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十四代目勘弥の大蔵卿

昭和44年10月国立劇場:「鬼一法眼三略巻〜一條大蔵譚」

十四代目守田勘弥(一條大蔵卿)、四代目中村雀右衛門(常盤御前)、八代目坂東薪水(初代坂東楽善)(吉岡鬼次郎)、七代目市川門之助(お京)、五代目沢村源之助(鳴瀬)、五代目片岡市蔵(勘解由)


本稿で紹介するのは、昭和44年10月国立劇場での「「鬼一法眼三略巻」通し上演のうち、十四代目勘弥が大蔵卿を演じた四段目「一條大蔵譚」(桧垣茶屋・奥殿)の映像です。戦後昭和の大蔵卿と云うと、吉之助がまず思い出すのは、十七代目勘三郎の大蔵卿です。勘三郎の大蔵卿は、作り阿呆と正気のチャンネルを鮮やかに切り替えたもので、そこに持ち前の愛嬌が生きておりましたね。今回の勘弥の大蔵卿はこれとはまったく違った系統になるもので、勘弥が七代目中車から教わった先代(十三代目)勘弥の型を復活したと云うことだそうで、そこが注目です。

ところで大蔵卿と云えば型ものと云うことになりますが、大蔵卿については、大別すれば性根の置き方で二通りに分けられるだろうと思います。ひとつは、大蔵卿を賢愚とする行き方です。すなわち賢者が本性を隠して作り阿呆を装うのです。だから阿呆の仕草の傍らでギラッと鋭い目付きをチラつかせたりして、そこで賢者の本性を観客に分からせる・つまり底をちょっと割って見せる、そこを演技を為所とするのです。これは概ね文楽の大蔵卿に近いやり方で、これが歌舞伎での古い系統の大蔵卿であろうと思います。

もうひとつは、近代的かつ心理的な行き方とでも云いましょうか、大蔵卿のなかの賢者と作り阿呆にあまり差を付けず、混然一体にみせるやり方です。この場合、大蔵卿は賢者であるか阿呆であるか・或いはそのどちらでもあると云うことになって、様相は複雑になります。明治期の九代目団十郎の大蔵卿がこの行き方で、これが戦前の初代吉右衛門を経て、現行歌舞伎の大蔵卿の型の主流となっているものです。現・二代目吉右衛門の大蔵卿は、この賢者と阿呆の配合が絶妙で、どちらか大蔵卿の本性か分からぬ、実に見事なものだと思います。そこに心ならずも自己を偽らざるを得なかった大蔵卿の悲哀が見えてきます。

ただしこの行き方においても、役者のキャラと云うか愛嬌の置き方によって、役の色合いが賢者の方へ寄るか、阿呆の方へ寄るかと云う問題があるようです。例えば十七代目勘三郎の大蔵卿は、ベースは兄・初代吉右衛門の型を採っているのですが、勘三郎は愛嬌が勝つ役者でしたから、役の感触が自然と阿呆の方へ寄ってきます。そうすると賢者と阿呆の切り替えの作為が目立ってくる感じがします。(これは息子の十八代目勘三郎では、この傾向がさらに強くなった印象でした。)ですからこの行き方で、もし阿呆を誇張して賢者との差を大きく付けて芝居をもっと面白くしようと試みると、もうひとつのやり方(賢愚)と見た眼の印象があまり変わらない感じになって来ます。

ですから上述の通り、大蔵卿には性根の置き方が二通りあると云いますが、大蔵卿の役の印象を左右するのは、むしろ役者のキャラに拠る、役者の愛嬌の具合に拠ると云うことではないでしょうかね。だから大蔵卿に関しては、いろんな型の演技の手順・段取りの違いをあまり言っても仕方ないかなと吉之助は思っているのです。

そこで勘弥の大蔵卿のことですが、先代の型を継承すると云うことですから、大筋においては大蔵卿を賢愚とする古い行き方なのですが、ただし勘弥の場合、興味深いことは、恐らくもう一方の系統の、九代目団十郎の行き方の、近代的な人間理解がどこかに取り入れられていると感じることです。性根を賢者の方に置いて、賢者と阿呆の差をあまり大きくせず、自然に見せているのです。勘弥のニンは二枚目であり・あまり愛嬌が勝つわけではないので、これは勘弥のキャラからすると当然の処置だと思います。古風な仕立てのなかにも、大蔵卿の人物に骨太い一貫性を感じさせて、これは丸本味のある優れた大蔵卿ではないかと思いますねえ。

他の配役は若干小粒な印象はありますが、仕事はしっかりして手堅い舞台に仕上がりました。

(R2・3・20)



 

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