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青果版「鼠小僧」〜前進座の「鼠小僧次郎吉」

令和元年10月新国立劇場・中劇場:前進座公演・「鼠小僧次郎吉」

中嶋宏太郎(和泉屋次郎吉)、早瀬栄之丞(湊屋音次)、忠村臣弥(船頭菊松)、北澤知奈上美(萬字屋女将おとせ)、山本春美(音次妹おとし)、山崎辰三郎(箪笥町の巳之吉)、藤川矢之輔(垣内艮山)他

中橋耕史(演出)


1)人間の不完全と不具足との間

前進座は、設立当初から真山青果とは関わりが深い劇団です。現在の松竹歌舞伎で見る青果ものは、良く云えば芝居がこなれた印象ですが・古典歌舞伎の感触に寄っており、大正モダニズムの香りが飛んでしまって・伸びた印象がすることが多い。しかし、前進座の青果ものにはそう云うところはなくて、しゃきっとした歯応えのある芝居が見られます。何と言っても気持ちが良いのは、どの役者も同じ方向を向いているので、脇の脇まで演技が生きていることです。そう云うわけで、今回の「鼠小僧次郎吉」は青果ものとしても珍しい演し物なので期待して見ました。

真山青果と云うと、何となく大石内蔵助だの西郷吉之助・徳川慶喜・東郷平八郎など歴史上の偉人傑物ばかり描いてきた作家と云うイメージが世間にあると思います。吉之助が歌舞伎を見始めた四・五十年前だと、「戦時中の青果は「元禄忠臣蔵」や「東郷平八郎」・「乃木将軍」のような時勢に迎合する芝居ばかり書いていた・・」などと批判的な評論を随分見かけたものでした。今でもそうした印象が少なからず残っているかも知れません。しかし、そのような評論は実は青果の上っ面しか見ていないのです。青果は脚本家で・芝居が上演されないと喰っていけないわけなので、表向き時勢におもねたように見えたかも知れませんが、青果の芝居はどれも、社会のなかの個人・組織のなかの個人の問題に踏み込んで、そのなかで自己の在るべき姿・人として正しい決断とは何かという主題を問いかけているものです。例えば「元禄忠臣蔵」の忠義ということは、それはたまたま芝居の主人公が大石内蔵助で、浅野家家老として御家断絶という事態にどう対処するかという題材であるから、「忠義」ということが表面に出て来ますが、よくよく芝居を見れば、青果の書きたいところ(本心)はそこにはないのです。「元禄忠臣蔵」は昭和初期の激動の時代に人はどう生きるかと問題と重ねて書かれています。元禄期の赤穂義士の討ち入りを描いているけれども、ある意味で現代劇なのです。このことは今回の「鼠小僧次郎吉」もまったく同様です。

青果は、「鼠小僧次郎吉」のような泥棒だけでなく、「荒川の佐吉」のようなやくざなど、社会や世間の枠からはみ出して屈折した感情を抱きながら生きている名もない庶民を主人公とした芝居も、実は数多く描いています。偉人とやくざを同じ視点で眺めているというのは、確かにそうなのだけれど、これはもうちょっと考えてみる必要がありそうです。例えば青果はこんなことを書いています。

『端的に申せば、彼桃中軒雲右衛門は、作者わたくしの最も愛好する性格者の一人であった(中略) わたくしは常に人間の真相と人性の誠真とをその人物の徳行の完成円満のうちに求めることをせずして、その不完全と不具足との間に見ようとしている性癖があります。』(真山青果:「戯曲「桃中軒雲右衛門」の構想」、桃中軒雲右衛門は明治期の浪曲師)

青果が言いたいことは、こう云うことです。誰でもその人なりに、その人のレベルであったとしても、誰でも「人間の真相と人性の誠真」の完成を求めて生きているのです。しかし、残念ながら誰でも満足するところに至ることは出来ません。だから「人間の真相と人性の誠真」の完成を求めながら、自分がそこに到達できないことの、口惜しさや惨めさや哀しさ、或は怒りや歯がゆさが、そこに強く意識されるのです。そこにその人間の様相(その人間のドラマ)が出るのです。だから青果は「その人物の不完全と不具足との間」に人間的なドラマを見ようとしていると云うことです。上記の青果の文章を、そのように読んでください。

ですから時代にうまく適応できず・或は時勢に乗り遅れて振り落された人々の有様を思いやるというところから、「近世と近代をつなぐ」青果の役割を考えれば良いと思います。だから大正期の青果にとっては、明治という時代が江戸の何を否定し・何を振り捨て・何を置き去りにしてきたかということが大きな問題になって来るのです。これは明治・大正の知識人のひとつの在り方で、夏目漱石や森鴎外・泉鏡花についても同じことが云えるのですが、だからこそ青果にとって江戸が大事なものになるのです。(この稿つづく)

(R1・10・25)


2)前進座改訂版の問題点

青果の「鼠小僧次郎吉」は、雑誌「女性」に大正15年(1926)9月号から翌・昭和2年(1927)3月号まで断続的に連載されたもので、同年9月に出版がされました。初演はやや遅れて昭和4年(1929)9月本郷座で・次郎吉を六代目寿美蔵(後の三代目寿海)・音次を三代目市村亀蔵が演じて好評でした。つまり左団次劇団の新歌舞伎なのですが、その後の上演機会はそう多くはないようです。前進座では昭和35年(1960)に翫右衛門の次郎吉で初演して以来、何度か取り上げられています。

鼠小僧次郎吉は裕福な大名や旗本・高利貸しの屋敷ばかりを狙って盗みを働き、奪った金を貧乏人に施した「義賊」として有名で歌舞伎や講釈でもよく取り上げられた人物です。実在の鼠小僧は盗んだ金を酒や博打にすっかり使ってしまったようで、義賊というのは虚像だそうです。恐らく世間は大名や金持ちの目を白黒させた鼠小僧の仕事っぷりを痛快がってヒーローに祭り上げたものでしょう。実在の鼠小僧は天保3年(1832)に捕まって処刑されました。両国回向院にある首塚(罪人であるから正式なお墓がない)は今でも人気スポットで、「なかなか捕まらなかった」と云うことで勝負運や金運のお守りとして墓石を削り取って持っていく人が絶えないそうです。「元禄忠臣蔵」などでは綿密に史料に当たって徹底した考証を心掛けた青果ですが、この「鼠小僧次郎吉」では従来の講談や口碑とまったく無関係に、自由な想像力を働かせて、まったく斬新な・そして実に青果らしい鼠小僧の人物像を描き出しました。ここでの鼠小僧は、大胆不敵の大泥棒などではなく、絶えず臆病風に吹かれて悩み苦しんでいる平凡な市井人なのです。

和泉屋次郎吉は、かつては鼠小僧と呼ばれた泥棒でしたが、三年ほど前に足を洗って堅気となり大坂で修業をして江戸に帰ってきたばかり。しかし、江戸の街は次郎吉がまったく預かり知らぬ鼠小僧の盗みの話題で持ち切りです。どうやらもう一人の鼠小僧がいるらしい。次郎吉が江戸を離れている間に「鼠小僧」の虚名はますます高くなっていました。しかし、本物の鼠小僧は大胆不敵な男ではなく、いつも死の覚悟をしながら盗みに入っていた臆病者でした。今は堅気となった次郎吉ですが、過去の所業が彼を追い詰めて行き、苦しみぬいた次郎吉は再び鼠小僧となって闇夜に姿を現す・・・という筋です。青果の芝居ですから当然のことですが小難しい台詞劇で、盗みの場面や立ち廻りのような見物が喜ぶ派手な場面は一切ありません。何やら思い詰めたひっ迫感がある暗い世話物なのです。そこに本作が書かれた昭和の初めの世相が反映されているのでしょう。

ところで今回の前進座上演版を舞台を拝見したところでは、補綴者の記載がないので詳しい経緯が分かりませんが、真山青果全集所収の脚本(以下原作と云う)と比べると、細かいところに加筆が見えます。特に大詰にかなり大きな改訂がされています。これの良い悪いを云っても仕方ないことですが、前進座上演版では盗みの場面や立ち廻りシーンがあって、エンタテイメント性が強化されています。まあ観客のことを考えれば、これは分からなくもない。筋の流れもスムーズで、青果の芝居に付きものの理屈っぽさが薄められている点は、或る意味では長所と云って良いのかも知れません

ただし大詰の改訂はちょっと議論がある所です。まずひとつめは、かつて次郎吉に恩を受け・次郎吉に江戸を離れて地方で堅気として暮させようと奔走するが、もうひとりの鼠小僧・音次に殺されてしまう船頭菊松の件です。菊松の死は原作では次郎吉がもうひとりの鼠小僧の罪をも背負い込んで捕縛されようと決心する重要なきっかけとなるものです。前進座版では菊松は立ち廻りに関わって怪我するだけで死にません。恐らく本作が辛気臭いところがあるので菊松と音次の妹おとしとの恋愛模様を生かしたかった(前進座の観客にはご婦人が多い)のだろうと察しはしますが、このため次郎吉の苦悩と改心のきっかけが弱くなりました。もうひとつは、過去の鼠小僧の所業に恨みを持って次郎吉を脅す垣内艮山の件です。この件は原作では第2幕に出て来てそれで終わる件ですが、前進座版では大詰めにこれを再び持ち出してきて、艮山と揉み合ううちに次郎吉が致命傷を負うということになっています。次郎吉は捕縛されるのではなく、傷がもとで屋根の上でひとり絶命します。この結末であると歌舞伎の、主人公が過去の因果に巻かれて破滅するいつものパターンに陥ることになり、次郎吉が改心して「鼠小僧」の名前を背負って捕縛されようという決意が見えなくなってしまいました。以上の2点により吉之助は、前進座版の大詰めの改訂には賛成できませんねえ。これでは青果の芝居の肝心のところが壊されてしまうと思います。(この稿つづく)

(R1・10・26)


3)青果と黙阿弥の系譜

青果の「鼠小僧次郎吉」は昭和4年(1929)9月本郷座初演の岡鬼太郎の劇評を読むと、

『鼠小僧の心持ちを主に取り扱ったところに作者の新意があるのであうが、説明の材料が多過ぎて、なお及ばざるが如きじれったさのなきにしもあらず。丁寧に書いているその態度には敬意を表するが、われら俗物は終いにボーっとしてしまう。』岡鬼太郎:「演芸画報」・昭和4年10月号)

と書いてあって思わず笑ってしまいました。要するに青果に付き物の理屈のツラネがじれったいということでしょうか。鬼太郎は正直ですねえ。これは確かにそんなところがあります。青果の手に掛かると、鼠小僧もスカッとしたアウトローの義賊と云うわけに行きません。例えば次の和泉屋次郎吉の台詞を見ると、

『勘弁してくれ。ふとしたことから、実は(盗みを再び)やり出したのだ。やれば自然と心が荒んで、一度が二度では止められなくなるものだ。おれァ生命も惜しい。また仕事をしている間も、今度は生命はない。今度は死ぬと・・・ついそれを思って心が震える、恐ろしい。けれども無事に仕事をやり終せてホッと息を吐く時の方が、盗みしている間の恐ろしさより百層倍増して恐ろしくなるのだ。酒を飲んだり女を買ったり、それに紛れているように思うかも知れないが、その時の俺は、一等こころに苦しんでいるときなんだ。いまだ生命賭けで稼ぎをしている時の方がただ居る時よりどれ位・・・貼り合いとでも云おうか、まァ生き甲斐があるような気がしているんだ、凝っとただその時を待って、腕組みしている時の、心苦しさ・・・それは誰が知ろう。(中略)今もおれはここで、何を考えていたと思う。ははは・・・おれはいつもその時の恐ろしさを紛らすために、次の恐ろしさを心に描いて考えているのだ。ちょうど臆病な子供が、化け物草紙を伏せるのが恐ろしくて、その草紙を見つめているようなものだ。』(青果の「鼠小僧次郎吉」)

この次郎吉の長台詞を読むと、実に理屈っぽくて・観念的でおまけに暗い。そこが青果らしい。何だか伏見橦木町でひとりで酒を飲んで・仇討ちのことを考えている内蔵助の愚痴みたいな感じです。これじゃあエンタテイメントにならんなあと思いますし、颯爽とした鼠小僧を期待した初演のお客さんは、随分びっくりしたと思います。しかし、青果ならば泥棒を主人公にしてこう書くんだと云うことが分かると実に興味深い。さすが青果らしい切り口であるなあと思うのです。だから先の岡鬼太郎の劇評は分からぬことはないけれども、もうちょっと青果の奥深いところを見て欲しいなあとは思いますねえ。

先に青果は「その人物の不完全と不具足との間」に人間的なドラマを見ようとしていると書きましたが、まさにそこです。実は、吉之助はこれは青果だけのことではなく、黙阿弥についても同様だと思っています。最近は歌舞伎の悪の美学・アウトローの美学なんてよく云いますから、「三人吉三」の大川端を見ても、三人の吉三郎がヒーロー気取りで自分たちが悪党であることを世間に誇っているように思う方は少なくないと思いますが、実はそれは間違いです。「三人吉三」の割り台詞にはこうあります。

(お嬢)「浮き世の人の口の端に」(和尚)「かくいふ者があつたかと」(お坊)「死んだ後まで悪名は」(お嬢)「庚申の夜の語り種」(和尚)「思へばはかねへ」(三人)「身の上じゃなあ」

世間の語り種になるのは「悪名」だと彼らは言っているのです。「あいつらは悪い奴だ、親不孝者だ、人間の屑だ」と後々までも言われるということです。この台詞は「この状況から抜け出そうと思ってあくせくしてきた俺たちの人生は何だったんだ」という嘆息の台詞なのです。幕末の黙阿弥物は、すべてそのような主人公の嘆き節です。

例えば「十六夜清心」では、清心は「人間わずか五十年、首尾よくいって十年か二十年が関の山。つづれを纏う身の上でも金さえあれば出きる楽しみ、同じことならあのように騒いで暮らすが人の徳、一人殺すも千人殺すも、取られる首はたったひとつ、こいつァめったに死なれぬわえ」と格好良く啖呵を切って坊主から盗賊に変身しますが、最後には捕われて破滅します。

「鋳掛け松」では、しがない鋳掛け屋松五郎が通りがかった鎌倉花水橋の橋の上から島屋文蔵と妾お咲の乗った涼み船での豪遊を眺めています。これを見ているうちに松五郎はむらむらとして、「ああ、あれも一生、これも一生・・・こいつァ宗旨を替えなきゃならねえ」と叫んで、鋳掛け道具を川へ投げ込んでしまって「鋳掛け松」と仇名される盗賊になってしまいます。しかし、最後はやっぱり破滅するのです。

黙阿弥の主人公は根っからの悪ではなく、内に抱える思い悩みの量があまりにも多く・あまりにも強過ぎたために、フトしたことをきっかけに身を持ち崩して、悪の道に転落して行きます。全然カッコいいことはないのです。表向きはカッコ付けて強がっていても、内ではクヨクヨ・ウジウジしているのです。それが黙阿弥のアウトローなのです。実は青果の「鼠小僧次郎吉」も、感触は全然異なっていて、すっかり近代劇の体裁に仕立てられていますが、この点では黙阿弥とまったく同じです。この芝居のなかでも、もうひとりの鼠小僧である湊屋音次が「赤ん坊の時から泥棒として生まれた奴はおりませんよ」と云います。音次は苦労して借りた大金を鼠小僧(つまり和泉屋次郎吉)に奪われて、それがきっかけでもうひとりの鼠小僧になったのでした。青果は黙阿弥の世話物の精神的系譜を受け継ぎながら・これを新歌舞伎に仕立てていると、つくづく思うわけです。(この稿つづく)

(R1・11・4)


「この世は苦しうござんすねえ」

船頭菊松はその昔困窮していたところを和泉屋次郎吉に助けられたことを恩義に感じて慕っていましたが、次郎吉に「俺の金だと思いなさんな、天下の金だ」と言われたことがずっと気になっていました。しかし、次郎吉の妹の話から菊松は次郎吉がかつて泥棒・鼠小僧であったことを知りました。この時から菊松は何とかして次郎吉に江戸の地を離れて堅気で暮らさせたいと奔走し始めます。そうしているうち菊松はもうひとりの鼠小僧・音次に殺されるのです。これが次郎吉が進んで捕縛されようと決意するきっかけになります。(だから芝居で菊松が死なない改変をしてしまうと意味が失われてしまいます。)次郎吉と今際の菊松の会話を引用します。

菊松:「親分さん、あたしは・・あたしはね、お前さんの死ぬ日を、いつか一度見せられる日があるだろうと思って、今日まで苦労していたが、あたしが先に死ねば、その悲しい日を見ないで済みます。親方、お前さんもどうで・・長くはありませんぜ。」
次郎吉:「ううむ、そうだ。(涙を呑み)菊松、途中で待っていてくんなよ。(中略)大抵の覚悟はしているつもりだ。」
菊松:「親分、この世は苦しうござんすねえ。お前さんも、さぞ・・・苦しうござんしたろうねえ。」
次郎吉:「ううむ・・・」

青果が黙阿弥の精神的系譜を受け継いでることが、この場面から明確に見て取れます。黙阿弥の主人公は、内に抱える思い悩みの量があまりにも多い。それがあまりにも強過ぎたために、フトしたことをきっかけに身を持ち崩し、悪の道に転落して行きます。つまり吉之助が本サイトで提唱している「かぶき的心情」があまりに強過ぎたと云うことなのです。これは幕末期の閉塞した状況下におけるかぶき的心情のひとつの現れ方です。彼らは根っからの悪人ではなく、むしろ気が弱い善人であり、しばしば良識人でさえあります。彼らは懸命に・真面目に生きようとして、却って悪の道に転落してしまうのです。同時に犯した罪の深さに慄(おのの)き、いつかは罰せられる身だと骨身に沁みて分かっています。だからその恐ろしさから逃れようとして、更に彼は罪を重ねて行きます。それが黙阿弥の主人公なのです。そして黙阿弥の主人公を、青果流に料理して・新歌舞伎に仕上げたのが、この「鼠小僧次郎吉」なのです。そのように考えた時、菊松が死に際に言った「親分、この世は苦しうござんすねえ。お前さんも、さぞ・・・苦しうござんしたろうねえ」という台詞が効いて来ます。この台詞の裏に、菊松や次郎吉の人生に表現し切れないほど膨大な量の心情・苦しみ・哀しみが渦巻いていることが分かるのです。ここに本作が執筆された時代(大正15年〜昭和2年)の、次第に戦争の影が忍び寄り・国家が個人を混乱の渦に巻き込み始める世相を重ねて眺めれば、青果が表現したいものが何かが見えて来ます。鼠小僧次郎吉は幕末の義賊として民衆に人気であったし、芝居・講談でも映画でも盛んに取り上げられたヒーローでしたが、青果が料理するならば、それは決して薄っぺらなエンタテイメントで終わるはずがありません。かぶき的心情のドラマ、これこそ新歌舞伎なのです。

余談ですが、別稿「芝居におけるドラマティック」のなかで、かぶき的心情さえあればドラマは自然と歌舞伎になると書きました。青果の作劇ロジックを見れば、それが分かると思います。以下に折口信夫の論考「日本文学研究の目的」(昭和22年6月)を引用しますが、文中の「日本文学」を「歌舞伎」に置き換えて読んでいただければ、これが吉之助の考えていることとほぼ同じになります。

『われわれの感覚を通して、われわれは日本文学の持っているテーマを発見しなければならない。その発見はおよそまだ出来ていないと思う。つまり。日本文学の偏向を追求していくと、その底に、どういうものが拡がっているか、という事である。これは、日本文学の出来た原因ではない。因子ではない。究極にあるはずのものなのだ。(中略)簡単にいうと、様式や素材の問題ではない。如何にも、日本文学を多少でも、科学的に取り上げたように思われて、そういう方面に向かっている研究者が多いが、様式や素材の問題ではないのである。謂わば、その文学を作り上げた魂の問題である。曖昧な言い方だが、外に言い方を知らない。様式を作り上げる根本のものが、われわれにとっては大事なのである。それを追求していくことが、研究の目的の根本である。(中略)大勢の作者の作物(作品)にあたって、まず時代時代の文学の特性を発見してゆく事になると、異常な骨折りをせねばならぬ。しかし、そうして始めて、作者が予期しなかった時代時代のテーマを発見することが出来るであろう。そしてそれを連接してゆくと、日本文学に於けるテーマが出て来るはずだ。』(折口信夫:」「日本文学研究の目的」・昭和22年6月)

別稿「昨今の新作歌舞伎の動きについて考える」で触れましたが、近年の新作歌舞伎は、もちろん歌舞伎を活性化したいという目的でそれぞれやっているに違いないですが、何だか方向性がバラバラに思われます。「かぶき的なものを見た」という肚ごたえを感じさせるものが現状とても少ないのが、不満です。隈取や見得・立ち廻りがあればかぶきだと思っている風さえあります。何が芝居を「かぶき的」にするかを考えないまま、闇雲にあっちやこっち掘り返しているのです。それは歌舞伎のテーマを未だ発見出来ていないからです。しかし、歌舞伎のテーマが「かぶき的心情」、つまり状況に於ける個人の心情の発露、個のアイデンティティーの内的な主張であることが分かれば、新作歌舞伎の方向性は自然と付いてくると思うのですがねえ。真山青果の芝居をご覧ください。青果はちゃんとそのことを分かって芝居を書いているのです。(この稿つづく)

(R1・11・12)


5)第四世代の前進座

前進座は昭和6年(1931)に設立され、昔から真山青果とは関わりが深い劇団です。その前進座も第三世代・第四世代の時代になって来ました。吉之助は、鶴屋南北ものと新歌舞伎に関しては、昔から松竹歌舞伎より前進座の舞台の方を評価して来ました。芝居のコクと云う点ではもちろん松竹歌舞伎は捨てがたいものがありますが、役者の台詞の末尾が伸びたり・台詞を七五に割りたがる傾向があって、全体的に時代の感覚が強く・伸びた感触がする舞台が少なくないのが、ちょっと不満です。この点、前進座の場合は、テンポが小気味良く、サッパリした写実の味わいが好ましい。それに舞台に出る脇の役までしっかり芝居していて誰も気を抜いていないのが嬉しいですねえ。今回(令和元年10月新国立劇場)の「鼠小僧次郎吉」もその点では変わらず・良い出来ですが、今回は前進座も第三世代・第四世代の時代になって微妙に感触が変って来たなあということを感じました。芝居としてはもちろん面白い。しかし、ちょっといわゆる映画やテレビの時代劇の感触に近づいて来たかな、新歌舞伎としてはどうかなと云う感触を持ちました。これは現状の前進座の活動のなかでは歌舞伎を演じる機会が限られるわけですから致し方ないところがありますが、多少でも三代目翫右衛門や五代目国太郎の舞台を知っている世代(残念ながら吉之助は四代目長十郎は生では見ていません)としては、ちょっと寂しいところがあります。しかし、歌舞伎は前進座の出目(アイデンティティ)に関わる大事な要素ですから、そこは大切にしてもらいたいと思います。

青果劇における「かぶき的心情」とは、「俺の心情の熱さでお前の気持ちを変えずに置くものか」と云うものです。歌舞伎には腹を斬って見せるとか・身替わりを立てるとか・自分の心情を行動で見せるものが多いのはご存じの通りですが、青果劇の主人公の場合は、彼は熱い台詞で相手を説得しようとします。青果劇はとても理屈っぽい。現実にはこんなに長々しく人がしゃべることはないと呆れるほど、青果劇の主人公が自分の思いのたけをベラベラ長ったらしく綴るのはそこです。自分の心情をいくら語っても、まだ語り切れないのです。それに青果劇の主人公は、しばしば大声で泣き叫びます。青果劇はそこが苦手だと云う方は少なくないと思いますが、これはもちろん感情が激してコントロールが付かないから泣いてしまうと云うこともありますけれど、それよりも彼には思いのたけがあまりにも多すぎて、「自分の心情をこれだけ必死で語っているのに、なぜお前は俺を分かってくれないのだ」というもどかしさの方がもっと強いのです。或いは「これほど語っても、まだ自分の言いたいことが尽くせない」という自分に対する口惜しさの方がずっと強いのです。だからそのもどかしさ・口惜しさの為、彼は大声で泣くのです。

そのような青果劇の心情の熱さが、台詞のなかに様式としてどんな形で現れるでしょうか。それは「自分の思いのすべてを一気に吐き出さずにおくべきか」という気持ちのなかに表れるのです。それはマシンガンのように畳み掛ける一本調子のリズムとして表れます。息を腹に詰めてタタタタタ・・というリズムで言葉を廻すのです。新歌舞伎の台詞を「歌う」と云う方がいらっしゃいますが、正しくは「歌う」のではなく・「張る」のです。台詞を張らないと歌舞伎になって来ません。(別稿「アジタートなリズム〜歌舞伎の台詞のリズムを考える」をご参照ください。)青果劇など新歌舞伎をやる時にはここが肝要な点で、前進座の第一世代(三代目翫右衛門など)・第二世代(四代目梅之助など)にはその感覚がしっかりあったのです。今回の、中嶋宏太郎(次郎吉)・早瀬栄之丞(音次)を見ていると、上手いのだけど、台詞に畳み掛けるアジタートなリズム感覚がちょっと乏しいようです。自然な台詞廻しですが・あっさりし過ぎで、映画やテレビの時代劇ならばこれで十分ですが、歌舞伎の様式感覚とはちょっと異なります。その違いが分かって欲しいですねえ。第一世代の古い映像や録音をチェックして、その息の詰め方をよく研究してみると良いと思います。

もちろん良い点もあります。まずは役者が台詞の末尾を詠嘆調に長く引っ張らないことです。松竹歌舞伎の役者はしばしば末尾を引っ張りたがります(こうすると役者は誰でも主役になったみたいで気持ちがいいんです)が、これだと台詞が終息してしまって・対話が続きません。それに芝居のテンポが小気味良く進むのも良いですねえ。これは大事なことですね。「鼠小僧次郎吉」は青果ものとして珍しい演し物ですが、興味深く見ることが出来ました。

*文中の「鼠小僧次郎吉」の台詞は、真山青果全集・第5巻(講談社)に拠ります。

(R1・11・21)




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