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現世の芸能〜歌舞伎の表現を考えるヒント

能・文楽・歌舞伎の共演“隅田川”」
五代目尾上菊之助(狂女)

(NHKスタジオ収録、平成26年9月26日放送)


1)能・文楽・歌舞伎の共演による「隅田川」

本稿は別稿「芝居と踊りと」の関連記事です。先日のEテレ「にっぽんの芸能」 (9月26日放送)で「能・文楽・歌舞伎の共演“隅田川”」という番組を放送したので、これを観ました。謡曲「隅田川」を、ユネスコの無形文化遺産である能・文楽・歌舞伎を横断する新作として、スタジオで新たに収録。「3つの芸能、それぞれの魅力を発揮した必見の意欲作!」ということだそうです。出演は能の大倉源次郎、文楽の豊竹咲大夫、歌舞伎の尾上菊之助、振付は藤間勘十郎。番組を見ると、能の存在感はちょっと薄くて、文楽と歌舞伎の共演という印象がありますが、なかなか分かりやすく出来ていて、子供を失った母親の哀しみがよく理解出来たと思います。スタジオ録画で台詞が字幕で出るということもあります(これは結構影響がある)けれど、文楽(義太夫節)が持つ論理性(語りの要素)が、作品の分かりやすさに大きく貢献しています。

それにしても、この作品は芝居なのか、それとも踊りなのでありましょうかね。ああ舞踊劇?これはまたおあつらえ向きの用語があったものですね。歌舞伎では「勧進帳」や「関の扉」も舞踊の範疇に入れますから、これも同様に踊りということです。要するに芝居がかり、作品の骨格に何かの形でドラマが入っていて、踊りの意味と密接に絡まっているのです。

ところで今回の「能・文楽・歌舞伎共演の隅田川」は平成17年に野村四郎(能)・豊竹咲大夫(文楽)・村尚也(演出)が参画する謡かたり三人の会によって初演した「謡かたり・隅田川」をベースにしたものであるそうです。これは能の地謡いを義太夫語りに置き換えるという単純なものではなくて、作品を再構成して義太夫語りの要素を増やし、能シテが義太夫とどう対峙するかという、なかなか興味深い実験をしたものです。吉之助は残念ながらその舞台を見てないのですが、番組で紹介された、初演の時の映像断片で、隅田川の畔での能シテと義太夫語りの対話の場面を見ました。

能シテ     さてその稚児の年は
義太夫語り  十二歳
能シテ     主の名は
義太夫語り  梅若丸

能の台詞と義太夫という意志津の芸能が交錯する対話は、吉之助には地底から蘇った狂女(シテ・梅若丸の母)の霊と現世の人間との対話のように思われました。そこに次元のギャップが感じられました。これは能の側から見れば、文楽というのは未来の芸能であり、より具象的な芸能ですから当然のことかと思いますが、義太夫語りが情景を語っても、隅田川の渡し守(能ではワキに当たる)の台詞を語っても、それは現世の人間の視点に立っているのです。義太夫語りは観客と同じ次元にあります。狂女だけが遠い過去・別の次元から来たように感じられます。この感触は義太夫節の論理性から来るものです。

一方、菊之助が参加した「能・文楽・歌舞伎共演の隅田川」の方は、舞踊の方に傾斜しています。歌舞伎も能から見れば未来の芸能ですから、能よりは写実な芸能であるわけです。視覚的な面からみると能の狂女は面をつけて様式に寄っていますが、歌舞伎の狂女は女性に近い感覚があり、特に菊之助のような美しい若女形が演じるならば、女形と言っても生身の女性との感触の齟齬は比較的少ないはずです。そうすると「能・文楽・歌舞伎共演の隅田川」の方は、原作の能・文楽の共演「隅田川」よりも、もっとずっと写実の方に寄っても良いはずです。つまり地狂言(芝居)の方にもっと寄っても良いはずなのですが、結局、そうならないのです。感触が舞踊の方に傾斜して行きます。芝居とも舞踊とも付かないが、どちらかと云えば舞踊の方に寄ったところの舞踊劇という形態に落ち着きます。能とはまたちょっと違う方向の・様式の方へ逃げて行くのです。これは興味深いことだなあと思いますねえ。多分これも義太夫節の論理性から来るものだろうと思われます。(この稿つづく)

(H26・10・13)


2)夢幻能と現在能

霊的な存在が主役となる夢幻能は、特に能において特徴的なものとされます。夢幻能の典型的な構成は、例えば旅の僧(ワキ)が名所旧跡を訪れると、不思議な人物(前シテ)が現れて、その地にまつわる物語を語ります。やがてその人物はどこやらに去ってしまいますが、やがてその本来の霊的な姿(後シテ・過去の武将の亡霊など)を現して、昔の思い出を語って舞を舞うというものです。つまり夢幻能とは、ワキが見た幻のようなものです。ワキの立つ次元はこれははっきり明示されませんが、明らかに現在です。ですから観客はワキと同じ視座で、幻のなかで亡霊が語る物語を体験するのです。シテは過去から来るものです。前項において新作「謡かたり・隅田川」(平成17年初演)での映像断片を見た感想について、シテ(野村四郎)と義太夫語り(豊竹咲大夫)との対話は、底から蘇った狂女(梅若丸の母)の霊と現世の人間(渡し守)との対話のように思われたと書きました。吉之助は、これは夢幻能の感覚に近いと感じました。

ところが、原作の能・「隅田川」というのは、実は現在能なのですね。現在能とは夢幻能と対立する概念で、主人公(シテ)が現実世界の人物で、物語が時間の経過にしたがって進行するものを言います。能の「隅田川」での狂女との隅田川の渡し守の対話とは、現実世界の出来事です。明らかに時代は平安の頃という設定であり、京都北白川の吉田家の奥方が別れた息子を探して彷徨う姿を、観客は現実に起こった出来事として眼前に目撃することになります。つまり、次元としてシテと観客の視座が一致しています。

ですから吉之助が新作「謡かたり・隅田川」を夢幻能の感覚で受け取ったというのは、原作の能・「隅田川」の現在能とは、ドラマ感覚が異なるということです。この感覚の違いがどこから来るかと言うと、恐らく能よりも文楽というものが、未来の芸能 ・ずっと具象的であり現実感覚に立つ芸能であるからです。これが能と文楽が共演したことによって生まれた効果です。能が過去の芸能であるから悪いと言っているのではないので、誤解のないように。観客が 義太夫語りの視座に立つことによって、能が過去から語り掛けて来るように見えるのです。謡かたり三人の会の面々がこの効果を意図して創出したのならば、「なかなかのものですなあ」などと感心しながら、吉之助はその映像断片を見ました。

一方、菊之助が加わった平成24年・テレビ収録の能・文楽・歌舞伎の共演“隅田川”」の方に話を移しますが、映像を見るに、どうやら「謡かたり・隅田川」での義太夫語りの部分はほとんどそのままで、全然変えていないようでした。能シテの部分を歌舞伎の立方に置き換えて振りを付けたくらいで、目立った演出方針の変更はないようでした。吉之助には、これはちょっと工夫が足りないように思うのですね。前項に書いた通り、分かりやすく出来てはいるのです。しかし、分かりやすいことは良い点なのだけれども・まさにそこに裏腹な面があって、子供を失った母親の哀しみが論理的に説明されて頭で理解されるだけで、つまり母親が子供を失えばそりゃあ悲しいに決まってるということで理解されるということであって、子供を失った母親の哀しみが感覚的に胸にツーンと来る感じで伝わってくるということではなかったのです。そこに吉之助は物足りなさを覚えます。能シテを歌舞伎の立方に置き換えるならば、それに応じて演出・義太夫語りの方も適宜変えねばならないのではないかと、吉之助は思うわけです。(この稿つづく)

(H26・10・17)


3)現世の芸能

テレビ収録の能・文楽・歌舞伎の共演“隅田川”」では、狂女(シテ・菊之助)と義太夫語り(咲大夫)が対話します。菊之助の狂女には現実に女性に近い感覚があり、したがって観客の視座はシテに重なって行きます。視点が現在にあり、観客は眼前に狂女の嘆きを目撃することになります。歌舞伎と文楽は同時代の芸能ですが、文楽の方が歌舞伎よりも古典的な佇まいを持ち、いくらか過去に向いています。これは過去に起こった出来事を語り手が語り継ぐという語り物の系譜にある義太夫の性格から来ます。また演劇として見た場合、人形より生身の人間が演じた方が、視覚的にも現実に近いものになります。これは歌舞伎が文楽より絶対的に有利な点です。だから歌舞伎は現世の芸能なのです。

そうしますとまず「能・文楽・歌舞伎共演の隅田川」の方は、もっと写実の方に寄った形となっても良いはずです。つまり地狂言(芝居)の方にもっと寄っても良いのです。実は吉之助は、この映像を見ていると、義太夫語り(咲大夫)が作品のなかでどういう役割を持たされているのかが、どうもよく分かりませんでした。純粋な語り部であるのか、義太夫狂言で云えば台詞を抜いたト書きの語りに徹するかと云うとそういうわけでもなく、時に渡し守の台詞を取 ったりします。これでは芝居として落ち着かない気がします。芝居にするつもりならば、登場人物として渡し守の役を出して、台詞を渡した方が良いと思うのです。その方がドラマに厚みが出るに違いありません。しかし、「能・文楽・歌舞伎共演の隅田川」では、 結局、そういうことはしません。

それではこれは舞踊なのかと云うと、そうとも言い切れない。語り物としての義太夫の特性を生かすならば舞踊にする方がしっくり行きそうに思いますが、吉之助が思うのは、いまひとつ義太夫が母親の哀しみに浸らせてくれない 不満を感じます。これは義太夫の持つ論理性が邪魔をしています。(もうひとつ、画面に字幕が出るせいも大きい。)吉之助は、もっと節付けに色の要素(謡う要素)を強くして、義太夫を情緒の方に傾ける工夫をして欲しい気がしてなりません。あるいは掛け合いにして派手さを補った方が良いかも知れません。結局、「能・文楽・歌舞伎共演の隅田川」を見た吉之助の印象としては、地狂言としても舞踊としても どっちつかずで、中途半端に思えるのです。こう考えてみると、歌舞伎の舞踊「隅田川」が情緒に重きを置いた浄瑠璃である清元を使うことは、やはり道理であったのだなあと思います。

もちろん謡かたり三人の会のここでの目論見は新作の義太夫狂言「隅田川」を作ることでも・舞踊「隅田川」を作ることでもないと思いますけれど、歌舞伎立方を起用してしまうと、「謡かたり」そのものの構造が崩れる気がします。それは歌舞伎があまりに現世の芸能に根差した芸能であるからです。一方の「謡かたり」・語り物は、過去に根ざしています。語り物というのは、語り手が過去にあった出来事を自分が見て来たかの如く真実めかして語ることにその本義がありますので、歌舞伎のような現世の芸能とは、表現ベクトルが真っ向対立するものだと思います。ということは、「謡かたり」に歌舞伎役者を招いた企画自体にそもそも問題があったと云うべきかも知れませんが、まあこういうことも、試みて初めて分かるということもあると思います。この試みが無駄であったということは、決してないと思います。人形を使えば面白いものが出来そうな気がしますが。

余談ですが、「語り物である義太夫と、現世の芸能である歌舞伎の表現ベクトルが真っ向対立するものであるなら、どうして義太夫狂言が成立するのか」という質問が出そうなので付け加えますが、吉之助が思うには、まさにその相容れないふたつの要素を無理やり共存させることで生じるアンビバレントこそ義太夫狂言の魅力なのだと、とりあえず答えておきましょうかね。

(H26・10・20)


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