名優たちの「助六」
民俗学者折口信夫は歌舞伎にも深い含蓄のある論考を遺していますが、その折口が助六という役について、こんなことを言っています。
「(十五代目)羽左衛門は助六という役の概念を変えた人だ。(九代目)団十郎の頃の助六は頑丈だったが、羽左衛門になって からは弱々しいものになった。」(戸板康二:「折口信夫坐談)
これは七代目三津五郎も同じようなことを言っています。
「九代目(団十郎)の芝居と今日の芝居と、何が違うたって助六ほど違うものはありません。花道などでも今日のように間延びはしませんし、それは素晴らしいものでした。股くぐりでも、どうしても助六の威勢で股をくぐらなきゃならなくなるような助六でしたからね。」(今尾哲也:「七代目坂東三津五郎芸談」:「歌舞伎・研究と批評」第27号」
想像するに九代目団十郎の助六は、荒事味の勝った豪快な助六だったのでしょう。考えてみれば、「助六」は歌舞伎十八番・つまり荒事の宗家たる市川家の家の芸なのです。
一番上の写真は、その九代目団十郎の助六。写真からではその芸の秘密はなかなか想像できませんが、しかし、この団十郎の右手の手首の返り具合はよく見て覚えておいて欲しいと思います。これが荒事の骨法であるからです。
二番目の写真(上)は、折口が「助六のイメージを変えた」と言った十五代目羽左衛門の助六です。これは写真からでもその優美さが伝わってくるようです。その美しさが人々を魅了したのもよく分かります。
三番目の写真は、戦後の最高の助六役者であった十一代目団十郎の助六です。もちろん私はその舞台を拝見しておりませんが、遺された録音やビデオを見ますと、十一代目の助六は、十五代目の優美な助六のイメージも引き継ぎながら、その一方で豪快な荒事の味も思い出させてくれる・これはなかなか素敵な助六です。ちょっと「先祖 返りの助六」というべきでしょう。
これに比べると最近の舞台で見られる助六はちょっとテンポが緩くて優しい感じが強いのではないかと思います。全体としては助六のイメージは「優美」な方に流れる傾向にあるようです。もちろんこれは「助六」という芝居自体が持っている要素にも原因があるかも知れません。
しかし、もう少しピチピチ跳ねるような躍動感・若さのある助六が見たいという 気がします。「歌舞伎十八番」は荒事・若衆の芸なのですから。
折口信夫:戸板康二編・折口信夫坐談
(H14・7・6)