初代壱太郎・初役のお光
令和7年7月大阪松竹座:「新版歌祭文〜野崎村」
初代中村壱太郎(久作娘お光)、四代目中村鴈治郎(百姓久作)、初代中村隼人(丁稚久松)、三代目中村扇雀(油屋娘お染)、二代目中村鴈之助(後家お常)
1)お光の悲しみ
本稿は令和7年7月大阪松竹座での、壱太郎のお光による「野崎村」の観劇随想です。壱太郎のお光はニンがぴったりなので期待して見ました。もうとっくに演じたものと思っていましたが、意外や初役だそうです。まず結論から申し上げますと、壱太郎のお光は決して悪い出来ではありませんが、いくつかの理由があって・素材の良さが十分発揮されていないように思われます。そこにこの「野崎村」という芝居を考える材料がありそうです。
「いくつかの理由がある」と書きましたが、まずひとつめは、前半部分をカットして、〽後に娘は気もいそいそ・・から芝居が始まることです。これはしばしばあることですが、この脚本では「野崎村」の筋の上っ面を追ってお茶を濁しているようなもので、芝居として量感あるものに成らず、従ってお光の悲劇が浮き彫りに成って来ないことが明らかです。加えて今回上演も両花道ではありません。「野崎村」は大阪のご当地狂言として大切にすべき作品であり、観客にとって地理的にも親しい狂言です。しかも上方の若手のホープ壱太郎が初役で主役を演じるのであるから、然るべき体制を以て臨むべきであるのに、そのつもりもなさそうだと云うのが大変残念です。
今回の脚本については、もうひとつ苦情を言わねばなりません。それは久作が久松・お染両人を諫める場面において、お夏清十郎の道行本を持ち出して説教する件をそっくりカットしたことです。すなわち、
『その恩も義理も弁へぬは、アコヽこれ見や。先に買うたお夏清十郎の道行本。嫁入りの極つてある、主の娘をそそなかすとは、道知らずめ、人でなしめ、トサこりやコレ清十郎が話ぢや/\、話ぢやわいの。コレお染様ではない、この本のお夏とやら。清十郎を可愛がつて下さるは、嬉しいやうでエ、恨めしいわいの。』
の箇所です。この台詞を抜いたらば「野崎村」は成立しないと断じてもよいほどの大ポカです。この芝居の外題「新版歌祭文」とは、旧来の歌祭文(お夏清十郎の心中物語)に代わる新たな歌祭文、それが未来に起きることになるお染久松の心中物語だと云うことです。もちろん久作はお染久松が死ぬなんてことを全然考えていません。久作は二人を死なせまいとして、お夏清十郎の件を説教の材料として挙げたまでのことだったのです。
しかし、奥でそのことを聞いていたお光には、別の観点からお夏清十郎の物語が心に痛く突き刺さったのです。遅かれ早かれ二人が心中する運命にあることをお光は何となく感じ取った。そして、この新たな歌祭文の語り部とでも云うか・あるいは回向者か、それが自分に課せられた新たな役割であると、お光は悟った。だからお光は尼さんになるのです。「野崎村」のなかで、お光は誰よりも未来が見えている人物です。久作は、
「なんにもいはぬこの通りぢや、この通りぢや。女夫にしたいばつかりに、そこら辺りに心もつかず、蕾の花を散らして退けたは、みなおれが鈍なから、赦してくれ」
と云って泣きます。老母の長い看病で「死」が心根優しいお光に重く圧し掛かっていました。そんななかで気持ちが過敏になっているお光にお夏清十郎の心中物語がどのような心理的作用を及ぼしたか、久作にもこれで察しがついたことと思います。「そこら辺りに心もつかず、蕾の花を散らして退けた」という台詞に、心ならずも娘を追い込んでしまった父親の後悔が表れています。
付け加えれば鴈治郎の久作は悪い出来ではありません。情味のある良い出来ですが、上述の通り・お夏清十郎の道行本の件がない脚本では是非もありませんね。
今回の「野崎村」の舞台を見ていて、もしかしたら役者の皆さんは「お光は失恋したから世を儚んで尼さんになる決意をした」と単純に考えているのではないかと心配になって来ました。まあそれでも一応の芝居にはなるだろうが、失恋は「きっかけ」に過ぎないのです。お光の悲しみはもっと深いものだと思います。この世に生きとし生けるすべての者が背負っている悲しみにお光は感応しています。だからお光は尼さんになったのです。(この稿つづく)
(R7・7・13)
ところで三代目雀右衛門が芸談のなかで「お光という役が大嫌いだ」と語った話を、別稿「野崎村のお光の位置付け」で紹介しました。雀右衛門は、
『もう慄然とするほどいやでござります。一体お光は、前半と後半とはコロッと態度も変わり、裏と表を明瞭にさせてお目にかけねば役の性根というものが分からんようになってしまいます。と云うてそれが極端に走って、ただ写実風にばかりしては、性格はハッキリするかも知れませんけれど、芝居として考えてみますと面白うまいりません。』(三代目中村雀右衛門:芸談・「演芸画報」・大正4年1月)
と語っています。綿帽子を被って出る二度目の登場で、久作がこれを取ってみればお光は切髪、これで一同がアッと驚くわけですが、お光が出家を決意するに至るまでの迷い・あるいは葛藤を描写する場面が芝居のなかにまったく無い。これではお光の悲劇の「必然」の構築に当の本人が関与出来ません。演じる立場で考えれば、雀右衛門の指摘通り、二度目の登場が唐突に観客を驚かせ・ただ涙を絞らせるだけのサプライズになってしまう憤懣がかなりあるものと察せられます。
「野崎村」を仔細に眺めれば、お光が出家せねばならない「必然」に追い込んでいく材料は、作者によって確かに用意されています。しかし、それはお光以外の登場人物によって描かれるものです。例えばそれは奥の一間に臥す長患いの老母、久松とお染が置かれたのっぴきならぬ状況、そして久作が持ち出してきたお夏清十郎の道行本などです。これらがさりげない形でお光が出家を決意せざるを得ない「必然」を準備します。ただし芝居のなかでお光本人はこれらに関与しません。
と云うことは、すなわち、お光以外の役者達がしっかりしなければ、お光の悲劇が正しく浮き彫りに成って来ないということなのだな。結局「野崎村」とは、お光の目から見た「お染久松の物語」なのであって、お光は主人公のようであるが・実はそうではないと云う特殊な構造になっているわけです。
もうひとつ今回(令和7年7月大阪松竹座)の舞台で引っ掛かるのは、田舎娘であるお光(壱太郎)と・大店のお嬢様であるお染(扇雀)との関係性です。この点については・どちらかと云えば扇雀のお染の方により問題があると考えますが、今回の舞台では丁稚久松(隼人)を挟んでお光とお染は「恋のライバル」、その意味に於いて二人は「対等」な関係で舞台上のドラマが進行しているように感じます。ここに大きな疑問があります。
例えばお光がお染と初めて対面する件、
「常々聞いた油屋のさてはお染」と悋気の初物胸はもやもやかき交ぜ鱠俎押しやり、戸口に立寄り見れば見るほど、「美しい。あた可愛らしいその顔で、久松様に逢はしてくれ。オホそんなお方はこちや知らぬ。よそを尋ねて見やしやんせ阿呆らしい」と腹立ち声。
この場面で許婚である久松を奪われて怒るお光が描かれます。しかし、同時に「戸口に立寄り見れば見るほど、美しい」という詞章のなかに、お染との間の「越えられない壁」が意識されてもいるのです。これはお染がちょっと見た目がキレイとか云う次元ではありません。身体から醸し出される上品な雰囲気が比べ物にならない、お育ちが全然違うと云うことです。いくら悋気しようが・まったく勝ち目がない相手であることをお光は思い知ることになります。
この点はとても大事なことですが、歌舞伎では、大店のお嬢様は大名家のお姫様と同じ格であるとされています。お染の袂の扱いは、例えば八重垣姫の袂の扱いと同じになります。それは大阪の商家にとって「家の存続」がまず第一であり、娘が生まれれば有能な婿を貰って店の繁栄を維持出来る、これは政略結婚で御家の安泰を図る大名家とまったく同じ事情です。
扇雀のお染は、美しいことは美しいですが・世話に砕けて、人間としてお光と「対等」な印象ですね。お光とお育ちが違う・レベルが違うという印象が乏しいようです。しかし、お染は大名家のお姫様と同じ格式で(つまりもっと時代の様式感覚で)演じなければなりません。お光が叶わない相手であることを雰囲気だけで見せ付けねばならないのです。このことが、お光を出家せねばならぬ状況に追い込んでいくための・大事な「必然」の一つであることを、正しく認識して欲しいと思います。
本稿冒頭に記した通り、壱太郎のお光はニンがぴったりで、包丁で大根を切る場面など軽快な動きで客席を沸かせますが、お染への悋気・腹立ちの表現が、恋のライバルとして「対等」な関係で久松を張り合おうとするかのような、まだ勝ち目があると思っているかのような印象がありますね。これであると芝居は「お光は失恋したから尼さんになった」と云う認識の域を出ないでしょう。お光尼がお染久松の心中物語の回向者として立つことを考えれば、もうちょっと色合いが異なるお光が考えられるのではありませんか。そう云う可能性を想像してみて欲しいと思いますね。幕切れが六代目菊五郎型(お光が久作にすがって泣く)であるのも気になりますが、前場の座摩社も加えた十全な形で3月南座の花形歌舞伎ででも再演を試みてもらいたいものです。
(R7・7・14)