鏡花とかぶき的心情
昭和31年8月・明治座:「滝の白糸」(新派・莟会合同公演)
六代目中村歌右衛門(滝の白糸)、伊志井寛(村越欣弥)
1)鏡花劇のイメージ
泉鏡花の芝居と言うと・新派のイメージがしますが、実は新派で有名な「滝の白糸」・「婦系図」・「歌行燈」などは鏡花の小説を他人が脚色したもので、鏡花自身の筆になる脚本ではありません。どちらかと言えば鏡花オリジナル小説より、脚色芝居の方で鏡花のイメージが出来上がっているところがあるようです。
文学作品をそのまま芝居にするのはなかなか難しいことで、時系列を再構成したり・筋を刈り込んだり、原作にはない人物やエピソードを挿入しないと、うまく芝居にならないことが少なくありません。原作を知って芝居を見ると・原作との細かい相違が気になることはよくあることです。しかし、これはシュチュエーションを拝借した全然別の作品であると割り切った方がよろしいようです。文学と芝居とはその得意とする分野(感性に訴える方向性)がまったく異なるからです。それにしても芝居というものは観客の感性に視覚的に訴える要素が多いせいか、原作を活字で読むより受け取り方が情緒的に傾くことが多いようです。逆に言えば良い芝居に仕立てるために、原作を情緒的に読み替える傾向が必然的に強くなるようです。このことを知って芝居を見れば、戯曲家が原作のどこに眼を付けたか、どの筋を膨らませたか、どこの筋を捨てたかが見えてきて、それ自体がそのまま原作の解釈にも批評にもなっているということです。
例えば「婦系図」と言えば湯島天神境内でのお蔦・主税の涙の別れが有名ですが、原作を読めばそもそも湯島の境内の場面が原作にないのです。「婦系図」は明治40年に発表された連載小説ですが、翌年に柳川春葉の脚色で新富座で上演されました。「新富座所感」において鏡花は作者として気に入らないところもないではないが、喜多村緑郎のお蔦は申し分なかったと書き、原作ではお蔦は脇役であるので・お蔦の件だけでは見せ場はなかろうと思ったら、舞台にかけると「まるでお蔦の芝居になったり」と褒めています。「切れるの分かれるのって、そんなことは芸者の時に云うものよ・・私にゃ死ねと云ってください」という有名な台詞はこの上演に時に柳川春葉によって付け加えられたもので、原作にはなかったものでした。逆に鏡花の方がこの舞台を気に入ってしまって、大正3年にお蔦・主税の別れを描いた「湯島の境内」を書いて、この台詞をお蔦に言わせているのですから、ややこしいことになります。いずれにせよピカレスク・ロマンの風のある原作が全然趣の違うお蔦・主税の純愛物語になってしまうところが芝居というものの面白いところでもあり、観客を泣かせる勘所を心得ている戯曲家の目の付けどころとはこういうものかと思わせます。
2)筋の奇矯さ
本稿では芝居の「滝の白糸」を取り上げます。原作は鏡花の最初期(明治29年)の小説「義血侠血」で、本作もすぐさま舞台化されました。しかし、舞台化されて・恐らく原作よりも有名になってしまった「滝の白糸」は原作とはかなり印象を異とするものです。これも全然別の作品だと割り切ってしまえばまあそれはそれで良いことですが、文学作品の舞台化の典型として、「滝の白糸」を考えてみたいと思います。
まず原作「義血侠血」発表の経緯がややこしいので、ここに整理しておきます。「義血侠血」は最初に新聞発表された時は匿名で、単行本で出版された時には作者名・尾崎紅葉として世に出たものです。これは当時まだ無名であった鏡花の作品を師・紅葉が世に出すための処置であったようで、発表の際には紅葉がかなり加筆修正を施したようです。決定稿と鏡花の初稿には特に裁判の場面に大きな相違があります。決定稿では村越欣弥は検事代理であり、滝の白糸は再審となってその後死刑を宣告されますが、死刑宣告の後に欣弥は自宅で自殺するとなっています。初稿では村越欣弥は裁判長であり、弁護人から被告人との関係を指摘され忌避を 要求されると、証拠物件の包丁で我眼を潰し・こうして盲目になった以上は知己も親族も眼中にはないと決然と言い放ち、その上で被告を追及し、その場で死刑を言い渡すという筋であったようです。ちょっと想像もしたくないおぞましい光景で、リアリティにも欠けるところがあり、この場面を紅葉が修正した気持ちはよく分かります。しかし、この初稿の結末を知ると、これには最初期の鏡花の短編「夜行巡査」・「外科室」・「琵琶伝」など(これらはすべて明治29年発表)の結末とまったく同様の印象があって、良い悪いは別としても、なるほど初稿の方がまことに鏡花らしいなあと思うところです。
「夜行巡査」・「外科室」などは発表当時の批評家に「観念小説」と言う呼ばれ方をされたものでした。観念小説というのは、現実をありのままに描くのではなく・多少シチュエーションとして極端なこともありますが、むしろその極端さを以って作者の思想信条なり問題意識なりを読み手に突きつけようとするものです。つまり、ある種の社会批判・道徳批判を含んだものと受け取られたわけです。例えば「夜行巡査」を見れば、主人公の八田巡査は規則を頑固に遵守して・人情味がまったくなく・周囲から嫌われている警察官ですが、自分の結婚に反対する恋人の叔父がお濠に落ちたのを救おうとして、恋人が制止するのも聞かず、お濠に飛び込んで死んでしまいます。主人公は泳ぎを知らぬのに、ほとんど自殺同然にお濠に飛び込んでしまうのです。鏡花は「夜行巡査」の最後を次のように締めています。
『後日社会は一般に八田巡査を仁なりと称せり。ああ果たして仁なりや。しかも一人の渠(かれ)が残忍苛酷にして、怨すべき老車夫を懲罰し、憐れむべき母と子を厳責したりし尽瘁(じんすい)を讃嘆するもの無きはいかん』(「夜行巡査」)
これは結末の文を見れば・職務に異常なほど忠実な警察官を描くことで、社会批判の体裁を取っているようでもあり、確かに観念小説と呼ばれるのも分かる気もします。しかし、後期の鏡花の作風を知ったうえで「夜行巡査」に読み直せば、本作はいかにも若書きの生硬さが目立ちますし・多少の力みも感じられるところがあるようで、吉之助はこの最後の一文がいかにも取ってつけた締め括りであるなあと感じます。これは筋の奇矯さを隠蔽するために、社会批判の常識を纏っているようにも思えます。吉之助はむしろ筋の奇矯さの方に鏡花の嗜好があるように思います。そちらの線がまっすぐに後期の鏡花の作風の方向に向かっていることを感じます。同時期の短編「外科室」や「琵琶伝」についても同様なことが言えると思います。
ですから当時の批評家が鏡花初期の作品を観念小説と位置付けたことはそれなりにその時代の真実があると言うべきですが、そこに鏡花の本質があるとは吉之助には思われないのです。鏡花自身は観念小説というレッテルを歯牙にもかけず、「勝手に言わせておけ」という態度であったようです。むしろ筋の奇矯さのなかに鏡花の本質を見たいと思います。
3)鏡花のかぶき的心情
「義血侠血」(明治29年)を観念小説として読めば、主人公村越欣弥は検事代理としての職務に非常に忠実で、滝の白糸に恩あることを思わずして、罪と罪として冷静に断じ、一方・職務遂行(死刑宣告)後は恩人への義理に殉じ・自らを裁いたと言う風にも考えられます。この場合は裁判官の職務(社会の規範)と、義理人情にどう折り合いをつけるかという問題が提起されているとも読めます。理屈で読めばそういうことになるかも知れませんが、しかし、実際に作品を読めば強く印象に残るのは、むしろこれはかぶき的心情の物語ではないかということです。
まず村越欣弥は彼に法律を学ばせるために仕送りを続ける滝の白糸に非常な恩義を感じており・その恩義に報いるためにも立派な裁判官になりたいと思って日々努力を続け、ついに見事に検事代理になったのです。ところが、裁判に出頭した参考人が何と滝の白糸であって・彼女がどうやら盗みを働いたらしい(注:この時点では滝の白糸は自白をしていない)のも、自分に仕送りをする金を作るためであったと村越ははっきり と感じています。欣弥が想像だにしていなかった苦労をして白糸が欣弥に金を送り続けていたことを、この時に初めて欣弥は察するのです。この場合、検事代理である村越に出来ることはふた通りあって、ひとつは罪を見逃して・裁判をそれとなく無罪の方向へ誘導してしまうことです。しかし、それは職務を欺くことである、と言うよりも立派な裁判官になるために苦労をして仕送りを続けてきた恩人の恩義に背くことである。だから欣弥は心を鬼にして恩人の罪を裁くということになります。それが人の誠であり、恩を返すことだと信じてのことです。一方、滝の白糸の方は最初は虚偽証言を続けるのですが、欣弥の尋問を聞いて・欣弥の覚悟を感じて 、ついに証言を翻し、その覚悟に応えるわけです。この過程は歌舞伎に実に多く見られるパターンであることは言うまでもありません。例えば「盛綱陣屋」において切腹した甥・小四郎の覚悟に感じ入って証言を翻す佐々木盛綱です。「義血侠血」はかぶき的心情の物語なのです。
『かく諭したりし欣弥の声音は、ただにその平生を識れる傍聴席の渠の母のみにあらずして、法官も聴衆も自からその異常なるを聞得たりしなり。白糸の憂はしかり目はにわかに輝きて、「それなら事実を申しませうか。」 裁判長はしとやかに「うむ、隠さずに申せ。」 「実は奪われました。」 ついに白糸は自白せり。法の一貫目は情の一匁目なるかな。渠はその懐かしき検事代理のために喜びて自白せるなり。』(「義血侠血」)
欣弥の尋問を聞いて「白糸の目がにわかに輝いた」という点は重要です。欣弥を立派な裁判官にするために、白糸は三年余り苦労して仕送りを続けてきたのです。ですから、もしかしたらそれまでの白糸は欣弥が見逃してくれることを内心期待していたかも知れません。しかし、立派に裁判官になった欣弥を見て、自分の苦労は報いられたと感じて、ここに来て白糸は「喜びて」証言を翻すのです。白糸は欣弥の声のなかにある種の決意を聞いたと思います。かぶき的心情のドラマにおいては、命を張って問いを問うたならば 、問われた者は答えねばならぬ、しかし答えを聞いた者は死なねばならぬ、そして答えた者もまた死なねばならぬのです。これがかぶき者の論理なのです。(別稿「禁問」とかぶき的心情」をご参照ください。)欣弥は命を懸けて白糸に問い、それに白糸が応える、そして結局ふたりとも死ぬという、かぶき的心情のドラマがそこにあるのです。「義血侠血」という題名の由来がそこにあります。
4)鏡花作品の観念的要素
「義血侠血」は愛のドラマではないのかという読み方もあると思います。舞台化された「滝の白糸」では、白糸は欣弥への愛を明確に口にしており、夫婦になりたい、しかしそれは芸人である自分には言えないという苦しみがあって、それが裁判の場面のドラマの伏線として前面に強く出ています。原作「義血侠血」においてもふたりの間に恋愛感情があったと思えますし、それを否定する材料はないですが、原作ではそれは淡い感じです。むしろ表面に強く出ているのは恋愛感情よりも・「人間としての誠・真実」という問題と、それを貫き通すにはどうしたら良いかという問題なのです。だから「義血侠血」はかぶき的心情のドラマであるというのが吉之助の読み方です。「義血侠血」に限らず、観念小説と呼ばれた初期の鏡花短編は、明治の風俗道徳を材料にしながらも、実は江戸の感性をとても濃厚に引きずっています。
「特別講座:かぶき的心情」において、歌舞伎作品のなかのかぶき的心情の現れ方の歴史的変遷を論じています。そのなかで江戸時代のかぶき的心情は、個人に対立するものとして世間・社会を明確に認識することはなかったということを申し上げました。「個人を抑えつけるものが社会である」、「社会規範が個人を束縛する」という意識は、江戸時代においてはなかったのです。それは漠とした巨大な・抗し切れないものとして捉えられており、江戸時代においてはついに明確な形を成さなかったのです。それはイライラした気分で表現するしかなかったものでした。世間・社会が明確な形で意識されるようになるのは、西洋の社会思想が流入した明治以後のことです。例えば岡本綺堂や真山青果らの新歌舞伎では、それが明確に見えてきます。
一方、鏡花は明治6年生まれの作家ではありますが、鏡花はそうした思想にあまり染まっていないようです。むしろ作家として名を成すに連れて・鏡花は次第に世間社会から意識的に背を向けていくように思われます。初期の作品においては「観念小説」という見方をされるような仮の衣装を纏って、防御をしていたわけですが、次第にその本質が露呈していく印象を持ちます。その本質のひとつは作品の奇矯なシチュエーションのなかに潜むかぶき的心情であり、それははるかな昔・江戸の感覚に密接につながっているものです。
5)歌右衛門の白糸
本稿では昭和31年8月・明治座で六代目歌右衛門が演じた「滝の白糸」の舞台映像を取り上げます。これは歌右衛門が主宰していた莟会と新派との合同公演の貴重な記録です。先に書いた通り、舞台化された「滝の白糸」は原作「義血侠血」とかなり筋立てが異なり、全然別の芝居と考えて良いものですが、しかし、この芝居において原作に見られるかぶき的心情を表出しようとするならば、ここが勘所だなと思えるところがあります。
三代目翠扇が「滝の白糸」を演じた時のことですが、これを見ていた喜多村緑郎が大詰・裁判所の場面にダメを出したそうです。翠扇は守衛に連れられて法廷に入る時にうつむいてションボリした姿であったのがいけないと言うのです。喜多村はこう言ったそうです。『最後に舌を噛んで死ぬことを知っているから・そんなことをするのだろうが、あの時、滝の白糸は口先ひとつで裁判所を騙せると思ってウキウキしてるはずだよ。』
法廷で白糸がウキウキしてたかどうか・実は原作にも脚本にもヒントはないのです。しかし、これこそが芝居の勘所を知り尽くした名優・喜多村の真骨頂です。最初は法廷の連中を騙してやろうと・ウキウキして登場し、次に判事代理の欣弥を発見して一瞬たじろぎますが・欣弥は自分を見逃してくれるだろうと心のどこかでまだ思っています。それが欣弥の決死の尋問で、一転して証言を翻し、自らの罪を告白するという変化を名優・喜多村ならば背中の演技だけで見事に見せたことでしょう。そこにかぶき的心情のドラマ、例えば首実検での佐々木盛綱にも似た心理変化を骨太く見せたと想像します。もちろん喜多村は新派の役者ですが、ここにはまさに歌舞伎に通じる感覚があり、そこに原作「義血侠血」に確かに通じるものがあると思います。多くの鏡花作品を舞台で演じ・鏡花とも親交があった名優・喜多村は感覚でちゃんと分かっているのです。
歌右衛門の滝の白糸は前場(第4幕)不動端の茶屋から裁判所に向かう足取りから・もう法廷での死を覚悟したような暗く沈んだ感じであり、大詰:金沢地方裁判所・法廷に入る足取りもしずしずと登場しました。そこに歌右衛門の近代的感覚があるのですから、これはもちろん良い悪いという問題ではありません。しかし、将来「滝の白糸」を歌舞伎のレパートリーにするならば・この場面の処理はキーポイントであると思うので、ここに記しておきます。
歌右衛門の白糸は第3幕の見世物小屋の場面から金の工面に難渋して・次第に追い込まれていく白糸の心理をよく見せました。芝居の「滝の白糸」においては・白糸は欣弥への愛を明確に意識しており、夫婦になりたい、しかしそれは 芸人である自分には言えないという苦しみがあり、そうした心理が芸人としての華を次第に失わせることになるという伏線も歌右衛門はよく見せています。この辺の濃密な演技はもちろん歌右衛門の得意とするところです。もとよりそうした恋愛物的な伏線は原作「義血侠血」では明確ではないものですが、特異なシチュエーションの原作を万人向けの芝居に仕立てるにおいては、このような意識的な読み替えがやはり必要なのです。芝居の「滝の白糸」は愛に殉じるドラマの方に傾いています。そこに原作を読み込む戯曲家の視点がよく現れていると思います。
(H20・2・3)