(TOP)      (戻る)  

古典的な勘平〜七代目菊五郎の勘平

平成28年11月国立劇場:「仮名手本忠臣蔵・五段目〜六段目」

七代目尾上菊五郎(早野勘平)、五代目尾上菊之助(お軽)、六代目中村東蔵(おかや)、二代目中村魁春(一文字屋お才)、五代目中村歌六(原郷右衛門)、四代目河原崎権十郎(千崎弥五郎)、四代目尾上松緑(斧定九郎)他


1)古典的な勘平

菊五郎の勘平については、平成19年2月歌舞伎座平成25年11月歌舞伎座の観劇随想をサイトに掲載しています。今回(平成28年11月国立劇場)の3年ぶりの菊五郎の勘平は、前回所演よりもさらに力が抜けて、型を型と感じさせない自然体の演技と云いましょうか、音羽屋型の写実の勘平の究極なところを見せてくれました。まったく菊五郎円熟の芸として申し分ないものです。そのこと認めたうえで、菊五郎の勘平について考えます。

全体として丸みを帯びた古典的な勘平という印象です。これは悪くない感触で、音羽屋型の「六段目」というのは、「舅与市兵衛を殺したのは誰か」という演出コンセプトで す。幕切れで犯人が勘平でないと明らかになった時(観客は当然承知のことですが、登場人物が真相を知った時)、「勘平、早まったことをしたな」と誰もが思い、「もう少し早く真相が明らかになっていれば勘平は助かったのに・・・(勘平は仇討ちに参加できたのに・・)」と無念を感じて涙するわけです。これが音羽屋型の「六段目」とすれば、菊五郎の勘平はその線によく沿ったものだと思います。

ところで「仮名手本忠臣蔵」の早野勘平のモデルである萱野三平は、江戸城松の廊下の変事を赤穂城へ早駕籠で知らせたふたりの武士のうちのひとりで、大石内蔵助との義盟に加わるも、実家の父との間に確執が起こり、板挟みになった三平は切腹して果てました。だから三平は赤穂義士四十七士のひとりではないのです。「仮名手本」でも勘平は切腹してしまって仇討ちに参加はできないわけですが、死ぬ前に連判状に署名血判して四十七士のひとりに数えられています。そこのところの浄瑠璃作者の意図をどう解釈するかです。吉之助は、ひとつには「六段目」を見れば誰でも「勘平を仇討ちに参加させてやりたかったものだなあ・・」と感じるところですから、このような観客の気持ちを作者は救い上げたかったのだろうと思います。これは無念の切腹を遂げて仇討ちに参加できなかった萱野三平への供養にもなっているのです。(もうひとつの理由については、後ほど触れます。)三代目菊五郎による音羽屋型は、そのような「六段目」の作意を踏まえつつ、勘平の無念をより強く思いやったところで練り上げられたものだと思っています。

一方、通し狂言「仮名手本」全十一段のなかの一幕として「六段目」を見るか、見取り狂言として「六段目」を 単独で見るかという問題を考えなければなりません。(この場合は五段目と六段目で一幕のドラマとみなします。)吉之助は、音羽屋型の「六段目」は、勘平の無念をより強く思いやった分、どちらかと云えば見取り狂言向きの感触になっていると思います。通し狂言「仮名手本」のなかに音羽屋型の「六段目」をはめ込んで齟齬を来すということは決してないですが、音羽屋型の「六段目」は「勘平を仇討ちに参加させてやりたかったなあ」というところで何となくドラマが収まって一幕物ドラマとして完結した感触が自然と強くなるということです。

そう考えると菊五郎の勘平を見て「生きるのを諦めてしまった勘平に見える」という感想が出るのも、なるほどそう感じるかもねえと思います。あの時、殿の大事に、お軽とデートさえしていなければ、不忠者の汚名は受けなかったのに・・という悔恨のなかで勘平が生きているというのは、分からないことはないです。そのような感想は「六段目」を「勘平を仇討ちに参加させてやりたかったなあ」というところで収まったドラマと考えるならば十分納得できるもので、音羽屋型の演出コンセプトにはそういう要素があると思います。

まあそのこと自体を吉之助はどうのこうの言うつもりはないので、吉之助も今回の菊五郎の勘平を楽しませてもらいました。前回所演(平成25年11月歌舞伎座)と比べると、今回の勘平はさらに角が取れて、感触がややレガートに過ぎるようです。吉之助としては前回所演を取りたいところですが、出来としては変わらぬ高水準です。まあこの振れは好みの範疇というところかも知れません。(この稿つづく)

(H29・1・2)


2)返り討ち物としての「六段目」

以下に述べることは、菊五郎の勘平と直接的な関係はないとご理解ください。勘平が死ぬ前に連判状に署名血判が許される・もうひとつの理由についてです。実は吉之助は、こちらの理由の方が重いと考えているのです。それは、勘平の「死なぬ死なぬ。魂魄この土に留まつて、敵討ちの御供する」という気持ちを汲み上げて、義士たちが勘平の死を我が力とするということです。別稿「返り討物の論理」で触れましたが、仇討物というものは本当は返り討物と言った方がぴったりするのです。観客が思い入れをするのは、常に善人側(仇討をする側)に対してです。善人側が返り討ちを受けて、酷い殺され方をする。返り討ちされる者の悔しさ・無念さが、これが予祝性を高め、後の大願成就の瞬間を甘美なものにするのです。

勘平は返り討ちされてないとお考えの方、それは違います。返り討ちをするのは、師直方の者たちだけではありません。世間はもとより神も仏も、もしかしたら信じたくないけれど由良助さえも、勘平を取り巻くものすべて(状況)が自分を返り討ちにしようとしている、勘平はそう感じていたに違いありません。勘平が忠義の者であることは、周囲の誰もが認めています。殿の大事の時にお軽とデートしていたのは、たまたまタイミングが悪かったということです。しかし、これが勘平にとっては決定的な不運なのです。猪だと思って人を撃ってしまったのも、これは勘違いで殺意はなかったということですが、これも勘平にとって決定的な不運なのです。自分が殺したのが舅与市兵衛だと思い込んだのも、これは誤解だったわけですが、これも勘平にとって決定的な不運なのです。勘平は何事に対してもことごとく付いていません。勘平は神も仏もないと感じたと思います。忠義では他に引けは取らぬと自負する勘平にとって、歯ぎしりする思いだったでしょう。身の不運が情けなくて泣ける思いだったでしょう。これが状況の返り討ちです。しかし、この苦しみを乗り越えないところに大願成就の瞬間はないのです。

ところで「もう少し早く真相が明らかになっていれば勘平勘平は仇討ちに参加できたのに・・」ということは誰もが感じることですが、ホントにそうなのか、これもちょっと見直した方が良いです。確かに勘平が撃ったのは舅ではありませんでした。勘平が撃ったのは定九郎で、状況から見て舅を殺したのは定九郎(しかも義士たちにとって裏切り者だから仇です)だったのが明らかなので、つまり勘平は舅の仇を討ったことになり、ひとつの功を立てたという感じに芝居ではなっています。これで勘平の罪は帳消しにされたと思う方は多いと思います。しかし、そんなことはありません。

こんなことを考えてみて欲しいのです。もし与市兵衛が殺されることなく無事で家に帰り、勘平が猪と間違えて撃ったのが定九郎ではなく・まったく見ず知らずの旅人であって、勘平はその旅人から五十両を奪って逃げて犯人は分からなかったとすれば、「六段目」はメデタシメデタシの芝居になるのでしょうか?勘平は胸を張って仇討ちに参加できるのでしょうか?ということです。なるはずがないです。誤認であろうが、人を殺してお金を奪うことが許されるはずがありません。「忠臣蔵」の作者は当然そんなことは分かって芝居を書いています。勘平がお金を奪ってしまったことは、これはタイミングが悪かったとか勘違いだったということではなく、明確に勘平が犯した罪です。これこそ我々が「六段目」で本当に問題にせねばならないこと です。

これすべて勘平が殿の大事の時に待機していなかった失態(「三段目・裏門」)に伏線があります。「忠臣蔵」の作者が勘平の心理の綾を読み込んで芝居を書いていることに感心しますね。勘平の罪は、彼の焦りから来ています。勘平は殿の大事の時に待機していなかった失点を取り返そうとして、何とかして仇討ち資金を調達して由良助に認めてもらいたいと焦り、それで盗みの罪を犯すのです。不忠の汚名を挽回しようとして、却って深みにはまり、遂に本当の罪人(つみびと)に堕ちてしまう。勘平自身がそのことをよく分かっています。状況だけで舅を殺したのは自分だと簡単に思い込んでしまうのは、自分が悪事を犯したという罪の意識があるからです。遺骸を調べてみようという余裕は勘平にありません。これは状況の返り討ちなのです。(この稿つづく)

(H29・1・7)


3)返り討ち物としての「六段目」・続き

返り討ち物では、兄が敵に返り討ちされれば・弟がまたこれを追う、仲間が殺されれば・別の仲間がまたこれを追う、こうして返り討ちされた者の怨念の力を受け継いで、追う側の怨念はさらにその強さを増していくのです。勘平は汚名を挽回しようとして焦って、却って罪の深みにはまります。勘平にしてみれば、自分の身の周りのすべてが寄ってたかって自分を潰しにかかって来るように思えてくる。これが状況の返り討ちです。こうして勘平は腹切りに追い込まれますが、勘平はただ死ぬのではありません、勘平は死の間際にこう言っています。

『ヤア仏果とは穢らはし、死なぬ死なぬ。魂魄この土に留まつて、敵討ちの御供する』

仏果を得るとは、成仏するということです。つまりここで勘平は成仏を拒否し、あくまで敵討ちに参加する意思を示しています。「十一段目」の焼香の場で、由良助は勘平の嶋の財布を取り出し、「(勘平に)気の毒な最後をとげさせたと、片時も忘れず、その財布を今宵の夜討ちにも同道いたした」と述懐し、平右衛門に勘平の名代として焼香を命じます。(残念ながら・この場面はカットされて歌舞伎では上演されません。大事な場面なのだけれどねえ。)つまり勘平の怨念を取り込むことで、義士たちの怨念はさらに強さを得て、彼らは勘平の力を借りて師直を討ったということなのです。「七段目」幕切れでも、由良助はこう言っています。

『四十余人の者共は、親に別れ子に離れ、一生連れ添ふ女房を君傾城の勤めをさするも、亡君の仇を報じたさ。寝覚めにも現(うつつ)にも、御切腹の折からを思ひ出しては無念の涙、五臓六腑を絞りしぞや。』

「一生連れ添ふ女房を君傾城の勤めをさするも」とは、お軽のことを指していることは言うまでもありません。「七段目」というのは、視点を変えれば、祇園へ売られたお軽が苦界から引き上げられる場、そして平右衛門が四十七番目の義士に加えられる場です。由良助がこのような判断をすることは、彼ら兄妹が勘平の身内でないのならば、決してあり得ないことです。ふたりは「これも勘平さんのお導きなるか」と涙したに違いありませんし、事実、これは勘平の思いがドラマ的に何かの作用をしていると考えるべきです。このように考えると「忠臣蔵」全十一段のなかで、「六段目」の勘平腹切りのエピソードは単にそれだけで終わるものではなく、勘平の怨念が「忠臣蔵」全体に色濃く影を落としていることが分かります。

イヤ吉之助は「忠臣蔵」を怨霊思想で読もうと思っているのではありません。吉之助の考えていることは、もっと単純なことです。もし松の廊下で主人判官が師直に切りかかるようなことをしなければ、勘平はお軽と所帯を持って幸せな生活が送れるはずだった。由良助を始め塩治家中の者たちも、平穏な生活を送れるはずだった。それが何が原因だったか分からないが、突然、主人判官が怒って師直に切りかかってお家がお取り潰しになってしまった。こんな理不尽なことがあるかということです。突然職場を追われて自分たちはこれからどうしたら良いのか、この怒りをどこにぶつけたら良いのかということです。対象がモヤモヤとして曖昧で明確になって来ない憤懣と怒り、これが由良助たち義士の怨念だと、吉之助は考えているのです。彼らは、平凡でも慎ましく幸せな生活を送りたかっただけです。そんななささやかな願いさえ彼らから奪い取ったものに対し、強く怒っているのです。ですから彼らの怨念の矛先は必ずしも師直ということではなく、お家取り潰しの裁断をした幕府にも向くし、興味本位に彼らに仇討ちをけしかける世間へも向くし、もしかしたら家来のことも考えず馬鹿な行動をした判官へも向きかねないのです。彼らを取り巻く状況のすべてが、彼らを潰しにかかっています。「コンチクショウ」ということです。その怨念はアナーキーな危険な要素を孕んでいます。しかし、当時の彼らの倫理感覚からすれば、怨念の矛先はとりあえず師直に向くということです。と云うよりも、ここは怨念を師直に向けなければ彼らは気持ちを制御できないのです。その思いだけで彼らは仇討ちの旅を続けます。返り討ち物としての「六段目」が示す怨念とは、そのようなものです。(この稿つづく)

(H29・1・15)


4)時代の斬り込みをどう入れるか

音羽屋型の「六段目」は「勘平を仇討ちに参加させてやりたかったなあ」というところで何となくドラマが収まって、一幕物ドラマとして完結した感触が自然と強くなるということは、先に述べました。まあそれはそれとして、音羽屋型の「六段目」の勘平の悲劇を通し狂言「仮名手本」全十一段のなかにより強く関連付ける為には、「六段目」のどこに意識して時代の方向へ斬り込みを入れるか、そこに役者の工夫があるだろうと思うわけです。

ひとつ例を挙げると、前半で勘平がお軽に「ご紋附きを持ってきてくれ、アコレついでに大小も持って来てくりゃれ」と言う台詞がそうです。この台詞は浄瑠璃丸本にないもので、歌舞伎の入れ事になりますが、これは音羽屋型の勘平の心理を分析する時に大事な台詞です。この場面での勘平は女房が祇園に売られたという事実をまだ認識していませんが、ここに玄人筋の女性とその付き人がおり、家のなかがどうやらただならぬ事態になっているということははっきり分かっています。だから勘平はここは俺が白黒はっきりつけねばならぬという気持ちであり、さらに言えば俺は武士なのだから舐められまいぞイザとなれば容赦はせぬと云う、見知らぬ客人への多少の威嚇を込めた気持ちがあるわけです。それで勘平は、紋附きと刀を求めるのです。つまり、この時の勘平は猟師ではなく、自分が武士であることの性根に立ち返っています。だから台詞が自然と時代の様式に傾くことになります。このような世話物の舞台面がふっと時代の方へ大きく揺れる、そういう場面が何回かあった後に、「六段目」は二人侍の来訪へ流れていきます。音羽屋型の「六段目」のなかに、このような細かい工夫がされているのです。

「ご紋附きを持ってきてくれ、アコレついでに大小も持って来てくりゃれ」の台詞が印象的だった勘平は、何と云っても十七代目勘三郎の勘平でした。勘三郎の勘平は、「大小も持って来てくりゃれ」の箇所を叫ぶように鋭く時代に言いました。この「六段目」が時代物浄瑠璃・仇討ち狂言だということをハッと想起させる力強い時代の台詞でした。昨今の勘平役者は、みなさんこの台詞を世話に言いますねえ。今回の菊五郎もそうです。イヤ別にそれが悪いわけでもないのですが、勘平の心理の裏にあるドロドロとしたものの描写が淡くなってしまうような気がしますね。どうしてそういうことが大事なのかと言えば、結局、それが勘平を盗みに走らせて、腹切りに追い込んだものの正体であるからです。吉之助が言いたいことは、音羽屋型の「六段目」が一幕物ドラマとして完結した感触が強くなることは仕方がないことなのだけれど、そこに時代の方向へ意識して鋭い斬り込みを入れていくことは出来る、そうすれば音羽屋型の「六段目」も、「然り、しかし、それで良いのか」という懐疑を含んだ幕切れに出来るということです。そのような取っ掛かりが「六段目」のなかにたくさんあるはずです。

そういうわけで吉之助は、菊五郎の勘平はその古典的な感触が高く評価できるもので、音羽屋型の「六段目」とはそういうものだということを認識しつつも、通し狂言「仮名手本忠臣蔵」の一幕として見るならば、この「六段目」ではドラマが収まり過ぎてしまって、全体との連関がちょっと弱くなるという印象を持ちますねえ。ホント贅沢な不満であることは承知なのだけれど。

(H29・1・24)

*別稿「古典的な七段目」での七段目は、同じく平成28年11月国立劇場で通し上演されたものであり、内容的に対となるものなので、併せてお読みください。






(TOP)      (戻る)