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八代目菊五郎襲名の髪結新三

令和7年7月大阪松竹座:「梅雨小袖昔八丈〜髪結新三」

八代目尾上菊五郎(髪結新三)、二代目中村錦之助(弥太五郎源七)、初代坂東弥十郎(家主長兵衛)、五代目中村米吉(お熊)、初代中村萬太郎(手代忠七)、初代片岡孝太郎(白子屋後家お常)、尾上菊次(下剃勝奴)、二代目市村萬次郎(家主女房おかく)他


1)八代目菊五郎襲名の髪結新三

本稿は令和7年7月大阪松竹座での八代目菊五郎襲名披露狂言「梅雨小袖昔八丈〜髪結新三」の観劇随想です。八代目菊五郎の新三は、五代目菊之助時代の平成30年3月国立劇場が初演で・令和5年舞伎座が再演、今回が八代目菊五郎としての三演目と云うことになります。だいぶ役の寸法が身の丈になじんで来たようで、なかなかいい感じに仕上がりました。大阪では珍しい江戸狂言でもあり、お客さんの反応も上々のようでした。

さて例によって作品周辺を逍遥することにします。永代橋で新三が忠七と足蹴にして「ざまア見やがれ」とせせら笑い、「ズドンドン」の波頭で佃の合方になり、番傘をポンと片手開きにして肩に担いで意気揚々と橋を渡って入る。これが定型のやり方ですが、ここで六代目菊五郎の思い出話です。

六代目が初役で新三を勤めた時に(明治44年・1911・6月二長町市村座でのこと)、囃子頭の林扇之助を呼んで、「永代橋の下はまだ海じゃないのだから、波頭ではなく・波音を打ってくれ」と注文したそうです。すると扇之助が言うことには、

『実は私もそう考えましたから、五代目の旦那にその通りを申し上げた所、旦那の仰るには「一応は尤もな事だが、それじゃァ新三が引っ込めねえのだ。例えば実盛物語でも、あの場所は近江の湖水の傍であり、しかも中心人物でない九郎助の出にさえ、〽あるじ九郎助網引き上げの義太夫で、ズドンドンと波頭を入れるじゃアねえか。永代橋でまあ波音を打って見ねえ、新三の引っ込みがキッパリしないよ」と仰られて、なるほどと合点が行きました。』

これを聞いてさすがの六代目もギャフンとなったそうです。これは六代目の芸談集「芸」に出てくる逸話です。

隅田川の永代橋からは佃島がはるかに見えますが、まだ「海」ではありません。だから六代目が「波頭ではなく・波音を打ってくれ」と言うのは、生世話(=写実)の観点からすると、理屈としては正しいのです。しかし、芝居の感覚からすると、それだと「新三の引っ込みが引き立たない」。この逸話は、どちらが良いとか・正しいとかはちょっと置いて、五代目と六代目の菊五郎のセンスの違いをよく表しています。つまり息子の六代目の方が、近代的な自然主義のセンスに重きを置いています。これは明らかに「時代の違い」から来るものです。

八代目菊五郎の令和5年5月歌舞伎座での再演を思い出すと、今回も同様ですが、原作の指定通り・序幕・白子屋店先での新三の登場を花道から出るやり方でした。これに対し壮年期の六代目が工夫したやり方は新三が舞台下手から登場するものでした。現状ではこちらが型として定着していますが、芝居の主役としてはそりゃあ花道から登場した方が気持ちがいいに決まっています。それを敢えて下手から登場する地味な出に変えてしまったところが六代目の凄いところなのだが、まあそのことは置いても、ここにも五代目と六代目の菊五郎のセンスの違いが見て取れます。五代目の方は役の「らしさ」と云うところに重きを置いている。どちらかと云えば、五代目の新三の方が「様式的」であると云えるでしょうか。

そこで今回(令和7年7月大阪松竹座)での八代目菊五郎の「髪結新三」を見直せば、回数を重ねたことで新三という役が身の丈になじんで、「らしさ」というところで役の本質をしっかり押さえられた印象がします。これは五代目のセンスに近いのではないか。だから誤解を恐れずに書けば、八代目菊五郎は必ずしも新三にぴったりのニンと云うわけではないが、役の本質をしっかり押さえているので、「芸」として安心して楽しめる、そのような新三になっていたと思いますね。(この稿つづく)

(R7・7・26)


2)役の性根を大掴みに捉える

別稿(これは八代目菊五郎の再演の新三の観劇随想)に於いて髪結新三の性格に、愛想が良い江戸前気質の髪結新三と、僻み(コンプレックス)の塊りみたいな「上総無宿」の入墨新三と云う、乖離した「二面性」が潜んでいることを考えました。再演の八代目菊五郎の新三には・この二つの性格を「声色を以て仕分ける」ような印象が若干あったので、観劇随想ではそのことを指摘しました。一方、今回(令和7年7月大阪松竹座)での三演目の新三には、そう云う所は見えませんでした。台詞のトーンを若干低めのところで一定させたことが成功しました。おかげで背理したかのように見える二つの要素に折り合いが付いて、役の寸法が身の丈になじんで・なかなか良かったのではないでしょうか。

そこから翻って八代目菊五郎が序幕での新三の登場を花道からの出(原作通り)に戻したことに話を戻しますが、ここで新三は七三で立ち止まり、先の帳場で手間取った事情をひとくさりボヤく、別にあからさまに客の悪口を云うのではないが、お愛想ばかりではない新三をチラッと見せる。そうすると、白木屋門口に来て内の二人(忠七・お熊)を見て、「何をいふか聞いてやろう」と言って立ち聞きする新三の悪意もそこにチラッと見えて来る。そのような何気ない工夫(原作への戻し)も、八代目菊五郎の新三に性格の一貫性を与えるためには随分役に立っているのだなと改めて思いますね。

例えば新三内へ向かう途中で善八が「新三は怖い」と云って源七に「臆病な人だねえ」と笑われる、芝居ではただそれだけのことで・後に活きる会話でもありませんが、多分新三は善八に対しては普段から「何だ、この野郎」というような横柄な態度を見せていたのだと思います。お客には見せ掛けのお愛想を振り撒くが、そうでない相手には態度をガラリと変える、そのような新三の二面性が伺えます。

白子屋で愛想良い善人を見せておいて、次の永代橋で一転ガラリと変わって悪党の本性を見せる。その変わり目・落差を鮮やかに見せる。さらに続く富吉町へどのように具合よく繋げるか。今回の八代目菊五郎は「新三の性根をざっくり大掴みに捉える」、そこのところが上手い具合に行きました。弥太五郎源七をやり込める啖呵の威勢の良さと、逆に家主長兵衛にやり込められる間の抜けたところが、無理がないところで同居する面白さが「芸」として安心して楽しめる。これも八代目菊五郎になって・また一段と芸格が大きくなったことの証左だと思います。

弥十郎の長兵衛も生世話の家主のニンとして必ずしもぴったりと云うわけではないのですが、この人物の癖の強いところをしっかり押さえているので、「芸」として面白く見せてくれました。新三と長兵衛のやり取りが軽く浮いた調子に陥らなかったのは、ここは八代目菊五郎も良かったですが・弥十郎のおかげも大きかったと思います。

(R7・8・1)


 


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