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黙阿弥の諧謔味

平成28年5月歌舞伎座:「花街模様薊色縫・十六夜清心」

五代目尾上菊之助(極楽寺所化清心)、五代目中村時蔵(初代中村萬寿)(扇屋抱え十六夜)


1)黙阿弥の諧謔味

巡りあわせが悪いのか、「十六夜清心・序幕」で納得できる舞台を見たことがない気がします。ホントはこの芝居は後半の「白蓮本宅」の強請場が芯なのですから、序幕(稲瀬川の3場)だけだと退廃と因果のドラマのサビが効いて来ない感じです。どうしても情緒劇という側面が強くなるようです。そうなると美しい男女の心中場面がでんぐり返って、ドジで弱そうな女犯の僧が図太い悪党に 変身する落差を見せる芝居ということになると思いますが、どうもそれが嘘っぽく感じられるのです。

ところで「十六夜清心」が序幕だけの上演が多くなったのは最近からのことではなく、上演記録を見れば、これは明治維新を境にそうなったと考えられます。このことは初演の清心を勤めた四代目小団次と・その役を引き継いだ五代目菊五郎(さらに十五代目羽左衛門)の芸風の違いにも拠るのでしょうが、その背景にあるところの、幕末期の江戸の観客と明治維新以降の東京の観客の芝居感覚の違いが大きく作用しているだろうと思います。つまりドラマのリアリティの感覚が時代によって微妙に変化し、幕末期にはリアルに生々しく思えたものが後世には嘘っぽく感じられる、そういうことがあるのだろうということです。そういうものはどこか様式的な、淡い絵模様の印象になって「昔はそんなことがあったような・・・」というリアリティの欠けたドラマになってしまう、そういうことがあるのです。例えば「三人吉三・大川端」もそうです。これも黙阿弥が書下ろし四代目小団次が初演した作品であるということは、決して偶然ではないと思います。

もしかしたら江戸の諧謔味ということを考えてみたら良いのかなと思います。芭蕉が創始した俳諧には、滑稽・戯れ・機知とか諧謔などの意味が含まれます。折口信夫はこう云っています。われわれは芸能に表れる馬鹿を見て自分と関係なく笑っているが、そのうちに自分もああいう生活をしていることに気が付いて来る。馬鹿からあまり離れていないことに気が付く。不道徳な、犯罪的なこともわれわれもしているのだ。ふと考えると、馬鹿が自分の方に返っていることに気が付く。日本の俳諧にはいろいろあるが、これを純文学にする道はそれだ、言葉のおどけだと折口は云うのです。

『初期の俳諧を見ると、馬鹿な笑いをしているうちに気が付くと自分の本当の生活が出てくる。だから喜劇的文学がただちに悲劇になってくる。実際の生活が出て来る。俳諧が文学になってくるのはその点だ。一瞬心が澄み通ってくる。自分は笑われる生活をしているのだと、真面目な心・反省の気持ちが湧いて来る。それを完全にとらえたのが芭蕉。半々にとらえたのが一茶。哀しみと滑稽と、振り分けにつかまえている。俳諧が喜劇→悲劇と出て行っているが、他はそこまで行っていない。行ったからといって議論は済むが、実際の作品が行っていないということはある。(中略)そういうふうにして喜劇と悲劇の関係を遡らして考えると、能狂言もつつぬけに笑った後は淋しくなる。見物がそれを見ると面白くない。人情迫るものは面白くない。それでしまっておいて、笑えるようにやろうとする。日本では見物が遅れていたということだ。見物が進まなかった。批判意識が乏しかった。少なくとも喜劇方面はそのために進まなかったのだ。』(折口信夫:昭和24年慶應大学・芸能史講義、吉之助が若干文章を いじりました。)

折口信夫芸能史講義 戦後篇 下

黙阿弥の「十六夜清心・序幕」のなかに見える諧謔味を、江戸的感性で読むべきなのかも知れません。破戒坊主の清心のオタオタぶりを見て笑いながら、自分も程度はどうあれ 、ああゆう自堕落で、不道徳な、犯罪的なことをしていることに気が付く。それが自分の方に返っていることに気が付く。そうゆうところに気が付くと、清心が「・・・しかし待てよ、今日十六夜が(稲瀬川へ)身を投げたも、またこの若衆の金を取り殺したのを知ったのは、お月さまと俺ひとり。・・・」と云う時、そこに善と悪の振幅があまりないのかも知れません。どちらへ振れるのも風の具合みたいなものです。それはどちらでも良いことなのです。

幕末期(「十六夜清心」は安政6年市村座での初演)の閉塞した気分は、黙阿弥の七五調の揺れるリズムのなかに表れます。(これについては別稿「黙阿弥の因果論・その革命性」を参照ください。)揺れる気分とは、変わりたいけど・変われない、変わりたいけど・どうして良いか分からない、だから動かないのだけれど・今の自分はイヤだ・このままで良いとは思わない、変わりたいけど・変わるのは怖い、だからやっぱり動かない・・・というようなユラユラした宙ぶらりんの気分です。だからちょっとしたきっかけで外部から ポンと押されると、それが小さい力であったとしても、主人公は簡単に動かされてしまいます。

だから清心はそれほど強い動機がないまま何となく成り行きで盗賊になってしまうのかも知れません。「一人殺すも千人殺すも、取られる首はたったひとつ」、この台詞も黙阿弥は自分の方に引き寄せて書いています。つまり清心は自分の哀れな悲劇の末路を見ていることになります。そこから「こいつァめったに死なれぬわえ」という開き直りが出て来るわけですが、これも多分そう大きな振幅を持つわけではないのです。考えてみればこれは世話物なのですから、普通の人間がふらっと揺れて悪に堕ちていく、その様相を描いても、それはまさに紙一重みたいな小さな揺れになるのです。そこに滑稽味と憐れみが半々にある。それはどちらもわれわれの生活から来ているからです。これが黙阿弥の諧謔味というものです。

明治維新以後の東京の見物は、芝居の見方が妙に生真面目になってしまって、そこに遊びの精神をあまり見ようとしなかったのです。明治初期の雰囲気は熱くシリアスで、悪く云えば余裕があまりない時代でした。黙阿弥の諧謔味というものも、東京の見物はもう過ぎ去ったものとして若干否定的に見たのかも知れません。そこで「十六夜清心」の見方が微妙に変わって行きます。「一人殺すも千人殺すも、取られる首はたったひとつ」 という台詞は、読みようによっては虚無的で危険な思想を孕むものです。視点を変えればそうゆう読み方も可能なわけですが、舞台上で清心をピカレスク・ロマンの主人公のように演じようとすると 、作品との間に微妙な齟齬が生じてきます。黙阿弥の諧謔味のなかの滑稽の要素が浮いて見えて来るのです。現代歌舞伎で見る「十六夜清心・序幕」がコミカルに処理され、嘘っぽく感じられるのは、多分そのせいです。(別稿「稲瀬川・百本杭」はなせ可笑しい」を参照ください。)

2)菊之助初役の清心

ところで本稿は平成28年5月歌舞伎座の「十六夜清心」の観劇随想として書き出したのですが、冒頭がちょっと長くなってしまったようです。今回も序幕3場だけの上演ですが、これは吉之助の脳内で変換すれば済むだけのことですから、別に異議を申し立てるつもりはないのです。そこは情緒纏綿たる清元と、破戒坊主が盗賊に変身する妙を楽しめば良いことです。そのような視点で見ると菊之助初役の清心は、ずいぶん生真面目な清心に感じられます。



まあ真面目なのは菊之助の持ち味でもあるし、吉之助はこの点は好意的に評価しています。清心を生真面目な方向へ演じることは、ひとつの在り方であろうと思います。しかし、これまでの歴代の清心役者が作り上げた独特のイメージが厳然としてありますから、この真面目な清心であると、清元を背景音楽にした十六夜との色模様において若干損な印象をもたらすようです。身体の線がちょっと硬い感じがしますねえ。菊之助は女形が本領なのだから(と吉之助は思っていますが)、もっと身体の線を柔らかく出せても良いと思います。そこに工夫の余地があるようです。「・・しかし、待てよ・・」からの盗賊への変身も、真面目にやっているから客席から笑いもそう出ないけれども(それ自体は良いことなのだが)、ワクワク感が乏しくなるようです。「何だか底の浅い芝居だなあ」という空しい後味だけが残るのは、いつもの通りです。そうなることは黙阿弥のために残念ですが、そこのところは解消できていません。作品との微妙な齟齬を埋めるために役者も苦労していることだなあと思います。黙阿弥の諧謔味ということが分かってくれば、黙阿弥は随分と演りやすくなると思うのですが。しかし、真面目な清心というのは、良いことだと思いますよ。少なくともコミカルに演ろうとするよりずっと良いことです。大事なことは、その感覚がわれわれの生活に根差すかということです。

(H28・6・19)


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