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二代目巳之助と五代目米吉の「曽我対面」

令和7年1月歌舞伎座:「寿曽我対面」

二代目坂東巳之助(曽我五郎)、五代目中村米吉(曽我十郎)、八代目中村芝翫(工藤祐経)、初代坂東新悟(大磯の虎)、二代目尾上右近(小林朝比奈)、三代目沢村宗之助(化粧坂少将)他


本稿は令和7年1月歌舞伎座での、巳之助の五郎・米吉の十郎による「曽我対面」の観劇随想です。巳之助の五郎は令和3年11月歌舞伎座の時が初役で、今回が2度目になるかと思います。

初役から3年ちょっと経ったわけですが、前回はカドカドの決まりの形は良いのだが、次の形に移行していく流れで息が詰められていないと云うか、それが感情のうねりとなって所作に表われて来ないもどかしさがありましたが、今回の巳之助の五郎はとても良くなりました。久しぶりに動きの良い五郎を見た気がしますね。「今日は如何なる吉日にて・・」で腰をグッと落として詰め寄る動きもよく出来ました。我慢に我慢を重ねた怒りの感情が堪え切れなくなってウワッと迸る、そこに波のようなうねり・言い換えればリズム感があるわけで、これが荒事芸の荒々しさです。

ということは五郎が我慢に我慢を重ねている時は、もちろん五郎が感情を抑えているのですが、それは兄十郎が止めるから五郎はそうするわけです。十郎だってもちろん怒っています。しかし、十郎の場合は理性がちょっと勝ります。今この場に及んで血気に逸っては事を仕損じる、これを抑える理性が十郎にはある。だから十郎は五郎を制止しようと、前に進もうとする弟を常に後ろへ押し返す。弟がウワッと前に出て相手につかみかからんとする時は、兄は更に強い力を込めて弟を押し返す。そういう感情のうねりと連動した形で兄弟の押し引きの動きがあるわけです。

しかし、現行のすっかり様式化しちゃった動きでは、十郎はおっとりした表情で落ち着いて・右手を儀礼的に構えて弟を「通せんぼ」・そんな風にしか見えないと思いますが、十郎の本来の気構えからすれば、十郎は常に弟を後ろに押し返す形になると思います。下の写真は明治36年(1903)3月歌舞伎座での、六代目菊五郎(五郎)と六代目梅幸(十郎)の襲名披露の「対面」です。この時に工藤を勤めた九代目団十郎の指導による舞台が、現行の「対面」の規範となったものです。この写真を見ると、この十郎の形はちょっと腰を浮かせ気味に構えて五郎を後ろに押し返す心持ちであると吉之助は思いますが、このような十郎の形を近年滅多に見ませんね。

米吉初役の十郎は、普段は娘方を勤めることが多い米吉らしいキレイな十郎で悪くはないが、そのイメージの範疇に留まっている感じですねえ。「オッ米吉はこういう役も出来るんだねえ」という驚きが欲しいのです。声がキンキン高いのがちょっとねえ。これが地声であることは分かりますが、十郎はもっと低調子でなければ、五郎の高調子との対照が付きません。声を低調子に置くということは「声色を暗く太く作る」と云うことではなく(そう思っている人は多いけれども)・「調性(キー)を下げる」ということです。このような台詞の工夫が今後米吉が役どころを拡げていく上で必要なことになると思います。芝翫の工藤はこういう「らしさ」が大事な役では、さすがの貫禄を見せますね。

(R7・2・21)


 


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