成駒家兄弟の「封印切」
令和7年1月歌舞伎座:「恋飛脚大和往来〜封印切」
前半日程(2日〜14日):四代目中村鴈治郎(亀屋忠兵衛)、三代目中村扇雀(丹波屋八右衛門)
後半日程(15日〜26日):三代目中村扇雀(亀屋忠兵衛)、四代目中村鴈治郎(丹波屋八右衛門)
初代片岡孝太郎(傾城梅川)、二代目中村魁春(井筒屋おえん)、六代目中村東蔵(槌屋治右衛門)他
本稿は令和7年1月歌舞伎座での「封印切」の観劇随想です。初春興行の「封印切」は、前半(初日〜14日)が鴈治郎の忠兵衛・扇雀の八右衛門、後半(15日〜千穐楽)は役を交換して扇雀の忠兵衛・鴈治郎の八右衛門というダブルキャストが組まれました。同じ成駒家ということなので・役の性根では変わるところは大してなかろうが、役者の個性が変われば・ニュアンスの細かいところで違いが出てくるだろう、そこを見るのがお愉しみということです。
鴈治郎の忠兵衛は昨年(令和6年7月国立劇場公演)にも見ましたが、このところ持前の福々しさが柔らかい印象を醸し出し・役が持つシリアスな熱さを「いなして」・なかなかええ上方和事の塩梅になってきたと思います。上方和事の大事なところは「今私がしていることは、本当の私がしたいことではない」ということだと吉之助は常々申し上げています。主人公の意識と感情が重なる場面と乖離する場面が交錯する、そのような様式的な揺れの感覚を表出するところで、当代鴈治郎はいよいよ先代・先々代の芸の系譜に乗って来た感じがしますねえ。吉之助はほぼ同世代でもあり、当代の苦労はずっとリアルタイムで眺めて来ましたからよく分かっています。だんだん上方和事の味わいのする忠兵衛になって来たと思います。
一方、扇雀の八右衛門は写実の風が強い感じで・役が持つ嫌味な性格をシリアスに表現して、これが鴈治郎の忠兵衛と好対照の感触になっています。金包みをめぐっての二人の掛け合いがテンポがあって面白くなったのは、八右衛門のおかげだと言って宜しいでしょう。
二人が役を取り換えると、両者の印象が逆転するわけだからどんなものかと思いましたが、役を取り換えたら取り替えたで・またそれなりに見えるものだから、芝居と云うのは面白いものですね。(そこで役の解釈は幾通りもあり得るのだという当たり前のことにハタッと気が付くわけです。)扇雀の忠兵衛であると、やはりシリアスな感触で、カーッと熱くなって封印切りへと突っ走る印象が強くなって来ます。これだと揺れる様式感覚からは遠くなってしまうわけだが、代わりに上方世話のリアルな肌触りが際立って来るようです。こう云うのも芝居としてはアリだなと思いますね。一方、鴈治郎の八右衛門は、嫌味を真綿でくるんで・忠兵衛をネチネチ虐めるしつこさに様式的な感触があるようで、これはまた別の意味で好対照で興味深く感じました。
そう云うわけで忠兵衛と八右衛門の口論を面白く見ましたけれど、これは役者と云うことではなくて・「恋飛脚大和往来」脚本自体に問題があると云うことなのだが、満座のなかで罵倒されてカーッとなって金包みの封印を切る場面があまりにインパクトが強いので、忠兵衛が男の意地で封を切った(成駒家型では「切れちゃった」だが)ことの意味はよく分かるのだが、封印切ばかりに関心が行き過ぎて、そもそも忠兵衛が何のためそこまでせねばならなかったか・その理由が忘れられてしまう、そのような弱点がこの芝居にはありそうです。
槌屋治右衛門は梅川が忠兵衛に請け出されたい願いを承知していますが・百両の金の工面に窮しており、梅川の願いを果たすためには忠兵衛が今すぐ金を持って来てくれないと困るわけです。そのような切迫した事情があるから忠兵衛は封を切って公金を身請けの金に使ってしまうのです。「封印を切らなかったら・何事も起こらなかった」と云うことではなく、忠兵衛がここで封印を切らなかったら梅川は他人に請け出されることになるのです。八右衛門ではなくても、奥にいるお大尽に請け出されることでしょう。だから忠兵衛は今この場で封を切らねばならなかったのです。その切迫したところが忘れられてしまって、最後は「忠兵衛は封印が切れちゃって可哀そう」という感じで芝居が幕になってしまうので、そこのところ脚本をどうにか出来ないものかと思うことはありますね。どうも近松はんには「そないなことは一々説明せんかて分かり切っているやろ」と云うところがあるようです。「曽根崎心中」・「心中天網島」、本作も然り。芝居が始まった時には、既に主人公はのっぴきならない状況に置かれています。だからドラマの仕立てが太くてシンプルになって来るわけですが、時代が三百年も離れてしまうと・事情が若干分かり難いところが出てくるようですね。
孝太郎の梅川は手堅いところを見せていますが、忠兵衛から封印切の真相を聞いて「死んでくれとは勿体ない、わしゃ礼言うて死にますワイナァ・・」以下の台詞はもうちょっと哀しみを込めて言った方が良いかも知れませんね。背後に見世女郎の悲哀が見えて来るようにお願いしたいと思います。
(R7・2・19)