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合邦の悲劇〜八代目三津五郎の「合邦辻」通し

昭和43年6月国立劇場:「摂州合邦辻」

七代目尾上梅幸(玉手御前)、八代目坂東三津五郎(合邦道心)、三代目尾上多賀之丞(合邦女房おとく)、十三代目片岡仁左衛門(高安左衛門通俊)、十四代目守田勘弥(羽曳野)、七代目中村芝翫(俊徳丸)、四代目尾上菊之助(七代目尾上菊五郎)(浅香姫)、十七代目市村羽左衛門(奴入平)、十代目岩井半四郎(次郎丸)他

(この連載は未完です。)


1)大隅太夫の合邦

師匠二代目豊沢団平の三味線で三代目大隅太夫が「合邦」を初役で語った時のことだそうですが、玉手御前が邪恋の真相を語り「父様いな、何と疑ひは晴れましてござんすかえ」と言うのに応えて、父・合邦が「オイヤイ、オイヤイ・・」と言う場面で、大隅が 何度「オイヤイ」と言っても団平の三味線が全然受けてくれなかったそうです。大隅は「オイヤイ、オイヤイ、オイヤイ、オイヤイ・・・」と立て続けに叫 びましたが、とうとう酸欠になったかして気を失って見台の上に倒れて頭をガンッと打った。それでも団平は弾いてくれなかったそうです。 見台の上でハッと我に返った大隅が「オイヤイ、オイヤイ・・」と言ったところで、やっと団平が受けを弾いたということです。

大隅と団平の芸の逸話は、こんなものばかりですね。杉山其日庵は大隅の思い出を語る時はいつも目に涙を浮かべていたそうです。上記の逸話も芸の秘密を掴み取ろうと必死であがく大隅の姿に胸が熱くなりますが、師匠団平は大隅の「オイヤイ」のどこが不満であったのだろうか、そのことを考えてみます。「オイヤイ」以前に合邦は娘・玉手の邪恋の、そのあまりの狂乱振りに怒り狂って、合邦は脇差で娘を刺してしまうのです。ところが玉手は「ヲヽ道理でござんす道理ぢゃ憎い筈ぢゃ、ガこれには深い様子のある事・・」と言って邪恋の真相(トリック)を語り始めます。怒りが冷めやらず最初は信用しない合邦も、娘の話を聞くうちに次第に娘の貞節を理解していきます。元より合邦が娘を愛していなかったはずはないわけで、「しまった・・・早まった・・」、合邦の胸に去来するのは娘を刺してしまったことの強い後悔、或いは娘の貞節を信じないで怒りの感情に任せてしまった自分に対する惨めさ・情けなさです。多分大隅の最初の「オイヤイ」はそこ の感情の表出が若干足りなかったのかも知れません。しかし、気を失って見台の上に倒れて頭を打ってハッと我に返った大隅が、恐らく 合邦の気持ちに自分の芸の至らなさ・情けなさががふと重なって「オイヤイ」と語ったところで初めてそれが出来た、それでやっと団平が受けを弾いたということだろうと思います。

豊竹山城少掾は、「文楽の鑑賞」(山口廣一編)のなかで、「先代大隅さんは最初は低い小さな声で、それが次第に大きくなっていく、しかも「オイヤイ」から次の「オイヤイ」に掛かる間がとても長く、その長かったことは本当に絶句されたかと思われるほどでした」と語っています。まあ大隅のやり方が絶対と云うものではないにしても、参考にはなると思います。

別稿「玉手御前の悲劇」のなかで、「死ぬ間際の玉手がこの恋はトリックだと言っているのだから、ここは素直に信じて聞いてやれば良いじゃないか」と吉之助が書いたのは、そこのところです。玉手御前の恋が真実か偽かというのは そのどちらであっても、玉手の性根としては演技の構築は出来ます。しかし、これだけ合邦が娘を刺したことを悔いて「オイヤイ」と泣き叫んでいるのに、「でもホントは玉手は心の底で俊徳を愛してい たのでした」では、今度は合邦が浮かばれないと吉之助は思うわけです。(この稿つづく)

(H30・12・2)



 

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