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二代目吉右衛門の長兵衛のことなど

平成29年9月歌舞伎座:「極附番隨長兵衛」

二代目中村吉右衛門(番隨院長兵衛)、二代目中村魁春(女房お徳)、 九代目市川染五郎(十代目松本幸四郎)(水野十郎左衛門)


今回(平成29年9月歌舞伎座)の舞台では、吉右衛門の長兵衛が素晴らしいものでした。吉右衛門も回数を重ねて、ここまでの長兵衛を作り上げたかと感心しました。死を覚悟して毅然と敵地に赴く気概では、どの長兵衛役者だってきっちり押さえています。そこに違いはないわけですが、吉右衛門の長兵衛がちょっと良いところは、そこを表面に強く出さない点です。余分な力が入らない自然体の演技であって、それでいて内面にある気力が充実していると云う長兵衛なのです。水野ら白柄組の旗本奴には、「自分は町人・そちらはお武家さま」という腰の低さで穏やかな口調で対していますが、決して隙を見せることがない、肚が座った長兵衛なのです。

達観した長兵衛に見えなくもないですねえ。しかし、死を覚悟したというのは諦めたということではなく、長兵衛は町奴を代表する人物ですから、長兵衛には「ここで逃げれば、自分だけでなく町奴みんなの名折れになる」という思いが強いわけです。かぶき者は「男が立つ」というところを意気地としていますから、このような自殺にも見えかねない行為が美談になるわけです。多分、史実の水野の長兵衛殺しは、単純に頭に血が上った者たちの行為だったでしょう。長兵衛は肩肘張って殺されに行き、水野はこれを容赦せず殺 したというものだったと思います。幕府が水野に切腹を申し渡したものも、長兵衛殺しが直接的な引き金ではなかったようです。これは芝居でそのようにしたのです。まあ史実ではそういうことであるけれど、これが男伊達の美学のようなところまで洗練されたという究極のところを「極附番隨長兵衛」は見せているのです。ですからタイトルの「極附」が意味するものは、数多い番隨長兵衛ものの決定版(集大成)ということでもあり、男伊達の美学の究極ということでもあるでしょう。

全般に感じられることは「極附番隨長兵衛」という芝居は、いかにも明治らしい、筋がすっきり通った近代劇的な趣を持つということです。序幕の劇中劇というのも、斬新な趣向で面白い。長い目で見た時に、歌舞伎史のなかに埋もれてしまった活歴よりも、この「極附番隨長兵衛」の方が、その後の岡本綺堂の新歌舞伎などへ続くものが感じられます。 (このことは別稿「海老蔵の番隨長兵衛」でも触れました。)

「極附番隨長兵衛」は黙阿弥が書下ろして明治14年(1881)10月東京春木座で九代目団十郎の長兵衛により初演されたものです。ところで「番隨内」はト書き浄瑠璃(竹本)が付いて、ちょっと凝った造りになっていますね。実は最初は「湯殿の場」にも「打ってかかればひらりと投げ」というような竹本の詞章が付いていたそうです。稽古の時に九代目団十郎から「これではやりにくい」とクレームが付いて、結局、団十郎の発案でこの場を素でやることにして立ち廻りに柔術の本手を使って好評を得たそうです。このような過程で手が入って、現在上演されている脚本は、明治24年に弟子の三世河竹新七が加筆校訂にしたものに拠っています。明治24年当時は黙阿弥が在世中(黙阿弥がなくなったのは明治26年)なので、校訂が黙阿弥の了解のもとに行われたことは疑いありません。ただし「番隨内」は、ほぼ黙阿弥が最初に書き下ろしたままであるようです。

ただ吉之助はいつも感じることですが、「極附番隨長兵衛」という芝居のなかで、「番隨内」の場だけ木に竹を接いだような印象が若干することです。「番隨内」で様式的な感覚へ引き戻されて時代が逆行したように感じてしまうのです。これを古き良き江戸世話物の味わいとするなら良しですが、吉之助には型通りの、古臭い芝居を見せられた感じがします。こうなってしまうのは、多分、改訂で も「番隨内」を黙阿弥の書下ろしのままにした為、感触の差異が目立ってしまったことにも遠因があるのでしょう。明治14年と云えば、黙阿弥はもう65歳です。老ベテランが時代の変革のなかで新しい芝居のスタイルを 打ち出すことは大変なことです。どうしても古臭いものが出てしまいます。しかし、そういうところは作者が一番隠して欲しいと思っている点なのですから、「極附番隨長兵衛」のなかに 未来の新歌舞伎への視座を見出すならば、「番隨内」にもそのための役者の工夫が欲しいと思いますねえ。ここで「ああやっぱりいつもの古臭い黙阿弥ね」と嘆息されたのでは、作者が可哀そうです。

だから感情が極まる場面での七五はまあ良いとしても、「番隨内」で律儀に台詞を七五に割ってダラダラ調で言うことが良いとは、吉之助には思えないです。吉右衛門の長兵衛や魁春のお徳にもそういう気配が多少ないことはないのですが、それでもさほと強いものではありません。しかし、周囲の役者が台詞を七五に割って堅苦しくダラダラ調で言っていて、それが「番隨内」を様式の感触にしています。これが黙阿弥の様式だと云う固定観念があるみたいです。確かに台詞は七五で割れるように書かれています。これは「役者にご親切」が信条の黙阿弥が気を遣って書いているからなので、そこを上手く抑揚やテンポを工夫して七五をあまり目立たせないようにいなしてもらいたい。芝居用語にバラ描きって言葉があるんですが、つまり写実ってことですがね、ダラダラ調でなく、バラ描きに近くしゃべってもらいたい。大したことではない。ちょっとしたことです。それによって「極附番隨長兵衛」の未来の新歌舞伎への視座が一段と明らかになると思います。そこが役者の工夫というものではないでしょうかねえ。

(H29・9・25)




  
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