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意義ある「菊畑」通し

昭和44年10月国立劇場:通し上演「鬼一法眼三略巻」〜「清盛館・菊畑・奥庭」

十四代目守田勘弥(虎蔵実は牛若丸)、十七代目市村羽左衛門(吉岡鬼一)、三代目河原崎権十郎(奴智恵内実は吉岡鬼三太)、五代目坂東玉三郎(皆鶴姫)、十代目岩井半四郎(笠原淡海)、三代目尾上鯉三郎(平清盛)


『なぜあれほどの英雄(源義経)が、義経記では、その幼い時代と、若くして再び京に戻り、鬼一法眼の兵法を盗む件と、さうして後、兄の憎みを受けて奥秀衡のもとに下り、遂にかしこに落命する、三箇の点を重点としたのであらうか。どうして、一代の晴れ、平家追討の軍記にはまったく触れるに及ばなかったのか。これは誰しも持つ疑いである。しかしながら、義経記の作者の多くの中の一人が、もし御曹司得意の頂点を書いたとしたら、どうだったであらう。恐らくそれは、約束に違うと謂った気のした人たちが、奥羽一体にあったものであらう。(中略)それを書くことを牽制した理由は、義経を通して感じていた幼神の信仰の形を、甚だしく歪めることを憂へしめた点にあるに違ひない。(中略)源義経の名を以て表現せられた、古代を捨てぬ奥州に久しき信を伝へた神は、若い姿の貴い流離者でなくてはならなかったのである。(中略)弁慶も、彼らの宗風を示す幻影であったのである。彼らの守る英雄義経の姿を以て現じてすら、神は尚、無力な貴人に過ぎなかった。高館の滅亡の条を見ても、我々の考えた義経と、奥州の宗教者の尊んだ幼神とでは、よほど開きがあったのである。』(折口信夫:「日本文学の発生 序説」〜「小説戯曲文学における物語要素」・昭和22年10月)

義経物の芝居を見る時、常に念頭に置かねばならぬことがあります。義経とは、誰もがこの人を守ってやらねばねらぬと思わせる、無力で清らかな「幼な神」だと云うことです。伝統芸能での義経は、時に子方が勤めることもあるほどです。どうして民衆のなかの義経のイメージがこのような形へと集約されて行くのでしょうか。源平合戦で華々しい武功を挙げた武将のイメージをどこかに置き忘れてしまったかのようです。しかし、多分民衆は決してこのことを忘れたわけではないのです。語らずともみんなこのことはしっかり覚えているのです。義経にあの源平合戦の時代があったからこそ、晩年の義経の境遇の悲哀が一層身に沁みると云うことではないでしょうかね。一見華やかな日々に見えるけれども、合戦の日々は実は義経にとって修羅の道なのです。つまり義経はその過程において生の苦しみ・悲しみ・人の醜さ・浅ましさなど人生のあらゆる様相を目の当たりにした、これは義経にとって辛い試練の道でもあったのです。その試練の果てに義経の神性の獲得があったと云うことなのです。

そう考えると義経記の物語は、或る種の貴種流離譚の如く見えて来ないでしょうか。貴種流離譚とは高貴な生まれの人物が何かの事情で本来在るべき土地を離れ、各地を流れさまよい・散々の苦労をした果てについに元の土地に戻って昔のあるべき姿に戻ってめでたしめでたし・・という物語のことを云います。貴種流離譚で大事なことは、艱難辛苦を乗り越えた果てに、主人公は元の高貴な地位を取り戻すことができると云うことです。人類学者のアーノルド・ファン・ゲネップは、これを通過儀礼と呼んでいます。(貴種流離譚については別稿「今日の檻縷は明日の錦」を参考にしてください。)源平合戦の修羅の道を経て、さらに兄頼朝に疎まれて放浪の旅を続けた義経は奥州平泉に寂しく死し、ついに元の「幼な神」のイメージへと戻って行くのです。

本稿で紹介するのは、昭和44年(1969)10月国立劇場での、「鬼一法眼三略巻」通し上演のうち、三段目の口に当たる「清盛館」と、同じく切場になる「菊畑・奥庭」の舞台映像です。鬼一法眼は、室町初期に成立した「義経記」巻2に登場する伝説上の人物です。鬼一は京都の一条堀川に住む陰陽師とされ、「六韜三略(りくとうさんりゃく)」という兵法の大家でもありました。「義経記」に拠れば、少年時代の義経(牛若丸)は鬼一の娘と通じて・彼女の計らいで伝家の兵法書を盗んで兵法を学んだと云うことです。後の源平合戦で発揮される義経の戦術的天才は、これが源であったわけです。享保16年(1731)9月竹本座初演の人形浄瑠璃「鬼一法眼三略巻」はこの逸話を素材として・牛若丸時代の義経を描いたもので、さらに鬼一はずっと以前から鞍馬山の天狗と偽って牛若丸に剣術指南をしていたと云うドンデン返しの趣向を加えています。

今回の上演の眼目は、「菊畑」の後に「奥庭」が付いて・鬼一法眼の役が重みを増して、ドラマがしっかり完結する点です。「菊畑」は舞台面が華やかだし・色合いの異なる役どころがバランス良く揃えられるので単独でよく上演される場です。しかし、「菊畑」だけであると、牛若が鬼三太と共に鬼一法眼の元に踏み込んで六韜三略を奪わんとする寸切れで終わるので、何を云いたいドラマなのかよく分かりません。それは次の「奥庭」で明らかとなる、鞍馬山の天狗が鬼一であったと云う結末が、バッサリ切り落とされているせいです。「奥庭」のドラマはさほど深味がないとされており、「奥庭」が付いたからと言って「菊畑」がさほど面白くなるわけでもないという意見があるようです。しかし、そもそも現代では義経が源平合戦のヒーローではなくなっていますし、鞍馬山の天狗の逸話もすでに忘れられているようだから、このような歴史ネタの知的遊戯のお芝居の面白さが感知されないのではないでしょうかね。やはり「菊畑」のドラマは「奥庭」がないとオチが付いた形にならないのです。このままだと「菊畑」までが風情だけで持つ場だと誤解されて、歌舞伎のレパートリーから抜け落ちないかと心配になってきます。

今回(昭和44年10月国立劇場)の上演では、前場として「清盛館」がついて、「菊畑」が置かれた緊迫した状況が理解できることも大事な点です。牛若と鬼三太は六韜三略を狙っていますが・これは清盛も同じで、清盛が皆鶴姫に「明日中に六韜三略を差し出さないならば許さぬ」と厳命しており、さらに清盛の命により湛海が差し向けられていますから、牛若に残された時間は少ないのです。「菊畑」幕切れで牛若が六韜三略を今晩盗み出そうといきり立つのは、そのせいです。「菊畑」だけだと、その辺の緊迫感がどうも感知されません。

「清盛館」が付くもうひとつのメリットは、皆鶴姫の役がグッと良くなることです。「菊畑」だけであると皆鶴姫はヒナヒナのいつも通りのお姫様のイメージに思えますが、皆鶴姫は兵法の名人鬼一法眼の娘だから剣術の心得もあると云う設定になっていて、「清盛館」では清盛の面前で湛海と剣術試合をして・これを散々に打ちのめすと云う場面があります。つまり皆鶴姫は女武道の役どころなのです。皆鶴姫が清盛の前で六韜三略の巻物を読み上げる振りをして実は清盛の素行を諫める文面を読み上げてしまって平然としているのも、皆鶴姫の気の強さを示しています。このことが大事なのは、皆鶴姫の男勝りな性格が牛若に恋して・父親が秘蔵する六韜三略を牛若が盗むための手引きをすると云う能動性・積極性につながるわけです。だから菊畑」単独での歌舞伎の皆鶴姫の性根を根本的に描き直す可能性をも持つわけなのです。

しかし、今回の上演での、若き日の玉三郎の皆鶴姫は、いつもの「菊畑」でやるヒナヒナのお姫様の心持ちで「清盛館」の皆鶴姫をも演じており、まったく新鮮味がない。これではせっかくの皆鶴姫の女武道が生きて来ません。せっかく「通し」と銘打っているのだから、そこに役の性格の一貫性を見直すきっかけを見なければならぬのに、これが全然出来ていない。ホントは「菊畑」の皆鶴姫を女武道で読み直してどうなるかと云うことが眼目であるべきですが、まあそれを若き玉三郎(当時19歳)に言ってみても仕方ないことではありますが、勘弥がアドバイス出来なかったものか。

ところで今回の「菊畑」は通し上演であるせいか、或いは羽左衛門の鬼一法眼・権十郎の智恵内という配役のせいかも知れませんが、若干渋めの印象がするようです。これは悪いと言っているのではありません。多分これは実事の感触に傾いたせいでしょう。またその方が次の「奥庭」に繋ぎやすいということもあると思います。「奥庭」で鞍馬山の天狗が鬼一の正体を明かし、平家の禄を食みながら源氏再興の志を吐露する場面では羽左衛門の実直な芸風が生きました。この場面から逆算すれば、「菊畑」が渋めの色調になるのも道理だと思います。九代目団十郎が能様式に近づけて活歴風の「奥庭」を仕立てた(新歌舞伎十八番の内「虎の巻」がそれです)と云うのも、そのような流れの産物なのです。権十郎の智恵内(実は鬼三太)も、羽左衛門に応じた出来であると思います。ただし鬼一が自らの出生を物語り、弟である智恵内と互いの心中を探り合う場面においては、羽左衛門・権十郎共にもう少し突っ込んで芝居をしても良さそうに思いました。確かに「菊畑」ではいろんな筋が交錯します。鬼一と智恵内が生き別れた兄弟だと云う件は、義経の六韜三略の流れから見れば脇筋と云うことになるでしょうが、ここは大事にしたいところです。

意外なのは勘弥の虎蔵(実は牛若)で、これはもうちょっと華やかであっても良いかなという気がします。同月公演の「大蔵卿」の方はなかなか良い出来ですが、虎蔵の方は意外とそうでもないと云うのは、役者と役の微妙な相性なのでしょうねえ。虎蔵のような風情で見せる役であると、真面目な一面を持つ勘弥の芸風がちょっと感触が異なると云うことか、やはりこれはやってみないと分からぬものです。従って今回の「菊畑」の舞台は、配役バランスから来るものと思いますが、全体が本来在るべき感触よりも渋めの・実録風の方に寄ってしまった感がしますが、まあそう云う・やってみなければ分からぬことも含めて、今回の通し上演の試みは意義があったのではないでしょうかね。

そこで冒頭の義経の貴種流離譚の件に戻りますが、この「菊畑」のドラマにおいても「幼な神」としての虎蔵(義経)の神性は、鬼一・智恵内そして皆鶴姫の三人の力学的関係に何か超人的な作用を及ぼしていることを改めて感じるのです。この場の虎蔵は、自らは積極的に動かないけれども、他の三人を確実に支配しているのです。今回(昭和44年10月国立劇場)の上演は、清盛館〜菊畑〜奥庭と六韜三略の流れを通すことで、義経物としての、「菊畑」での虎蔵の本来の位置付けを考える良い機会を与えてくれました

(R2・3・24)



 

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