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25年目の「歌舞伎素人講釈」


サイト「歌舞伎素人講釈」は、本年(2025年)1月で開設25年目に入ります。歌舞伎の始まりを慶長8年(1603)京都・四条河原での出雲のお国の「かぶき踊り」に求めるならば、歌舞伎の歴史は現時点で423年と云うことになるので、本サイトは四半世紀(25年)だから・そのうちの17分の1をカバーしていることになるわけです。まあそう考えるとサイトも随分続いたものだなアと思いますねえ。しかし、多分まだまだ続くと思います。

ところで歌舞伎評論家の千谷道雄氏は若い頃に(もうその頃は最晩年の)初代吉右衛門の付き人みたいなことをしていたそうですが、或る時、吉右衛門が千谷氏にこう言ったのだそうです。

「君は見巧者になるなよ。俺たち役者は見巧者ってのを軽蔑するんだ。」

この話は吉之助が随分昔に聞いたもの(残念ながら出典が思い出せません)ですが、この吉右衛門の言は以来吉之助がずっと肝に命じているものです。本サイトが傍目にどのように映っているか分かりませんが、吉之助は評論のなかに見巧者的な態度を出さないように気を付けています。本サイト表題に「素人」を名乗っているのもそのような理由からで、ディレッタンティズムの精神が批評を清いものにすると考えているのです。これは我が師匠とする武智鉄二も出発点はディレッタンティズムにあったと思いますし、折口信夫についても多分そうだと思います。詰まるところは「どれだけそれを深く愛しているか」と云うことでしょうか。

吉之助という批評家はインターネット環境が無ければ生まれなかったと思います。誰でも発信しようと思えばそれが出来る環境が前提としてあることはとても有難いことです。そのなかでお互いが切磋琢磨が出来れば全体がレベルアップすることになり望ましいことだと思います。しかし、どの分野に於いても、昨今はヒット数・再生回数とか読者登録数とか・そういう功利的な尺度と思惑に振り回されて、健全な形でディレッタンティズムが発揮される状況でなくなってしまいました。このような時代には、発信者はますます強い意思を以て個を保つことが求められます。これはインターネットで情報を享受なさる方(読者)についても同じことです。膨大な情報のなかから自分が求めるホンモノを探し出すことは決して容易なことではありません。

サイト角書にある通り、サイト「歌舞伎素人講釈」のコンセプトは「歌舞伎・文楽などの伝統芸能を通じて「日本のこころ・芸のこころ」を考える」と云うことです。このことは間違っていなかったと思っています。これがあったからこそ本サイトはここまでやって来れました。(これは「元禄忠臣蔵」の内蔵助の「初一念」に似たところがあるようですね。)開設25年目に当たり、そこの立ち位置を再確認いたしたいと思います。

サテこれからサイト「歌舞伎素人講釈」はどんな展開をするでしょうかねえ。乞うご期待。

(R7・1・1)





 

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