本蔵はなぜ死なねばならないのか〜本蔵の悲劇の意味
〜「仮名手本忠臣蔵・九段目」
本稿は別稿「本蔵はなぜ判官を抱きとめたのか」の続編になって います。
1)本蔵は「モドリ」である
塩冶判官を抱きとめた加古川本蔵のモデルとなった梶川与惣兵衛(よそべえ)は旗本で、松の廊下の刃傷事件で浅野内匠頭を抱きとめた功績により五百石の加増をされています。ただし、『梶川氏筆記』によれば、与惣兵衛はこのとき内匠頭を抱きとめてしまったことを後悔する旨の口述を後でしています。実際、浅野に味方する世間の目は「あいつが抱きとめなければ内匠頭は上野介を討てたのに」ということで冷たく・嫌がらせも多かったようで、梶川家は相当に肩身の狭い思いを強いられたようです。
したがって「仮名手本忠臣蔵」九段目に登場した時の本蔵のイメージも世間の期待通りに悪役ということになりましょう。本蔵は虚無僧姿で登場し、「(由良助は)主人の仇を報わんという所存もなく、遊興にふけり大酒に性根を乱し、放埓な身持ち日本一の阿房の鏡」と罵詈雑言を吐き、三宝を踏み潰し、お石を突き飛ばします。ここまではたしかに本蔵は悪役を気取っています。しかし力弥の槍に突き刺された後の本蔵は苦しい息の下でその本心を語り、由良助に理解を求めます。
「約束通りこの娘(小浪)、力弥に添わせて下さらば未来永劫御恩は忘れぬ。コレ手を合わせて頼み入る。忠義にならでは捨てぬ命、子ゆえに捨てる親心推量あれ」
ここでの本蔵の役柄は「モドリ」です。悪役と見えた人物が死にあたってその本心を吐露し善人として死んでいくというような役が「モドリ」です。本蔵は「モドリ」であることを理解しておく必要があります。
まず別稿「本蔵はなぜ判官を抱きとめたのか」をお読みいただければ、本蔵がどれほどに忠義深く思慮あって、しかも世間の機微にたけた人物であるかはお分かりいただけたかと思います。若狭助にとって時に教師であり父でもあった、誰にも代えがたい家臣でありました。刃傷の場にたまたま居合わせた本蔵は他家の殿様の喧嘩をわざわざ止めに入る必要はなかったはずでした。しかし本蔵は「相手死なずば切腹にも及ぶまじ」ととっさに判断し、身分の違いもわきまえず庭先から殿上に駆け上がり判官を抱きとめます。それは判官は娘の許婚の主人であったからです。本蔵は「娘のために」思わず判官を抱きとめてしまって、身分違いの大名の喧嘩に巻き込まれたのです。このことが「本蔵の悲劇」の意味なのです。
由良助本人がこの本蔵の行為をどう感じていたかは、彼自身ははっきりと言及していないので分かりません。しかし由良助は分かっていたに違いありません。まず判官の刃傷が未遂に終ったからには足利家の処分は「判官切腹・お家断絶」というような厳罰にならない可能性がありました。結果的には最悪の判断が出ましたが、これは本蔵が判官を抱きとめていなければ持てる期待ではなかったはずです。そして由良助は本蔵が「娘のために」(ということは「婿になるべき由良助の息子力弥のために」ということでもある)判官を抱きとめたということも分かっていたでしょう。
しかし、それでは由良助が「九段目」前半で小浪を力弥に添わせることを拒否したのはなぜでしょうか。それは「四段目」で判官が切腹前に「恨むらくは館にて、加古川本蔵に抱きとめられ、師直を討ち漏らし無念、骨髄に通って忘れ難し」と言い残したからです。由良助自身は本蔵の行為を理解していたとしても、主人が「本蔵を恨む」と言って死んでいった以上は許すわけにはいかなくなったということだと思います。「九段目」で本蔵が力弥の槍に刺された後に登場する由良助が「君子はその罪をにくんでその人を憎まずと言えば、縁は縁、恨みは恨みと、格別の沙汰もあるべきにさぞ恨みに思われん」と言うのはそのあたりの由良助の苦しい事情がある為だと思います。
だからこそ「九段目」において本蔵はこのことを承知して、判官の恨みをまとって(つまり「あいつが内匠頭のじゃまをした悪い奴だ」という世間のイメージを受けたということです)、まずは「悪役イメージ」で登場するのです。こうしなければ本蔵は「判官家臣として、主人の恨みを自分の恨みとしなければならない由良助の苦しい憎しみ」を受け止められない。こうでなければ由良助は本蔵に恨みをぶつけられないということでもあります。
2)本蔵の悲劇は由良助の悲劇でもある
「忠義にならでは捨てぬ命、子ゆえに捨てる親心」と本蔵が苦しい息の下で言っています。つまり、優秀な家老として「忠義」だけを旨としてきた本蔵が「子ゆえに」身分違いの殿様の喧嘩に巻き込まれ不本意な恨みを受けて死んでいくということになります。ここで本蔵が死なねば娘の小浪は力弥に添うことはかないません。ここで娘が結婚できないなら本蔵は判官を抱きとめた行為は無に帰するのです。また由良助は本蔵が死ななければ主君の恨みは晴らせないのですから、分かっていても力弥の結婚を認めるわけにはいかないわけです。
ここにおいて本蔵と由良助は共に同じもので苦しんでいるということが理解されるはずです。ともに短気で思慮浅はかな主人(若狭助と判官)を持ちその行動によって我が身の上を左右されます。本蔵と由良助はこの芝居のなかで対の形でおかれているのです。さらに本蔵の述懐でこのことは明確になります。「思えば貴殿の身の上は、本蔵が身に有るべきはず」なのです。そして本蔵の身の上もまた由良助の身にあったかも知れないのです。二人はこのことが分かっているのです。だから本蔵の悲劇はまた由良助の悲劇でもあると言えると思います。
「モドリ」が善人に立ち返り本心を告白する時には、必ず相手がそれに足る人物でなくてはなりません。「モドリ」がその身にはらんでいる悲劇を相手がしっかりと受けとめる資格がないとすれば、「モドリ」は救われることはありません。由良助にはもちろん本蔵の悲劇を受けとめる資格があります。そして本蔵にも由良助の悲劇を受けとめる資格があると認めるからこそ、由良助は仇討ちの決心を本蔵に明かすのです。
3)忠義とは何か・そして生とは
前述したように最初に由良助が小浪の嫁入りを認めなかったのは「本蔵が判官を抱きとめたから」でした。それ以外の理由は考えられません。判官の刃傷はとばっちりであり、本来は若狭助が刃傷に及ぶべきところが本蔵が師直に賄賂を贈ってとりなしたために師直のきまぐれで鬱憤が判官にぶつけられたものでした。しかしこのことは槍に刺された本蔵の述懐で知れることであって、そこで由良助に初めて知らされることです。
本蔵の死について、「賄賂を贈ってこびへつらう工作をすることは真の忠義ではない・本蔵はそのことを恥じて死ぬのであり・いわばその行為を罰せられるのである」と書いてある歌舞伎の解説書もあります。果たして「九段目」のそのような読み方が可能でしょうか。
浄瑠璃で贈賄を良いこととしているはずはありません。しかし本蔵の科白に「呉王を諌めて誅せられ、辱めを笑いし呉子胥(ごししょ)が忠義は取るに足らず、忠臣の鑑とは唐土の豫譲(よじょう)、日本の大星、昔より今に至るまで唐と日本にたった二人」とあリます。本蔵の言いたいことは「賄賂を使って主君を救おうとした自分の忠義などは主人を笑ったも同然で取るに足らず、大星こそは忠臣の鑑だ」ということだと思いますが、「忠義にならでは捨てぬ命、子ゆえに捨てる」とまで言い切っている本蔵が忠義のためにと信じてとった自分の行動(師直への贈賄)を恥じて死ぬとは吉之助には思えないのです。
確かに本蔵は述懐で「主人である若狭助に賄賂をもって師直にこびへつらったことを自分の罪であると告白してお暇をいただき山科へ来た」と言っています。しかし由良助はこの発言に特に反応していないように思います。由良助が本蔵の贈賄を許せないことだと思っていれば、このあとに本蔵が「かほどの家来(由良助のこと)を持ちながら、了見もあるべきに、浅きたくみの塩冶殿、口惜き振る舞いや」と言っているのに対して違った反応を示すと思います。本蔵のおかげで師直の矛先が判官に向いたわけですから、その本蔵に自分の主人を「浅きたくみ(もちろん「浅野内匠頭」に引っ掛けております)」と言われては普通なら容赦できないと思います。しかし 、本蔵の科白に対し由良助は「御主人の御短慮なる御仕業、今の忠義を戦場のお馬先にて尽くさばと思えば無念・・」と真正面に受けています。したがって由良助は本蔵が師直に賄賂を贈ったこと自体は問題にしていないと吉之助は思うのです。由良助がそう思っていないということは、浄瑠璃作者がそう思っていないということだと思います。
だとすれば由良助と本蔵がここで互いに嘆き合うのは「忠義とは何か・忠義とはどうあるべきかと散々苦労してきた互いの結果がこの有様なのか」という生の無情であるということでなくてはならないでしょう。ここで本蔵は主人若狭助にお暇をいただき、「忠義にではなく子のために」死んでいくことができるわけですが、それでも由良助は「忠義のために」討ち入りに向けてなお行動していかねばならないのです。それが自分の取るべき道であると由良助がなお信じるからです。だからこそ「忠臣蔵」は「仮名手本」なのです。
(H13・5・27)
(追記)
「忠臣蔵」を賄賂批判・忠義批判として読むことができないわけではないと思います。ただしそうした読み方はちょっと深読みであって、まず「忠臣蔵」のドラマの本質を理解した上でのバリエーションと考えるべきだと思います。本蔵は「子のために死を選ぶ」のだということを忘れてはならないと思います。