近松座の舞台(昭和57年から昭和63年まで)
「近松座」とは、近松門左衛門の作品を年に1・2作ずつ上演していこうということで四代目坂田藤十郎(当時は二代目中村扇雀)が座員1名で立ち上げたプロジェクトでした。滅多に上演されない隠れた名作を掘り起こすことはもちろんですが、「心中天網島」や「女殺油地獄」のようなよく知られた作品も脚本・演出を練り直して・新たな姿で見せました。一俳優の演劇運動としては、大正期の二代目左団次の自由劇場以外に比較できるものはないかも知れません。残念ながら、吉之助は仕事の関係で近松座の前半期にしか立ち会えませんでしたが、本稿で昭和の時代の近松座(昭和57年の第1回から昭和63年の7回目まで)の手持ちのチラシを紹介します。
近松座は平成15年(2003)5月の第17回公演(「関八州繋馬」・かんはっしゅうつなぎうま)まで続きました。演劇運動としての近松座の成果については議論があるところかも知れませんけれど、昭和62年(1987)8月国立大劇場での初代坂田藤十郎の代表作である「けいせい仏の原」復活上演などを通じて、扇雀の近松座の目的のひとつであった藤十郎襲名への地盤固め(扇雀と云えば近松・藤十郎だというイメージ戦略)をしっかり果たしたと思います。近松座がなければ藤十郎襲名は実現しなかったかも知れません。願わくばこうした近松座の試みのなかから歌舞伎座本興行のレパートリーへ昇格・定着する演目があったのなら良かったと思いますが、そこは藤十郎の力の及ぶところではなかったかも知れませんが、昨今の歌舞伎の上演で近松物があまり出て来ない状況を見ると寂しいことではあります。
〇近松座第1回公演
昭和57年・1982・5月・国立小劇場:「心中天網島」
紙屋治兵衛(二代目扇雀)、紀の国屋小春(二代目沢村藤十郎)、粉屋孫右衛門(五代目富十郎)、治兵衛女房おさん(六代目田之助)他
脚本・演出:高瀬精一郎
〇近松座第2回公演
昭和58年・1983・10月・三越ロイヤル・シアター:「嫗山姥」(こもちやまんば)
傾城八重桐後に山姥(二代目扇雀)、煙草屋源七実は坂田時行(六代目田之助)、源頼光(五代目我当)他
脚色・演出:武智鉄二
〇近松座第3回公演
昭和59年・1984・5月・国立小劇場:「女殺油地獄」
河内屋与兵衛(二代目扇雀)、豊島屋女房お吉(六代目田之助)、山本森右衛門(五代目我当)、父親徳兵衛(八代目吉三郎)他
脚色・演出:戸部銀作
〇近松座第4回公演
昭和60年・1985・8月・浅草公会堂:「冥途の飛脚」(めいどのひきゃく)
*チラシを紛失したので、代わりに当時の筋書の切り抜きをアップしておきます。
「演出のことば」(武智鉄二) 本文は「武智鉄二 歌舞伎素人講釈」で読めます。亀屋忠兵衛(二代目扇雀)、丹波屋八右衛門(五代目我当)、槌屋梅川(二代目秀太郎)、亀屋番頭伊兵衛(八代目吉三郎)、亀屋後家妙閑(鴈之丞)他
脚色・演出:武智鉄二
〇近松座第5回公演
昭和61年・1986・9月・浅草公会堂:「雙生隅田川」(ふたごすみだがわ)
猿島の惣太・斑女の前(二代目扇雀)、惣太の妻唐糸(六代目田之助)、権正武国(八代目吉三郎)
構成・演出:武智鉄二
〇近松座第1回青山公演
昭和61年・1986・3月・青山劇場:「心中天の網島」
紙屋治兵衛(二代目扇雀)、紀の国屋小春(二代目秀太郎)、粉屋孫右衛門(五代目富十郎)、治兵衛女房おさん(六代目田之助)他
脚本・演出:高瀬精一郎
〇近松座第2回青山公演
昭和62年・1987・5月・青山劇場:「百合若大臣野守鏡」(ゆりわかだいじんのもりのかがみ)
百合若大臣(二代目扇雀)、別府雲足後に別府親王(五代目我当)、女房立花実は鷹の精(二代目秀太郎)、許嫁立花姫(浩太郎)、府内市郎秀虎(智太郎)他
構成・演出:武智鉄二
〇近松座第6回公演
昭和62年・1987・8月・国立大劇場:「けいせい仏の原」(けいせいほとけのはら)
惣領梅永文蔵(二代目扇雀)、乾介太夫(五代目我当)、傾城奥州(六代目田之助)、傾城今川(五代目松江)
脚本:木下順二、演出:武智鉄二、演出補:松井今朝子*この時の演出は武智は名目のみで、松井今朝子が主体で行なったものです。
〇近松座第7回公演
昭和63年・1988・9月・国立大劇場:「出世景清」(しゅっせかげきよ)
傾城阿古屋・源頼朝(二代目扇雀)、悪七兵衛景清(四代目左団次)、伊庭十蔵(二代目吉弥)、畠山重忠(智太郎)、小野姫(浩太郎)他
脚本・演出:野村喬(R5・11・8)