十三代目団十郎・15年ぶりの「鏡獅子」
令和8年1月新橋演舞場:「春興鏡獅子」
十三代目市川団十郎(小姓弥生後に獅子の精)、八代目市川新之助(胡蝶の精)、四代目市川ぼたん(胡蝶の精)他
本稿は令和8年1月新橋演舞場での、団十郎の小姓弥生後に獅子の精による「春興鏡獅子」の観劇随想です。団十郎の「鏡獅子」は平成23年(2011)7月新橋演舞場以来のことですから、随分久しぶりのことではあります。今回も新之助・ぼたん(共に胡蝶の精)と親子三人が同じ板で共演ということで話題で、お客の入りも宜しいようです。
ところで「鏡獅子」のことですが、明瞭な境目はありませんが・立役である九代目団十郎が創始した舞踊であるだけに、大まかに立役の「鏡獅子」と女形の「鏡獅子」とがあるように思います。女形舞踊の一大ジャンルである獅子物舞踊の系譜でありながら「可愛い女の子に不思議な力が憑依して勇壮な獅子の精(すなわち男性的なイメージ)に変身してしまう」という設定ですから、前シテ(弥生)に重点を置くか・それとも後シテ(獅子の精)に重点を置くかで受ける印象は変わって来ます。この相反する二つの要素を理想的なバランスで踊り分けたことで思い出すのは故・十八代目勘三郎の「鏡獅子」ですが、大抵は立役の「鏡獅子」か・女形の「鏡獅子」か・そのどちらかのイメージに偏差するものです。それは役者の持ち味(個性)に拠ります。
団十郎であると、当然嫋々としたところは無いし、その体躯の立派さからして立役の「鏡獅子」にならざるを得ないわけですが、今回(令和8年1月新橋演舞場)の団十郎の「鏡獅子」は、特に前シテ(弥生)に於いて、ストイックで太い印象が強いように感じました。要するに媚びるようなところがない踊りということです。これは吉之助にとってはちょっと予想外でホウという感じでありましたが、二人の子供(新之助・ぼたん)を前に踊るということで「手本になるべきものを見せなければ」と云う気持ちが強かったのかも知れません。そう思うと新之助も・ぼたんも真剣に踊っていて、こんなことを書くと何だが・胡蝶の精なんて可愛く伸びやかに踊っておればそれで良いくらいに思っていたのだが・二人とも緊張して踊っており(逆に云うと愉しさがちょっと不足ということでもありますが)、そうすると後シテの獅子と胡蝶の踊りが「連獅子」みたいな教育的シーンと重なって見えてくる、もちろんこれは見る側である吉之助がそのような「思い入れ」で舞台を見るせいもありますがね。
それにしても今回の団十郎の「鏡獅子」では、そのストイックな太さが印象に残りました。後シテの獅子の毛振りは立役の「鏡獅子」らしい激しさ・豪快さでしたが、これが派手なだけのパフォーマンスに見せなかったところを評価したいと思います。もしかしたらそこらも前述の教育的シーンの成果かも知れません。そのせいで前シテ(弥生)から後シテ(獅子の精)に向けて太い芯が一本通った印象になって、そこから両者の連関性が見えることになった、そんな感じですかねえ。「鏡獅子」においては前シテと後シテとの連関が見えることは、ホントに大事なことなのです。
前回(平成23年7月新橋演舞場・15年前)の「鏡獅子」では振りが若干バラバラな印象を受けたけれども、今回の団十郎の踊りはさすがに落ち着いて見えました。まあ腰高の踊りには違いありませんが、身体がしっかり出来ているので・安定感がある。上手いとは云えないかも知れないが、団十郎の踊りの良いところは、肩が揺れない・身体の軸がブレないことです。可愛いお小姓の踊りだからと云って「女らしく」見せるための小細工を弄しない。だから、団十郎の踊りは線が太くて・ストイックな印象に映るのだろうと思います。
(R8・1・27)