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吉田秀和は本当に偉いのか?


今年(2012)御歳97歳になる音楽評論家吉田秀和氏の特集が最近いくつかの雑誌で組まれています。例えば「レコード芸術」誌・7月号(今月号)での「特集:吉田秀和〜音楽を心の友と」は、これまでの吉田氏の業績を俯瞰するのに役に立つ特集でした。「クラシック・スナイパー」という雑誌では「吉田秀和は本当に偉いのか?」という特集がありました。吉之助は随分と前のことですが、「吉之助への50の質問」のなかで、「満足できるレベルの批評家は、文芸では小林秀雄、音楽では吉田秀和くらいしかいない。演劇評論のジャンルでは未だにいない」と書いたのですが、正面切って「吉田秀和は本当に偉いのか?」と問われるとハタッと考えてしまいそうです。吉之助のなかにどうも明確な答えが出てこないのですねえ。

吉之助は朝日新聞の音楽時評とか・「レコード芸術」誌での連載など・ずっと吉田氏の文章に接してきましたが、現在手元にある単行本は「私の好きな曲」一冊しかないのでした。これは吉之助の学生時代に「芸術新潮」誌に連載されたもので・吉之助は当時熱心に読んだものです。サイト「歌舞伎素人講釈」も10年やってきましたが、そういえば吉田氏の文章の引用はひとつもないですねえ、まあこれはたまたまそういう題材がなかったことかも知れませんが、吉之助が吉田氏を尊敬するところは具体的な・ある文章・批評・意見とか言うものではなかったようです。そういうところでは吉之助は意外なほど吉田氏の影響を受けてないようです。

吉田秀和:私の好きな曲―吉田秀和コレクション (ちくま文庫)

吉田秀和と言えば、音楽に詳しくない人でも1983年に来日したホロヴィッツ(当時摂取していた薬のせいでコンディション最悪)に対して「ひびの入った骨董品」と評したことを覚えていらっしゃると思います。吉之助は吉田氏の文章を長く読んでいますから彼の言いたいことはもちろんよく分かってはいるのです。本阿弥光悦の焼き物にはひびの入っていないものはひとつも遺されておらず、光悦は焼きあがってひびがない作品を全部廃棄したのではないかという説もあるほどです。たとえコンディション最悪であったとしても・音楽が分かる人間には、心に響くものは響きますし、ひびさえも愛おしいということがあるものです。その時のホロヴィッツの演奏は吉之助も生(なま)で聴きましたが、ミスタッチなんぞは完全に記憶から飛んでます。しかし、心ない 音楽無知のマスコミに吉田氏の発言は面白おかしく取り上げられました。これは吉田氏にとって本意でなかったと思いますが、このことでホロヴィッツ・ファンは静かに・しかし深く吉田氏を恨んだということは確かなのです。86年のホロヴィッツ再来日の演奏会会場で吉田氏を見かけた時に 「よくここに来れましたねえ」と言ってやりたくなったのを思い出します。もちろん何も言いませんでしたけどね。しかし、この件に関しては持って回った吉田氏独特のレトリック(修辞法)に問題があったと今でも思います。他人の目にさらされる文章というものは怖いものです よ。

「吉田秀和は本当に偉いのか?」というのは別にそれはどうでも良いことなのですが、「あの人が言う(書く)ならば、どんなことでも一応言うことは聞いておこう」と一目置くところがあるということかと思います。これがどういうところから来るかは難しいところですが、それはある種の教養主義に根差したところから来る吉之助からの敬意ということですかね。教養の裏打ちというか・対象に対する時の批評家の姿勢、それは結局人間性ということになるのかも知れませんが、そういうものでしょうかねえ。同じようなことが小林秀雄にも言える気がします。このごろはそのような敬意が感じられる批評家が少なくなりました ね。

「レコード芸術」誌・7月号でのインタビューで、吉田氏は「私の批評は私の文章を読むのが好きな人が読めば良い。いろいろな声があるんだ。いろいろな声があれば、自分の声がすべてを代表するなんて考える必要はない。それから「おれは一部の声でしかない」と考えることもない」(注:多少字句整えました)と語っておられます。そのような肩肘張らない・突っ張ったところのないのが、吉田氏の文章の魅力であるかなと思います。

(H23・7・10)

追記:別稿「絶対的なるもの〜吉田秀和・最後の言葉」もご参照ください。


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