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舞台の「足取り」について考える

〜「菅原伝授手習鑑・道明寺」


1)足取りについて

「菅原伝授手習鑑」の二段目「道明寺の場」幕切れは、流刑地の筑紫へ旅立つ菅丞相(菅原道真)が苅屋姫とのつらい別れを交わす名場面です。この「道明寺」の舞台を、豊竹山城少掾の語り・四代目鶴澤清六の三味線・吉田栄三の菅丞相の人形で見た武智鉄二はその感激を伝えに終演後に栄三の楽屋を訪ねました。すると意外にも栄三の機嫌がひどく悪い。「これは丞相名残という場でおまっせ。清六さんの三味線は丞相さんが向こうへ歩いてはる。わてがいくら名残を遣おうと思うても、あれでは遣えまへんわ。」と不満を言う。次に山城少掾の楽屋を訪ねると、こちらもまたえらく不機嫌である。「先代(清六・山城少掾の師であった)の時は、次を語ろうと思っても語らせてもらえないくらいで、いつこの浄瑠璃はおしまいになるのかしらと、死んでしまいたいくらいに思ったものです。この人(清六)は若いし、まあ達者には弾きますけどね。」と当の清六を横にして言うのでした。清六はじっと頭をたれたまま、考え込んでいたといいます。

これは清六の三味線がまずかったというのとはちょっと違います。この時の清六の三味線は「丞相の涙が玉になって流れるかのようでじつに素晴らしくて感激した」と武智氏も書いています。その素晴らしい芸でも栄三や山城少掾を納得させられなかったということに、芸というものの奥深さを感じずにはいられません。

「丞相さんが向こうへ歩いてはる。」というのは、おそらく清六のとった物理的(メトロノーム的)テンポが栄三や山城少掾の感じているテンポより若干早かったのだろうと思いますが、それだけではないかも知れません。「丞相名残」というのは、丞相が筑紫への出発を前に刈屋姫との別れ難い思いを感じる場面ですから、曲は先へトントン進むのではなく、そこに丞相の後ろ髪を引かれるような思いが感じられなければならないのだと思います。丞相はこの瞬間が永遠に終わって欲しくないと感じているわけです。

ここにおいてわれわれは邦楽のもつ「足取り」の意味に思い至ります。邦楽の「足取り」に相当するような言葉は西洋音楽には無いように思われます。「テンポ」ともちょっと違うようです。しかし西洋音楽でもメトロノーム的には同じテンポをとっていても、優れた演奏では音楽の持つ「深み」というか「気品」が全く異なるように感じられることがあります。そういう場合は「息が深い」と表現するのが一番ぴったりくるようです。リズムをしっかりと打ち込んでいて呼吸が深いということでしょうか。邦楽の「足取り」という概念は、この西洋音楽における「テンポ」と「息」をふたつ合わせたような概念のようにも思われます。

西洋音楽でもまったく「足取り」という言葉を使わないとその感動を表現できないという気がすることがあります。特にモーツァルトやブルックナーなどの音楽は、うまく面白く聞かせてやろうなどと下司な考えで演奏を始めるとたちまちお里が知れてしまうようなところがあります。テンポの速い・遅いとは全く違う、まさしく「足取り」と言わないとしっくりこないものが音楽の「人柄・気品」を決定付けていると思わずにはいられないのです。

これを「足取り」とはまったくうまく表現したものだと思います。ファッション・モデルのような立ち振る舞いのプロの歩き方を素人が真似ようとしても直ちにうまくいかないのと同じことで、ただ歩くということでも「美しく・正しく歩く」というのはなかなか技術と訓練の要ることなのだろうと思うのです。


2)舞台の構成と足取りについて

いったい音楽や舞台の持つ構成感・バランス感というのはどこから来るものなのでしょうか。目に見えないものなのに、素晴らしい演奏や舞台はまるで建築物をみるような構成力を感じさせるものですが、それは何故なのか。もっとも不思議に思うのは、聞き終わって全体が見渡せてから構成感を感じるのではなくて、バランスの良い悪いは演奏や演技の途中でも分かるということで、途中なのにどうしてそれを感じるのだろうといつも思うのです。

さらに「足取り」の意味について考えていきたいと思います。三味線の名人鶴澤道八が「足取り」について次のように語っています。

『これはちょっと口ではいい表せませんが、たとえばひとつのフシの長さが仮に一尺あるとしますと、その一尺を当分に割らずにあるところは一寸五分、あるところは三寸二分、また次には五寸、その次は四分・・という風に辿って、結局は一尺のものに収めるのが足取りで、その割り方、辿り方によってその場その場の姿が現れてくるのです。ですから同じひとつのフシでも足取りを付け変えるとまったく別のものになります。』(「道八芸談」)

ここで道八が語っておりますのは、「ある場面のテンポ・長さというものは全体の構成から割っていって決まるものだ」ということです。つまり、全体の構成を踏まえていないと正しい足取りがとれない、ということです。逆に言いますと、足取りが正しくとれていないと全体の構成に微妙な狂いが生じてくる、ということだと思います。

したがって先ほどの「丞相名残」において栄三や山城少掾が「丞相さんが向こうへ歩いてはる」と感じたのも、舞台というのは生き物ですから、その日の全体の舞台の流れ具合から来るものなので、日によっては清六のとった足取りで良かったのかも知れないのです。その日は(たまたまというべきか)その足取りではまずかったということなのでしょう。しかし日々のそうした微妙な感覚の違いを察知して足取りを調整していけるかどうかが「芸の力量」を決める、ということは言うまでもありません。

この「道明寺」で菅丞相を演じる人形遣いは、楽屋に祭壇を飾ってそこに丞相の人形を祭ります。そこには宗教的な意味がもちろんあるわけですが、それ以前に役を大切にして芸に一心に打ち込もうとする先人のこころを感じずにはいられません。菅丞相はもちろん神さまですから、その足取りにもおのずから品位と神格が備わっていなければなりません。「道明寺」のクライマックス(というより「菅原伝授手習鑑」全体でも最も重い場だと言ってもよろしいでしょう)である幕切れの「丞相名残」は、その菅相丞の立ち去りがたい気持ちをたっぷりと表現するために、全体の構成を崩さないギリギリまで可能な限り引き伸ばすことを求められる場面なのでしょう。

豊竹山城少掾の語り・四代目鶴澤清六の三味線による「道明寺」は、このコンビの「最高傑作」として素晴らしい演奏が録音で遺されています。

(付記)

芸能史考:「四代目鶴沢清六・豊竹山城少掾との訣別」もご参考にしてください。

(H13・4・1)





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