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五代目菊之助の関兵衛・四代目梅枝の墨染

平成31年3月国立小劇場:「積恋雪関扉」

五代目尾上菊之助(関守関兵衛実は大伴黒主)、初代中村萬太郎(少将宗貞)、四代目中村梅枝(小野小町姫、傾城墨染実は小町桜の精)


1)関兵衛の洒脱さ

同月(3月)国立小劇場は、扇雀が綱豊をやると聞いて驚きましたが、菊之助の方は関兵衛だと云うのにはもっと驚きました。碇知盛や髪結新三にまで挑戦する位だから、これで驚いてはいけないのでしょうが、吉之助も菊之助の関兵衛の想像が付かず、可愛い関守さんが浮かんで来て心配しましたが、実際に見てみるとまったくの杞憂に終わりました。どんな役でも一応の水準に仕上げて来る菊之助のソツの無さはさすがだなあと思います。

それにしても知盛・新三にせよ・この関兵衛にせよ、菊之助のニンに無い役だとよく言われるようですが、まあ確かに吉之助も菊之助の関兵衛の想像が付かなかったのだから、確かにそう言われるのも分かりますが、ニンと云うのは役者が持つ雰囲気・或いは「らしさ」から来る、その役者の領分のことを言うのでしょう。しかし、ニンということにこだわって・その枠内に留まるならば、芸域は決して広がることはないし、「兼ねる役者」と云う称号を得ることは出来ないわけです。将来の「菊五郎」を見据えるならば、この挑戦は当然のことでしょう。役を自分の方に強引に引き寄せることはもちろん論外ですが、もしそれが芸域にない役であるならば、その役を自分のニンの範疇でどう処理するかと云うことは大事なことなのです。それによってその役の新しい可能性が見えて来ることもあり得ます。

関兵衛(実は黒主)と云えば、戦後昭和の時代には八代目幸四郎(初代白鸚)或いは二代目松緑の二人が最高の関兵衛役者でした。幸い吉之助はどちらの舞台も見ることが出来ました。特に後半に天下を狙う公卿悪の正体を見顕わしてからのスケールの大きさは素晴らしいものでした。彼らの古怪で骨太いイメージがなまじっか脳裏にあるものだから、菊之助の関兵衛の想像がなかなか出来なくなります。しかし、「関の扉」と云うのは、見た目は王朝時代の故実を枠組みとしていても、実際やっていることは江戸の写実の(つまりは初演当時には現代であった天明期の)女郎買噺であって、それは「嘘と実(まこと)の手管(てくだ)の所訳(しょわ)け」なのです。当時は遊廓全盛の世でして、傾城遊女の歓心を得るために持ち物・衣装から言葉遣いまで詳しく述べた女郎買のハウツー本まで出版された時代でした。したがってこの時代の所作事には女郎買噺が絡むものが数多くあります。例えば世話にやつした真柴久吉と石川五右衛門が女郎買噺を語り合う「戻駕」(天明8年江戸中村座初演)がそうです。だから関兵衛も大きさより も、実は洒脱さや軽みの方が大事なのかも知れません。「関兵衛は丸く踊れ」という四代目芝翫の教えもここから来ます。この辺が菊之助の関兵衛の取っ掛かりとなるはずです。

もしかしたら八代目幸四郎や二代目松緑の関兵衛に洒脱さが足りないという風に聞こえたかも知れませんが、そのようにお読みにならないようにお願いします。彼らの踊りの洒脱さの表出に不足があろうはずがありません。しかし、菊之助がそのニンにおいて関兵衛に挑もうと云うのならば、関兵衛の洒脱さや軽みを先達よりもさらに克明にディテールを描かなければ先達に容易に対抗は出来ぬ、そう云うことが云えると思います。菊之助はそのことがよく分かっていると思います。(この稿つづく)

(H31・3・27)


2)仲蔵振りの面白さ

『(踊りの振りは)例えば月なら月と、いきなり月をやる奴はベタ付けと言って(注:踊りで月の形をこしらえて見せるというのは「ベタ付け」と言って嫌われるとの意味)、それを匂い付け(注:ほのめかす、との意味であろう)、それから心付けというとご祝儀みたいになっちゃうけど、月の心を持ってくるとかいう、俳諧精神でやっていくことが正しいんです。しかし、ベタ付けを軽蔑したということだけ知っていて、俳諧の付け合せということを知らないんですよ。昔の振付師だとか役者がやった俳句というのは、今の人のいう俳句・正岡子規以来の俳句じゃないんで、昔の俳句というのは俳諧なんだ、連歌なんだ。だから、連歌のつながり、鎖でつないでいくあの連鎖反応の発想法、前の文句から次の文句へいくテクニック。だから自然主義じゃ何言ってんだか分からねえんだ。それが分かってないから今の踊りがつまらない。』(八代目三津五郎・安藤鶴雄との対談:「芸のこころー心の対話」・1969年)

今の我々は俳諧と云うと松尾芭蕉を思い浮かべますが、元々言葉遊び・遊戯性の強かった俳諧を、象徴的な完成度の高い韻文に高めたのが芭蕉です。三津五郎が言うところの俳諧は芭蕉とは趣が異なるもので、低級というのではないが、もう少し庶民的な遊戯性の強いのが、俳諧之連歌です。

「連歌の発想でないと踊りがわからない」と三津五郎が言うのは、「積恋雪関扉」の関兵衛の「生野暮薄鈍(きやぼうすどん)」の振りがその典型的な例です。「生野暮薄鈍、情なしこなしをみるように、悪洒落云うたり、大通仕打ちもあるまいが」という歌詞の「生野暮薄鈍」のところで、関兵衛は「き」で立ち木の形をして、「や」で弓を引く形、「ぼ」で棒をしごく形、「うす」で臼を挽く形・「どん」で戸を叩く仕草をします。意味から形を発想するのではなく、音(オン)から形をベタ付けで連想しています。初演者である初代仲蔵の「仲蔵振り」として有名 なものですが、この振り付けは有名になればなるほど「なんだ、こんなもの下らない振りだ」という軽蔑めいた声も出てくるようですが、これも江戸の庶民の洒落っ気・遊び心から出た振りで、これがまさに連歌の発想です。

ですから「関の扉」は、天明期の古風な舞踊だ、古風ならば大時代だ、黒主は天下を狙う大悪人だと云うので古怪に重い感触に仕立てようとする傾向が見えますが、本来の「関の扉」は、遊び心満載の、もっと世話に砕けたものだと思うのです。もっと後の時代の(化政期以降の)変化物舞踊・風俗舞踊の洒脱な小品群の先駆けと見た方が良いのかも知れません。菊之助の関兵衛は、そのような軽やかな関兵衛の可能性を思わせます。

菊之助の前半の関兵衛の踊りを見ると、当時の天明舞踊の発想の面白さ(設計図)が何となく分かるような気がします。それは若くて身体が動くから、教えられた振りをきっちり正確にやっているからでしょう。無理に大きく見せようとか・太く重く見せようということをしないから、振り自体の洒落っ気・遊び心が素直に浮かび上がって来ます。まあ確かに設計図が透けるのではまだこれからと云うところもあるかと思います。例えば「一体そさまの風俗は、花にもまさる形かたち」では、ワル身と云って女振りをちょっと交えるわけですが、そんなところは案外アッサリ流してしまっています。そんなところもありますが、それはこれから再演を重ねて行けば宜しいことです。初役であることを考えれば、これは十分過ぎるほどの成果です。後半のぶっかえって黒主に見顕わす場面も、心配したほどではなく、むしろ予想以上に気迫がこもってシャープな動きで、公卿悪の化粧も乗ってなかなかの黒主だと思いました。

今回の「関の扉」のもうひとつの成果は、梅枝の傾城墨染です。前半の小町姫の方はまだ役がしっくり馴染んで来ないようで、ちょっと情が薄いように感じます。これは再演を待ちたいところですが、後半の傾城墨染実は小町桜の精の方は、翳りを帯びた古風で濃厚な味わいがあつらえたようにぴったりと嵌ります。前章でニンのことに触れましたけれど、これはまことに梅枝のニンにぴったりの役だなと思わせます。役のニンとは長年の歌舞伎が作り出してきたところの、役者や観客の間に共有される或る役の雰囲気・印象です。これが役者のニンとぴったり合致した時には、舞台に何とも言えない安心感が生じるものです。この梅枝の墨染がまさにそうです。ニンは歌舞伎が長い間大切にしてきた概念なのです。その一方で、ニンの枠組みを内側から切り崩して新しい領域を開拓しようという動きも出て来るわけですが、ニンの概念はそのような挑戦を制約するものではないと思います。恐らくそう云う時に観客は、どんな出来だろうかとちょっと緊張すると思います。しかし、この緊張感は悪くありません。特に今回の菊之助の関兵衛のように、思わぬ発見があると嬉しくなります。この緊張感を楽しむのも、芝居を見続ける愉しみというものです。

(H31・3・29)



 

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