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十五代目仁左衛門の「鮓屋」の権太

令和6年7月大阪松竹座:「義経千本桜〜木の実・小金吾討死・鮓屋」

十五代目片岡仁左衛門(いがみの権太)、初代中村萬寿(五代目中村時蔵改め)(弥助実は平維盛)、五代目中村歌六(鮓屋弥左衛門)、初代中村壱太郎(娘お里)、初代片岡孝太郎(若葉内侍)、四代目中村歌昇(主馬小金吾)、六代目上村吉弥(権太女房小せん)、初代坂東弥十郎(梶原平三景時)他


本稿は、令和6年7月大阪松竹座での、仁左衛門のいがみの権太による「義経千本桜〜木の実・小金吾討死・鮓屋」の観劇随想です。仁左衛門の当たり役と云われるものは数多いですが、奈良の田舎の野暮ったいならず者には仁左衛門はいい男過ぎるようで・イメージがすぐ結びつかないところはあるけれども、このいがみの権太は、「現代人に古典を出来るだけ分かりやすく見せたい」ということで常に工夫を凝らす仁左衛門の考え方が特に色濃く反映された役ではないでしょうかね。仁左衛門の権太は根っからの「いがみ」ではなく、根は善良で・どこか愛嬌を含んだ憎めない「ワル」なのです。それがどうしようもなくなって村からも・実家からも爪弾きにされていたところが、最後に良いことをして、みんなに許されて死んでいきましたトサ・・・というドラマになっていて、だからモドリになった(善心に立ち返った)権太の告白に観客が感情移入して素直に泣かされる。共演者も揃って、前回(昨年・平成5年・2023・6月歌舞伎座)同様、安定した仕上がりになっていたと思います。

ところで、たまたまのことですが、吉之助は先日、二代目松緑が東京で最後に演じた・いがみの権太の映像(昭和51年・1976・11月国立劇場)を見たのですが、役の本質をグッと大きく掴み取った松緑の権太の図太い印象と、今回の仁左衛門の権太とは、ちょっと見の印象ではなかなかの好対照を見せていたと思いますね。松緑の権太はあまり細かいことを考えさせない権太です。他方、仁左衛門の権太は、描線が細やかである。芝居巧者の仁左衛門らしい・しなやかな権太なのです。愛嬌を前面に出して観客を自分の方に引き付けて、ドラマを一気にドンデン返しに持っていく、そこの段取りがなかなか上手く出来ているのです。このような経路の違いはあるのですが、「鮓屋」のドラマとは、煎じ詰めれば、「どうしようもない放蕩息子が、最後にひとつだけ良いことをして、家族に許されて死んでいった」と云う、ただそれだけのドラマだと云う点に於いて、両者どちらともほぼ同じところに到達していることを興味深く感じました。

ただし今回の「木の実」幕切れで見えるほのぼのとした・貧しくても幸せそうな権太一家が、何故自らを「時代」への生贄に供する決意をしたか・或いは「せざるを得なかったか」、このような疑問は仁左衛門の権太であると、どうしても希薄になってしまうようです。と云うか仁左衛門の権太の場合、恐らくそういう疑問があまり起こらないでしょうねえ。この件は別稿「権太一家の悲劇」で取り上げましたから・そちらをお読みいただきたいですが、権太が仕掛けた偽首の大博打に「女房小せんと息子善太が自らの意思で乗った」ところに・この一家の深い哀しみがあり、更に言うならば「生きると云うことの絶体の哀しみ」があり、それが深いところで「平家物語」の無常の思想に繋がっていく。そこが一見すると関係がないかに見える権太一家の悲劇が「平家物語」の世界へ取り込まれていくための唯一の接点なのです。愛嬌を含んだ憎めない「ワル」の権太であると、そこのところがどうしても弱くなってしまう。これだと「平家物語」の世界が若干後ろの方へ引いてしまう、そう云うところはあるようですね。

しかし、まあこれは松緑の権太と比べた場合の話です。松緑の権太では、全然関係ないように見えた権太の死が最後に「平家物語」の世界に粛々と取り込まれていく光景を見て「オオこういう仕掛けになっていたのか」と唸る思いでした。今回の仁左衛門の権太であると、「最後にひとつだけ良いことをして許されて死んでいった」権太の悲しみで収束する印象です。もちろんこれが悪いわけでもありません。これはこれでドラマとして立派なものなのです。ドラマの切り口が異なると云うことに過ぎないのですが、これは封建道徳を基礎とした歌舞伎の時代物のドラマを如何に現代の観客の心に訴えかけるものに仕立て直すか、如何に「鮓屋」を現代の観客に受け入れられるものにするかと云う、仁左衛門の試行錯誤の苦労を見るようでもありましたね。

(R6・7・13)


 

 

 


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