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「金がなければコレなんのいの」

〜歌舞伎におけるお金の役割を考える


1)六部殺しの民話

夏目漱石の「夢十夜」(明治41年)の「第3夜」 をご存知でしょうか。それは次のような話です。ある男に子供が生まれましたが、不幸なことに・その子供は盲目でありました。ある日、その子供を背負って・散歩に出ると、眼の見えないはずの子供がまるで眼が見えるかのように「あっち・そっち」と方向の指示を出すのです。そして、いつしかふたりは森のなかへ入っていきます。「ここだ、ちょうどその杉の根のところだ」と背中の子供が言います。「お父っあん、その杉のところだったね。・・・お前が俺を殺したのは今からちょうど百年前だね。」男の脳裏に前世の・百年前文化5年のこんな闇の晩にこの杉の根にひとりの盲目を殺したことがあるという記憶が忽然として蘇るのでした。

この不気味な怪談話のような「第3夜」は「夢十夜」のなかでも特に重いものでして「人間存在の原罪的な不安がとらえられている」(伊藤整)とも評価されています。 漱石がこの後に書いた小説「こころ」のなかの「もう取り返しがつかないという黒い光が、私の未来を貫いて、一瞬間に私の前に横たわる全生涯を物凄く照らしました」という文章にも同じような原罪のモティーフがあるようです。

ところで実はこのような話は民話として各地に多く残っているひとつのパターンでして、それは「こんな夜」という話として分類される ものです。大体次のような話です。(以後の本稿は冒頭に引いた夏目漱石の「夢十夜」とは直接関連ないものとご理解ください。)

その昔、ある月夜の晩のこと、A村のB家に旅の六部がやってきて一夜の宿を乞いました。この六部が大金を持っていることを知った主人はその金が欲しくなって、六部に道を教えてやるふりをして・人が滅多に通らない道を教えて・そこで待ち伏せして・六部を殺してその所持金を奪いました。その後、B家はその金を元手にして大金持ちになります。何十年も経ってB家の子孫に不具の子供が生まれます。その子が、ある夜のこと、父親に向かって「こんな晩だったね、お前が俺を殺したのは・・・」とつぶやくのです。何ともうす気味悪い話であります。

六部というのは六十六部の略で、霊場を巡ってお経を納める行者や物乞いをして諸国を巡る巡礼のことを言いました。上記はA村・B家で一般化して書きましたが、大体A村やB家は具体的な名前が付いているものでして・しかも実在のものが多いようです。時期も具体的に「何年何月のこと」とするのが普通です。つまり、民話ではその村の特定の裕福の家の実際の話として伝わっていることが多いものです。 この民話は六部殺しの祟りによって・その家に不具の子供が生まれると言う陰惨な因果物語のように見えますが、実は話の本質はそこにあるのではありません。「あの家が裕福になったのは・六部を殺して・その金で裕福になったのだ・あの家はそういう悪事を働いた家だ」と言って・村人がその家を除け者扱いにしたということです。

さらにこの民話を分析していくと、六部殺しの話はもうひとつのパターンにも当てはめることができます。それは「異人殺し」という民話のパターンです。共同体のなかに入り込んできた異人(まれビト)を殺すという話で、こういう話は神話など古い時代の伝説に多いものです。殺された異人はその後は神として祀られました。共同体のなかに入り込んできた異人(まれビト)はしばしば不思議な能力を有してい るものですが、その異人を殺して・その能力を奪い取るという形です。この殺人はこのままでは異人によって破壊されるかも知れない共同体を守るためにどうしても必要なことであったのです。つまりそれは共同体の構成員の合意のもとに行われた殺人でありま した。

これに対して新しい「異人殺し」である六部殺しは、ある村のなかの個人が私利私欲で行う殺人です。そして本来はその村のなかで・当事者以外は誰も知らないはずの (つまり事実かどうかも真相は誰にも分からない)秘密の殺人です。その六部殺しの動機とされるのが金品強奪です。

六部殺し民話というのは「その家がどうして裕福になったのか」を説明しようとするものでした。あの家が裕福になったのは・あの家は昔六部を殺してその金を奪ったからだ・そういう卑劣な行為をしたのだと決め付けるのです。その真相は当事者以外誰も知っているはずがないですから、たいていの場合はでっち上げです。そういうでっち上げをすることで・裕福になったその家を共同体から意識的に排除しようとしているのです。もう少し分析しますと、ここで殺される「異人」は六部のように見えますが・実はそうではないのです。 キーポイントは六部が持っていた金品です。村人が 「六部殺し」の話のなかで裕福になった家に殺させたかったものは本当は「お金」であったわけです。

*上記は小松和彦:「異人殺し伝説の歴史と意味」(悪霊論―異界からのメッセージ (ちくま学芸文庫)に所収)を参考にしています。

(H18・4・11)


2)異人(まれビト)殺し

大事なことは「六部殺し」のような民話がどうして近世に頻出するのかと言うことです。これは結局、近世になって・貨幣経済が民衆の生活のなかに次第に浸透してきて・共同体のなかの経済(それはもともと物々交換的な経済システムでした)を破壊し始めたことから来ているのです。つまり、お金が共同体にとっての異人(まれビト)なのです。

このような構造は現代においても見られます。ある時突然羽振りが良くなった人を見て・「あいつの金はどうせ禄でもないことして(例えば人を騙したりして)稼いだものに違いない」と噂するなんてことはよくある話です。現代においては恐らく「株式」神話が異人(まれビト)です。我々はかつてバブルの時期と・それが破綻した時期において 似たようなことを経験しました。持っていた株券の価格がまたたくまに高騰していって・それで喜んでさらに株式を買い増すうちに・今度は株価があれよという間に暴落していく、そのようなことを経験しました。持っている 株券は「物(ぶつ)」としてはまったく同じものです。ところが、それが「儲かった」だの「損をした」だのという話になってしまって・それでいろんな悲喜劇が起きました。「物」の価値とは ・値段とは・・・ということがまったく分らなくなってしまうのです。我々庶民の平凡でも慎ましい安穏な生活を「株式」神話が内側から破壊し始めます。そのような時に現代においても「六部殺し」は起きるのです。

蛇足ながら・横道に逸れますが、冒頭に引きました夏目漱石の「夢十夜・第三夜」のことについてちょっと触れておきます。ここで男が殺した盲目の男(按摩でありましょうか)について・その動機を男は語っておりません。殺人動機は金品であったかも知れませんが、多分 ここでは金が原因ではないのです。漱石は男が裕福であったとは書いてないからです。ただ男はその前世に人を殺したことがあるらしい・それしか書いていません。男が殺したものは何であったのでしょうか。漱石にとっての異人(まれビト)とは何であったのでしょうか・・・そう考えれば察しがつくと思います。

(H18・4・13)


3)異人(まれビト)殺し・続き

「六部殺し」のような民話が近世になぜ頻出するかと言うことをさらに考えます。もちろんそれまでにも貨幣はありましたが・局地的な使用に留まっていて、室町期前まではまだ地域経済は自給自足的で ・売買は物々交換的な感覚が強いものでした。しかし、室町中期(戦国時代)頃になると地方の交通が次第に整備されてきて・交易が盛んになって「商人」の存在がクローズアップされてきます。慶長から寛永の間(1596〜1644)に金貨・銀貨・銅貨が鋳造されて初めて全国的に統一された貨幣経済が整ったのです。

商売というものは傍目から見ると仕掛けが分らないところがあるものです。商売とは他人からある価格で買った(つまり仕入れた)品物をもっと高い価格で誰かに売る(つまり転売する)ことでその差額を儲けるわけです。その差額を普通は適正マージンとするもので・その幅には常識的な線があるものでしょうが、その「常識」なるものが問題になります。どの程度のマージン率が適正かというのは状況によっていろいろな見方があるもの かと思います。ある人が自分が苦労して作った品物を一文で商人に売った・そして都に行ってみたらそれが十文で売っていたとしたら、それも道理だと言って納得するか・仕方ないと諦めるか・「俺から一文で買ったものを十文で売っているのはずるい」と言って憤るか・「俺を騙して安く買い叩いた」と言って 文句を言うか・ どちらでしょうか。商売というものを「他人が苦労して作ったものを・自分は額に汗せず・高い価格で人を騙して売る行為」であると考えれば、それは確かに問題かも知れません。結局、それは「労働価値」というものをどう判定するか・商行為の労働価値をどう見るかという問題に帰 します。

残念ながらどうもそこには客観的な基準が存在しないようです。(あってもその基準が他人にはよく分からない。)そのために常に商売には「疑い」がつきまといます。「同じ品物が向こうの店ではもっと安い値段で売っている」という評判だけで・その店にお客がパッタリ来なくなったりすることも実際あります。買うなら安い方で買った方がいいという理由だけでなく、何となく高く売りつけられているという嫌な気分になることが客の心理として実際あるもので す。だからそのような背景のなかで歴史的に商売というのはつねに卑しい職業であるということにされてきました。江戸期においても「士農工商」と いう風に・商人は一番下の身分に置かれました。これは西洋でも同様で、商売が社会的に正当な職業として社会的に認知されるにはマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」のような思想的根拠の登場を待たなくてはなりませんでした。

貨幣が庶民の生活に浸透して揺るがしたものは、結局、労働価値に裏打ちされた生活の基盤です。その裏付けがしっかりしている社会は安定しています。ひとりの人間が生活のために苦労する度合いは誰でも同じくらいのものだとしたら・本来は稼ぎもその個人の努力に相応したものでありたいと思うものです。それが公平な感覚かも知れませんが、実際は世の中そう言うものではないらしいと気が付く。それが身分格差から来るものなら仕方もないと諦め るが、同じ共同体の仲間からしこたま儲けて羽振りの良い生活を始めた奴が出てきたとなれば、これは内心穏やかでなくなってくるわけです。「なんであいつだけがいい目見るんだ」ということにな るのです。貨幣が従来の労働価値を破壊し・そのような軋轢を共同体のなかに持ち込んだのです。「我々の生活を変えた金とは何者なのか」という強い憤りが共同体のなかに生まれてきます。

このような共同体を破壊するものへの憤りが「六部殺し」の民話の奥底にあるものです。室町の世から安土桃山そして江戸と時代を経るなかで庶民の生活・価値観は大きく変化しました。その要因はいろいろ考えられ るでしょうが、たくさんの変化要因のなかで最も生活に密着したものが「お金」です。お金とは「近世」の顔をした異人(まれビト)なのです。六部(実はお金)を殺して・その家の主人が大金持ちになるという話は・近世に入って登場した「異人殺し」の新しい形式なのです。

(H18・4・16)


4)お金の役目

『近世文学の特徴はどこにあるかというと、お金の役目です。室町時代の能を見ると、もう少しお金があったら悲劇は避けられたという例がひとつもないんです。ところが冶兵衛とか徳兵衛とか忠兵衛の場合は、お金だけで自分の生活が成り立つ。お金さえ十分あったら、最終的に心中する必要がありません。近松と世阿弥との比較は非常に簡単です。お金が違うんです。 』(ドナルド・キーン:司馬遼太郎との対談・「近世の発見」・「司馬遼太郎・歴史歓談」に収録」

キーン先生が興味深い指摘をしています。確かに近松門左衛門の「曽根崎心中」のお初徳兵衛の心中の直接の原因は、商売仲間の九平次に証文を騙られたためでした。忠兵衛にしても冶兵衛にしても ・近松のドラマはどれも金がらみです。

確かに歌舞伎のドラマは金がらみが多いようです。文学では井原西鶴の「日本永代蔵」などもそうです。しかし、キーン先生に反論するわけではありませんが、「近世文学の特徴はお金の役目です」と言い切っちゃうとちょっと誤解が生じるように思いますね。お初徳兵衛の心中をお金の悲劇だと言うとやはりそれは違うように思います。九平次のことがなくても・徳兵衛は大坂商人のコミュ二ティーのなかでいずれ排除される憂き目になって・お初との心中に追い込まれたに違いありません。「お金」は もちろん大事な要素ですが・悲劇の小道具に過ぎません。そこのところ を分って言うなら(もちろんキーン先生は分っているのですが)、お金がドラマ展開の材料になるのは近世文学から始まったと言うことは確かに言えます。

これまでの考察で分るように「六部殺し」とはお金殺しということです。それは共同体の安穏な生活を破壊したものに対する怒りです。安定した生活を壊され・いつも落ち着かない気分で生活するようになったことへの怒りの矛先が「お金」の方に向いたに過ぎません。本当に怒るならば貨幣経済システム ・あるいは社会制度そのものに怒りを向けねばならないはずですが、そういう獏然として巨大で抽象的なものに怒りをぶつけられないから・身近なお金に怒りをぶつけるわけです。

近世化ということは・いろんな面から測ることができますが、経済的側面から見れば共同体が貨幣経済のなかに組み込まれていくということです。共同体が近世化していくなかで・庶民が否応な く直面せざるを得なかったものがお金(貨幣)でした。江戸の世になって労働の価値・物の価値・人の価値までが貨幣で計られるようになってきます。時代が変化していくなかで・このままでは共同体が破壊されてしまうという危機感を感じて・従来の価値観を守ろうとして無意識的に出てきたものが「お金殺し」です。しかし、結局は守りきらなくて共同体は近世化していきます。若者が大人になることを拒否して・「大人は汚い・不潔だ」と言って反発して・自身が直面している問題に真正面に向き合わないようなものです。それでもずるずると大人になってしまうのです。

つまり、「六部殺し」とは共同体が近世化してくことの拒否(アレルギー)反応のひとつと見ることが出来ます。「お金」殺しとは「時代」殺しであるのです。そう考えた時にキーン先生の「近世文学の特徴はどこにあるかというとお金の役目です」ということの本当の意味が分かってきます。

(H18・4・20)


5)圧し掛かる近世

「仮名手本忠臣蔵・六段目」(寛延元年・1786・竹本座)の丸本には「金」という字が四十七回読み込まれているそうです。丸本には勘平が腹に刀を突きたて・わが身の不運を嘆く台詞に「金は女房を売つた金」という文句があります。昔の浄瑠璃ではこの部分を繰り返して「金は女房を売つた金、金は女房を売つた金 ・・」と語ったものでした。こうすると芝居に「金」の字が四十九回出てくることになるので・これはいけないということで豊竹山城少掾が直したとされています。「六段目」に「金」の字が四十七回出てくるのは・もちろん四十七士に当てたものですが、これは数字遊びではなく・暗号みたいなものなのでしょう。そのなかに「隠された意味」があるのです。それでは「六段目」でのお金の意味とは何でしょうか。

歌舞伎の音羽屋型で見ると「六段目」の勘平切腹のドラマは舅与市兵衛を殺して五十両の金を奪ったのは誰かということです。勘平は討ち入りの仲間に入れてもらうために資金を必要としていました。そのことを察した与市兵衛一家はお軽を祇園に売ってその資金を調達しようとしたのです。もちろん百姓一家にはそれしか大金を用立てる手段はなかったのです。金の問題がドラマの背景につきまとってます。ところが「五段目」において斧定九郎が与市兵衛を殺して五十両を奪ってしま います。 「六段目」では勘平は自分が舅を殺してしまったと思い込んでいます。そこからドラマが展開していくのですが、「五段目」で斧定九郎が与市兵衛を殺す時の台詞は印象的です。

「オヽいとしや痛かろけれど、俺に恨みはないぞや。金がありやこそ殺せ、金がなけりやコレなんのいの。金が敵だいとしぼや。アヽ南無阿弥陀仏、南無阿弥。南無妙法蓮華経。」

「金がなけりやコレなんのいの」とは「金がなければこんなことにはならなかったんだ」との意味です。それは確かにその通りなのですが、しかし、「五・六段目」をお金を呪ったドラマだ ・お金の悲劇だというのでは・理解があまりに単純過ぎます。「五・六段目」の正しい理解のためには「お金」の背後にある「近世」というものの正体を見極めなければなりません。

思えば兄妹の親である百姓与市兵衛の一家は上昇志向の強い家でありました。山崎の農家でありながら娘お軽を塩谷家に女中奉公に出し・そのお軽は見事に早野勘平を恋人に射止め、息子平右衛門も塩谷家へ足軽ながらもご奉公。武士になりたいという一家の夢はまさに現実のものになろうとしていたのでした。それが塩谷判官の刃傷によってもろくも崩れたわけです。「五段目」において与市兵衛が自分の娘を売ってでも資金を作って婿の勘平になんとか仇討ちの仲間に入ってもらいたいと考えたのもそこに理由があったのです。(別稿「侍を子に持てばおれも侍」をご参考にしてください。)婿の勘平が武士 (正確には元武士)であることは与市兵衛一家の誇りです。息子の勘平が武士ならば・親の自分も塩谷家の家来同然であると与市兵衛は考えたのです。勘平が討ち入りに参加して見事に主君の仇を討たせるために (武士の親として)自分たちの出来るだけのことをしようとするのは自然なことだと思います。そういう風に与市兵衛が考えた時に一家に「近世」が迫ってくるのです。

「六段目」における「近世」の正体は何なのでしょうか。これはいろんな見方ができると思います。社会的な側面としては庶民が憧れるところの「ステータス」としての武士の問題があります。これは身分が流動的であった戦国の世から・身分が固定化してしまった江戸という時代への変化を考える時の重要な問題です。倫理的な側面としては「家・あるいは組織を維持する封建思想」ということ が言えます。忠義の理念もまた江戸期において儒教のバックボーンを得て急速に先鋭化したもので した。さらに経済的側面としては「貨幣経済」の問題があります。つまり忠義をするにも・討ち入りの仕度をするにも・時節を待って潜伏するにも・奇麗事ではなく金が要るということです。これらの要素は複合的に絡んでいて・それぞれを バラバラに切り離すことはできません。これらの要素をすべて取り込んでシステマティック的に迫ってくる状況が「近世」なのです。「六段目」の場合、とりあえず忠義はお金という形に還元されて・与市兵衛一家に迫って来ます。与市兵衛は農家ですからそういう形でしか忠義を表明することができません。「忠義とは金である」と言う と論理的にはおかしいのですが、ここではまさに「忠義とは金である」と同然の状況が現出します。

不忠を犯して・仲間から疎外されている勘平にとっても「忠義とは金である」という状況は同じです。これは想像ですが・もし勘平が罪を犯していない真っ白な状態ならば・与市兵衛一家の差し出す金を勘平は当然という感じで受け取ったかも知れません。時代物の芝居ではそうした筋書きは多いにあり得ることです。しかし、不忠を働いて仲間から疎外された勘平の場合はそういうわけにはいきません。なにしろ勘平は浪々の身であり(つまり目下のところでは武士ではない)・不忠の身であり・誤解ではあるが舅と殺したと思われており・しかも金がないという状態です。プライドがズタズタになっている状況です。だから「忠義とは金である」という近世の論理が勘平にとって余計に辛く重いのです。「圧し掛かる近世」、それが「四十七の金の文字」の暗号の意味です。

(H18・4・22)


6)共同体の掟

近松門左衛門の「曽根崎心中」(元禄16年:1703:竹本座)を見てみます。ここで大事なことは、商人の町である大坂は貨幣経済で成り立つ町ですから・地方の庶民とは貨幣に対する意識が全然 異なるということです。社会の変化は全国一様に進むわけではなく・その度合いは地域により様々です。地方の場合は「近世への変革」はまだこれからですから「六部殺し」のような反応が起きるわけです。儲けて羽振りの良い仲間が「六部殺し」の噂話で共同体から排除されることになります。一方、大坂においては貨幣が共同体(コミュ二ティー)の根本にあります。大坂という町はお金を儲けた連中によって成立したような町です。

商人の共同体を成り立たせるものは、貨幣が裏打ちする信用です。貨幣は商人のアイデンティティー同然です。共同体のなかでの不文律(あるいは掟)はいろいろあるでしょうが、例えば「借りた金は期日までに必ず返済する」というようなものです。どんな事情があったとしても・これを守らなければ大坂にはいられないほど厳しいものです。貨幣が共同体維持のための厳しい不文律になっているのです。

ところで、当時の商家で奉公する番頭・手代にとって主人の娘(徳兵衛の場合は姪ですが)と結婚してその店を引き継ぐというのが最高の願望でした。商家にとっても生まれる子供は女の子の方が喜ばれました。出来のいい息子を育てるより奉公人の中から出来のいいのを選んで娘と結婚させて後継ぎにする方が店を存続させる確実性は高くなるからです。

徳兵衛は醤油を商なう平野屋の手代ですが、店の主人とは叔父・甥の関係です。主人は徳兵衛に目をかけて妻の姪と結婚させて商売を継がせようと言って来ます。しかし、徳兵衛はすでに天満屋のお初という遊女と馴れ合っており、この話を断ってしまいます。主人は怒って・結婚を前堤にして徳兵衛の義母に用立てた銀二貫目を期限までに返すように要求し、「それが出来なければ大坂の地は踏ませぬ」と言います。ここでの平野屋主人との会話が問題です。徳兵衛の台詞を引きます。

『在所の母は継母なるが・我に隠して親方と談合極め、二貫目の銀(かね)を握って帰られしを、このうつそり(まぬけ者)が夢にも知らず、後のつきからもやくり出し、押して祝言させうとある。そこでおれもむっとして、やあら聞えぬ旦那殿、私合点いたさぬを老母をたらし、たたき付け・あんまりななされやう。お内儀様も聞こえませぬ。今まで様(さま)に様を付け、祟(あが)まへた娘御に・銀を付けて申し受け、一生女房の機嫌取り、この徳兵衛が立つものか、いやと言ふからは、死んだ親仁が生き返り申すとあっても嫌でござる・・・』

徳兵衛は醤油屋の後継ぎとして見込まれていたわけですから、大坂で商売をする者にとってこれは願ってもない話なのです。しかも、当時の商家の主人と手代の主従関係はたいへん厳しい時代でした。ところが徳兵衛はこれまでお嬢様お嬢様とあがめてきた娘さん(姪)を嫁にもらって・今度はその女房の機嫌を一生取るなんてのはまっぴらご免だと店の主人に対して言います。「この徳兵衛が立たない」とまで言 っています。これは当時の大坂町人の感覚から見るとトンデモないことです。だから大坂で商売をする人間の夢を・たかが遊女風情のために捨てた「馬鹿な男・愚かな男」というのが大坂町人の常識から見た徳兵衛のイメージなのです。このことを前提として考えなければ「曽根崎心中」の ドラマはその背景を十分に理解できません。

徳兵衛から銀二貫目を騙り取る九平次はそうした大坂人の目を代表していると考えられます。将来の商売仲間だと思って付き合っていたはずの徳兵衛が遊女との純愛を貫くなどという「馬鹿なこと」を始めた時から九平次の友情は軽蔑に変わったのかも知れません。「お前らの仲間にはならないよ」と言われたのと同然であるからです。いくら徳兵衛がお初を真剣に愛していたとしても ・九平次から見れば所詮は「売り物・買い物」の遊女です。遊女に道を誤った徳兵衛は九平次には自分たち「大坂商人」を否定し踏みにじった存在に見えたと思います。

司馬遼太郎氏は「平野屋の主人と九平次の間ではおそらく話がついていたのでしょう。こういう形で徳兵衛の金は巻き上げられて・返してもらえなくなる」と語っています。(1986年10月8日・兵庫での講演「近松門左衛門の世界」より)このことは丸本には出てこないので・あくまで推論です。しかし、これは恐らくその通りだろうと思います。そう考えた方が「曽根崎心中」のドラマに筋がはっきりと通るのです。怒った平野屋の主人が不良の九平次をそそのかして徳兵衛を陥れ・大坂の地からの追放を計ったのだろうと思います。徳兵衛はちょうど「ヤクザが義理と人情の世界から足を洗おうとして仲間から誅される」のと同じような罰を受けたのです。「大坂商人の世界」はそんなに甘いものではなかったのです。

(H18・5・1)


7)共同体の掟

さらに「曽根崎心中」を考えます。徳兵衛に姪の縁談を断られた平野屋主人は怒って「もうよい、この上はもう娘はやらぬ。やらぬからは銀(かね)を立て・四月七日までにきつと立て、商いの勘定せよ、まくり出して大坂の地は踏ませぬ」と言います。「オオ、ソレ、かしこまった」と徳兵衛は田舎へ飛んで帰って義母からお金を取り返します。この平野屋主人との会話ですが・徳兵衛も売り言葉に買い言葉で意地になっているせよ・徳兵衛が「金を返せばそれでいいだろう・それで話は白紙だ」というような感じの発言をしている のは注目されます。。

ひとつは徳兵衛は平野屋主人に対して・手代である自分もひとりの対等な人間であると明確に主張しているということです。つまり、この発言には個人の意識の目覚めが見え ます。しかし、当時の大坂町人の通念では商家の主人と奉公人との関係は封建的な厳格なものでしたから、主人に対する徳兵衛の発言はそれだけで大坂で住めなくなるような危険なものです。

ふたつめは・ひとつめの件と密接に絡んでいるのですが・徳兵衛が知らない間に義母に金が渡されていたという事情があるにせよ・徳兵衛の発言には「返せばそれでいいだろう・金は金だ」という感覚があって・金銭に対するイメージがドライに感じられることです。貸し借りについて言えば徳兵衛の言う通りかも知れませんが、徳兵衛は金銭を即物的な価値で割り切り・金銭の周辺にまつわる共同体の価値感を認めていないということです。ましてや当時は親同士の相談だけで結婚が決められるということはごく当たり前のことでした。共同体の論理からすれば金を返せばそれで済むという甘いものではな かったのです。主人に対して「金を返す」と言った時点で・徳兵衛は大坂で商売する資格なしと自分で宣言したようなものです。

地方の民話の「六部殺し」は裕福な家を「あいつは人殺しをして金を儲けた」と噂して共同体から排除しようと言うものでした。それはお金殺しであると同時に時代殺しでもあったわけです。一方、徳兵衛の悲劇はこのメカニズムとまったく裏返しのパターンです。徳兵衛は「返せばそれでチャラだ・金は金だ」と言うドライな感覚の為に・大坂町人の共同体から排除されるのです。つまり、「曽根崎心中」は民話の「六部殺し」と裏返しの意味で・排除される側から描いた大坂町人の「金殺し」であり・「時代殺し」でもあるということです。

(H18・5・5)


8)逆転の手法

「曽根崎心中」は排除される側から描いた大坂町人の「金殺し」であり・「時代殺し」でもあるという認識は重要です。「歌舞伎素人講釈」ではかぶき的心情の観点から・お初徳兵衛の心情の拠り所は徳兵衛が大坂商人だということにあると考えてきました。(別稿「かぶき的心情と「・・と(und)」」をご参照ください。)しかし、徳兵衛の平野屋主人に対する態度は大坂で商売する資格なしと見られて仕方ないものです。ということは 「曽根崎心中」でのお初徳兵衛の行動には矛盾した部分があるのです。つまり、彼らは大坂商人道を踏みにじりながら・大坂商人として死すのです。これはどういうことでしょうか。

実は徳兵衛は自分が大坂商人の道徳を踏みにじり・共同体から排除される運命にあるということは自分で良く分っているのです。つまり、ふたりが心中に赴くことは・ 演劇的に見れば「自裁行為」みたいな一面があるのです。共同体の掟の掟を破った者は仲間から排除されてこうなるのだ・・ということを満天下に見せるということです。それによって共同体の掟の正しさを示してみせるのです。そういう側面が心中行為にはあります。しかし、それだけではまだ十分ではありません。

近松門左衛門が天才だとつくづく思うのは、表面はこのような大坂商人の共同体の「自裁行為」のスタイルをとりながら、徳兵衛の心情に「・・と(und)」の論理で方向性を与え、大坂商人のアイデンティティーを逆転して徳兵衛の側に与えてしまう・その恐るべき手腕です。これにより徳兵衛は大坂商人として死ぬことになるのです。それがつまり・お初の「頼もしだてが身のひしで、騙されさんしたものなれども、証拠なければ理も立たず、この上は徳さまも死なねばならぬ。しななるが死ぬる覚悟が聞きたい。(中略)オオ、そのはずそのはず、いつまでも生きても同じこと、死んで恥をすすがいでは」の台詞です。これこそ近松の恐るべき作劇術です。

「心中天網島」では恐らく近松が身辺にひたひたと迫っている幕府の心中物規制の雰囲気(幕府の規制はその3年後の享保8年・1723)を感じていたからだと思いますが・その手法がさらに巧妙になっています。別稿「たがふみも見ぬ恋の道」では「心中天網島」において「紙=神」のイメージを観客の脳裏に繰り返し刻み付けていく手法について触れました。これは冶兵衛が遊女小春にいれあげて家業の紙商売をおろそかにすることは・「商売の神 (=紙)」をおろそかにしているということだということを暗示しています。商売をおそろかにして・大坂商人の道徳を踏みにじった冶兵衛は誰の目から見ても死ぬしかありません。

「名残の橋づくし」には『悪所狂いの。身の果ては。かくなり行くと。定まりし。釈迦の教へもあることか、見たし憂き身の因果経。』という文章が出てきます。小春冶兵衛は因果の結果として「自裁」(心中)するということですから近松がこの芝居を因果話仕立てにしているように表面上は見えます。事実 、この「心中天網島」が古典的な趣を持つのはそ のようなドラマ構造に拠ります。しかし、「・・と(und)」の論理を知っていれば・大坂商人のアイデンティティーはやはり冶兵衛の側にあることが分かるでしょう。

つまり、近松の心中物は大坂商人のアイデンティティーに発し・表面上は共同体の掟を肯定もしているのですが、同時にその個人の心情に同情を寄せて・このような社会(共同体)と時代に個人が生きていくことの難しさを思っているということです。そのことが「お金」によって象徴されているというわけです。

(H18・5・8)


9)封印切の衝撃

近松の「冥途の飛脚」は正徳元年(1711)の作品です。改作「恋飛脚大和往来」での「封印切」が有名ですが、ここで注意せねばならない大事な点は (改作ではそういうことになっていますが)金包みの封印を切るということ自体に本来は「事件性」はないということです。飛脚でも道中で封が事故で破れてしまうということはあり得ることで すし、梅川も忠兵衛に言っていますが・「金を束(つか)えてその主(ぬし)へ早う届けて」しまえば・つまり返してしまえば事件にも使い込みにもならないのです。

しかし、大勢の人のいる前で金をばら撒いて啖呵を切っておいて・いまさら「あの金撒いたのは座興でございました」で済むわけはありません。何よりそれでは忠兵衛の「男」が立ちません。「返せばそれでいいだろう」と行かないのは「曽根崎心中」の徳兵衛の場合と同じです。

改作「恋飛脚大和往来」においては忠兵衛は八右衛門に突き飛ばされたはずみで金包みの封が切れてしまう・つまり事故であったように描かれています。封が切れたのに気がついた忠兵衛は「もはやこれまで・・」と覚悟を決めて他の金包みも全部封を切ってしまって小判をばら撒くわけです。これはどこかに忠兵衛 に同情して・彼を被害者に仕立てたい気持ちが観客にも作者にもあると言うことでしょう。しかし、これだと忠兵衛の行為の衝撃度が弱くなるのです。

原作の「冥途の飛脚」の忠兵衛は行きがかり上熱くなっているとは言え・はっきり自分の意志で金包みの封を切っています。忠兵衛は梅川に「随分堪えてみつれども、友女郎の真ん中で、かはいい男(忠兵衛)が恥辱を取り・そなた(梅川)の心の無念さを晴らしたいと思ふより、ふつと銀(かね)に手をかけて、もう引かれぬは男の役、かうなる因果と思うてたも・・」と言っています。

当時の大坂においては金の小判を封印して包むという習慣が珍しかったようです。だから、金包みの封を切って金をばら撒く仕草が観客に強い印象を与えたと思います。その視覚的効果を近松は計算していたのでしょう。「封印を切る」という行為に・何かを吹っ切る・あるいは否定するという強烈な意志を観客は見たのです。「封印切」のイメージがひとり歩きしていきます。観客は忠兵衛は何を吹っ切り・何を否定しようとしたと見たのでしょうか。それはやはり「曽根崎心中」と同じく・「金殺し」であり「時代殺し」であるのです。

それにしても徳兵衛にしても・忠兵衛にしても、彼らの出身が大坂ではなく・地方に設定されているのは興味深いことです。やはり地方出身のふたりの場合は 大坂生まれの人間とはお金への思い入れが微妙に違うということなのでしょう。それが引け目にもなっているので・彼らは「俺は大坂商人」という意識も人一倍強いわけですが、 結局は個人の心情の強さによって共同体から「お金の掟」において誅されてしまうわけです。

(H18・5・10)


10)お金の価値の下落

しかし、時代が下ってきますと・芝居でのお金の扱いもぞんざいになってくるようです。「金は金に過ぎない」というドライな感覚になってきます。

例えば天明元年(1781)に大坂角の芝居で初演された「敵討天下茶屋聚(かたきうちてんがちゃやむら)」は酒乱の安敵安達元右衛門が活躍するので有名な芝居です。これを見てみると、追っ手側の伊織の妻が色紙を手に入れる金を調達するために苦界に身を沈めるという場面がありますが、武家の奥様がちょっとお金が欲しいから夜の アルバイト・・という感じで・これが何とも安直なのであります。素人の人妻が身を売るというのは・いわば死ぬようなものでしょう。近松ならば・これだけで愁嘆場 をひと幕書いてしまうところでしょうが、凡庸な作者の手腕ではそうはならないのです。

同じ芝居でさらに酷いと思うのは「人形屋の場」です。人形屋幸右衛門が主人筋の色紙を買う資金調達のために奔走していますが、どうにも思案の当てがありません。そこに子供が顔に傷をつけて泣いて帰ってきます。聞けば京屋の息子と喧嘩して傷付けられたと言うのです。そこでハッと思った幸右衛門はその場で 自分の子供を道具で打ち殺してしまうのです。そして子供の死をネタに京屋に強請に乗り込む・・というのですが、この筋はもうまったくドラマ性を喪失しています。あまり使いたくない ですが・「愚劇」という言葉はこういう芝居のためにあるのでしょう。しかも、驚く母親の愁嘆もどこへやら・すぐに舞台を廻して京屋の場に転換してしまうのですから、 ここでは子供の命はドラマの筋展開のために金を振り出す材料に過ぎないのです。

この芝居では女房が身を売ることも・我が子を殺すことも、それ自体でドラマを生み出すことができないのです。お金は芝居の次の筋を展開させる口実にしか過ぎません。こうした現象は 、この時代には「お金」というものが背負っている社会的・相対的な意味が下落してくるから起きるのです。つまり、 天明年間頃には・大坂であっても、お金殺しが時代殺しという意味を帯びなくなっているのです。これは貨幣が社会の機能のなかに 当たり前のように定着したということなのでしょう。

(H18・5・12)


11)お金のドラマ性喪失

黙阿弥の「三人吉三廓初買」は安政7年(=万延元年・1860)正月市村座での初演。「三人吉三」は名刀庚申丸という「お宝」をめぐる芝居です。しかし、「三人吉三」の場合に 興味深いのは、名刀に百両の値段がついてしまって・その代金の百両が行ったり来たりすることです。「お宝」にはそれ自体に固有に備わった権威があるわけで本来は他のものに代替えができない はずですが、ここでは代金の経済的価値の方が重くなっていて・それがドラマの狂言廻しになっています。

ということは・もし別の百両包みがどこからか登場してくれば問題は解決してしまってドラマは終わるはずですが、芝居の方はそうはなりません。登場人物はそれぞれ百両を求めて動き回りますが、観客から見れば同じ金包み が行ったり来たりするだけの虚しい空騒ぎなのです。吉祥院の場で三人の吉三郎は義兄弟の契りを結びながら・実は互いに仇ある身と知ります。ここで三人は再び争うことになるのかと観客は不安に駆られ ますが、和尚吉三は「そでねえ金は受けねえと、突き戻したは親父が誤り。さすればお嬢に科はねえ。お坊吉三も己が親父を、高麗寺前で殺したは、すなわち親の敵討ち」と言 い、「二人に恨みは少しもねえ」とお坊吉三・お嬢吉三の二人を許してしまいます。和尚吉三は因果の連環を自分の意志で断ち切ってしまうのです。すると途端にお宝が現われます。

(和尚)「そんなら(おとせ・十三郎の)首を役に立て、逃げてくれるか、かたじけない」
(お坊)「忘れていたがこの百両、落とせし金の償いに、死んだ二人へ己が香典」
(お嬢)「向後(きょうこう・以後の意味)悪事は思い切る、証拠は要らぬこの脇差し。これは兄貴へ置き土産。」

見れば・それは求めていた百両とお宝の庚申丸です。あれほど行ったり来たりしてたものが、この場にひょっこり出てきて・落ち着いてしまうのです。かくて「落とせし金に/失う短刀/二品揃う上からは・・」となるわけです。 「因果の連環のなかであがいている間はお宝は見つからないよ」と黙阿弥は言いたいのでありましょうか。

黙阿弥の芝居ではお金はドラマの口実ですが、お金自体にドラマを廻す推進力がないのです。登場人物は必死で動き回っているようです が、傍から見ていれば・実は同じものを巡ってドタバタしていているだけで・動いている範囲が実に狭いのです。すべてが袋小路に追い込まれている印象です。そこに幕末の行き詰った 雰囲気が表われています。

このように近松から黙阿弥まで・芝居における「お金」の扱い方からその時代の様相を読むことができるわけです。

(H18・5・14)
 


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