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女敵討ちを考える

〜吉之助流「仇討ち論」・その4

*別稿:吉之助流「仇討ち論」・その3吉之助流「仇討ち論」・その3:「今日の檻縷は明日の錦」の続きです。


1)女敵討を考える

仇討ちのジャンルのひとつに女敵討(めがたきうち)というのがあります。自分の妻を奪った者が女敵で、これを討ちに出かける旅が女敵討ちです。近親者が殺されたからその仇を討つという仇討ちは心情的に理解できないことはありませんが、女敵討ちというのは不思議な仇討ちです。敵討ちと女敵討ちはちょっと違うと思うかも知れませんが、これはじつはほとんど同じ心情から発するものなのです。これはおそらく名誉の問題に深く係わっているのでしょう。

姦通の現場を見つけたら、夫はこれを成敗しても罪に問われることはありませんでした。重ねておいて四つにしてもよく、逃げたら追っかけて討ち果たしても良い。女敵討ちが法的に認められていたのです。だからと言うわけでもないでしょうが、女敵討ちというのは大いに流行しました。武士の世界はもちろんですが、町人の世界にも流行しました。

だいたい妻が夫を捨てて他の男と出来てしまったようなことは夫にとっては不名誉なことです。女敵討ちなどと言ってこれを天下に示すのも恥かしいことのように も思われます。女敵討ちというのが馬鹿らしい行為であるというのは、当時でも気が付いていた人は多かったと思います。町人の世界では次第にこういう時は女敵討ちをするのではなくて・金で済ませる風潮になってきて、最後には上方では5両・ 江戸では7両2分という相場まであったそうです。当時の川柳に、「生けておく奴ではないと五両取り」、「もはやのがれぬ尋常に五両出せ」というのがあるそうです。

しかし、武士の場合は簡単にはいきませんでした。意地でも女敵を討たねば武士の一分(いちぶん)がたたなかったのです。しかし小説のなかの話ですが、ある立派な侍が自分の妻が密通した時に、その相手を斬って成敗しそのあとに狐の死骸を置いて、通っていると言われた男は実は狐であったとして片付けてしまったという話もあります。立派な武家は女敵討ちなどしないものなのです。

女敵討ちなんてやめた方がいい・もっと別の解決方法があると思った人もいたと思います。しかし、こういう時にはその場でバッサリやってしまわないと夫の顔が立たないと考える人もいたわけです。そうすれば天晴れじゃといって賞賛されたのです。これは名誉の問題であるわけですが、女敵討ちをしないと世の中の夫婦道徳はむちゃくちゃになると考える人が多いのならば、それは道徳問題ということになります。近松門左衛門の「鑓の権三重帷子」などを読みますと、この時代にはそう考えていた人が多かったのだろうと思います。


2)「鑓の権三重帷子」のかぶき的心情

「鑓の権三重帷子(やりのごんざかさねかたびら)」(享保2年)は女敵討ち物としてはちょっと特異な作品です。というのは、この作品に登場する権三と人妻おさいは現実には姦通を犯していないからです。姦通を犯してもいないふたりが、なぜ不義者として逃げ・どうして夫・市之進の刃にかかって従容として死んでいくのでしょうか。ふたりが不義者の汚名を進んで着て死んでいく心理が十分に描かれていないとして、本作を説得力がない・愚作であると断じる評論家もおります。しかし、本当にそうなのでしょうか。

本稿は仇討ちについての論考が本旨なので・人妻おさいの心理の仔細な分析は別の機会にしたいと思いますが、その「不義」の発端については考えて見なくてはなりません。権三はおさいの娘菊の婿になってくれと懇願されてこれを承諾します。殿中饗応の真の台子(だいす・茶の湯の棚物のひとつ)伝授のために・その夜権三は数奇屋のおさうと訪ねますが、そこで権三は別の女性・お雪との関係をおさいに責められます。おさいは権三がお雪からもらったという帯を解いて庭に放りだし、さらに自分の帯を解いて権三に渡しますが・これを権三が庭に放りだします。これを不義の証拠として伴之丞に奪われてしまうのです。このあたりの段取りが作為的に見えるという意見もあるかも知れません。

ここでの人妻おさいは娘婿という以上に権三に好意を寄せています。だから権三が娘お菊ではないお雪との関係を知った時に、まるで我が事のように狂乱するわけです。自分の帯を解いて男に渡すというのは尋常ではありませんが、たしかにこの時にはおさいは自分を失っているのであって、武士の妻・お菊の母という立場(制度的な建前とも言える)を忘れて、はっきりひとりの女として権三に対しているのです。

ところが伴之丞に帯を奪われ・不義者呼ばわりをされて事態が急展開をします。「ふたりが帯を証拠に取られ、寝乱れ髪のこのざま。誰になんと言い訳せん。もう侍が廃(すた)った、こなたも人畜の身となった」と権三に言われて、おさいは夢から覚めたように我に返ります。「さてはお前も私も人間はずれの畜生になったか」 。ここで一転しておさいが「不義者になって夫・市之進に討たれてくれ」と権三に頼む心理が、「どうもよく分からん」と言われる箇所です。

これはこう考えれば良いと思います。心のなかでは、おさいは確かに不義をしたのです。しかも伴之丞には言い訳ができぬ証拠を奪われてもいます。そのことを我に返ったおさいは自覚しているのです。我に返ればおさいは市之進の妻なのですから・その立場になれば、おさいが権三よりも市之進の名誉を守ると断言するのは至極当然のことです。

ここで大事なことは、狂乱状態から醒めて・我に返ったおさいは武士の妻としての制度の道徳の枠のなかに戻ってしまっているのです。だから、夫に討たれることを決意したおさいは・あとは夫に見事に女敵討ちをさせることしか考えていません。このことはかぶき的心情において考えれば納得がいきます。夫・市之進が妻・おさいを討てば、夫の一分・意地が立つということなのです。これは奇妙なようですが、討たれるおさいの一分・意地も立つのです。そう考えますと、おさいが不義の汚名を自ら着る心情は彼女のかぶき的心情であると理解できます。

一方の権三のことを考えて見ましょう。権三という男は「器量はお国一番武芸ようて茶の道も。そして気立てというものが万人にも憎まれぬ。いとしらしい形(かた)気。男の生粋」(おさいの台詞)というほどのいい男であります。しかし、浅香家訪問の際に権三は「天下泰平長久の御代。かようのことを勤めねば武士の奉公秀(ひい)で難し」と漏らしています。つまり、戦のない世の中が続くので・本来ならば戦をすることが仕事であるはずの武士が戦をする機会がない・こんな茶の湯のことでもしなければ武士が勤まらないと言って権三は嘆いているのです。

権三は美男で女性にもてて・茶の湯の道にも秀でる男ですが、何よりも「鑓の権三」と呼ばれるほどの武人であるのです。権三は決して軟弱な男ではないのです。権三は武人として腕を振るえる場所がない時代に生き、武士が武士であることの意味を如何にして見出すかに苦しんでいるのです。そして、権三は仕方ないので茶の湯に精を出すのです。権三は現実の社会に 失望していて、投げやりに生きているわけです。

不義の言い訳ができない状況だと知ると権三は瞬間的に腹を切って死のうとします。しかし、おさいに止められてしまいます。そして、女敵になってくれと頼まれるのです。本当は権三はひとりで死にたいわけですが、自分の武運が尽きた以上は不義という艶やかな汚名を 着ようと決意するわけです。これはおさいの立場に同情して女敵をつきあったということではありません。権三の失望はもっと深いものです。それは「器量はお国一番、気立てというものが万人にも憎まれぬ、いとしらしい形(かた)気、男の生粋」と謡われた軟弱な自分への復讐でもあるのです。

それでもなお武人としての名誉を守る道が権三に残されているのならば、それは立派に討たれて死ぬということしかありません。近松は権三の最後をこう描いています。「斬られて仰向(のっけ)に返せども、武士の死骸も見事さや、逃疵(にげきず)更になかりけり」つまり、権三は立派に武人として死んだことになります。 これは討たれる者への最大の賛辞です。これもまた、かぶき的心情から理解ができます。このどうしようもなく忌々しい・情けない状況においても権三は必死に「武士の一分(いちぶん)」・「武士の意地」を立てようとしたのです。


3)その心情の強さ

以上のように「鑓の権三重帷子」を見ますと、ふたつのことに気が付きます。ひとつは女敵討ちというものに対する世間の道徳的・倫理的な重い意味付けです。人々は道徳に縛られて生きていて、また、それを犯せば罰せられねばならないことを知っているのです。だからおさいは夫婦の道徳を犯した以上は自分は尋常に罰せられなければならないと考えているのです。

もうひとつは、道徳とかぶき的心情との密接な関連です。道徳とは「人の道」でありますから、人の道を立てることが意地を貫くことにもなるのです。女敵を討つことが人の道ならば、女敵として立派に討たれることもまた人の道ということになるのです。

この辺は分かりにくいかも知れませんが、かぶき的心情において意識されている個人の心情・社会との関係がそのまま道徳の観念に強く結びついているのです。だから道徳に反した行為に対して、人は理性ではなくて・心情において反応するのです。罪を憎んで人を憎まずということにはならないで、その敵の存在自体を抹殺してしまわないと済まないということになってしまいます。当然ながら、討たれる方もそのことを意識しています。そこにドラマがあるわけです。

さらに女敵討ちの「逃亡」のことを考えてみる必要があります。 折口信夫は「仇討ちのふおくろあ」(昭和26年12月)において、不義をした男女が逃亡して・他の土地で生活するのは放逐あるいは追放された形を自分でしているのである、そして、逃げた男女を追いかけて殺すのは追放と追い討ちを兼ねているのであると書いています。追放というのは、村の共同体の生活を乱したとか・不徳の行為があった場合に人々が交際をしない・あるいは追放されるという罰を受けることを言います。だから、女仇討ちはまず追放という形で社会から成敗を受け、さらに夫に討たれて個人の成敗を受けるのだと言うのです。

「鑓の権三重帷子」の場合は、ふたり揃って夫に討たれてやらないと夫の顔が立たないから、夫にめぐり合うまでふたりは連れ立って逃げるということになります。「逃げる」ということが、夫婦の道徳を犯した自らへの罰として意識されているわけです。こういう形をとることで、ふたりは女敵討ちという社会道徳の正当性を逆な方向から証明しようとしていることになります。

このように義理と心情とを強く結びつけた近松の作劇の論理は現代人には少々無理があるように見えるかも知れません。「心中天網島・時雨の炬燵」で自分を捨てて小春を救おうとする冶兵衛女房・おさんの心理などもそうかも知れません。何だか強引に人物の心理を 義理の論理にこじつけているように見えるかも知れません。しかし、「鑓の権三」を愚作だなどと決め付ける前に、近松ほどのリアリストがそのような愚を犯すはずがないということをまず謙虚に考えるべきではないでしょうか。

義理の論理を演劇の必然にするためには、その底に心情の強さがなければなりません。かぶき的心情の強さこそが近松のドラマの根源なのです。「鑓の権三重帷子」のような作品を女敵討ちという制度の非人間性・さらには武家制度の悲劇を描いていると見ることは簡単なことです。しかし、こういう道徳のある世界・こういう義理の世界に必死に生きた人々が 昔はいたのかも知れないと考えてみることは必要なことだと思います。

(H16・2・1)

新編日本古典文学全集 (75) 近松門左衛門集 (2)・・「槍権三重帷子」を収録

*続編:吉之助流「仇討ち論」:その5:近世的な・あまりに近世的なもお読みください。



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