歌舞伎ファンへのお勧めオペラ:メットの「蝶々夫人」
1)「蝶々夫人」のこと
本稿では「歌舞伎ファンへのお勧めオペラ」と題し、メット(ニューヨークのメトロポリタン歌劇場)でのプッチーニの歌劇「蝶々夫人」を紹介します。オペラの記事ですが、歌舞伎ファンが歌舞伎(オペラではなく・歌舞伎です)を見る為に必ずや参考となる見方を教えてくれる舞台です。
メットが世界へ配信している毎年選りすぐりの最新舞台映像・「METライヴビューイング」は2006年12月(2007年のシーズン)から始まり、現在ではすっかり定着しています。ここまで17年の歳月(間にコロナ・パンデミックのため休止のシーズンあり)が経過しました。17年ともなると、繰り返し配信になる人気の演目というのが当然あります。その時は新演出プロダクションだとか・超人気歌手が出演するとか、何か話題性があるものが選ばれるわけです。そうでなければ二の次になってしまいます。しかし、「メットならばこの舞台は是非見たいものだ」という定番オペラはやはりあって、そういうものは定期的に配信候補に上がることになります。メットではそのような定番オペラと云えるものが二つあります。ひとつはフランコ・ゼッフィレッリ演出の歌劇「ボエーム」(プッチーニ作曲)で、こちらはもう40年くらい・歌手を取り換えながら同じ演出を続けていますが、恐らく今後もこの作品で新演出を掛けることはメットではあり得ないでしょう。ゼッフィレッリの後ではどんな演出でもブーを喰らうことは明白だから怖くて出来ない。メットにとってゼッフィレッリ演出の「ボエーム」はそれほどのメットの自信作です。もうひとつのメットの自信作が、本稿で紹介するアンソニー・ミンゲラ演出の歌劇「蝶々夫人」(プッチーニ作曲)であろうと思います。
*このタイミングでミンゲラ演出の「蝶々夫人」を紹介するのは、来年(2024)6月に松竹の「METライブビューイング」で最新の舞台が上映される予定があるからです。詳しくはこちらをご覧ください。
吉之助がオペラ好きであることは本サイト「歌舞伎素人講釈」を長くお読みの方はご承知のことと思いますが、実は「蝶々夫人」に関しては少々捻(ね)じれた経緯があって、「蝶々夫人」が好きと公言出来るようになるまでには、ちょっと時間が掛かりました。日本人にとって豊満な外国人歌手が着物を着てイタリア語でアリア「或る晴れた日に」を歌われると何だか背中がムズ痒い思いがすることがあろうかと思います。確かにこのオペラは欧米に未だ根強い「フジヤマ・ゲイシャガール」といった日本のイメージを引きずっているところがないわけではない。そこのところが引っかかるのは吉之助にとっても例外ではなく、しかしまあそういう違和感も何度か聴けば薄れはするのだが、吉之助もこういう批評サイトをやっている人間であるので、プッチーニの「蝶々夫人」は日本的か、「オペラにおいて日本的とはどういうことか」がやたら気になったものでした。
NHKのドキュメンタリー番組でバス歌手の岡村喬生氏が、「蝶々夫人」の台本は日本人からすると不自然で・あらぬ誤解を生みかねない箇所があちこちあると云うので、一生懸命に「岡村版・蝶々夫人イタリア語台本」を作成する経緯(NHK:2011年11月23日放送、「”蝶々夫人”は悲劇ではない〜オペラ歌手岡村喬生80歳〜イタリアへの挑戦〜」)を放送していました(もちろんプッチーニの音楽は変えません)が、そう云う岡村氏の気持ちは吉之助には痛いほどよく分かります。よく分かりますけれど、今現在の吉之助としては「そう云うことはもうどうでも宜しい」という心境になっています。
作曲者プッチーニが「蝶々夫人」のドラマにどう感じていたかだけが問題です。プッチーニがどれほど蝶々さんを愛していたかと云うことだけが問題です。現在の吉之助は、「蝶々夫人」の音楽からプッチーニの「もののあはれ」の感情が溢れ出すのを強く感じ取れますから、「台本の些細なことはもうどうでも宜しい」という気持ちになっています。吉之助を初めてそう云う気持ちに至らせてくれたのが、メットのアンソニー・ミンゲラ演出の歌劇「蝶々夫人」でした。歌舞伎ファンにこの映像をお勧めするのは、それが理由です。(この稿つづく)
(R5・12・20)
海外でオペラ・ハウスに一人で出掛けるとお隣りのお客に話し掛けられることがあったりしますけど、吉之助も「私は蝶々夫人が好きだ」と話し掛けられた記憶があります。これはまあこちらが日本人だからというリップ・サービスもあったでしょうが、確かに向こう(欧米)の方には「蝶々夫人」が好きという方が多いようです。それも蝶々さんをステレオタイプな「人形」(ブウべ)のイメージで見るのではなく、蝶々さんを一人の高潔な女性だと認めて・彼女を愛するのです。彼らは「蝶々夫人」のドラマの本質をちゃんと理解しています。
プッチーニの歌劇「蝶々夫人」は1904年2月ミラノ・スカラ座での初演ですが、それより4年ほど前プッチーニはロンドンの劇場でデーヴィッド・べラスコの戯曲「蝶々夫人」をたまたま見て、芝居は英語だったので詳しい内容はよく分からなかったようですが・大感激して、終演後にすぐさま楽屋に駆け込んで・ボロボロ泣きながらべラスコに「蝶々夫人」のオペラ化を申し出て・許可を求めたそうです。(注:べラスコの戯曲は、ジョン・ルーサー・ロングの同名の短編小説の劇化です。なおロングの小説では蝶々さんは自害を試みるが一命を取りとめることになっています。蝶々さんが死ぬ結末はベラスコの改変です。)
どっちかと云えば日本人の方が、「蝶々夫人」には西欧人から見た日本への偏見が見えるとか、日本女性をお人形さんみたいに見下しているんじゃないかとか、そういうことを意識してしまい勝ちです。しかし、プッチーニの「蝶々夫人」の音楽を聴くと、そう云うことは全然感じられません。と云うか、そういう要素が仮にあったとしても・そういう要素は消し飛んでしまうくらいに、プッチーニの蝶々さんへの愛をビンビンと感じますねえ。そちらの方が大事なことなのです。それは20世紀初頭のジャポニズムへの興味だけでは決してありません。プッチーニは蝶々さんの行為のなかに、何か人間的にとても美しい・とても尊いものを見ているのです。向こう(欧米)の観客はそのようなプッチーニの純粋な気持ちに素直に反応していると思います。
別稿「歌舞伎「寺子屋」から生まれたオペラふたつ」でも触れましたが、「寺子屋」なんて天神信仰が分からないと身替りのドラマなんて欧米人に受け入れられないのじゃないと日本人は心配してしまうと思います。しかし、実際には欧米人はホントに素直に「寺子屋」のドラマを受け入れます。倫理道徳の観念がまったく異なるし、社会・歴史の背景の知識が全然無かったとしても、そのような制約をすっとばして、ドラマの本質を掴み取ることは出来ると云うことなのです。それはつまり「アア」を感じ取る感性と云うことです。これを「もののあはれ」だと云うと・何だかこれが日本的な感性であるかのように勘違いをされてしまうけれども、そんなことは決してありません。それは人間ならば誰でも持っている感性なのです。「アア」の感情は、肯定でも否定でもなく、その人を心の底から直截的に震わせる何ものかです。人種も・時代も超えて、「アア」を感じ取ることは出来るということです。プッチーニは蝶々さんを「アア」の感性で見ているのです。
メットのアンソニー・ミンゲラ演出の歌劇「蝶々夫人」では、そのような「アア」の感情が一体の人形(蝶々さんの息子)に見事に形象化されています。普通だと幼い子役を使うところですが、なかなか演技の質を保つというわけに行かないようです。しかし、人形であれば・いつでも名子役です。歌手は心置きなく歌唱・演技に集中できます。
人形(下の写真をご覧ください)は、ミンゲラが三人遣いの文楽人形をヒントに独自の工夫を加えたものだそうです。黒衣の一人が頭と左手、もうひとりが胴体と右手、三人目が両足を持ちます。頭を直接手で操作するところは文楽人形とはちょっと異なります。人形遣いの動きはスムーズで、普段文楽に親しむ吉之助にもまったく違和感はありません。
この人形が純粋無垢な蝶々さんの気持ちを凝縮しているように感じられるのです。第2幕で蝶々さんが「あの人(ピンカートン)が私のことを忘れるはずはないわ。この子がいるんだもの。」と叫んで奥から息子を連れて出るシーンはどんな上演でも衝撃的な場面ですが、これが人形であると、何だか余計なことを考えさせずに、蝶々さんの気持ちが見る者にストレートにツーンと来る感じですねえ。
*パトリシア・ラセット(蝶々さん)と人形の子供。これは2009年のMETの舞台。
*文楽人形にヒントを得た三人遣いの人形。休憩時間のルネ・フレミング(解説)。
メットの歌劇「蝶々夫人」でのアンソニー・ミンゲラ演出は2006年が初演ですが、それ以来歌手を入れ替えながら度々上演がされていて、来年で18年目ということです。今や立派なメットの定番演目です。上記の人形のことだけでなく、随所にミンゲラのセンスの良さが伺える舞台です。これを見ると、欧米人はホント「蝶々夫人」が好きなのだなあと思います。
(R5・12・30)