歌舞伎「寺子屋」から生まれたオペラふたつ
フェリックス・ワインガルトナー:歌劇「山の学校」
カール・オルフ:歌劇「犠牲」
1)歌舞伎「寺子屋」から生まれたオペラふたつ
吉之助もクラシック音楽を聞いて随分長くなりますが、近頃は音楽雑誌もあまり読まないので情報に疎くなってきたようです。先日ネットでパラパラと検索してたら、オペラ「寺子屋」という文字が偶然目に入りました。あれ日本の作曲家の新作オペラかな?と思ってよく見たら、これがワインガルトナーの作曲だというので吉之助は一瞬目を疑いました。指揮者のフェリックス・ワインガルトナー(1863-1942)は戦前はベートーヴェン演奏の大家ということでよく知られた方で、もちろん吉之助も録音は聞いて知ってます(ウィーン・フィルとの交響曲第8番のSP録音は名演です)が、作曲もものしたそうで、彼が1920年に書いたオペラが「寺子屋」だそうです。(正しい題名は「森の学校Die Dorfschule」と言います。)歌舞伎の「寺子屋」をドイツ語のオペラにしたもので、役名もそのまま松王や源蔵が出て来ます。下記のリンクで音声がちょっと聞けますので、興味のある方はどうぞ。ただし音楽は日本風というわけではありません。このオペラは結構評判が良くて、戦前のドイツではよく上演されたそうです。
ワインガルトナー:歌劇「寺子屋」(ナクソスのCD)
さらに調べると、カール・オルフ(1895-1982)にも歌舞伎の「寺子屋」をドイツ語のオペラにしたものがありました。題名は「犠牲Gisei - Das Opfer」と言います。オルフは「カルミラ・ブラーナ」が人気曲として知られた作曲家で、オペラでは「月」や「賢い女」・「アンティゴネ」が有名。本作はオルフが無名時代の1913年(17歳の時)に作曲したもので、その後作曲者自身がお蔵入り させたためにその存在が知られず、2010年2月にドイツのダルムシュタット歌劇場で世界初演がされて話題となったそうです。吉之助はこの情報をキャッチし損なって、今頃知ったというわけ。左の写真はこの世界初演時の上演を録画したDVDのジャケット写真ですが、これは小太郎の遺骸を抱いた戸浪のようですね。舞台演出も歌舞伎にとても忠実なオペラ化のようです。(残念ながら吉之助は現在DVD取り寄せ中ですが、在庫がないようで、まだ見ていません。)これも下記のリンクで音声がちょっと聞けますので、興味のある方はどうぞ。 音楽は確かにオルフらしいですねえ。
オルフ:歌劇「犠牲」(ナクソスのCD)
吉之助が興味が湧くのは、その音楽もさることながら、1910年頃のドイツにおいて歌舞伎「寺子屋」がどういう経緯でオルフやワインガルトナーの目に留まりオペラとなるに至ったのかということです。これについては国立国会図書館の主任司書大塚奈奈絵氏が詳細な調査をされており、国立国会図書館・月報2011年7・8号でその論考を読むことが出来ます。以下その引用になりますが・ふたつのオペラの成立過程を紹介し、これに吉之助の考察を加えてみたいと思います。(この稿つづく)
(H28・8・16)
2)「寺子屋」からオペラが生まれた経緯
1910年頃のドイツで、オルフやワインガルトナーが一体どのような経緯で歌舞伎「寺子屋」という題材を知ったのでしょうか。吉之助が最初に想像したのは、もしかしたらその頃に日本のどこかの劇団が歌舞伎の演目を持ってヨーロッパを巡演したようなことがあって、オルフらはそれを見たのかなということでした。しかし、調べてみると事実はそうでなくて、とても興味深い経緯をたどっています。以下大塚奈奈絵氏の調査報告を基にオペラ版「寺子屋」が生まれた経緯を記します。
明治に長谷川武次郎という人物が出版業を営んでいました。長谷川は明治18年(1885)から「日本昔噺シリーズ」という「ちりめん本」を作って好評を得ていたそうです。ちりめん本というのは、和紙に木版多色摺で挿絵を入れて横文字を印刷し、これを圧縮してちりめん状に仕立てた 和綴じの本のことです。風合いが絹織物の縮緬に似ていることからちりめん本と呼ばれ、外国人に喜ばれたそうです。ちりめん本は英語・ドイツ語など数か国版が作られました。このちりめん本で儲けた長谷川が、明治33年(1900)にパリで開催された万国博覧会に大型ちりめん本を2冊出品し、そのうちの1冊が帝大教授カール・フローレンツがフランス語に翻訳した「Terakoya寺子屋」でありました。これがとても好評で、続いて 安価なドイツ語版が出版されました。この本には「寺子屋」の他に「生写朝顔話」の「宿屋」の段が収録されています。
吉之助は内容を確認してるわけでないですが、フローレンツ訳は丸本より歌舞伎台本の方を参考にしているようです。寺入りで千代が扇子を忘れる場面があるそうです。 これは歌舞伎でよくやる入れ事です。有名な「せまじき者は宮仕え」の文句がないそうです。この文句は明治期の歌舞伎上演では省かれることが多かったのです。竹本の部分は原文から離れて自由に訳したようで、いろは送りがないようです。確かにここは外国語でそのまま訳したら面白味が分かりませんね。そのような異同はありますが、全体としては原作(歌舞伎)の筋を概ね忠実に追ったものであると思われます。
このフローレンツ訳のドイツ語版ちりめん本「Terakoya」が基になって、ヴォルフガング・フォン・ゲルスドルフのドイツ語劇「Terakoya:Die Dorfschule(森の学校)」が作られたようです。(出版された脚本に、フローレンツへの謝辞が記されている。)つまりこれは日本人による上演ではなく、ドイツ人によるドイツ語による「寺子屋」上演だったということです。森の学校という題名は、舞台が京都郊外芹生の里の寺子屋ということから来たわけですね。役名・大筋は歌舞伎とほぼ近いものであったようです。初演は1907年2月22日ケルン市立劇場でした。この上演 が好評で、その後各地で上演がされたようです。1908年10月ベルリン・ドイツ劇場での上演では、当時当地に滞在していた劇作家中村吉蔵が、劇場支配人から大使館経由で「なるべく日本の風俗、人情にそむかない上演にしたい」と頼まれて、アドバイスを行なったそうです。当時の新聞評では、「寺子屋」での子の犠牲を、アブラハムが神のために息子のヤコブを捧げ、アガメムノンが自分の娘を犠牲に捧げたことと比較し、「寺子屋」では両親の煩悶苦悩が観客に良く伝わって来て、真に悲劇的である」と評されました。恐らくオルフやワインガルトナーは、 どこかで「Die Dorfschule」の舞台を見て感動し、そのオペラ化を思い立ったに違いありません。
なおオペラとは全然別の流れになりますが、1910年に英国で発表されたM.C.マーカスによる脚本「The Pine-tree」は、フローレンツ訳ドイツ語版「Terakoya」からの重訳であったようで、これが基になって1916年11月ワシントン・スクエア・プレーヤーズにより英語劇「Bushido」 というタイトルで上演されて、好評を博したそうです。こちらは1900年に米国で出版されて大きな話題になった新渡戸稲造の「武士道」の影響を受けており、家の名誉がより強調されたものになっているそうです。「Bushido」演出を担当した伊藤道郎(舞踊家)は、「「忠臣蔵」を見て「何て馬鹿なことをするんだろう 」と言ったアメリカ人が「寺子屋」では泣いた、キャッキャと騒いでいたアメリカ人観客が涙を流してシーンとしてしまった」と当時の光景を回想しているそうです。「Bushido」はその後も米国各地で上演されたようです。
以上のことは、大塚奈奈絵氏の論考「テラコヤ(寺子屋)、「日本」を発信した長谷川武次郎の出版」(国立国会図書館・月報2011年7・8号)及び同じく大塚奈奈絵氏の論考「20世紀初頭のアメリカにおける歌舞伎「寺子屋」の受容」(日本大学大学院総合社会情報研究科紀要・No.14 (2013), No.15(2014))において詳しく紹介されています。(この稿つづく)
(H28・8・20)
3)西洋人は「寺子屋」をどう理解したか
吉之助は現時点でその舞台を見たわけではないので断言はしかねますが、ふたりの作曲家の「寺子屋」のオペラ化した経緯を知れば知るほど、国境や時代背景を越えて、西欧で「寺子屋」のドラマの本質が驚くほど正しく理解されていることに、或る種の感動さえ覚えますねえ。例えば1908年のベルリンでの「森の学校」での新聞評では、松王が息子小太郎を身替りにしたことを、アブラハムが神のために息子のヤコブを捧げ、アガメムノンが自分の娘を犠牲に捧げたことと比較されています。まったく初めての事象に出会った時に、人は自らの知識経験を取っ掛かりにしてこれを理解しようとするしかないのは当然です。ここでは、西欧の故事来歴のなかから、まことに適格な事例が選択されています。
ちなみに吉之助は「武士道における「義」を考える」(これは2004年、もう12年ほど前の論考になります)のなかで、「熊谷陣屋」のドラマを西洋人に理解してもらうためには、アブラハムが神のためにこ息子のヤコブを捧げる(ただしその直前に神により制止される)旧約聖書の逸話を引いて説明することが最も良いと書きましたが、まさにその通りでしたね。現代日本での歌舞伎批評を見ると、「寺子屋」(あるいは「熊谷陣屋」)は主人のために家来が我が子を身替りに差し出すことことへの、親の苦悩・悲嘆を描いた悲劇、つまりこれは封建制度への批判・忠義への批判だという論調が多いと思います。もちろんこれは的を射てないわけではないです。それで一応説明は付きます。ただし、これは現代が民主主義の時代ですから、「主人だろうが家来だろうが同じ人間だ・人の命に重いも軽いもあるものか」という考え方から来るものだとも言えます。ある劇評家などは、管秀才が「われに代はると知るならばこの悲しみはさすまいに、可愛の者や」と言うことについて、「お前のために周囲の者が苦労してるのに、気楽なこと言いやがってと頭に来る」と書いていました。吉之助はこれを読んでのけぞりましたよ。こういう方は、昔の日本にかつてこんなことを考えて行動した人が居り、そんなドラマを見て感動して涙した民衆がかつて居たことが、愚かで恥ずかしいことだとしか感じないのでしょう。それで忠義批判という、民主主義の時代に相応しい・新しい「寺子屋」の読み方を見付けたということですかね。まあ解釈は如何ようにしても個人の勝手ですが、吉之助に言わせれば、封建主義だとか主従関係とか忠義とか名誉とか恥だとか、「寺子屋」の表層的なプロットだけ見てそれでドラマを判断するからこういうことになるのです。もっとドラマの本質的なところを見なければなりません。
それでは「寺子屋」のドラマの本質的なものとは何でしょうか。それは「私には守らなければならないものがある」という強い心情です。ただし、これだけではドラマになりません。ドラマにするには行為がなくてはなりません。そして気持ちの揺れがなければなりません。歌舞伎というのは近世(プレ近代)のドラマなのですから、大事なことは「守るべきものを守るために私は一番大事なものを犠牲にしようとしていますが、教えてください、私がしようとしている行為は正しいでしょうか、それとも間違っているでしょうか」という気持ちの揺れです。 それに加えて、謙虚さということを挙げておきたいと思います。念のために申し上げますが、これはすわわち「懐疑」ということですが、犠牲の不当を訴えているのではありません。忠義を否定しようとしているのではない。自分の行為が正しいことの確証を求めているのです。懐疑というのは、自分が信じて行なう行為の意味をなんども問い直すという行為です。だから、それは信仰の行為と言って良いものです。
ちなみに日本ではニーチェの「神は死んだ」と云う言葉を西欧における神の存在否定だと思っている方が少なくないようですが、それは違うのではないでしょうか。これは懐疑です。神が否定されているのではない。信仰という行為の意味が何度も問い直されているのです。懐疑ということがまことに近代西欧的な感覚だということが分からなければ、19世紀西欧芸術は理解できません。だから「寺子屋」に懐疑があるということが、歌舞伎が近世(プレ近代)のドラマであることの証になるということです。1908年ベルリンでの「森の学校」の舞台を見たドイツの批評家は、このことを実に正確に読み取っていますね。(この稿つづく)
(H28・8・28)
4)歌舞伎は内容にもっと自信を持つべき
吉之助は外国からのお客様に「俊寛」を見せたことがありますが、とても喜んでいただけました。「俊寛」が喜ばれるのは何となく分かりますが、予備知識なしで外国人に「寺子屋」を見せるとなると、吉之助もちょっと不安を感じてしまいます。 身替りのドラマを分かってくれるか。「主人のために自分の子供を犠牲にするとは何て理不尽な芝居だ」と言われないか。しかし、どうやらそれは杞憂であるようです。「森の学校」ベルリン上演の新聞批評を見ると、封建主義だとか主従関係とか忠義とか名誉とか恥だとか「寺子屋」の表層的なプロットを飛び越えて、ドイツ人 がドラマの本質を しっかり掴みとっていることに驚いてしまいます。アブラハムやアガメムノンの犠牲を引き合いに出すのにびっくりするかも知れませんが、これは「寺子屋」を強引に自分の方に引き寄せて・我流な受け取りをしているということでは 決してありません。彼らはピュアな感覚で「信仰」の意味を自らに重ね合わせて、素直に涙しています。もちろん ドイツ人は天神信仰なんて知りません。それでも松王夫婦の犠牲は何か貴い行為であることを、彼らは確かに感じ取ったのです。
伊藤道郎の「「忠臣蔵」を見て「何て馬鹿なことをするんだろう 」と言ったアメリカ人が「寺子屋」では泣いた」という証言も興味深いですねえ。多分筋立てのせいだと思いますが、「忠臣蔵」の場合には仇討ちする登場人物の追い込まれたドラマ設定が外国人の方に身に詰まされる状況として直截的に伝わって来ないのでしょう。観念的な要素が理解を阻害するのです。しかし、「寺子屋」の場合は、松王夫婦の悲嘆の涙によって、彼らの置かれた状況が視覚で観客に直截的に伝わります。このことは「熊谷陣屋」にも言えます。ですから 筋立ての具合でドラマの主題が外国の方に伝わりやすいものと、そうでないものがあるのだろうと思います。親子の愁嘆、あるいは心中物の男女の愛の死の方が、主題がストレートに伝わって、余計な説明を必要としないのでしょう。このことは、今後海外で歌舞伎公演でどんな演目を選ぶ為の、良いヒントを与えてくれます 。
最近の海外での歌舞伎公演演目を見ると、「まあどうせ外国人には細かい筋なんか分かりっこないし、隈取と派手な色彩で理屈に抜きに見た目で楽しませてやれば、それで十分 さ」という感じに見えますねえ。いや別に「獅子王」(先日の染五郎のラスベガス公演)のことを言っているわけじゃないです。そういうのも結構ですけど、芝居の内容で勝負を掛けてやろうという気概をもっと強く持って欲しいと思うわけです。 歌舞伎は、内容にもっと自信を持って良いと思いますがねえ。
(H28・9・3)