わせるため平家は八島で滅んだことになっています)、更に次の30分くらいで「千本桜」の仙洞御所と鳥居前をダイジェストで見せます。合計で45分くらいです。

まず「平家物語」の世界の歴史背景を説明する・この15分ほどの寸劇で、時の権力者の好き嫌いや利害関係によって、天皇の頭があっちこっち簡単に挿げ替えられる茶番劇を手早く見せます。テンポ良く、観客を適度に笑わせながら見せてくれます。「千本桜」を知らない若い方には、役に立つ歴史背景の導入になっているのかも知れませんねえ。ここで描かれるものは「政治の偽善性・ひいてはこれにいいように振り回される天皇制への懐疑」ということになるだろうと思います。それを描くのがいけないと云うのではありません。それを主題に「渡海屋・大物浦」を解体しようと云う意図ならば、それはそれで有効な視点なのですが、大事なことは、この天皇とっかえひっかえの茶番劇の最終のところに安徳帝が位置するという厳然たる事実です。

前項に記した通り、今回の木ノ下歌舞伎が、八島で滅びた平家の残党がその出目を隠して、これからは貧しくても平和に・安心して慎ましく・静かに暮らしていきたい、もう歴史の表舞台から消えてしまおうと願っているとして、娘お安(安徳帝)をその願いの象徴として描きたいと考えているのであれば(吉之助はそのように見ましたが)、前述の・天皇とっかえひっかえの寸劇は、役に立つ前座になっておらぬのではないかと思います。むしろ邪魔になっていると思います。なぜならば上述の寸劇は、安徳帝が清盛の大いなる野望によって無理やり仕立てられた政治性を帯びた天皇であったと云うこと、まさに政治駆け引きの産物(傀儡)に過ぎないことを暴露しているからです。

この寸劇は、安徳帝を抱いて入水しようとする直前の、典侍の局の台詞にも良くない影響を与えています。典侍の局は「今この国には自分のことしか考えない乱暴な人たちがたくさんいて、争いの絶えない恐ろしい国になってしまったんです。あの海の下には平和な世界があって云々・・・」と言いますが、それは典侍の局の立場からすれば言いたいことは確かに分かりますよ。彼女は本気でそう思っているでしょう。しかし、こんな事態(平家一門の滅亡)に至るまでに、平家は散々暴虐無人・好き勝手なことをやって来たのです。源氏だけでなく、大勢の人々が散々酷い目にあって来たわけです。そこの反省が無くして、源氏は自分のことしか考えない乱暴な奴らだとか、義経は情け容赦もない大量殺戮者で、我ら平家は虐げられた無辜の被害者だみたいな、そんな手前勝手な論理はないと吉之助は思うわけです。そういう余計なことを吉之助に考えさせるのが、実はこの寸劇だということです。

この寸劇を前座にしたうえで、娘お安(安徳帝)を、清盛の政治的野心から完全に解き放ち・純真無垢の存在に仕立てるためには、知盛と典侍の局に、正しい論理手続きを取ったうえで死んでいただかねばならないと思います。原作(人形浄瑠璃と云おうか・歌舞伎と云おうか)では、その手続きはしっかり出来ていると思います。なぜかと云えば、義経は「もののあはれを知る男」・生ける菩薩のような存在(現人神)であるからです。これが伝統芸能における「義経物」の秘密の方程式です。安徳帝は義経に預けられることによって、その政治性から解放され・初めてその無垢な本質を明らかにします。

一方、今回の木ノ下歌舞伎にそれが出来ていたかと云うと、そこが必ずしも上手く行っていたとは、吉之助には思えないのです。超ド級の原作を相手に肩に力が入り過ぎた感じで、原作とか歴史背景に付き過ぎているからです。詰め込み過ぎと云うことかな。吉之助が感じることは、前座45分を切り捨てて、歌舞伎の「見取り狂言」の考え方で、「渡海屋・大物浦」のみ90分で仕上げた方が良かったかなと云うことですね。その方が、余計な事前説明なしで、意図した主題をシンプルに観客に提示出来たと思います。

ただしここは上手く構成出来たなと感心する箇所も、もちろんあります。それは吉之助が余計であるとした寸劇の件ですが、その冒頭と末尾に、安徳帝が入水直前に「今ぞ知る、御裳濯川(みもすそがわ)の流れには、波の底にも都ありとは」の御歌を詠じる場面を挿入したことです。つまり今回の木ノ下歌舞伎では、本編「渡海屋」でのそれも含めて、安徳帝の「今ぞ知る・・・」の同じ場面が三度出てくることになります。安徳帝の存在を観客に印象付けて・作品を貫く柱とするうえで、これがよく効いていたと思います。(ちなみに知盛の入水も二回行なわれています。これも大事なことです。)

もうひとつは平家一門が八島で次々と殺され・或いは入水して死んでいくシーンで、木ノ下歌舞伎では死んだ役者がその場で衣装を脱いで・衣装をその場に残して退場する形式を取ったことです。この時に脱ぎ捨てた衣装が、本編「渡海屋」で再び登場し、入水しようとする安徳帝に十二単みたいに何枚も重ねて着せられる、或いは義経に襲い掛かる知盛が死者が脱ぎ捨てた衣装をやはり何枚も重ねて着て・それを幽霊装束に見立てている、つまり安徳帝も知盛もあの時・八島で死んでいった者たちの願いや怨念を背負って身に纏っているというところを視覚的に見せるのです。これも歌舞伎ではとても実現できない、現代劇らしいアプローチであると云えるでしょう。(この稿つづく)

(R3・5・5)


3)見るべき程の事は見つ」

原作「大物浦」で義経に抱えられた安徳帝が「朕を供奉し、永々の介抱はそちが情、今日またまろを助けしは、義経が情けなれば、仇に思ふな知盛」と言います。この場面について、或る劇評家が、ここで安徳帝が義経に寝返った、知盛は安徳帝に裏切られたので・ガックリと気力が落ちて死を決意すると書いていました。吉之助はこの解釈にはまったく同意が出来ませんがね。原作の背景に流れている「義経信仰」を正しく踏まえるならば、そんなことは決して言えぬと思います。安徳帝は知盛を裏切ったのではありません。「この世の有様」を知盛に正しく気付かせてくれただけのことです。例えていえば、それは朝日が差してきたことを感じ取ってニワトリが思わず時を告げるようなものです。この場合の朝日とは、もちろん義経のことです。帝をニワトリに例えて申し訳ないですが、純粋無垢な安徳帝だからこそ、義経が「もののあはれを知る男」だと分かるのです。帝の声を聞いて知盛は義経が何者であるかを悟るのです。このような義経信仰の論理は、ドラマを簡単に転換させてしまう都合の良いツールみたいに思うかも知れませんが、長い歳月を以て日本人の心のなかに構築されてきた重いものなのです。(別稿「大物浦における業(ごう)」を参照ください。)

しかし、今回の木ノ下歌舞伎については、敢えてこの問いを投げかけて見たい気がしますねえ。どうして安徳帝は「今日またまろを助けしは、義経が情けなれば、仇に思ふな知盛」と云い、その言葉を聞いた知盛は何故「昨日の敵はけふの見方、アラ心安や嬉しやな」と笑って死んでいくのでしょうか。

現代は懐疑の時代です。懐疑の時代は19世紀末くらいから始まっているのだけれど、21世紀は価値感が崩壊したために・懐疑に加えて・混迷がますます深まっています。もはや「義経信仰」なんてものを、ドラマの根底に置くことが出来ないのかも知れません。もちろん木ノ下歌舞伎は現代劇ですから、そこのところは自由にやればよろしいことです。義経は、両親から離され・肉親の愛を知らずして育ち・腹違いの兄頼朝に愛されようとして必死で戦って・結果として平家一門を滅ぼし華々しい戦功を挙げたわけだけど・それは大量殺戮者としての汚名を負う事でもあったと云う切り口はもちろん有り得るし、たぶん現代的な視点でもあろうと思います。義経がそのような傷付いた男であったとすれば、どのようなプロセスで、知盛はあれほど憎んだ仇敵義経と、「昨日の敵はけふの見方、アラ心安や嬉しやな」と云って和解し、手を取り合って泣くに至るのか、もう少し詳細な手続きを踏んで欲しい気がするのですねえ。そのために義経の人物をもっと掘り下げる必要がありそうです。

今回の木ノ下歌舞伎は、義経から神性を奪い取ってしまった為に、却ってその後の論理展開を難しくしてしまったようです。安徳帝を手に入れた義経が知盛に言う、「悪いようにはしませんから。(帝を)必ずお守りします。日本を必ず平和な国にしますから、安心してください」では、ドラマ転換点として、あまりに弱い。だって歴史を見ればその後の日本はそうならなかったことが明らかですから。「そもそも俺たちは、生まれる前から、殺し・殺されて、殺し・殺されて・・・」と云うのは、これで終わりではなく、これからも未来永劫続くのです。正直なところ、今回の結末については、原作に沿って型通り(知盛入水)に押し込んでしまった印象が否めません。論理の足らないところは音楽(君が代や映画「戦場のメリークリスマス」の主題曲が大音量で鳴り響く)で取り繕った感じがします。もっと役者の素の台詞と演技で勝負をしていただきたいですねえ。いいところを突いているのだから、もう少し思い切って原作を解体した方が良いと思います。

別稿「爽やかな知盛」で触れましたが、「平家物語」を正しく読むならば、知盛が死して怨霊と化すると云う発想は出て来ないと吉之助は思っています。謡曲「船弁慶」の発想は、民間伝承から来るものか、いずれにせよあまり筋の良くない発想のように思われます。しかし、「千本桜・大物浦」は「船弁慶」の絵解きに仕立てられているわけだから・そのことは置くとして、「平家物語」を見れば、寿永4年(1185)壇の浦の合戦の敗戦を覚悟した知盛は、幼帝の御座船に乗り移り、「世の中いまはかうと見えて候。見ぐるしからんものまな海へ入れさせ給え」と言って自ら掃除を始め、慌てふためく女官たちに「めずらしくあずま男をこそ御らんぜられ候はんずらめ」とからからと笑ったということです。やがて知盛は「見るべき程の事は見つ。いまは自害せん」と言い、鎧を二枚着てそれを錘(おもり)にして入水したとも、碇を担いで入水したとも伝えられています。 知盛は明らかに滅びゆく平家の運命を自覚して、従容と死に赴いています。このような人物が死して怨霊と化することは有り得ません。迷わず成仏したことでしょう。

話しを木ノ下歌舞伎に戻しますけど、義経信仰の論理を使わず、知盛と義経を和解に至らせるための、その鍵がひとつだけあるだろうと思います。それは「平家物語」にある知盛の、「見るべき程の事は見つ」と云う言葉です。知盛と同様、この世の有様を目の当たりにして、「見るべき程の事は見つ」と言える人物が、源氏方にも一人だけいます。それは、義経です。前述の通り、義経は両親から離され・肉親の愛を知らずして育ち・腹違いの兄頼朝に愛されようとして必死で戦い、結果として平家一門を滅ぼし華々しい戦功を挙げたが、それは大量殺戮者としての汚名を負う事であった・・・そして兄頼朝に疎まれ・追われ・遂には奥州で寂しく自害することになるのです。義経こそ「見るべき程の事は見つ」と言える人物であったのです。(それゆえ「もののあはれを知る男」であるわけですが・そこは置くとして。)「大物浦」で知盛は、自分と同じく業(ごう)に翻弄され尽くした悲劇の人物を義経に見出したとすれば、知盛と義経は共に手を取って泣くことが出来るはずです。知盛と義経は、云わば源平合戦の裏と表の関係です。さすれば「俺たちの人生・これで良かったんだろか、生きる意味があったんだろか、俺たちがお互い仲良くできる方法はなかったんだろか」というところで、「大物浦」を現代的な懐疑のドラマに転換できると思いますけど、如何なものですかね。

(R3・5・6)



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