西洋と東洋の出会い〜クローデルと五代目福助
舞踊詩劇「女と影」
九代目中村福助(女の影・水の精)、和栗由紀夫(月)、八代目藤間勘十郎(武士)、中村芝のぶ(その妻・雲)
平成17年11月28日・早稲田大隈講堂・クローデル没後50年記念事業
ポール・クローデル(1868〜1955)は20世紀フランスを代表する詩人・劇作家です。クローデルは有能な外交官であり、大正10(1921)年から昭和2(1927)年にかけて駐日フランス大使を務めました。日本滞在中に能・文楽・歌舞伎に親しみ、俳句風の詩集「百扇帖」などを出版したり、日本に関するエッセイを収めた「朝日のなかの黒い鳥」を残しています。「黒い鳥」とはどういう意味かと言うと、クローデルという音が日本語の「クロドリ」に似ていて・それが何となく古事記の神話に登場する八咫烏(やたがらす)を想像させて、彼はそれがとても気に入っていたそうです。神武天皇が東征の時に熊野から大和に入る吉野の山中で道に迷った時に天の神が道案内としてつかわ
した3本足の大きな鳥が八咫烏です。クローデルの代表作に大作戯曲「繻子の靴」がありますが、現在フランスでもっとも多く上演される20世紀の劇作家はジュネとクローデルだそうです。またクローデルの姉カミーユは彫刻家で ・ロダンの弟子でしたが、ロダンとの関係は愛憎入り混じったもので・結局彼女は発狂してしまい悲劇的な生涯を終えました。 舞踊詩劇「女と影」は日本滞在中のクローデルが五代目福助の主宰する「羽衣会」の委嘱を受けて書き下ろした作品です。最初のきっかけは五代目福助がクローデルにバレエ「男と欲望」の上演許可を求めたことです。しかし、クローデルは日本での上演は無理だとしてこれを断わり、代わりに五代目福助のために新たに「女と影」を書き下ろしました。武士の前に死んだ前妻の影が現れ、取り乱した武士は現在の妻を誤って斬ってしまうという筋です。正確に言えばクローデルが書いたのは舞踊の骨格となる素案(粗筋)であって、細かいところを書いたわけではありません。また初演の音楽は長唄と記されていますが、フランス人ですから当然のことですがクローデルは歌詞は書いていません。素案には歌詞がないので・長唄の歌詞は粗筋に合わせて書き足 されたもので・大したものではなく、ほとんど邦楽オーケストラのようなものだったと想像されています。当時の新作舞踊としては前衛的な実験作品ですが、これも譜面などが残っていないので詳しいこと は分かっていません。五代目福助の「羽衣会」はその他にもメーテルリンク 原作・山田耕筰作曲・岡田三郎助舞台美術「マグダラのマリア」でオーケストラによる洋楽の新舞踊を試みるなど意欲的な活動を行ないました。「女と影」は第2回「羽衣会」の演目として大正12年(1923)3月東京帝国劇場で初演されました。杵屋佐吉作曲、鏑木清方舞台装置。配役は武士:七代目松本幸四郎、その妻:五代目中村福助、影の女:中村芝鶴という配役でした。
『私のドラマ「女と影」を音楽芸術によって展開してくださった杵屋佐吉氏にこれを捧ぐ。氏は、音響の三つの要素、すなわち何かの印であり・何かを呼び集める役を果たす打楽器音、絶えず中断されながらも・繰り返される語りによって著わされる線音、そして、感嘆の群れとも言うべき三味線によって弾かれる点としての音、それらを鍛錬して、ドラマに加えてくれたのである。』(ポール・クローデル:出版された「女と影 」第2稿に付された前書き・1922年)
『武士は歌う。この枝の花咲くは春のみならず。大地の太陽の輝かぬは、春のみならず。常なる夏なり。若き花が引き寄するは、気の触れた小さな蝿にあらず。それは水無月の大きなる蝶。(実際にあちこちに蝶が現れる。女は手を挙げて男の目を遮る。枝と蝶は消える。)女は歌う。もしまこと、この霧の帳のかなたに耳傾ける人あらば、聞く人にまかせん。現し世の声でなく、楽の音にて。現し世の声の届かぬところ、人の使う言の葉の理解されぬところに。やさしい楽の音は、歌に合わせて、言の葉を選ばん。(女は琵琶を鳴らし始める。突然、武士はそれを遮る。音楽は仕切りのかなたで続いている。)女は歌う。ああ、身に影のある如く、声にもこだまのあるものを。歌声は、目に見ゆる世を越え、打ち寄せる波となりて、広がり行かん。(女は押し黙る。)』(クローデル:「女と影」第2稿、樋口裕一訳)
*ポール・クローデル:天皇国見聞記( 樋口裕一訳・人物往来社)・・・本書は「朝日のなかの黒い鳥」を中心に・クローデルの日本関係のエッセイを集めて編集したもので、「女と影」の草稿も収められています。
クローデルの「女と影」草稿を読んで感じるのは、その印象が幻想的でフワフワして実体性が乏しいことです。読み手の想像力の余地を残した書き方をわざとしているのです。これは確かに20世紀初頭の西欧の印象主義の揺れる感覚を持ったものです。これを具体的な形で舞台作品に仕上げるのはなかなか力量の要る仕事だなあと思います。ここでクローデルが 前書きに記していた「何かの印であり・何かを呼び集める役を果たす打楽器音、絶えず中断されながらも・繰り返される語りによって著わされる線音、そして、感嘆の群れとも言うべき三味線によって弾かれる点としての音」ということを想起してみると、クローデルが邦楽にイメージし たものがおぼろげに聴こえて来る気がします。ひとつには非連続的な音楽、絶えず中断するが・消えては浮かびして消えることなく・結果として確かにひとつの流れを形成している音響体ということです。もうひとつは西洋音楽のように音響の重層的な色彩によってカンバスを塗りつぶすのではなく、それは西洋音楽の概念からするとスカスカなのですが・静寂を長く置いた空間のなかに唄い手と楽器が織り成す響きの直截的な意味を聴き手に伝えることをイメージしているのです。これは19世紀の西洋音楽が見失ってしまった要素で、シェーンベルク以後の20世紀の西洋音楽が回帰しようとした方向と密接に重なり合っています。クローデルはその延長線上に邦楽を聴こうとしていたことが明らかです。
一方、五代目福助ら「羽衣会」メンバーは歌舞伎・邦楽の立場から逆に西洋芸術の方向を見据えようとしています。それは芝居・舞踊・音楽がひとつになった総合芸術という考え方で、坪内逍遥が試みた新舞踊劇運動と同じ流れになります。伝来の日本舞踊にはない重層的なものを志向しているのです。それが「羽衣会」での洋楽 オーケストラを使用した新舞踊の試みにもつながって行きます。ですからこれはクローデルの立場とは方向性がちょうど逆になるわけですが、両者の互いの延長線が交錯するところに一致点を見ることで成立したのが、この舞踊詩劇「女と影」ということになるかと思います。
それにしても当時の歌舞伎役者はずいぶんと実験的な挑戦をしたものです。吉之助は五代目福助のその舞台は長唄も声楽よりお囃子のアンサンブルが主体となるもので・舞踊の振りも言葉の助けを借りるのではなくバレエのように振り自体のイメージを試されるという感じが強いものであったかなという想像をするのですが、これは吉之助の根拠のない想像です。吉之助の根拠とも言えない根拠は、同じく五代目福助が羽衣会で上演した山田耕作の舞踊劇音楽「マグダラのマリヤ」の音楽を聴いていると、これで五代目福助が日本舞踊を踊ったという ことはちょっと想像が付かないことで、バレエ的な日本舞踊がイメージされていると思えることです。ちなみに舞踊交響曲「マグダラのマリア」はキリスト受難の時のマグダラのマリアの心の変化を描いたもので、声楽を伴わない管弦楽だけの15分くらいの曲です。その響きは特に前半部分でR.シュトラウスの影響を想わせますが、立派な西洋音楽です。本曲は1916年に作曲者自身の指揮によりニューヨーク・フィルで初演されたもので・羽衣会のために書かれたものではありません。当初五代目福助がクローデルにバレエ「男と欲望」の上演を希望したということを考え併せると、「女と影」でもそれに近いことが意図されたかなというのが吉之助の想像です。
*CD:山田耕作:長唄交響曲「鶴亀」、舞踊交響曲「マグダラのマリア」を収録。湯浅卓雄指揮・東京都交響楽団ほか(NAXOS:8・557971J)
今回の「女と影」の上演はクローデル没後50年を記念した一日限りの特別公演ですが、五代目福助の上演版の復刻を意図しているわけではありません。上演台本や譜面が残っていないので、これをまったく新たに造りなおして・五代目の孫である現・九代目福助が演出をしたものです。今回は鈴木英一氏が補綴して歌詞のある台本を作り・これに常磐津の手法で作曲した部分と日本楽器を使って現代音楽の手法を使って作曲した部分を併せて劇展開をしていく手法を採っています。クローデルの台本は象徴主義的で筋をわざと曖昧に仕立てているところがありますが、常磐津の語り物の要素を利用して演劇的に処理がされていて・筋が明快で理解し易いものになっています。まあそのことの良さもあり、弱さもあるようです。和栗由紀夫を雲役に起用して現代舞踊の新しさも取り入れてはいますが、全体的に前衛的要素は抑えられて、古典劇風に落ち着いた印象が強いようです。そこに常磐津の語りの効果が出ており、振りも言葉の説明に頼るところが出ています。結果としては五代目福助の初演の舞台よりも作品を日本の方に引き寄せた感じが強いように想像されます。しかし、それが決して悪いということではありません。あるいは初演から90年近く経って、我々のなかの西洋がこなれてきたということなのかも知れません。
影の女は武士のかつて愛した女・亡くなった前妻とされていますが、今回の舞台では前妻の亡霊が後妻に祟る「怪談」風の舞踊劇に見えました。草稿では幕切れで武士は自殺すると書いてはおらず・「よろめきながら退場」とあるだけですが、舞台では後妻を誤って斬ってしまった後に武士は縊死します。そのために筋に落ちがついて不可解な印象が希薄になり・古典劇的な趣に仕上がって、外国人の作品であるという感じがあまりしないのはそのせいかも知れません。しかし、影の女は武士の心のなかに残る前妻への未練・あるいは幻影とも思われ、つまり武士の心のなかの出来事として解しても良いのではないかと思うので・その辺はボカしても良かったかなあとも思います。もう少し不条理劇の感じが欲しかったところです。ともあれこの「西洋と東洋の出会い」は試みとしてなかなか面白いものでした。これが一日限りの上演というのはもったいないことです。歌舞伎座で再演しても良いものではないでしょうか。
(H20・12・29)
(後記)別稿「クローデルの文楽」もご参考にしてください。