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出来損ないの道化

平成13年(2001)8月・歌舞伎座・「野田版・研辰の討たれ」

木村錦花原作・野田秀樹脚本演出
五代目中村勘九郎
(十八代目中村勘三郎)(守山辰次)ほか


1)歌舞伎役者が演じればそれは歌舞伎です

「歌舞伎役者が演じればそれは歌舞伎です」、こう言ったのは八代目幸四郎(初代白鸚)でした。昭和36年に幸四郎は突然東宝と契約して歌舞伎界に衝撃を与えました。その背景には幸四郎の歌舞伎の将来への不安や・松竹の処遇に対する不満やらがあったのでしょうが詳しいことは分かりません。しかし、スケールの大きい時代物を得意とした幸四郎は菊田一夫の・女優と共演する大衆劇では腕のふるいようがなくて、ちょっと不遇でありました。上記の幸四郎の発言はその頃のものです。この発言は当時は揶揄嘲笑も受けたかも知れませんが、しかし、本人はいたって大真面目であったのです。

幸四郎の言いたいことは分かるような気がします。一口に「歌舞伎」と言いましても、それは元禄時代の荒事・藤十郎の写実の芝居から人形浄瑠璃からの芝居、南北や黙阿弥の世話狂言、綺堂・青果などの新歌舞伎まで多種多様なスタイルの演劇の集合体なのです。四百年の歴史のなかで歌舞伎はいろいろな演劇のパターンを蓄積してきました。歌舞伎というのは結構懐の深い演劇なのです。歌舞伎にしてみれば、菊田一夫の東宝歌舞伎のお芝居もまたそのバリエーションのひとつにしか過ぎない、そんな自信が幸四郎にはあったのかも知れません。

本稿では平成13年(2001)8月歌舞伎座で上演された「野田版・研辰の討たれ」の舞台ビデオを取り上げます。夢の遊眠社での野田秀樹氏の活躍はもちろん吉之助も知っております。しかし、吉之助にとってあまり関心ないものであったことをまず告白しておかねばなりません。正直申し上げると、吉之助は言葉遊び(というと高級に聞こえるけれども駄洒落とまぜっかえし)中心で・ドタバタと役者が右に左に世話しなく走り回るような芝居があまり好きではないのです。(ファンに怒られそうだナ。吉之助の野田演劇の知識というのはこの程度なのです。)しかし、舞台ビデオを見るとなかなか面白いですねえ。お芝居のこともそうですが、歌舞伎役者がこんなに生き生きと「演じるのが楽しくて仕方ない」という表情をしているのは近頃ずいぶん珍しいことのように思いました。このことだけでも今回の上演の成果としたいところです。

野田氏が「忠臣蔵」とか「千本桜」のような古典を題材にせずに木村錦花の「研辰の討たれ」を取り上げたのは、誰かのアドバイスがあったのかも知れませんが、なかなか知能犯であるなあと感心しました。錦花の「研辰の討たれ」は知っている人は知っているでしょうが、どんなお芝居か知らない人の方が多いでしょう。この作品は新歌舞伎で「仇討ち」に代表される武士の論理にシニカルな視点で迫ったなかなかの作品ですが、あまり知名度がないおかげで野田氏はこれを自分の土俵に引き入れて有利に勝負ができているのです。野田氏は「野田版」を、「歌舞伎を書くんだ」というような気負いなく・自分のペースで書いているように思います。テンポの早い笑劇の終幕にちょっぴりペーソスを添えて楽しいお芝居に仕上がっています。

「これは歌舞伎か」などということは議論をしてもあまり意味がないようです。この作品を夢の遊眠社の俳優たちが演じたって別に問題ないと思います。しかし、ビデオを見てるとこの「野田版」は確かに「歌舞伎」に見えました。そこで先の幸四郎の発言を思い出したわけです。歌舞伎役者が演じているのだから、やはりこれは歌舞伎なのです。


2)出来損ないの道化

別稿「道化としての鶴屋南北」において、「笑い」における嘲笑理論と招福理論の関連と・道化の役割について考えました。道化」というのは、嘲笑理論においても招福理論においても笑いの埒外にあるべきものです。この点から言うと、「野田版」の主人公・守山辰次は「出来損ないの道化」です。序幕では辰次は道化であろうとして、笑いを取ろうとして、逆に周囲に反感を持たれていくのです。辰次には本音で生きていこうとか・武士の建前を批判しようなどという大それた気持ちが別にあるわけではないのです。しかし、自分の口先の何気ないひと言が他人を傷付け怒らせていることが彼には分かっていません。つまり出来損ないの道化は嘲笑理論によって罰せられるのです。

この芝居での大事な要素は「群集」です。彼らは身勝手で軽薄でつかみ所がなくて・気分次第で右にも左にも行きます。仇討ちに熱狂して・仇討ちに勝手に憧れ、騒動を面白がり・いじくり弄り・楽しみます。そして、何かの拍子には気分で「可哀相じゃないか・助けてやれ」などと言ったりします。これも本気で言っているわけではなくて群集はその時の気分を楽しんでいるだけなのです。

この辺の描写は多少しつこい感じもしますが、野田氏の筆はさすがにうまいものです。錦花の「研辰の討たれ」が封建社会の非人間的論理に重点が行っているのはこの時代の新歌舞伎の視点として当然のことです。一方の「野田版」においては、むしろ大衆の付和雷同の軽薄性に視点が行っています。この点に目をつけた野田氏の慧眼は大したもので、そこに「野田版」の意図があったのでしょう。

しかし、この群集は自分ではそうは思っていないだろうが、じつは群集は自分の意志で動いているわけではないのです。この芝居での群集はじつは踊らされているだけなのです。逃げ回る辰次をつまみ出して・追っ手の兄弟の前に引き出してしまうのも群集ですが、辰次に同情して兄弟を逆に窮地に陥れてしまうのも群集なのです。しかし、そのどちらの反応も辰次によって(あるいは追っ手の兄弟によって)引き起こされています。と言って辰次が群集を動かしているわけでもありません。辰次自身が予想もしていないような形で群集の反応が気儘に現れます。辰次の言動・行動が本来の日本の道化であるならば招福理論において周囲が笑いで包まれて円満に納まらなければならぬはずです。しかし、ますます現場は混乱していきます。彼の引き起こす行動・言動が嘲笑理論において批評になり・嘲笑になり・批判になってしまって、人々を傷つけ怒らせ 興奮させ面白がらせて踊らせるからなのです。招福理論と嘲笑理論がまぜこぜになっているのです。だから辰次は「出来損ないの道化・下手な道化」です。

最後のシーンの辰次が追っ手の兄弟の刀(自分が斬られるはずの刀)を研ぎながら・一枚の紅葉が落ちるのを見て「生きてえ、散りたくねえ」と生きることの尊さを語ります。このシーンにそれまで笑い転げていた客席が一転して静まり返ってしまいます。(この辺の勘九郎のホロリとさせる演技もうまいところです。)これはいわば招福理論の反転みたいなものです。西洋の喜劇作者なら 多分ここの場面は徹底的に茶化してしまうでしょうね。考えてみればここは滑稽・かつ皮肉な場面なのですから。しかし、ここを滑稽なシーンにしてしまわないのは野田氏も日本の作家だなあとつくづく思うわけです。

そして群集が去ってしまって・追っ手の兄弟も行ってしまって・「助かった・・」かと思った辰次がゆっくりと麦湯を飲みます。ところで吉之助は思いますが、涙を流しながら生きることの大事さを感じた辰次がこのまま長生きしていたら、心を入れ替えて「真面目」にこれからの人生を生きるのでありましょうか。ところが、どうもそうではないようでした。「へへへ、やったね、うまく切り抜けたぜ」と舌をペロリと出して・これからも辰次はその場その場の人生を生きていくのでありましょう。(勘九郎の辰次はそのように吉之助には見えました。これは脚本の要求であると思いますが。)そのような辰次が引き返してきた兄弟に殺されるのです。道化(出来損ないであっても道化ではある)はあっけなくプツンと死ななければなりません。

ここでは問いさえも保留されています。「野田版」が忠義批判であるとか・大衆の恐ろしさを笑っているのだとか色々言えましょう 。しかし、これはただのエンタテイメントであって別に何も語っていないとも言えます。笑ったり・そこから意味を読もうとしたりするのは観客の仕事なのです。だから作品自体が嘲笑理論からも招福理論からも自由になって「道化」の喜劇になるのです。

それにしてもこの「野田版」の舞台では歌舞伎役者たちが何と嬉しそうに役を演じていることでしょうか。観客と時間を共有して演じることの楽しさを満喫しているようです。考えてみれば芸能の原点は祭事であります。祭事の主役は道化でありました。この「野田版」は歌舞伎座での久しぶりのお祭りのように感じられました。

しかし、こういうこともちょっと考えておきたいと思います。この芝居を見て笑っている観客は招福理論だけで笑っているのでありましょうか。観客もまた嘲笑理論とまぜこぜで見ている部分があるに違いありません。「観客のあなたも群集のひとりなんだよ」と、もしかしたら野田氏は言いたかったのかも知れませんね。

野田秀樹:野田版歌舞伎


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写真 c松竹、2012年5月、平成中村座、髪結新三


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