明治の「女」、そして女形の描く「女」
*本稿は別稿「歌舞伎の女形を考える為の三章」の関連記事です。
本稿に掲載しましたのは、明治45年(1912)9月13日、明治天皇の御大葬の日に撮った乃木希典将軍夫妻の写真です。この後、夫妻は自害するのです。この2枚の写真・特に静子夫人の写真は、フランスの哲学者ロラン・バルトに強烈な印象を与えたようです。
*ロラン・バルト:表徴の帝国 (ちくま学芸文庫)
まず一枚目は乃木将軍の写真。バルトは、
『その髭、その軍服、その華美 な礼装のなかに没して、将軍はほとんど顔を持っていない。』
と書いています。男というのは、いつの時代においても世間体やら体裁やらに虚飾されてやっとこさ生きているものであるのかも知れませんね。一方の乃木夫人の写真をご覧下さい。
『だが、夫人は完全に顔を持っている。 (中略)乃木将軍夫人は、死というものは感覚であること、死と感覚とは同時に相互を追い払うものであること、したがって、顔によってであろうと、死について語ってはならないと、 そう思い定めているのである。』
バルトがこの写真によって女形の表徴の機能を説明しようとしたのは、実に小憎らしいほど見事だと思います。「表徴」とは記号なのであって、表現するものではない・読み取られるべきものだとバルトは言っているのです。
それにしても吉之助にはバルトが女形を論じる時にこの写真を偶然に選んだものとはtとても思えないのです。バルトとは逆に、この写真から女形の描く「女」が想像できないだろうかというのが、別稿「歌舞伎の女形を考える為の三章」の中間章です。
ここに見えるのは、夫につき従って・いわば添え物的に自害するのではなくて、はっきりと自分の意志で自害しようとする夫人の意志がはっきりと見られます。 幕末生まれで「明治」に生きた・この女性の気骨が見えるような気がします。
歌舞伎の女形の描く「女」とは、決して夫の従属物ではない・自分の意志でしっかりと生きている江戸時代の女性たちであったかも知れません。
(H13・6・20)