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「大物浦」における業(ごう)〜時代と世話を考える・7

〜「義経千本桜・渡海屋〜大物浦」


○今回は「義経千本桜・渡海屋〜大物浦」を取り上げます。これは飛び切りスケールの大きい時代物ですね。

壇ノ浦の戦いで死んだはずの平知盛が実は生きていたと言うのですから、歴史スペクタクルと言うべきです。しかも、これは謡曲「船弁慶」の筋を逆手に取ったお芝居ですね。

○「船弁慶」に登場する知盛の亡霊は、実は亡霊ではなくて・生き残って義経に一矢報いようと潜伏していた知盛本人であったということになっているわけですね。

最後に碇をかついで入水する知盛が「大物の沖にて判官に怨をなせしは知盛が怨霊なりと伝えよや」と言います。「船弁慶」という謡曲はこういう事で出来たのですと言う絵解きになってるわけです。こういう歴史推理を楽しむ余裕が江戸の庶民にはあったということです。しかし、この「大物浦」の趣向は手が込んでますね。

○知盛とその手下は幽霊の装束で義経一行を襲います。

幽霊の装束となるのはその姿で義経一行を恐れおののかせようという効果を狙うとともに、「事が成功した後に知盛が生きていたと分かっては後が面倒になるので、ここは幽霊が義経を討ったということにして源氏の目をくらませよう」という魂胆であると知盛が言っています。この幽霊装束に平氏の義経に対する怨念の強さが感じられますね。しかし、この知盛の計略を義経は完全に見破っていて、襲い掛かった知盛一行に対して用意していた提灯松明を突き付けて反撃に出ます。幽霊が明るみにさらされてしまったら、その霊力は失われてしまいます。

○ということは知盛は怨霊なのですか。

ここで突きつけられている重大な主題は「歴史を逆戻しして・結果を変えることは可能か」という壮大な問いです。観客の眼前で展開されるのは、まさに壇ノ浦の戦いの再現です。知盛たちはもちろん舞台では生きていることになっていますが、「平家物語」が伝える通り・観客にとっては平家が壇の浦で滅びたことは歴史上の事実です。だとすれば、ここで登場する知盛たちはやはりあの世から蘇った怨霊そのものであると観客は感じることでしょう。彼らは歴史を修正しようとしているのです。そういう思いを重ねて・芝居を見るような二重構造になっているのですね。

○それは本歌取りとしての「平家物語」の世界の構造から来るわけですね。

その通りです。平家一門は義経によって壇ノ浦で撃ち滅ぼされた。これが第一の前提です。そして、平家滅亡の後、義経は兄に疎まれて・流浪の果てに奥州平泉で寂しく死ぬ。これが第二前提です。このふたつの歴史上の事実はどんなことがあっても崩してはならないのです。それ以外だったら何をしてもいいのですが、最終的にはこのふたつの前提に納めることが、「平家物語・義経記の世界」の狂言の約束です。

○結局、知盛は奮闘空しく・歴史を変えることはできなかったのですね。

結果としてその通りですが、知盛は自ら納得して「平家物語の世界」へ還っていくのです。それは成仏できずに地上にとどまっていた霊魂が遂に怨念から解き放たれて成仏していく様にも思えます。

○知盛は自ら納得して・海のなかへ沈むのですか。

「知盛莞爾と打ち笑みて、昨日の仇はけふの味方、アラ心安や嬉しやな」とあります。知盛はすべての怨念を水に流し・安徳帝を義経に託して・心安らかに死んでいくわけです。

○知盛が、あれほど仇敵と付け狙っていた義経を「けふの味方」と呼ぶに至る心境の変化はどこから来るのでしょうか。

これこそ伝統芸能における義経物の系譜から来るものです。「歌舞伎素人講釈」では義経信仰のことに何度か触れました。そこに「熊谷陣屋」や「勧進帳」にも共通する義経の神性があるのです。義経はもののあはれを理解することのできる稀有な人物です。まさに義経はこの世の哀しみを涙ですくい取る菩薩です。知盛はその時まで義経を平家と敵対する源氏の大将としてしか見ていなかっただろうと思います。しかし、最後の最後になって知盛は義経がただの人物ではないことを悟るのです。知盛は義経が神であることを知るのです。

○義経が知盛の怨念を救い取り・清めるわけですね。

その通りです。義経の霊力に触れて、知盛は安心して安徳帝を義経に託して・死ぬことができるのです。伝統芸能における義経という存在の意味を理解しなければなりません。義経はただの武将ではないのです 。

○安徳帝は「朕を供奉し、永々の介抱はそちが情、今日またまろを助けしは、義経が情けなれば、仇に思ふな知盛」と言っていますね。

大事なことは安徳帝は「幼な神」であるということですね。安徳帝自身は平家に付く・源氏に付くなどと政治的意識は微塵も持っていないのです。安徳帝はただ「自分を大事にしてくれるこの人(義経)はいい人だ」と言っているに過ぎないのです。しかし、安徳帝の・このひと言で知盛には忽然として見えて来たものがあるのです。帝はお神輿みたいなもので・それを担ぐ集団に対しては効力を発揮するのですね。担ぐ集団を選ぶのは 決して帝の役目ではないのです。結局、「安徳帝は俺たちのものだ」と主張して・安徳帝を勝手に担いで・そのお神輿の下で傍若無人なことをしていた連中がいたわけです。つまり清盛を頭とする平家一門のことですが、このことこそ真の問題であったのです。「仇に思ふな知盛」という安徳帝の言葉によって、このことに気がついて知盛は愕然とするのです。

○すべては父清盛の悪逆非道から来ていたということですね。

「平家一門が西海の藻屑と消えたのも、これすべて父清盛の悪逆が積り積もって一門わが子の身に報いたのか、是非もなや」と言うことです。源氏は敵だ・平家を滅ぼした義経は仇だ・・と恨んでいたのは間違いだったということです。すべては父清盛の悪逆非道の報いであった。知盛本人は確かに安徳帝を心底敬い・これを守護することを信条としてきたでしょう。しかし、平家の棟梁・清盛はそうではなかったのです。知盛がこのことに気が付いた時、平家が安徳帝を守護し奉るという名目は崩れ去ったのです。それは安徳帝を利用して・平家一門が利益を貪るための父清盛の虚構の名目に過ぎなかったことが、安徳帝のひと言によって明らかとなったのです。それはここに汚れのない心で安徳帝を守ることのできる義経という存在がいるということを知盛が認めたということに他なりません。この悟りが知盛が碇を担いで入水しようと言う決断に繋がるのです。そうでないのならば知盛が「莞爾と打ち笑みて、昨日の仇はけふの味方、アラ心安や嬉しやな」と言って死ぬはずは決してありません。そうでないならば知盛は最後の最後まで安徳帝を取り戻そうとして抵抗したことでしょう。

○知盛が碇を担いで入水するというのは壮絶な最後ですね。

知盛のこの行為は自らが背負った平家一門の怨念を葬り去ろうという意図であると同時に、「平家物語」が伝える壇ノ浦での知盛自身の最後を反復しようとするものです。つまり、この反復によって知盛は自らが否定しようとしていた歴史的事実を受け入れるのです。こうして知盛は「平家物語の世界」へ還っていく のです。それは壇の浦に沈んだ平家一門への供養でもあるわけですね。

○こうして安徳帝という「幼な神」が義経という神に託されます。遡りますが、典侍の局も「君の御事くれぐれも、頼み置くは義経殿」と言って自害しています。

典侍の局も義経の役割を理解したと言うことです。典侍の局は安徳帝を抱いて入水しようとして義経に阻まれるのですが、安徳帝が二位の尼と壇ノ浦に沈んだことは歴史的事実として厳然としてあるわけです。義経はこの歴史の一点だけ変えることを許すのですね。しかし、歴史を修正する場合には正しい歴史の収め方というのがあるのです。それを間違えると歴史がこんがらがって大変なことになりますのでね。安徳帝を人知れずお隠し申し上げて・歴史の舞台から静かにご退場いただくという処し方です。どこかで安徳帝は幸せに暮らすことになるのですが、もう影響力はないのです。義経はそういう手続きができる稀有な人物です。これはもののあはれを理解し・これを清めることの出来る義経にしか出来ないことです。もうひとつ大事なことがありますね。

○大事なことは何でしょうか。

その人間が生まれながらにして背負っている業(ごう)・つまり「宿業」という問題です。これは「義経千本桜」全体に関わる主題です。「大物浦」で見ると知盛の場合は清盛の悪逆非道 から来ているわけですが、しかし、これを親の所業のせいだと言ってしまうと、これをホームドラマだ・家庭悲劇だと言う向きがありそうなので・そうは言いたくないですね。業というものはもっと根源的な・生まれながらにしてその人間が背負いつつ生きていかねばならない宿命としてあるものです。

○どうして「業」という言葉を使うのですか。

清盛の悪逆非道もまた・清盛にまつわる業のなせるものであるからです。清盛のご先祖か・はたまた清盛の前世の所業のせいだかは分かりませんが、清盛もまた何かの業に縛られているのです。そして、その業が鎖のように繋がって知盛や平家一門を縛る。業とはそういうものなのです。その人間が生まれながらにして持っており、ある時は個人を縛り・ある時は個人を導く因縁のようなもの。そういうものを仏教では業と呼ぶわけですが、これは別に仏教だけの考えではないのですね。例えばアイスキュロスのギリシア悲劇「オレステイア」三部作を見て下さい。最初の悲劇は次の悲劇の発端となり、悲劇の運命は連鎖していくのです。それは神の定め給うた筋書きとしてあるのです。

○業の問題は「千本桜」では他にどんな形で出てくるのでしょうか。

延享4年・竹本座での「千本桜」初演本の設定では「いがみの権太」の父・弥左衛門は、吉野で鮨稼業をする以前は瀬戸内で海賊をやっていた身であって・その罪を平重盛に許されて悔い改め、後に 鮓屋を始めたという設定になっています。つまり、弥左衛門は盗み・殺生もやった悪人だったということです。実はこの初演本の設定は再演以降では削られています。その変更の理由は定かではないですが、モデルとなった釣瓶鮓屋からの抗議があったのではないかとも推測されています。しかし、この弥左衛門の前身は権太のことを考える時に非常に重要 です。

○権太の悲劇は海賊時代の弥左衛門の業の報いだということですか。

父親の前身を息子の権太本人はまったく知らなかったと思います。しかし、権太がグレて・「いがみの権太」と呼ばれるならず者になったのは、間違いなく業が作用しているのです。少なくとも弥左衛門本人がそう感じていたと思います。そう考えた時に権太が維盛一家を梶原に売り渡したと思い込んで息子を刺した弥左衛門の怒りの心情が理解されるのです。息子に対する怒りと共に・それ以上に自分自身に対する 罪悪感と業への恐ろしさが交錯しているわけです。つまり、弥左衛門は業に対する恐ろしさのために・自分の所業の結果を自らの手で消し去ろうとする。それが思い余って息子を刺すということになるのですね。これは「合邦」で玉手御前を刺す合邦道心についても同じことが言えます。繰り返しますが、昨今はこういう問題をすぐに親や社会のせいにし勝ちですね。アダルト・チルドレンなんて概念もそう言うものです。そんな風に「大物浦」や「鮓屋」をホームドラマだ・家庭悲劇だなどという次元に落とすのではなく、もっと根源的な・個人が生まれながらにして背負う宿命の悲劇と捉えて欲しいのです。そう考えると「鮓屋」は権太の悲劇であるのと同じくらいに・これは父弥左衛門の悲劇でもあるのです。

○「鮓屋」は弥左衛門の悲劇でもあるのですか。

「鮓屋」で知盛と対比できる人物は弥左衛門ということになるかも知れません。「大物浦」で知盛が碇を担いで入水する行為は、清盛からその子供たちへと繋がる業の連鎖を知盛が自らの意志で断ち切ろうとする行為でもあるのです。「鮓屋」の最後で・弥左衛門は維盛の供をして高野山へ向かうわけですが、丸本にははっきり書いていませんが・これは維盛を高野へ道案内するためだけで、弥左衛門はまた家へ帰るつもりなのでしょうか。そうではないでしょう。恐らく維盛と一緒に弥左衛門も歴史の舞台から消え去るのです。つまり、弥左衛門はそうやって自らの業の連鎖を断ち切るのです。知盛と弥左衛門が対比されるという見方は「千本桜」初演の弥左衛門の人形を名人吉田文三郎が遣ったという事実によって証明できるかも知れません。文三郎はこの時、知盛・弥左衛門・忠信の三役を遣っているのです。

○もうひとりの狐忠信もやはり業に縛られているのでしょうか。

狐忠信も・義経もそうですが、幼い時に両親に死に別れ・その面影を思いつつ・孤独な少年時代を送ったわけですね。つまり、知盛・弥左衛門とは違う局面を見せていますが・やはり彼らにも何らかの業に縛られているのです。このことは「四の切」を取り上げる機会にもう少し深く考えることに致しましょう。

○しかし、そうすると「大物浦」の知盛はギリシア悲劇みたいな様相を呈して来ますね。

まさにその通りだと思います。

○「渡海屋」前半では知盛は渡海屋銀平として登場しますが、この場面は世話と考えて良いでしょうか。

時代と世話の差は、その周囲との色合いの違いから見えてくるものです。「渡海屋」は純然たる世話場とは言えない雰囲気があるかも知れません。既に大序において知盛・維盛・教経の首が偽首であったという謎が提出されていますから、最初から「渡海屋」で何かが起こるということが観客に期待されているからです。しかし、二度目の登場において 銀平がその正体を現わす場面との対照を際立たせる意味からしても、当然「渡海屋」前半は世話の方に傾いているのです。江戸の廻船問屋の雰囲気を漂わせていればそれで良いと思います。それが知盛が能装束で登場すると大時代の感覚へググッと引き寄せられて行くのです。そうして江戸の庶民の感覚が「平家物語」の世界にワープしていくのです。いよいよ来たぞと言う感じです。そういうワクワク感が欲しいですね。

○先ほど「歴史を逆戻しして・結果を変えることは可能か」という話が出ましたが、「義経千本桜」はある種のサイエンス・フィクション(SF)だと言えますね。

その通りです。そこに江戸の庶民の・科学的と言える歴史感覚が見えます。知盛・維盛・教経の首が偽首であったなんて・トンでもない虚構を提出していますが、しかし、そのもつれた糸を見事に解いてみせる・その手腕がまさに科学的なのですね。歴史とは何でしょうか。それは我々を今このように在らしめる真実なのです。浄瑠璃作者は大胆な筋の展開を仕掛けながらそのことで歴史の真実を何ら損なってはいません。だからこそ、「義経千本桜」は古典的な明晰さを持つのですね。

(付記)

別稿「生きている知盛」「安徳天皇を考える」もご参考にしてください。

(H18・4・8)


 

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