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真山青果にとっての近世


昨日(12月3日)に真山青果学術シンポジウムに行ってきました。テーマは「真山青果の魅力〜近世と近代をつなぐ存在」というものでした。現在では青果(明治11年〜昭和23年)はもっぱら「元禄忠臣蔵」を代表作とする新歌舞伎作家として知られていますが、新派の座付き作家であった時期があり、新国劇のためにも芝居を書きました。また青果は井原西鶴の研究者としても大きな業績を残しているそうです。作劇の傍らで西鶴本の地名の特定とか語彙注釈などこのような地道で細かい仕事を続けていたのには驚きました。青果本人が「劇作で稼いだ金をこれ(西鶴)につぎ込んでいるんだ」と言っていたそうですが、趣味かと聞かれれば「そうだ」と答えたかも知れませんが、これは趣味以上の何ものかですね。今回のシンポジウムでは、そのような青果の新たな側面を知ることができて興味深く聴きました。ただ青果にとって何で江戸なのかというところ、つまり「近世と近代をつなぐ」というところをもう少し突っ込んでもらいたかったなあと思いました。

青果というと内蔵助とか東郷元帥とか乃木大将とか歴史上の偉人を描くイメージがあるように思いますが、実はやくざなど社会や世間の枠からはみ出して屈折した感情を抱きながら生きている名もない庶民も芝居のなかに数多く描いています。偉人とや くざを同じ視点で眺めているというのは、確かにそうだと思いますけれど、これはもうちょっと考えてみる必要がありそうです。例えば青果はこんなことを言っているそうです。

『端的に申せば、彼桃中軒雲右衛門は、作者わたくしの最も愛好する性格者の一人であった(中略) わたくしは常に人間の真相と人性の誠真とをその人物の徳行の完成円満のうちに求めることをせずして、その不完全と不具足との間に見ようとしている性癖があります。』(真山青果:「戯曲「桃中軒雲右衛門」の構想」)

青果のこの文章ですけれど、「その不完全と不具足」のところに重点を置いて読むのでは間違えてしまいます。これでは偉人とやくざを同じ視点で眺めていることになりません。これは「人間の真相と人性の誠真」の方に重点を置いて読 む必要があります。吉之助の云いたいことはこうです。誰でもその人なりに、その人のレベルであっても誰でも「人間の真相と人性の誠真」の完成を求めて生きているのです。しかし、残念ながら誰でもそこまで は至 りません。だから「人間の真相と人性の誠真」の完成を求めながら、自分がそこに到達できないことの、口惜しさや惨めさや哀しさ、或は怒りや歯がゆさが、そこに意識されているのです。そこにその人間の有様が出るのです。青果はその 有様のことを言っているのであって、その人物の不完全と不具足に興味があるということではないです。

ですから時代に適応できず・或は時勢に乗り遅れて振り落された人々の有様を思いやったというところから、「近世と近代をつなぐ」青果の存在を考えれば良いと思います。つまり、 明治という時代が 過去の何を否定し・何を振り捨て・何を置き去りにしてきたかということが問題なのです。だから青果にとって江戸が大事になるのです。そこに明治・大正の知識人のひとつの在り方が明確に見えます。 これは夏目漱石や森鴎外についても云えることなのですが、例えば長谷川伸(明治17年生)は股旅物などで人間の負い目という形で時代に適応できない人々を描きました。長谷川もまた劇作の傍ら「日本捕虜誌」や「日本敵討ち異相」などの資料収集を続けてい たわけで、そこに青果とまったく同様のものを見ます。柳田国男(明治8年生)が役人生活の傍らで民俗学資料取集に励んだのともまったく同じことです。そうやって考えてみれば、現代の吉之助が会社生活の傍らで歌舞伎研究を続けているというのも、まあ同じことなのだろなあと思いますねえ。何かこの時代が忘れてきたものを探しているのだろうと思います 。

(H28・12・4)

付記:別稿「高揚した時代の出会い〜青果と二代目左団次」もご参考にしてください。


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