五代目玉三郎さんのこと
舞踊「落人」(道行旅路の花婿)は通し狂言「仮名手本忠臣蔵」のなかの・「四段目」の後の昼の部の追い出しとして上演されることが多いわけですが、これはまったくうまいことを考えたものだと思います。「四段目」ではどうしても観客は 胸にグッと押し詰まった深刻な気分になるものですから、観客の気分をパッと明るく・気持ちよく劇場を後にしてもらうためにも「落人」の幕は重要です。
ところで今月(平成25年12月)歌舞伎座の「忠臣蔵」昼の部での「落人」のことですが、海老蔵の勘平・玉三郎のお軽という人気役者の組み合わせで期待したのですが、 浅葱幕が落ちて笠を取ったところでは客席を沸かせたものの、意外なことに浮き立つところが少なく、拍子抜けする感じがしました。特に玉三郎に生彩がないと感じました。これはどうしたことだろうかと思いながら見ていましたが、吉之助には玉三郎の気持ちのなかに何か歌舞伎に集中できないようなものがある気がして、不安に思いました。そんなこんなで、吉之助は「忠臣蔵」昼の部を見終わって割り切れない気分で歌舞伎座を後にしたのです。その後で玉三郎が自身のサイトの「今月のコメント」でこんなことを書いているのを目にして、「ああそういうことだったか・・」と思いました。『実は中村屋さんが亡くなられた去年から、かなり心細い思いが致しまして、今年の初めからは落ち込む思いが激しかったのです。(中略)6月が過ぎまして夏がやってまいりますと、自分の心にひたひたと寂しさが襲って来てしまいました。そして6月末から、7月、8月、9月とかなり落ち込みの日々が続き、心身の不安が募るばかりで、将来のことなど全く考えられない状態でした。やっと11月の金丸座の時から外の空気を吸うことが出来て、だんだんと回復して来たのです。皆様にここで、こんな心許ないことを申しましてもどうしようもないことなのですが、回復して来ました今でこそ打ち明けられる事柄ですし、実際の思いをこのコメントで述べさせて頂きたかったのです。』(坂東玉三郎オフィシャル・サイト:今月のコメント・2013年12月)
玉三郎の気持ちは分かる気がします。と同時に、上記文章では玉三郎が落ち込んだ直接的な引き金は十八代目勘三郎の死・あるいはそれに続いた十二代目団十郎の死であったように読めますけれど、恐らく事情はもっと複合的なもので、・・というのは鋭敏な芸術家の感性というものは時代の空気と鋭く対峙して・様々な直接的あるいは間接的な 作用を受けるものですから、ここ数年の歌舞伎の状況、あるいは3・11以降の日本の状況など、複合的に玉三郎の気分のなかに深刻な陰を差していると思います。 しかし、そのままに留まっていては良い仕事は出来ません。胸に詰まった思いを起爆剤にして奮い立たねば芸術家は決して良い仕事は出来ないのです。
吉之助が今回の「落人」の玉三郎のお軽のどこにそのようなことを感じたのかというのは、漠とした印象になりますけれど、今回の「忠臣蔵」での玉三郎に課せられた役割は幸四郎(今回の「忠臣蔵」では由良助を演じる)と共に 一座の若手を引っ張る・手本を見せるということにあると思います。役を教えるということもありますが、役者の生き様を教えるということです。しかし、「落人」での玉三郎のお軽は、吉之助にはそのように見えなかったのです。落ち込んだ気分をそのまま引きずっていると見ました。
旧・歌舞伎座閉場以来続いている役者の相次ぐ逝去・あるいは病気休養は、現在の歌舞伎の何かの無理から来るものと思います。玉三郎が決して頑健な身体ではない・無理が利かない身体であることは承知しています。ここで玉三郎まで倒れられては大変です。決して身体的な無理はしないでいただきたい。けれども、玉三郎にお願いしたいことは、ここであなたに奮い立ってもらわねければ歌舞伎は駄目になってしまう、だから歌舞伎の為にあなたがここで奮い立たないでどうするの・今でしょ、ということを言いたいわけです。表面的には客も入っているけれども、今の歌舞伎は確実に危機に差し掛かっていると思います。切符が売れてれば良いわけではない。
六代目歌右衛門は、ある時期に奮い立ったと思います。吉之助は、それは昭和30年代のことだったかなと思います。奮い立った歌右衛門について色んなことを言う人がいますが、あの時期に歌右衛門が奮い立たなければ、現在の歌舞伎はなかったと思います。だから玉三郎にお願いしたいことは、この時代に滅入った気分になることはよく分かる、だけど、それだからこそ・ここは奮い立っていただきたい。玉三郎なりの奮い立ち方があるはずです。そのような役目を、これからの玉三郎は否応なしに引き受けざるを得ないと思います。ここが歌舞伎の正念場だと思うのです。玉三郎も、そこのところを是非よろしくお願いしたいのです。だけど決して無理はしないでくださいね。
(H25・12・11)