「歌舞伎素人講釈」観劇断想 (平成元年〜平成18年)
*単発の記事にならない分量の断片をまとめたものです。
記事は上演年代順に並んでいます。
○平成13年12月国立劇場:「三人吉三廓初買」〜大川端庚申塚
黙阿弥の七五調のリズム〜七代目染五郎のお嬢吉三
七代目市川染五郎(十代目松本幸四郎)(お嬢吉三)、四代目中村梅玉(お坊吉三)、九代目松本幸四郎(二代目松本白鸚)(和尚吉三)
今回紹介するのは平成13年(2001)12月国立劇場公演の舞台映像ですが、この時の「三人吉三」は三人の吉三郎が活躍する「侠客伝吉因果譚」の主筋に加えて、現在は滅多に上演されない「通客文里恩愛譚」を部分的に復活させた上演でこれは興味深いものがありますが、本稿では大川端の部分のみを取り上げます。
まず梅玉のお坊吉三の七五調の台詞の、滔々と流れる緩急のリズムが、何とも心地良い。これがお育ちの良いお坊のおっとりした性格に良く似合います。もしかしたらこの梅玉の台詞廻しは様式美に傾き過ぎて、タラタラと幾分痴呆的に聴こえるという批判が出るかも知れません。もう少し緩急を大きく付けて写実の切れ込みを付けた方が良いかなという考えが吉之助にもチラと思い浮かばないこともないですが、それにしてもこのリズムは蠱惑的です。ゆったりした緩急の流れに身を委ねていると、台詞の内容なんてどうでもよくなって、オッフェンバックの、あの有名な「ホフマンの舟唄」の揺れるリズムに浸る気分に陥ってしまいそうです。これが歌舞伎の痴呆的なところだと云うならば、それも良しです。
幸四郎の和尚吉三は、こちらは緩急を大きく付けて写実の方に寄った台詞廻しで、梅玉とアプローチとは若干異なるものですが、こちらも緩急の様式をしっかり踏まえたものだと云えます。それが和尚の豪気な性格に良く似合ってもいます。だから黙阿弥の七五調でもアプローチは、実はいろいろあるのです。緩急の感覚が押さえられていさえすれば、それで良いのです。
染五郎のお嬢吉三は、揚幕から登場した娘の時はそう悪くありません。問題は、盗人の男の正体を見顕わしてから後にあります。声質上ガラッと太く低い男声に変わらないのは、致し方ないかも知れません。それならば娘の時から口調を男へ印象をどのようにガラリと変えるかと云うことを考えねばならないでしょう。それが十分に出来ていないから、変わり目の変化が付かないのです。染五郎の場合は、女形が加役なのですから、娘が様式の演技・男を見顕わしてからを写実の演技という設計を取れば切り替えが楽になるはずだと思います。しかし、染五郎は、娘が様式・男を見顕わしてからは別の様式という風に考えているようですねえ。結果的に、盗人の男を見顕わしてからが、一体どういう様式を目指しているのか、ちょっと中途半端に感じます。その中途半端が、有名な「月も朧に白魚の・・」のツラネに表れています。サラサラと緩急が付かない台詞廻しです。しかし、歌おうという意識だけはあるようで、高調子に連ねれば(まあ確かにツラネだからねえ)それで七五調の様式になるだろうと云う誤解があるようです。ここは思い切り写実の方に舵を切った方が良いのではないかな。その方がお坊・和尚との対照が生きて来ると思います。
お嬢吉三は大川端の芯を取るのですから、「月も朧に白魚の・・」のツラネによってこの場の気分を形成しなければなりません。揺れるリズムは、どのような気分を表現するものでしょうか。「自分が置かれている今のこの状況は嫌だ」と言いながら、次の瞬間には、「さっき言ったことはホンの出来心でした」と言ってしまう。「自分は変わるんだ」と言いながら、「いやいや 自分にはそんな怖いことはできない」と言って、いとも簡単に自己否定してしまう。それが黙阿弥の七五調の揺れるリズムの本質です。(別稿「黙阿弥の因果論・その革命性」を参照ください。)本質がフォルムを形成したものを「様式」と云います。本質に至るアプローチは何通りもあるのです。梅玉のお坊吉三は、幸四郎の和尚吉三は、それを示しているのではありませんか。どちらの行き方を取っても良い、染五郎は自分に相応しいお嬢吉三のフォルムを見付けなければなりません。
(H31・4・28)
五代目勘九郎の源蔵・十五代目仁左衛門の松王
十五代目片岡仁左衛門(松王丸)、五代目中村勘九郎(十八代目中村勘三郎)(武部源蔵)、五代目坂東玉三郎(千代)、九代目中村福助(戸浪)、八代目坂東彦三郎(初代坂東楽善)(春藤玄蕃)、二代目片岡秀太郎(園生の前)他
勘九郎(当時49歳)の源蔵については「十八代目中村勘三郎の芸」で詳説しましたので・そちらもお読みいただきたいですが、熱演です。良い点は、型をその通り・きちっとやっているので、今源蔵が何を考えているのか・手に取るように伝わって来ることです。これがまさに「型」の力だと思わせます。前半(首実検まで)の芝居に熱気があるのは、勘九郎の功績です。良くない点は、それと裏腹なことになりますが、「きっちりやってます」感が強過ぎて、暑苦しい印象がするところです。竹本の三味線の決まりに動きを当て過ぎで、時代っぽい印象が強い。むしろこういうところは外してもらいたいのです。新作歌舞伎ではあれほど自由な演技を見せるのに、「型」ものでの勘九郎は、こう云う感じが最後まで抜けませんでした。源蔵はもう少し世話に・というか実事に見せるのが、本来であろうと思います。肩に入った力がうまい具合に抜けてくれば、勘九郎は源蔵にぴったりのニンであるし、将来は立派な源蔵役者になったことと思います。ただし、その境地に達するまでに本人が亡くなってしまったので、今となっては、これは想像するしかありません。
このような勘九郎の「型っぽい」源蔵に対する松王は、多分、線の太い・大時代の、モドリを強調した、強面(こわもて)の松王が相応しいのではないでしょうか。しかし、対する仁左衛門がスマートなあっさり風味の松王なので、勘九郎の熱演がいささか空廻りして見えるところがありますねえ。はっきり云えば、仁左衛門と勘九郎の芸風の違いで、役の印象のすれ違いが生じているということです。しかし、別に仁左衛門の松王が悪いわけでもないのです。演技は繊細なところを見せ、子を失った親の悲しみを描くところに、仁左衛門に不足があろうはずはありません。ただ、その悲しみが透明に・クールに見えてしまうところがある。松王は桜丸にかこつけて息子の死を嘆くのだという説がありますが(吉之助は首肯出来ませんが)、仁左衛門の松王には若干そんな風に見えるところがありますね。それが仁左衛門の松王なのです。これは玉三郎の千代にも同様なことが云えます。そう云うわけで後半(千代の登場から)、ドラマの比重が松王夫婦の方に傾いていくと、急速に芝居が醒めていく感じがします。このため、残念ながらトータルでは十全な感銘度合いを示す「寺子屋」には仕上がっていないと思います。福助の戸浪は頑張っていますが、高音がいささか耳触りです。
(R4・5・13)