「六段目」における時代と世話〜時代と世話を考える・その1
〜「仮名手本忠臣蔵・六段目」
○今回は「時代と世話」について考えようというシリーズです。まずは「六段目」を材料にするということですが。
芝居のなかの行動や様式のなかに「時代と世話」がどういう形で反映していくのかをいつくかの作品を取り上げながら考えていこうというわけです。大事なことは・時代とか世話とか言うのは相対的な概念でして、対象が変れば意味合いも大きく変化するものです。つまり、これが時代だ・これが世話だというような厳密なものはないのです。いわばそれはその周辺と比べてみて、時代に傾いているか・世話に傾いているかと言うようなものです。
○これが「時代」である・これが「世話」であるという定義はできないのですね。
おおざっぱに見て、時代は個人と対立したところの社会あるいは道徳を指すという風に考えても間違いではないのですが、それが意味するところが何なのかはよく考えてみる必要があります。個人の尊厳と対立して・これを押さえつけようとする 非人間的なものが「社会」であると決め付けてしまうだけでは、見えるものも見えてこないということになります。だから、個々の作品を読んでそこのところをしっかり押さえていきたいと思います。
○いきなり定義から入るのではなく・作品から具体的な「時代と世話」の用法を検証していこうということで、まずは「六段目」なのですね。
まず「六段目」を取り上げますが、これは「仮名手本忠臣蔵」という時代物のなかのひと幕ですね。一般に「世話場」と呼ばれるものです。
○「時代世話」とも呼ぶこともありますね。
「時代世話」と言う言葉はよく使われますが・時代物のなかの世話場という意味なのでしょうが、ちょっと曖昧な用語だと思うのですね。「時代っぽい世話」って、どういう世話・あるいはどういう時代なのですかね。そんな風な一様(いちよう)な演技様式があるとは思えないのですよ。時代と世話というのはひとつの芝居のなかでムラムラに現われるものです。その色合いの変化が演技のリズムとなるのでして、前の部分から見れば時代へグッと傾くから・色の変化が感知されるわけです。 そこが時代に見えるということは逆に言えば・前の部分が世話に傾いているということです。
○色合いの変化が重要だと言うわけですね。
まあ、「六段目」の場合は「九段目」や「四段目」などと比べれば全体の色合いが世話に傾いているから「世話場」だと言うことです。こうした世話場のなかにも時代が突然ニョッキリと顔を出すという場面があるのです。逆に時代の場面に世話の味を加えれば、演技がリアルな陰影を持ってくるということがあるわけですね。まずは「六段目」の全体を押さえて置きましょう。
○勘平という若者が・仇討ちの志しを胸に秘めて・無念の切腹をしたと言う悲劇ですね。
「六段目」の早野勘平のモデルは萱野三平ですが、仇討ちに参加する経過のなかで親類縁者との柵(しがらみ)があり・やむを得ず切腹に至ったということのようです。 史実の三平は仇討ちに参加していませんから・四十七士ではありません。しかし、「六段目」では最後に勘平は連判状に血判を押して・四十七士のなかに名を連ねます。つまり、実際には仇討ちに参加 できなかった無念の若者を芝居では仇討ちに参加させているわけです。まあ、芝居でも途中で死んでいるわけですが・名目上は参加したことになっているということです。ここが大事なのです。
○連判状に血判を押して・四十七士に名を連ねたということは、どういう意味があるのでしょうか。
赤穂(=塩冶)浪士の四十七士に名を連ねるという名誉を与えられることで、勘平の死はたんなる悲劇・たんなる忠臣蔵外伝のエピソードではなくして、「忠臣蔵」という時代物の大きな枠のなかに取り込まれたということです。悲劇が清められたと言ってもよろしいです ね。これは「三段目」で殿の大事に居合わせなかったという不忠を犯し、誤解ではあったが「五段目」で舅を殺したという汚名を受けた勘平が、最後に許されたということです。 許してもらうために勘平は命を差し出さねばならなかったということでもありますが、最後に許されたということで・その死は報われたのです。この図式は「時代物」そのものですね。
○「六段目」は世話場だと思っていたけれど、その構造は時代物なのですか。
基調としては世話場なのですが、ドラマとしては時代物的な古典構造を持っていますね。他者による「許し」の構図がそこにあります。 「許し」とは神とか為政者とか・上の者が下の者を許すということです。これは時代物のひとつの形式ですね。
○この場合の他者とは何者なのですか。
この場には登場しない大星由良助その人です。「六段目」では原郷右衛門が由良助の代理なのですが、結局、由良助が勘平の心底を見極め・最後に仇討ちの仲間に加わるということを許す・しかしそのために勘平は命を差し出さねばならなかったということです。由良助は勘平の忠義を分っているのですよ。しかし、彼が「三段目」で犯した不忠は清算されねばならなかったのです。そこに由良助の慟哭(どうこく)がある。
○非情なようにも見えますが。
見ようによっては「非情」と言うことも言えますね。与市兵衛一家の立場からはそう言えると思います。 勘平の立場から見れば「許された」という感覚になります。これは立場によって見え様が変化しますね。しかし、塩冶家筆頭家老であり・仇討ち一党をまとめなければならない立場の由良助もまた封建社会の論理に強く縛られているわけです。勘平の為にはこのような非情なことをせねばならないという由良助の嘆き・涙の方が重要だと思いますね。由良助は泣きながら・勘平に切腹を求め・ これを代償として・勘平を許すという構図、これが「六段目」の時代物としての大まかな構図だろうと思います。
○そのような時代の構図は世話場である「六段目」にどう現われるのでしょうか。
世話場である「六段目」になかに時代がヌッと顔を出すのは。もちろん二人侍の登場の場面です。彼らは時代の論理を持ってやってきます。ここからドラマは大きく時代の方に傾くのです。二人侍の登場の前と後ろで「六段目」は大きく分けられています。文楽 だと「六段目」を「お軽身売りの段」と「勘平切腹の段」に分けていますね。
○「六段目」の前半は世話・後半は時代と考えていいのですか。
まあ、全体の雰囲気としてはそういう風に考えていいと思いますね。しかし、前半にも伏線はあって、時代が少しずつリフレイン(繰り返し)されながら二人侍の登場に至ります。
○「六段目」の前半での時代のリフレインはどういう形で出るのですか。
猟師姿の勘平が「自分が武士である」ということ を確認しようとする時、それは自然に時代の方に傾きます。前半で言えば勘平がお軽に「ご紋附きを持ってきてくれ・アコレついでに大小も持って来てくりゃれ」と言う台詞は時代の色合いをグッと強くする必要があります。実はこの台詞は丸本にはなく・歌舞伎の入れ事なのですがね。勘平が一文字屋に対する時は、自分は本当は武士 なんだぞ・失礼なことは許さんぞという意識がありますから、やや台詞が時代に傾きます。
○「自分は本当は武士である」というリフレインはどうして大事なのですか。
結局、勘平は「自分は武士である」というアイデンティティーによって死ぬからです。しかし、死ぬから勘平の労苦は無駄に終わった・否定されたと考えるのは早計ですね。「六段目」の場合は勘平は 最終的に四十七士に加えてもらったのだから、そのアイデンティティーは守られたということだろうと思います。考えようですが猟師姿の勘平は「やつし」なのですね。
○「廓文章」の紙衣の伊左衛門と同じ「やつし」ですか。
伊左衛門の「やつし」の和事においても、滑稽な要素とシリアスな要素が交互に出ます。シリアスな要素とは、自分は金持ちの大坂商人の息子なのだというお育ちの良さです。シリアスな要素を交錯させることで、無意識に本来の自分に立ち返ろうとしているわけです。もちろん「五・六段目」の勘平には滑稽要素はない のですが 、猟師の世話と武士の時代の要素を交錯させることで、本来の武士である自分を取り戻そうとすることを無意識にしていると考えてよろしいでしょう。これが歌舞伎的な「勘平像」の作り方であろうと思います。勘平の持つ色気もそこから出てくるものです。
○時代のリフレインが出る場面は、その他にもあるでしょうか。
音羽屋型での・革財布を見込む時の勘平の形は、時代の見得の形に近い感覚だと言えるかも知れません。この時に勘平は自分が舅を殺したと思い込むのでして、この形は勘平の武士のアイデンティティーの危機を象徴しているのです。しかし、基調は世話ですから・たっぷりと時代にや ってはいけない。その形を観客に瞬間的に印象つけて・さっと世話に流すのです。だから、その形が観客の頭に残るのです。音羽屋型はよく考えられた型ですね。
○「六段目」後半において大事な点はどこでしょうか。
後半の勘平はふたつの問題を同時に突きつけられてアタフタするわけです。ひとつは勘平が二人侍に対して解決せねばならない問題で、由良助に主人への不忠を許してもらう ということです。もうひとつは、おかやに対して解決せねばならない問題でして、つまり舅与市兵衛を殺したのは自分であったかも知れないということです。ここのふたつは複雑に絡み合って勘平に迫ってくるのですが、決してひとつなのではありません。ひとつにしてはならないのです。しかし、巷の劇評など見てもたいていゴッチャにされてますね。
○ふたつの問題がゴッチャにされるとどうなるのでしょうか。
舅与市兵衛を殺したのが勘平ではなかった・ということは勘平は切腹する必要がなかった・だから生きて勘平は仇討ちに参加できるはずだった・可哀想に・・・ということになるわけです。歌舞伎の「六段目」はどうしてもそういう感じになってしまいますが、これはホントは間違いなのですよ。舅を殺したのが勘平かどうかというのは与市兵衛一家内部の事情であって、由良助たちに は関係のない事なのです。勘平はいずれにせよ腹切らねば連判状に名前を連ねることはできなかったでしょう。
○二人侍は勘平に詰め腹を切らせに来たという説があるそうですね。
由良助の決断は、勘平の忠義の志を認めて・仇討ちの仲間に加えるとしても・それは切腹なしでは許されないということであったと思います。同じような由良助の苦渋の決断が「九段目」において加古川本蔵に対してもなされていますね。だから、由良助は郷右衛門に勘平が仲間に加える価値がある男かどうかの真贋を見極めてから・連判状を見せよとの話をしたと思います。郷右衛門の判断は勘平の「死なぬ、死なぬ、魂魄(こんぱく)この土にとどまって敵討ちの御共する」という台詞でなされています。勘平のこの台詞がなければ、郷右衛門は勘平を連判状を見せずに・そのまま立ち返ったということ も十分考えられます。
○ふたつの問題はどのように分けて描かれるべきでしょうか。
勘平が二人侍に対して解決せねばならない問題・つまり討ち入りの仲間に入れてもらうことは武士のアイデンティティーの問題であり、つまり、これは様式としてはドラマを時代へ傾かせる要素なのですね。もうひとつのおかやに対して解決せねばならない問題・つまり舅を殺したのは自分かも知れないということは、様式としては世話へ引き戻す要素なのです。勘平は二人侍に対しては時代に、おかやに対しては世話に対するということになります。もっとも落語で大家と八っつあんを仕分けるような鮮やかな切り替え方では困りますがね。
○「六段目」のドラマの頂点は勘平が刀を腹に突きたてる場面ですが、文楽と歌舞伎ではその箇所が違っていますね。
丸本では「舅を殺し取つたる金、亡君の御用金になるべきか」と郷右衛門に罵倒された直後に勘平は刀を腹に突き立てるのです。この後に勘平の述懐が長々続くわけですが、これは自分が命が惜しくて言い訳してるわけでない・未練で言うのではないということを示さないと、 ふたりに話が聞いてもらえないからなのです。逆に言うと、こういう形で・命を投げ出して見せた時には、その話には嘘偽りはない・相手は居住まい正してその話を聞かねばならないということになるのです。つまり、勘平の状況はそのくらい切羽詰まっているのです。
○歌舞伎では勘平が述懐をした後、「金は女房を売つた金、撃ちとったるは舅殿・・」で刀を腹に突き立てるわけですね。
何と言いますか・歌舞伎の勘平は自分の不運が情けないと言った感じで腹を切るのですね。だから、感傷に流れてしまってるようで「時代」のとがった印象が弱められています。だから「色にふけったばっかりに・・・」という悔恨が大事の台詞になるわけです。特に音羽屋型は全体が「舅を殺したのは本当は誰か」というサスペンスドラマ的な感じになってますね。観客の誰もが犯人は勘平でないと知ってるのに、舞台の人物たちはそれを知らず・勘平は自分がやったと思い込んでいるという構図ですね。まあ、しかし、音羽屋型は型として洗練されたものになっていますから・それはそれでいいのですが、だから「六段目」はホームドラマだという批評が出るのかも知れませんね。そういう見方は先ほど申し上げた・勘平に突きつけられた時代と世話のふたつの問題をごっちゃにしてるということです。しかし、歌舞伎の「六段目」においても、このふたつの問題をはっきりと分けて見ることができるはずだと思いますよ。
○「六段目」後半で印象に残る場面はどこでしょうか。
例えば歌舞伎では勘平が二人侍を迎えに戸口へ行こうとした時に・おかやが泣きながら「逃がさぬ逃がさぬ」と言って勘平の腰にしがみつきますが、勘平も「情けない」という泣きそうな顔をしながら・おかやを抱きかかえながら戸口に少しづつ移動して行きますね。こういう場面は、勘平の姑に対する優しさと・舅を殺したことで怒られていることの哀しさと・自分の不運のやりきれなさというのが一挙に出ているのです。勘平は自分たちの娘(お軽)を売ってまでも自分に仇討ちの功を立てさせようと与市兵衛夫婦が苦労していることをよく分かっているのですよ。そうでないのならば、二人侍を迎えようとする この大事の場面・ここで勘平はおかやを突き飛ばしているでしょう。勘平はおかやに対して終始優しさを以って接しなければなりません。そこが世話の要素となるのです。
○他には大事な箇所はありますか。
二人侍を出迎えて「これはこれは御両所共に見苦しきあばら家へ御出で、忝(かたじけ)なし」 という台詞ですかね。これは儀礼的な台詞で・もちろん時代の台詞なのですが、これは高調子で張って言っては駄目で・低調子で押し殺すように言わねばなりませんね。ここは舅与市兵衛の家で・勘平の家ではないわけですからね。
○文楽の「六段目」最後の場面では老母の愁嘆場があるそうですが。
歌舞伎ではまるまる省かれていますが、「親仁殿は死なつしやる、頼みに思ふ婿を先立て、いとし可愛いの娘には生き別れ、年寄つたこの母が一人残つてこれがマア、何と生きてゐられうぞ。」と泣き叫び、その愁嘆は「目も当てられぬ次第なり」と描写されています。歌舞伎の場合は勘平は幕が閉まりかけている時に落ちいりますから・この場面がカットされますが、もったいない ことだと思いますね。
○二人侍は百両持って帰るか・半金置いていくかという議論もあるようですね。
丸本で読むと郷右衛門は有難く百両を戴いて帰るというのがやはり正しい解釈です。そこに封建道徳の「非情」があり、百両持って帰る方が強く時代の厳しい印象が残るということだろうと思います。しかし、歌舞伎でも文楽でも半金置いていくのは、やっぱり全部持って行くと婆さんひとりで生活に困るじゃないかとみんな感じるせいなのでしょう。まあ、それも人情ですね。
○結局、連判状に血判を押して・四十七士に加えてもらったことで、勘平はある意味で救われたということなのでしょうか。
最後に老母の愁嘆場があって・苦く終わりますが、構図としては勘平の世話の悲劇は時代物の枠組みのなかに絡み取られて幕となるわけです。勘平は救われたと言えるのです。ドラマのなかで・まずこの骨子を押さえて置くことです。その他のことは枝葉なのです。骨子を押さえてから枝葉を刈り込んでいけば、ドラマの形は整ってきますね。
(後記)
別稿「しゆみし場での切腹」もご参考にしてください。
(H18・10・22)