近松のかぶき的心情〜巣林舎の「殩静胎内捃」
平成20年10年(2008)・紀伊国屋ホール:巣林舎公演・「殩静胎内捃」
若松泰弘(大津二郎)、金沢映子(その妻凛)、沢田冬樹(源義経)脚色・演出:鈴木正光
1)巣林舎の「殩静胎内捃」
本年(2008年)10月新宿・紀伊国屋ホールでの巣林舎・第6回公演「殩静胎内捃」(ふたりしずかたいないさぐり)の舞台を見ました。巣林舎は劇団名に近松門左衛門の俳号・巣林子を 冠し、近松の埋もれた時代物を毎年1作づつ現代語訳で上演していこうという連続的な企画で・歌舞伎のスタイルではありませんが、とても意欲的な試みです。近松は現代ではもっぱら世話物作家として知られています 。しかし、当時の演劇は時代物が本領であり・時代物で評判を取ってこそ一流作家でした。近松もまた120編とも150編とも言われる作品のなかで世話物は24編にすぎず・その大半が時代物でした。現在の我々が舞台で目にすることができる近松の時代物は「俊寛」や「吃又」などを除けば・ほとんどありません。その意味でも巣林舎の 試みはとても貴重なものです。当初吉之助が「殩静胎内捃」を注目していたのは四段目に「安宅の関の場」があ るからで、つまり「勧進帳」と同じ場面を近松がどう料理しているかということでした。しかし、実際に舞台を目にして見ると三段目「大津二郎宿の場」(今回の上演本では第5場に当たる)が 断然インパクトのある出来であったので、本稿では「大津二郎宿」を中心にして・随想的に展開することとします。
兄頼朝と不和となった源義経は都落ちして奥州平泉を目指しますが、義経一行と別れた静御前は鎌倉方の梶原に捕まってしまいます。その時・静は臨月で・鎌倉へ送られる途中で産気づきます。梶原は大津二郎夫婦が営む旅籠に宿泊することとし、そこで静が出産した赤子が女の子ならば許す・男の子ならば即座に首をはねると言います。実は大津夫婦は義経と深い因縁がありました。その昔・義経の母常盤御前を殺したのが熊坂長範という盗賊で・その一味の擂針太郎の息子が大津二郎で あったのです。その業罪の意識から大津夫婦は静御前の赤子を守らねばならないと決意をして、二郎は同じく臨月である妻の腹を割き・取り出した赤子を義経の子として身替わりに差し出し・赤子は首をはねられます。大津夫婦の罪の意識と・その報いへの恐怖が夫婦が生まれてくる子を身替わりに差し出す背景となっています。 これが三段目「大津二郎宿」のあらましです。まず驚くのはその身替わり手法の猟奇的かつ陰惨なことです。
「殩静胎内捃」が始まる前の客席での解説に立たれた鳥越文蔵先生は「近松はクリスチャンじゃないですが、この作品には贖罪のテーマがある」ということを仰いました。鳥越先生が「近松はクリスチャンじゃないですが・・」と仰ったのは、劇作家として名を成す以前の近松の経歴については・その出生地も含めて不明な点が多く・諸説には近松と隠れキリシタンとの接触をうかがわせるものもあるので・その辺も踏まえての発言かと思います。(近松の作品を読むとその知識が非常に広範囲に及ぶだけではなく、外国の情報に通じている と思われるものがあり、近松・隠れキリシタン説も興味深いものがあります。)
大津夫婦の悲劇は親の犯した罪を生まれてくる自分の子供を殺して償うというもので、それ以前の日本の演劇あるいは文学において類例を見ない特異なものです。そこにどこか原罪という観念にも通じるものがあって・近松隠れキリシタン説というのが頭をちょっとかすめるところがあります。これは確かにとても魅力的な想像です。しかし、これは親の所業が子に報いるという因果論・宿業論としても理解できますから・本稿ではそういうことにしておきますが、それにしても大津夫婦の行為 の・そのテンションの高さには驚かされます。しかも自らの意志で他者に犠牲を捧げるというのとは少し異なり(表面的にはそう考えることもできますが)、他者に対して自分の罪の許しをひたすらに請うという悲壮さが際立っています。その点でも「大津二郎宿」は特異な悲劇であると思います。(この項つづく)
(H20・12・27)
2)大津二郎夫婦の悲劇
「三段目・大津二郎宿」は「御伽草子・山中常盤」から題材を取っています。「山中常盤」では常盤御前は奥州にいる牛若丸を訪ねて旅に出ますが、その途中の美濃国山中宿で盗賊・熊坂長範一味に惨殺されます。その翌日・奇しくも同じ宿に泊った牛若丸は夢のなかで母が殺されたことを知り・一味を討つという話です。(注:史実では常盤御前の晩年は定かではないようです。「山中常盤」の話は江戸時代の絵師・岩佐又兵衛によって見事な絵巻物になっています。こちらでご覧ください。なお岩佐又兵衛は「吃又」のモデルとも言われています。)
大津二郎の亡き父・擂針太郎はこの時の長範の仲間であり、当時・13歳で壬生の小猿と名乗っていた息子の二郎は・父の無残な最期を見て改心して・その後は大津松本で宿屋商売をしていま した。今回の巣林舎・鈴木正光脚本では若干改変がされていますが、近松原作では旅の僧が登場して・擂針太郎が地獄で常盤御前を殺した罪を責められており・常盤御前ゆかりの者を助け父の罪を少しでも軽くするようにとのお告げを二郎夫婦に伝える場面があります。夫婦が家に戻ると宿屋にはすでに梶原一行が到着しており、産気付いた静御前が宿奥へ担ぎ込まれます。二郎夫婦が動転しながらも・同じく臨月の妻のお腹の子供を静御前の子供の身替りとするという決意をする場面が何とも壮絶です。まず印象的なのは二郎の妻(鈴木正光脚本では 凛とあるが・原作では名はない)がまるで憑かれた如く・自らが犠牲になることに突っ走ることです。夫の方はどちらかと言えばビビッているのですが、妻の方が夫を叱咤して・夫に身替わりの行為を貫徹させます。妻がこのように自分が死んでも良いと思い立つ背景にはどうやら自分が三回死産を繰り返してきたのは 義親が常盤御前を殺した業罰だという強い畏れの気持ちがあるのです。静御前を見殺しにすれば夫婦はさらに因果の罪を重ねることになるし・四回目のお産も多分死産であろう・それならば・・ということです。もし生まれるのが女の子ならば助かる道もあるという賭けの気持ちもあります。しかし、静御前の生んだ子供は男の子であった。もはや妻の腹を割くしかない。ついに夫は意を決して妻の腹を割いて子供を取り出しますが、 無念やこれも男の子であった。内容が凄惨極まるということもありますが・よくよく考えてみるとこれはまったく作為的で現実にあり得ないドラマです。しかし、近松は観客を作為的なシチュエーションのなかに追い込んで決して離しません。夫婦の動転と気持ちの変化の筆致が緊迫感あって実に劇的です。
身替り物は確かにどれも作為的なドラマで・登場人物を犠牲的行為に追い込むための設定が極端ですが、近松の「大津二郎宿」に特徴的なことは登場人物に自分たちは罪を背負って生きているという意識が強くて・その罪を更に深めてしまうことに強い畏れを感じているということです。 それが熱い情念になって渦巻いています。まさに原罪と贖罪がこのドラマの主題です。ただしこの悲劇はそのような過酷な運命から逃れたい一心という受動的な形ではなくて、もっと積極的に自分から運命に働きかけて ・自分の力で運命の流れを変えていこうとする行為であると読みたいと思います。
後代の「寺子屋」の松王の行為は菅丞相に対する忠誠を証明しようとする行為ですが、この裏には松王(三つ子の兄弟)と丞相との出生にまつわる深い繋がりがあり・つまりそれは松王の出目(アイデンティティー)の問題であるのです。しかも松王には心ならずも敵方である藤原時平に仕えているという 負い目があるわけですから、「寺子屋」の身替りも「大津二郎宿」と悲劇とまったく共通の要素を持つわけです。「大津二郎宿」ではかぶき的心情のドラマツルギーの核を剥きだしの形で見せてくれた気がして、その点で吉之助にはとても感銘深いものがありました。後に浄瑠璃・歌舞伎の定型パターンとなる身替り物の原初の形が恐らくここにあるのです。(この項つづく)
(H21・1・5)
3)義経の神性発見の物語
このように大津二郎夫婦の悲劇は贖罪の物語として読めるわけですが、それは誰に対する罪であるのかということが大事になります。表面的には確かに二郎の父・擂針太郎が常盤御前を殺したことの罰が子孫にまで及ぶということです。それは因果応報の悲劇としても読めます。しかし、この「殩静胎内捃」は義経物の系譜なのですから、義経の神性ということを思いやる必要があります。義経は幼い時に親兄弟と別れて孤独に育ち、成人しては・まるで彗星のように現われて・奢る平家をアッと言う間に打ち滅ぼし、その栄光もつかの間・兄頼朝に疎まれて奥州の地に寂しく果てるというように、その人生に栄光と悲惨・まさに諸行無常・流転の人生を体現してきた人物です。だから義経はもののあはれを理解することのできる人物だとされてきました。まさに義経はこの世の哀しみを涙ですくい取る菩薩なのです。それが義経信仰の原点です。芸能の世界では謡曲においても義経は神性を備えた神に等しい存在として描かれてきました。その義経を生んだ母常盤はいわば聖母ということです。擂針太郎は義経の母を殺したからこそ地獄で罰を受けるのであり 、これは明確に義経に対する罪なのです。義経に対して親の罪を償う責務はその息子である大津二郎に課せられますが、それは同時に大津夫婦が義経の神性を明らかに しようとする行為でもあるのです。ですから大津夫婦も・まさに首を切られるためだけに生まれてきたような赤子も義経信仰に帰依し・その神性に奉仕する使徒なのです。それは同じく「四段目・安宅の関」における富樫 もまったく同じ役割です。(これについては別稿「勧進帳についての対話」もご参考にしてください。 富樫のこの性格は後年の「勧進帳」にも受け継がれています。)
後年の「熊谷陣屋」の義経を見れば・義経は最初からあはれを解する人物として登場しています。義経物の系譜からしてこれは当然のことですが、しかし、近松の「殩静胎内捃」の場合は趣が異なります。 近松原作を読んでいて吉之助がとても驚いたのは序段・北野天神で酒宴を開いた義経が弁慶たちに絵馬を見せて次のようなことを語ることです。この絵馬は自分が母常盤を殺した熊坂長範という盗賊を殺した場面を描いた絵だ・長範の仲間 を片っ端から討ってやった・父義朝の敵平家一門を討ち滅ぼした如く・母の敵の盗賊たちの子孫も根絶やしにしてやるところなのだが・残念ながら壬生の小猿という小盗人ひとり(これが大津二郎の 父親のことである)を打ち漏らしてしまった・いつかその恨みを晴らそうと思いながら今日まできたが・未だそのことを果たせないでいるのが口惜しいと義経は涙するのです。つまり、 ここでの義経はあはれを解する人物であるどころか・まさに恨み骨髄の人物なのです。岩佐又兵衛の絵巻物「山中常盤」と見てもそう感じますが、ここで義経 が言うことはまさに鬼神の台詞そのものです。義経はその怒りによって熊坂長範一党を斬り殺し・さらには平家一門を討ち滅ぼしたのです。つまり序段の義経はまだ修羅道のなかにあるわけです。
ですから吉之助は義経物である「殩静胎内捃」を次のように読みたいと考えています。序段での義経は修羅道にあり・母を殺した盗賊たちへの怒りを維持し・鬼神の性格をまだ濃厚に残しているのです 。しかし、五段目・奥州平泉の場においてはその性格がすっかり消えています。「三段目・大津二郎宿」での大津夫婦・「四段目・安宅の関」での関守富樫というふたつの犠牲的行為によって、義経は鬼神の性格をすべて洗い流され、あはれを解する神へと転化していくのです。つまり「殩静胎内捃」とは母常盤の死を契機とした義経の自分(ルーツ)探し・自分が本来備えていた神性再発見への物語である(つまり「胎内さぐり」ということになる)という風に吉之助は読みたいわけです。そう考えれば近松が序段義経に母常盤の死への無念を語らせている場所に北野天神を設定していることもその意味が見えてきます。菅原道真もまた怨霊の性格を捨てて・守護神へ転化した神であるからです。(この項つづく)
(H21・1・10)
4)鈴木脚本の改変のこと
「三段目・大津二郎宿」 最終場面で大津二郎は妻の腹から取り上げた赤子を身替わりとして梶原に差し出し・赤子はその場で首を刎ねられます。今回の巣林舎上演での鈴木正光脚本では・二郎は静御前と生まれた若君を逃がした後に妻の死骸の傍らで自害することになっています。この部分は近松原作と大きく異なります。近松原作では二郎は静御前と若君を守って・義経のいる奥州平泉を目指すのです。「五段目・平泉」で二郎は義経と対面します。義経は「静は梶原に生け取られ・生まれた子供はその場で首を打たれたと風聞で聞いては恨めしく、しかも昔自分が打ちもらした熊坂の手下が関係していたと聞けばなお恨めしく無念に思っていたが、(静と若君をこうして守ってくれて)親殺しの恨みまで晴れたるぞ。この子が為には汝は親。若に代わって この義経が礼を言うぞ」と言って手をついて・二郎に礼を言います。更に義経を追って平泉に来た梶原が捕まります。梶原の殺害は二郎に任されます。二郎は妻の苦しみを思い知れと言って斬りつけ、我が子の恨みと言って梶原の首を刎ねます。そして一同が喜び・我が君万歳と叫ぶなかで「殩静胎内捃」は終わります。そういうわけで近松原作の平泉の場では義経と二郎の恨みは晴れて・明るく終わり、義経の寂しい最後が描かれていません。もちろん義経 に衣川の戦いで死する運命が迫っていることは絶対的な前提であり・誰もが承知していることです。しかし、近松はそのことをここで敢えて無視しています。衣川の戦いの後も二郎は落ち延びて・静御前とその若君を守って生き続けたに違いありません。
鈴木脚本で二郎が妻の死骸の傍らで自害するという改変は、実は主人公が他者に対して犠牲を捧げて許しを得るという古典劇の構図の根幹に係わる問題です。しかし、この鈴木脚本の改変は改悪だとは吉之助は思いません。夫が妻の腹を割き・取り出した赤子を身替わりに差し出すという理不尽極まる悲劇を 現代人の倫理観で捉える時に、夫が妻の死骸の傍らで自害するという結末でなければならないということは十分納得できることです。その場合、主人公が他者に対してその運命の理不尽さを抗議するという感じになると思います。 現代人は古典の悲劇をそのように読むわけです。これは悲劇のバロック的な展開で・寸切れでドラマを終わらせて・聴き手に問題意識を突きつけたままに終えるやり方です。近松の現代劇による再生をテーマにする巣林舎ならではの読み方だと思います。
しかし吉之助は・もし「殩静胎内捃」が歌舞伎で上演されることがあるならば、この箇所は近松原作の通りに・つまり二郎は死なずに静御前とその若君を守って奥州を目指す形にせねばならない大事なポイントであるとも思います。主人公が他者に対して犠牲を捧げる・その行為の葛藤と悲嘆のなかにドラマがあるという古典悲劇の構図をはっきりと示すのが歌舞伎の役割だと思うわけです。そして義経が「この子が為には汝は親。若に代わってこの義経が礼を言うぞ 」と言う時にすべてが癒されるというのが、義経もののドラマの根幹であるからです。妻の死も・子供の死も踏み越えて・ようやく掴むことのできた許しと癒しということです。(付け加えますが、これは二郎だけが癒されているのではありません。二郎の死んだ妻も子供も・ 地獄に堕ちた父親も癒されているのです。)犠牲的行為のなかの葛藤・悲嘆というバロック的な要素を古典的な枠組みのなかにいかに美しく収束させるかということが、近松が創始した新浄瑠璃の悲劇の大事なテーマなのです。(この項つづく)
(H21・1・17)
5)「ふたりしずか」の意味
「殩静胎内捃」 という外題は「ふたりしずかたいないさぐり」と読みます。「殩」はほとんど見ない漢字ですが「サン」と読み、食べ物を表す漢字であるようです。例えば「殩孝」は喪家に供物を贈ることを言います。 しかし、「殩」には「ふたり」という読み方は ありません。「捃」は「クン」と読み、「集める」とか「拾う」という意味です。「捃」にも「探る」とか「取る」という意味はありません。ですから「ふたりしずかたいないさぐり」というのは当て読み です。歌舞伎の外題にはこういうことはよくあることですが、そう考えると逆に「殩静胎内捃」から「ふたりしずかたいないさぐり」という読み方がどうして出て来るのか・そのことの方が 興味深いと思います。また「殩静胎内捃」という外題の文字のなかに隠された意味があるようにも思われます。
「ふたりしずか」と言えば謡曲「二人静」を思い出します。謡曲「二人静」は正月七日の神事のために若菜を摘みに出た乙女が狂乱状態になり、憑きものの正体を尋ねると判官殿に仕えていた女であると答えます。宮人が蔵に収められていた静御前の衣装を乙女に着せると・乙女が舞い始め、義経の吉野落ちの辛苦の様子・頼朝に召されて舞を所望され舞わされたことを語り、「しずやしずしづやしづ、しづのおだまき繰り返し昔を今に、なすよしもがな」という有名な歌を歌って舞うというものですが、舞台にふたりの静御前が登場するというものではありません。狂乱状態の乙女の姿に静御前の姿がダブって見えるというのを「二人静」と表現した ものです。史実の静御前については捕われて鎌倉に送られ・そこで男の子を生みますが、頼朝の命により赤子は由比ヶ浜に沈められたという記載が「吾妻鏡」にあります。ですから「三段目」での大津二郎の妻の悲劇はそのまま史実の静御前とダブります。「ふたり静」ならばそれは静御前と大津二郎の妻であることは明らかです。 「殩静」を「ふたりしずか」と読むのはその辺に根拠があるでしょう。
ところで近松研究の大家・木谷蓬吟は「一説にはさんにん静と読む」ということを書いています。これは「殩」をサンと読むことを考え合わせると説得力のある説に思えます。さんにん静(三人の女)ならばこれに義経の母・常盤御前が加わることになることは明らかです。「殩静胎内捃」原作では常盤御前の名は義経の述懐のなかに出てくるのみで、 作品に常盤御前は登場しません。しかし、常盤御前は作品中で義経に対しとても重要な役割を持っています。義経は常盤御前と幼くして別れ・母の愛情を知らずに育ちました。義経の亡き母への思いは、恨みや復讐心といった現世的な 感情に義経を強く縛りつけるトラウマになっています。 近松門左衛門は熊坂長範一味の惨殺も・壇ノ浦に平家を討ち滅ぼした軍功も、義経の亡き母への無念の思いが生み出したものだと見るのです。そこに精神分析の視点から見た近松の斬新な歴史解釈があります。義経は母のことを思いつつ、周囲の人物(大津二郎・弁慶たち)の犠牲的行為にとって・そうした迷いから少しづつ解き放たれていきます。こうして最後に義経は人生の儚さ・無常を知る男としての本性を明らかにするのです。
「胎内」という言葉は仏教用語にもあるものですが、それにしても「胎内捃(たいないさぐり)」という言葉はちょっと普通ではない響きがあります。西洋には「胎を開く(=open the womb)」という言葉があり、これは「生まれる」ことを意味します。これはルカ福音書2.23に典拠があるもので、日本聖書教会訳では「初めて生まれる男子は」 (つまり長男のことです)となっている箇所です。日本正教会訳ではこの箇所が「初めて胎を開く男子は」と原文に忠実に訳されています。ここで吉之助は近松隠れキリシタン説を蒸す返すつもりはありませんが、この「胎内捃」も近松隠れキリシタン説のひとつの材料になるかも知れません。「胎内捃」とは自分の生い立ちを振り返って・そこからひとつひとつ何かを拾い集めていくという意味のように思われます。「殩静胎内捃」とは母常盤の死を契機とした義経の自分(ルーツ)探しの旅・自分が本来備えていた神性再発見への物語であるという風に解されると吉之助は考えています。
巣林舎上演での鈴木正光脚本は冒頭部に赤子の牛若丸を抱いた常盤御前が平家の追っ手に捕まるという場面を置き、最終場面に義経たち仲間全員が平泉で討ち死にする場面が付け加えられています。いずれも近松原作にはない場面です。しかし、これらの場面が挿入されることによりこれで「殩静胎内捃」の常盤御前と兄頼朝を絡めた「義経の一生」という構造がより明確になりました。観客の作品理解をより深めた優れた脚本アレンジであったと思います。歌舞伎はこのように巧く再構成すれば現代の観客に強烈にアピールできる宝の山(古典の作品群)を持っているのですから、歌舞伎ももっと埋もれた名作の発掘に目を向けてくれれば良いなあと思います。
(H21・1・24)
*「殩静胎内捃」は近松全集 (第8巻)に収録されています。