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二代目右近の「鏡獅子」

令和7年4月歌舞伎座:「春興鏡獅子」

二代目尾上右近(小姓弥生後に獅子の精)


1)曾祖父への憧れ

本稿は歌舞伎座での令和7年4月大歌舞伎・夜の部の右近の小姓弥生後に獅子の精による「春興鏡獅子」の観劇随想です。右近の「鏡獅子」は、4日と9日の2回の舞台を見ました。吉之助は同じ舞台を複数回見ることを余りしません。別にそれをポリシーにしているわけではありませんが、芝居でも音楽でも「芸事は一期一会」であると思っています。舞台は生ものですから、日々様相が微妙に異なるのは当然です。それに出会えるのも何かのご縁と云うことです。今回の場合は、たまたま同じ夜の部の「毛谷村」の六助が奇数日(仁左衛門)と偶数日(幸四郎)のダブルキャストであったので、それぞれの舞台を見たから「鏡獅子」を2回見ることになったに過ぎませんが、右近の踊りの・まったく異なる・ふたつの側面を眺めることになったのも、まあこれも何かのご縁かと思います。

右近が歌舞伎美人のインタビューのなかで、「生まれて初めて見た歌舞伎がひいおじいさん(六代目菊五郎)の「鏡獅子」映像で、「目指して出来るものならやりたいと思って稽古を始めたのが人生のルーツ・すべての始まり」と語っていました。なるほどそうだろうねえ。芸談や劇評(文字)で残っていても、もちろんそれは役に立ちます。しかし、これを糧にするためには多少の想像力が必要です。それに比べると映像は情報量が桁違いで、イメージが直截的に来ますね。「鏡獅子」映像の試写会で六代目菊五郎は「俺はあんなに踊りが下手か」と言い捨てて途中で席を立ってしまって、生前の映像公開はされなかったのです。どこが気に入らなかったのか分かりませんが、例えそのような映像であったとしても遺しておいてくれたことは、後世の人間からすればどんなに有難いことかと思います。

亡き十八代目勘三郎も人生のそれぞれの節目で六代目菊五郎の「鏡獅子」で自らの芸の進度を測っていたと思います。吉之助は踊りを習ってはいませんが、踊りを見る時には、どんな演目であっても・踊りの基準は六代目菊五郎の「鏡獅子」です。板に足が吸い付いたような踊りの安定感、どの箇所を切り取って見ても形が決まって見える「かつきり」とした印象。折口信夫は六代目菊五郎の踊りについて、自由自在に踊り込んで・舞台の端にぴったり下駄の歯一枚残して決まる、これが六代目菊五郎の科学性だと云えると書きました。吉之助の六代目菊五郎の踊りのイメージは、そう云うところに在ります。

まあ吉之助のイメージは吉之助だけのもので・それを押し付けるつもりは毛頭ありませんけれど、さて右近の場合はひいおじいさんの「鏡獅子」映像から何を得て・何を求めて自分は踊るのか、その思いの丈を右近の小姓弥生後に獅子の精からたっぷり見せて貰いましょうと云うことで、今回(令和7年4月歌舞伎座)の舞台を見ました。

まず4日(公演2日目)の舞台を見た感じで云いますと、溢れる思いはよく分かるのだけれど、迸る表現意欲を上手く制御出来ていない印象でしたねえ。振りを大きく取って・動きがダイナミックであることが特徴であったかと思います。後シテの獅子の毛の振りの激しさは十八代目勘三郎も顔負けでしたが、荒々しさと粗さが同居しています。前シテの弥生は、もっと問題が見えます。ちょっと腰高気味であったようです。所作を大きく見せようとするのは美点に思うかも知れないけれど、振りを大きく取り過ぎたために身体の軸がブレてしまっている、肩が揺れる。だから振りの印象がバラバラに見えました。右近はひいおじいさんの「鏡獅子」から何を得たのか、吉之助にはよく見えないままで4日の舞台が終わってしまいました。

しかし、右近の「鏡獅子」は9日の舞台ではまるで見違える印象でありました。(この稿つづく)

(R7・4・17)


2)右近の小姓弥生

4日(公演2日目)の「鏡獅子」に感じたことは、ひいおじいさんの「鏡獅子」映像に迫ろうとする右近の熱い思いは分かるけれども、ひいおじいさんの踊りに感じる安定感・端正さが足りなかったと云うことです。ちょっと粗っぽくて、角々で取る形にしばしば隙間が見えます。多分右近はひいおじいさんの踊りの動的な印象の方に強く惹かれているのでしょう。まあそれもよく分かります。若い内は物事に我武者羅に取り組むことも大事なことです。回数を繰り返して行く中で右近の踊りも変わってくるだろう。そんなことを思いながら舞台を見ましたが、吉之助が思うには、もう少し腰を落として踊った方が宜しい。そうすれば踊りに安定感が出て来ます。それと両手の動きを目一杯大きく取ろうとするのではなくて、もっとコンパクトに振りを持って行くことです。そうすれば所作の端正さが出てきます。

そう云うわけで4日の舞台に釈然としなかったので、9日の舞台には過大な期待をしていなかったのですが、9日の「鏡獅子」は見違える印象でありました。吉之助が上に挙げた二つの問題点が、まだ十分でないにせよ、かなり修正された踊りに変わっていました。もしかしたらどなたかのアドバイス(ダメ出し)があったのかな?と思うくらいの変わりようでしたねえ。冒頭に弥生が老女たちに手を引かれて登場するところからして2日とは印象が違って、身体を小さく取れていたと思います。前半の弥生の踊りも2日より所作をコンパクトに取って、端正さが意識しされた踊りになっていました。女形の時の右近の魅力は、容姿の濃厚な艶やかさであると思います。美しい若女形は多いですが、近年の傾向としてはサラリと涼しい美しさが主流です。そんななか右近の艶やかさは貴重ですが、端正な所作のなかでその美しさがよく映えました。この前半は評価出来ます。後半の獅子の踊りも、2日よりも心持ち毛の振りを抑えた印象があって、これもなかなか良い出来でありました。しかし、ラストスパートの毛の振りは激しかった。まあこれは微苦笑というところです。

この9日の「鏡獅子」の舞台で、右近がひいおじいさんの「鏡獅子」映像に何を感じ・何に迫ろうとしているのか、何となく見えて来ました。しかし、芸の道程は長い。歳月を掛けて一歩一歩憧れの存在に迫っていけば良いことです。長い道程のなかで自分の立ち位置を確認できる標(しるべ)となる作品を持てることは、役者として幸運なことであると思います。右近にとっての「鏡獅子」がそのような作品であることが9日の舞台でよく分かりましたし、これから折りに触れて右近の「鏡獅子」を見るのが愉しみになってきました。

最後にちょっと付け加えます。インタビューのなかで右近もそう語っていましたが、「女性の優美な踊りから勇ましい獅子への変化が最も重要」だと云うことは、立役である九代目団十郎が「枕獅子」から「鏡獅子」を捻り出した創意からすれば確かにその通りではある。しかし、もしそうであるならば団十郎はまったく新しいところから作品を作れば良かったはずで、それならば獅子物舞踊が女形舞踊であることの縁(よすが)は見失われてしまうと思います。吉之助としては、いくら後シテの獅子が勇壮であろうが、前シテの小姓弥生の踊りが良くない「鏡獅子」は決して評価出来ないのです。言い換えれば後シテの獅子が・あれは可愛い女の子が変身したのだと云う理屈が踏まえられていない獅子は、いくら勇壮であろうが決して評価出来ません。

だから正しい言い方をするならば、「鏡獅子」に於いては、「女性の優美な踊りから勇ましい獅子への変化の連関を保ち、両者のイメージのバランスを取ることが最も重要」なのです。それでこそ「鏡獅子」は獅子物舞踊の系譜に正しく位置付けることが出来ます。しかし、この認識が踏まえられていない「鏡獅子」が巷間多い。右近の「鏡獅子」がこれからどちらの方向へ向かうかは注視して行きたいと思います。

(R7・4・19)


 


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