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六代目勘九郎と二代目巳之助による「棒しばり」

令和2年8月歌舞伎座:「棒しばり」

六代目中村勘九郎(次郎冠者)、二代目坂東巳之助(太郎冠者)、三代目中村扇雀(曽根松兵衛)


1)勘三郎の「棒しばり」の思い出

本稿で取り上げるのは、コロナ状況下で休演した歌舞伎座が、令和2年8月花形歌舞伎で興行再開した勘九郎と巳之助による「棒しばり」の舞台映像です。残念ながら吉之助は都合で舞台が見られなかったので、松竹のオンデマンド映像で月遅れで見ましたが、便利な時代になりましたねえ。吉之助はクラシック音楽を日常的に聴きます。生(なま)の演奏会と併せてCD・ビデオなど録音で音楽をしばしば聞きますし、ネットを通じて海外での演奏会の最新情報を日々チェックもしています。そんなわけで吉之助には再生芸術に対する拒否反応がまったくありません。本サイトでも歌舞伎の過去映像を材料に観劇随想を多数アップしていることは、ご存じの通りです。演劇の分野で「映像では舞台芸術の真の魅力は記録できない」という考え方が依然根強いことは承知していますが、吉之助に云わせれば、もし足らないところがあるのならば、そこは見る側の想像力で補えば良いのです。特に伝統芸能というものは、過去に発し・過去に触発され・過去によって高められる芸能なのですから、鑑賞には想像力が大事な要素です。過去と現在の映像を同次元で並べて鑑賞出来ることは、とても意義があることです。月遅れであっても松竹が最新の舞台映像をオンデマンド配信を開始したのは、もしかしたら松竹は現在のコロナ状況下の暫定処置のつもりかも知れませんが、この試みが世間に受け入れられれば、将来の歌舞伎の鑑賞スタイルが変る可能性も秘めているのですから、そこのところは長い目でじっくり取り組んで欲しいと思います。

ところでコロナ状況下で3月以来、歌舞伎役者は舞台に立つことを封印されて来ました。同様に観客も長い自粛生活を強いられてきたわけです。東京でこれほど長期間歌舞伎の幕が開かなかったのは、あの昭和20年8月の敗戦前後の数か月以来絶えてなかったことでした。これは8月興行のどの舞台にも共通して云えることですが、実に5か月振りに歌舞伎座が再開となって歌舞伎役者が舞台に立って身体一杯舞台上を跳ね回ることが出来る喜びを観客と共有したいと云う気持ちが伝わってくる舞台でありましたね。そんなご機嫌な「棒しばり」でした。そのことを認めたうえで話しを続けます。

さて勘九郎と巳之助による「棒しばり」と云うことになれば、吉之助にとっては懐かしい親の代、十八代目勘三郎の次郎冠者・十代目三津五郎の太郎冠者の組み合わせでの「棒しばり」の舞台の思い出を重ね合わせてしまうことは、避けられないことです。上演記録を調べると、十八代目勘三郎の「棒しばり」の舞台は、11回あったようです。そのうち最初の2回が、五代目富十郎の次郎冠者で・勘三郎が太郎冠者を勤めたものでした。これ以後の9回はすべて勘三郎が次郎冠者を勤めて、十代目三津五郎の太郎冠者との組み合わせでした。(なお混乱を避けるため、本稿ではすべて勘三郎・三津五郎で芸名表記を統一します。)

昭和57年(1982)1月歌舞伎座での、富十郎と勘三郎の「棒しばり」の舞台は、よく覚えています。富十郎は舞踊の名手でしたが、この次郎冠者も、かっきりして動きに無駄がなく、それでいて芸が四角四面にならずユーモアも十分でした。対する勘三郎(当時28歳)は、先輩富十郎に付いて祖父(六代目菊五郎)が初演した次郎冠者を学ぶと云う段階だったと思います。これも行儀が良い太郎冠者でありました。この頃は親父さん(十七代目)もまだ元気が良かったし、親父さんの厳しい眼が光っていたせいで、この時期の勘三郎の舞台は神妙な印象が強かったと思います。神妙にやらないと親父さんからすぐ鉄拳が飛んでくる、そういう事情もありましたが、「暗い」と云うのでもないが、教えられたことをその通りしっかり勤めようという妙な生真面目さが目に付いたものでした。この生真面目さは、特に型ものであるとか・中村屋にとって特に重い家の芸的な演目において、勘三郎に終生付きまとったものでした。

ところで、狂言のおかしみと云うものは、演者の方から笑いを仕掛けて行くものではなく、舞台を見ている見物の口元が思わずほころぶという類の笑いです。それが歌舞伎の松羽目舞踊の、本行に対するリスペクトと云うものです。富十郎と勘三郎のコンビによる「棒しばり」は、本行の品位を感じさせて、とても良いものでした。以来松羽目舞踊に関しては、この時の「棒しばり」の舞台の印象が、その後の吉之助のなかの指標になっています。

一方、三津五郎とのコンビでの「棒しばり」の、勘三郎の次郎冠者を最初に見たのは昭和59年(1984)3月歌舞伎座であったと思います。同年代の心安い・しかも技芸的にも拮抗した相棒を得て、良く云えばリラックスした感じで明るくなりました。しかし、先ほど「妙な生真面目さ」と書きましたが、そのような重しがなくなった印象がしましたねえ。真面目でなくなったと云うことでは決してないのだが、勘三郎の持ち前の愛嬌・サービス精神が思わず勝ったという感じでしょうか。もっとも相手役の三津五郎が芸に関してはブレない役者でしたから、おかげで緩み過ぎないところで納まってはいましたが。まあ「棒しばり」は他愛ない笑劇という感じになりやすいものです。(注:これは父親(十七代目)の死の翌年のことでした。思い返してみれば、ここら辺りからあの「楽しい勘三郎」路線が始まったわけだな。)

今回(令和2年8月歌舞伎座)の、勘九郎の次郎冠者による「棒しばり」ですが、父親(十八代目)の舞台のご機嫌な気分を良く写しています。ただし表層的にと云うことではありますが。気になるのは印象論的になりますが、表情と台詞の口調です。台詞は父親を彷彿とさせますが、もう少し低調子に抑えた方がよろしい。勘三郎の場合は生来持っているもの(愛嬌)がこぼれ出るという感じでしたが、これは本人の資質ゆえです。勘九郎の資質ならば、もうそろそろ父親のイメージを追うことは止めて、今一度、松羽目舞踊の原点に立ち戻った方が良いと思います。(この稿つづく)

(R2・9・9)


2)松羽目物の本質・表と裏

「棒しばり」初演は、大正5年(1916)1月二長町市村座でのこと。配役は、次郎冠者が六代目菊五郎、太郎冠者が七代目三津五郎という踊りの名コンビでした。一説に拠れば、舞台稽古の時に作者の岡村柿紅・興行主の田村成義らが見てみると、菊五郎らが付けた振りがまるで面白くない。こんなのじゃ上演を見合わせた方が良いかなと云う話が出たそうです。そこで慌てた菊五郎がひと晩待ってくれと申し出て、三津五郎と作曲者の杵屋巳太郎と相談して一夜で曲振りともに練り直して大当たりを取ったのが、今日の「棒しばり」であるそうです。どこをどう直したのかは分かりませんけれど、当初は恐らく本行からあまり離れないところで無難な振りを付けたのを、思い切ってコミカルにアクロバチックな振りに変えたのであろうと察しは付きます。まあそういうところに本作の人気の秘密も・問題もあるのだろうと思います。

「棒しばり」が酒を巡る賑やかで屈託のない笑いの踊りだと云うのは、まあそれはそれで本作の本質ではあるでしょうが、それはいわば「表」の本質です。主人(歌舞伎では曽根松兵衛とあるが本行では名前なし)は、おそらくどこかの地方の小豪族かでありましょうか。主人の家来・太郎冠者と次郎冠者は有能な男たちなのだが、主人の目を盗んでしばしば蔵の酒を飲んだり、時々好き勝手な振る舞いをする。この時代の主従関係の緩さが察せられます。主人のそのような家来への不審感が表に現れたのが「棒しばり」なのですが、家来からすれば突然縛められたら物申したくもなります。何で理由もなくと云うことになる。最後のところで次郎冠者が「なんじゃ打擲する?打擲するなら、夜の棒で・・」と主人に打ち掛かるのは、酒と笑いに紛らしているから本気ではありません。しかし、そこに何某かの本音が混じっていることも事実なのです。本音というのは、「主人・主人と威張るのじゃないよ、俺たちだって人間なんだからね」ということです。これが江戸期の庶民の気分へと繋がるものです。これを「裏」の本質と云っておきましょうかね。室町期の狂言のなかに、そのような人間の本音が隠されているのですが、そのような本音は酒と笑いに紛らして、とりあえず穏便に伏せねばならないものでした。狂言の「狂」の字のなかに込められた気分は、そう言うものなのです。

歌舞伎というのは、本行である狂言と比べれば、ずっと写実(リアル)の方に寄っている芸能です。だから歌舞伎の松羽目舞踊の笑いが狂言の笑いより生(なま)になるのは当然と云う考え方も、もちろんあると思います。一方、本行の「裏」の本質を意識することで、歌舞伎の松羽目舞踊はもっとキリッと締まった印象に出来るはずだと云う考え方だってあるのです。歌舞伎は庶民の芸能なのですから、それが本行に対するリスペクトと云うことなのです。十八代目勘三郎にはそういうところを見詰め直して欲しかったのですが、残念ながら勘三郎は「楽しい勘三郎」路線の方へどんどん行っちゃいました。(これは「棒しばり」だけのことではありません。)

それは兎も角今回(令和2年8月歌舞伎座)の「棒しばり」は、父親(十八代目)たちの舞台のご機嫌な気分を良く写しています。そこのところは良い点として、全体としてもう少しキリッと締まった印象が欲しいですねえ。ひとつの原因は先ほど触れた通り・高調子気味の台詞・ご機嫌な雰囲気を出そうとして表情を作ろうとするところにありますが、上半身の前後動が激しい(身体を前に傾けることが多い)ことにも原因がありそうです。こういうことは劇場で見ている分にはさほど気にならないかも知れませんが、映像で四角のフレームで切り取られると動きの不安定さが目立って来ます。本当に踊りの上手い人は四角のフレームで切り取っても、どんな場面でも枠にぴったり納まって安定した印象に見えるものです。もっと腰を落として姿勢を固めて頭の揺れを少なくすれば、ずいぶんキリッとした印象になってくると思います。

(R2・9・12)



 

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