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山の手事情社の「傾城反魂香」

平成23年12月浅草アサヒ・アート・スクエア
山の手事情社公演・「傾城反魂香」

山本芳郎(狩野四郎二郎元信)、山口笑美(遠山、みや)他

構成・演出:安田雅弘

山の手事情社のサイトはこちら。


1)「反魂香」のこと

「反魂香」とは焚くとその煙のなかに死んだ者の姿が現れるという不思議なお香のことを言います。その典拠は中国の故事にあって、唐の詩人・白居易の「李夫人詩」のなかに、漢の武帝が最愛の李夫人を亡くした後、道士に霊薬を調合させて金の炉で焚き上げたところ、その煙のなかに李夫人の姿が見えたとあるそうです。この故事はふたつのことを考えさせます。ひとつは、あの世へ旅立っていった者(死者)がこの世に残すその思いの強さということです。それは未練とか恨みといったネガティヴな思いではなく、愛とか・生きることへの愛おしさというようなポジティヴな思いなのです。もうひとつは、現世に生きる者(生者)が自分が追い求めるものを煙のなかに見ようとするその思いの強さということです。これも憧れとか・愛おしさということもありますが、何としても生き抜こうとか・愛する者を守り抜こうというような一念でもある・強くポジティヴな思いなのです。武帝と李夫人の故事はそのどちらの思いの為せるものであったか。あるいはそのどちらでもあったかも知れません。それは兎も角、煙のなかに姿を現わす者(見られる者)とその姿を見る者の間の相互の強い思いをそこに感じることができます。

近松門左衛門の「傾城反魂香」(宝永5年・1708・大坂竹本座)は、歌舞伎においては現在では通しで上演されることはもはやなく、上之巻の「土佐将監閑居の場」・いわゆる「吃又の場」だけが上演されます。「吃又」は知らぬ者ない人気狂言ですが、「吃又」だけを見取りで見る限りでは反魂香ということがピンと来ないと思います。「傾城反魂香」は室町時代の絵師狩野元信をめぐる御家騒動物の 如き体裁を取っていますが、全体の筋の流れからすると、「吃又」はどうしても脇筋に見えてしまいそうです。実際、現代の歌舞伎においては浮世又平(吃又)は画才があっても・発声障害の為に世間にスンナリと受け入れられない芸術家の人間的苦悩という観点で描かれることがもっぱらです。まあそういう見方もできるかも知れません。通しを切り取った・見取りの場合には、通しとまったく 異なる様相が浮き上がって来て当然です。しかし、その解釈であると世間に対して芸術家はどう対すべきかなどという方向に関心が行ってしまって、「吃又」と反魂香という主題との関連がますます見出し難くなって来るのも事実です。

ところで平成23年12月浅草アサヒ・アート・スクエアで劇団山の手事情社によって「傾城反魂香」 が上演されたので、これを見て来ました。「吃又」だけの上演ではなく、文楽や歌舞伎でもはや上演不可能と思われる通し上演(筋を切り詰めて90分に仕上げた現代語版ではありますが)であるので近松をどう料理しているか興味あるところでしたが、安田雅弘氏の構成・演出は原作をとても素直に独自のスタイルに移し変えていて、「傾城反魂香」という時代物のなかに「吃又」を置いた時の「吃又」と反魂香との関連が改めてよく分かりました。見られる者とこれを見る者の間の相互の強いポジティヴな思いにおいて「吃又」を見ればよろしいわけです。

「傾城反魂香」という題名は、直接的には中の巻で狩野四郎二郎元信に嫁いだみや(昔は傾城遠山)が実は亡霊で、元信はみやの願いで香を焚いた寝室のなかで熊野三山の絵を襖(ふすま)に描き、二人はこれを背に熊野詣での道行をする(三熊野かげろう姿)という場面から来ています。 しかし、このことは「吃又」が反魂香と関連しないということではないのです。「吃又」で最初に登場する虎は、「吃又」だけを見ていると何の為に出て来るのか良く分かりませんが、その前の場面(江州高嶋屋形の場)において捕われの身になった元信が自らの肩を噛み・流れ出る血を口に含んで襖に吹きかけ・口で虎を描いたものが抜け出して・元信の窮地を救った虎こそが、「吃又」に出てくる虎なのでした。「吃又」の奇蹟は今更言うまでもないことですが、浮世又平が自害する前に「姿は苔に朽つるとも・名は石魂にとどまれ」と我が姿を手水鉢に描いたものが鉢の裏まで抜けたものでした。「吃又」の次の場(又平住家の場)では又平が描いた大津絵のキャラクターが抜け出して又平を加勢します。これすべて絵に関連する奇蹟ですが、どれも絵を描く者(絵師)の強い思い(芸術的な一念と言ってもよろしいでしょう)がまずあって、描かれた絵自体が絵師の強い思いを帯びて・生きて現世に抜け出るという経過を示しています。つまり、ここには香の煙・死者と生者というシチュエーションこそありませんが、すべてまさしく反魂香そのものなのです。

(H23・12・11)


2)姿を現わそうとする者とその姿を見ようとする者

「傾城反魂香」(宝永5年・1708・大坂竹本座)は絵師・狩野四郎二郎元信の二百五十年忌を当て込んで作られたもので、元信は土佐将監光信の娘婿となって・後に絵所の預かりとなったという史実を踏まえています。題名がみや(傾城遠山)の件から来ることは 前述した通りですが、みやは将監の娘で、浪人した父親の貧苦を救うために遊女となったことになっています。将監は又平の師匠ですから、ここで「吃又」が本筋と絡んで来るわけです。冒頭・越前気比の浜の場では、殿様に松の絵を描くように命じられた狩野元信がその手本になりそうな松の名木を探しています。そこで出合った傾城遠山 (=みや)から土佐の秘伝の松の図を伝授され、ふたりは後日の契りを誓います。ここで遠山が「親の許しもないうちに、筆取ることはいかがなり、アア何とせん・・」と思いついて、奴の雅楽之介を松ノ木になぞらえて・様々なポーズを取らせながら・松の秘伝を元信に伝授します。ちょっとコミカルで・思わず笑いがこみあげる場面ですが、これは単なる見立てということではなく、その強い思いを以って見るならば奴の手足も松の名木の枝と見えると云うことであり、ですからこれも反魂香であると読んでよろしいでしょう。

最終場面・山科土佐将監山庄の場では、元信の婚約者・六角家の姫君・銀杏の前が将監の娘遠山の姿をして現れ、元信と婚礼します。そこで名古屋山三の説明には、死んだ人(傾城遠山)が再び蘇ったものと思って結婚なさい・なまじっか儀式張ると養子ということになって面白くない・そこで又平夫婦と相談して遠山の姿に仕立てたのが私どもの工夫であるというのです。娘が小さい時に別れた将監夫婦は、「娘が成人した顔を見て嬉しい」と言って泣いて喜びます。その強い思いを以って見るならばそこに亡き人の姿が重なって見えるということですから、これもまた反魂香なのです。

遠山の姿で登場する銀杏の前の心境を考えてみます。銀杏の前は、思う人(遠山=みや)があ るので躊躇する元信を計略で騙して無理矢理婚約して横取りしてしまった経緯があり・本来恋敵であるはずですが、婚礼の列の前に 現れたみや(実はその時点でみやは病死しており現れたのは亡霊であった)の七日間だけ元信を貸して欲しいという嘆願を受け入れて、姫は元信をみやに一ヶ月貸す約束をします。(その後に起きたのが三熊野かげろう姿の奇蹟です。)みやの訴えを聞いた姫はちょっと迷う風も見せますが・案外あっさりと承諾する感じで、逡巡する様子があまり見えません。これはこのように考えれば良かろうと思います。姫は知らず知らずのうちに亡霊であるみやの霊気に感応しているのです。「7日というも縁起が悪い。(注:お葬式の初七日を連想させるから。)来月一杯貸すぞよ。」と姫が言うところに、姫がそのような霊的なオーラを感じ取ったことが見えます。ですから最終場面で遠山の姿になって人々の前に現れた姫は、もちろん遠山の心に成り切っているわけです。見立ての趣向やで故人への義理立てで成り切るのではなく、そのような姫の強いポジティヴな思い、それは元信へ対する思いであり・みやへ対する思いでもあるでしょうが、そのような強い思いが姫の姿を傾城遠山そのままに見せ、人々の心を浄化するのです。

このように「傾城反魂香」 に見える反魂香の主題とは、煙あるいは絵などのなかにおぼろげながらも姿を現わそうとする者(見られる者)とその姿を見ようとする者との間に存在する強いポジティヴな思い・その強い繫がりなのです。今回の山の手事情社の「傾城反魂香」 の舞台を見ていると、そのような反魂香の主題がとても素直にピュアな形で見る者の心にスッと入りました。実は「傾城反魂香」は近松の原作を見ると結構長いもので、エピソードが盛り沢山で・筋が錯綜した感じがするものです。これを90分に仕立てた山の手事情社の現代語版は、筋や詞章を かなり切り詰めたに違いありません。しかし、実際に舞台を見ると近松の原作をあまり動かした感じがしないのです。必要なものはすべて筋のなかに入っています。近松の何も変えずに、そっくりそのまま現代語化したようにさえ思えます。舞台感覚というものはつくづく不思議なものだと思いますねえ。それにしてもこのような古典の現代演劇による舞台を見ると、それでは本畑の歌舞伎の方では「傾城反魂香」通し上演は何とか出来ぬのかという疑問が今更ながら頭をよぎります。

(H23・12・17)


3)歌舞伎で「反魂香」通し上演は出来ぬのか

ところで指揮者の小澤征爾氏が村上春樹氏との対談で興味深いことを言っていて、まったくそのとおりだなあと思いました。小澤氏がベルクの歌劇「ヴォツェック」の総譜を読んでピアノで音にしてみた時に分かったと思った、ところが練習で実際にオーケストラで音にしてみたら、ありゃっと思って自分で何が何だか分からなくなったというのです。

『書いてある譜面はまったくそこにある通りなんだ。そしてオーケストラもその譜面通りに弾けるんです。それなのに自分に理解できない部分があるんです。(中略)ブラームスやリヒャルト・シュトラウスくらいまでなら、楽譜を見ただけで、どんなハーモニーが出てくるのかは 経験的に大体分かります。しかし、ピアノでオーケストラの音を出そうと思っても、十本の指では足りないという音楽もある。そういうものは実際の音を聴いてみないと分からないです。もっとも、そういう音楽も慣れてくると、十本の指で弾くために、和音の中のどの音を省けばいいか、その辺のコツがおおよそ分かってきます。逆に云えば、どの音が省けないものかということが分かってくるということだけど。』(小澤征爾x村上春樹:対談「小澤征爾さんと、音楽について話をする」・文章の流れを良くするために若干語句をいじりました。)

小澤征爾x村上春樹:小澤征爾さんと、音楽について話をする(新潮社)

吉之助はこんなことを考えます。オーケストラの総譜を見てピアノでこれを音に しようとする時に、十本の指で弾くために、和音の中のどの音を省けばいいか、どの音が省いたらいけないか、それを考えなければいけない。そうすると、もし人間の指が十二本 あるならば・あるいは八本ならば、どの音を省けばいいか、どの音を省いたらいけないか、それに応じて鳴るべき響きは自ずと変わってくるのであろうなということです。

何か言いたいのか・俄かにご理解いただけないかと思いますが 、吉之助は何でも音楽に関連付けて考えます。ここでは近松の歌舞伎の「傾城反魂香」通し上演は何とか出来ぬのかということです。近松の原作は 挿話が次々と繰り出されて、ただ読むだけでもなかなか骨が折れる膨大な分量です。歌舞伎の「吃又」だけでも70分くらいは掛かる ものですから、この調子で通し上演をすると現代ではとても上演は出来ません。だから現代においては大胆なアレンジを施さないと「傾城反魂香」通し上演は無理です。その時に、どの筋を省けばいいか、どの筋を残すべきか、どの台詞を生かすべきか、そういうことを考えながら原作を骨格を見通す読解力が必要になるということです。山の手事情社の現代語版は、吉之助から見て原作の必要な部分をちゃんと取って無理がないと感じられる台本でした。それは山の手事情社のスタイルにおいてぴったりと来る ものであった・つまり十本の指で弾くにふさわしい鳴るべき響きにしっかりアレンジされていたということなのです。歌舞伎がそれをやるならば、歌舞伎の指が十二本か八本かは別にして、その切り口・つまり響きは当然変わって来るものであるし、またそうでなければならないのです。

歌舞伎の復活狂言というのは大体つまらないことが多いですねえ。すっかり古典化して見慣れている有名な場面の前後に何十年振りだかで復活された場面がくっ付いていると、ただ筋の辻褄を合わせるだけのことで、「こんなツマラナイ場面が省かれるのは仕方ないことだ」とその理由を妙に納得させられることが多いものです。まあ何と言いますかね、先の小澤征爾さんのピアノ 編曲の話で言うならば、音楽のリズムの骨格だけを拾って・左手がブンチャッチャブンチャッチャというリズムを刻むだけの、分かりやすいけれど・恐ろしく陳腐な編曲になってしま うということです。大抵の場合、観客が疲れてきたら早替わりか宙乗りを見せとけばまあいいか・歌舞伎は理屈で観るものじゃありませんと云うところに落ちてしまいます。だからドラマの筋の流れを整えようとするアレンジではなくて、ドラマの様相・響きの色合いを大胆に浮き上がらせるアレンジを心掛けるべきなのです。どの筋を省けばいいか、どの筋を省いたらいけないか、どの台詞を生かすべきか、歌舞伎のスタイルにおいて大胆にそのようなことを行なわなければなりません。

歌舞伎の問題は脚本だけにあるのではありません。実はもっと大きな問題が、歌舞伎役者の写実の表現から遊離した演技感覚とのっぺりした台詞まわしにあります。吉之助は「傾城反魂香」通しのような作品が歌舞伎で上演される環境になることを心底願ってはいますが、歌舞伎役者が現状の感覚で本作を上演しても多分・山の手事情社の舞台を凌ぐ舞台は出来ないだろうと思っています。「近松ならばこっち(歌舞伎)が本家だ・これが伝統の 底力だぜ」という感じのものを見せてもらいたいものですが、チト無理でしょう。歌舞伎は現代とは違うゆっくりした時間のなかに生きている・それが歌舞伎の良さだというような感覚が、世間にも役者にもあるようです。時代と対峙するのは現代演劇だけの役割ではありません。ホントは歌舞伎は過去の視点から「ここ(江戸のドラマのなか)にお前たちの時代(現代)と同じ生の実相がある」ということを未来の観客(現代の観客)に向けて鋭い問いを突き付けなければならないはずです。「近松ものの主人公たちが夢見た世の中に300年後の我々は生きているのか?」ということです。あれから300年も経ったのにその時より我々はちょっとは成長したのか・日本は良い国になったのか・世界は幸せになったのか、そういうことです。歌舞伎はそういう問いを現代に突きつけることができると思うのですねえ。歌舞伎が伝統の力を取り戻すためにはどうしたら良いか、吉之助はそんなことなど考えながら山の手事情社の舞台を見ていたのですが。

(H23」・12・24)

近松門左衛門集〈3〉 (新編 日本古典文学全集)(「傾城反魂香」を所収)


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