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二代目松緑の鳥居前と吉野山

昭和51年10月国立劇場:通し狂言「義経千本桜」・第1部

                 *堀川御所-鳥居前-渡海屋・大物浦-吉野山

二代目尾上松緑(渡海屋銀平実は新中納言知盛・佐藤忠信実は源九郎狐二役)、七代目尾上梅幸(銀平女房お柳実は典侍の局)、七代目尾上菊五郎(静御前)、初代尾上辰之助(三代目尾上松緑)(源義経)、三代目河原崎権十郎(川越太郎・武蔵坊弁慶二役)、五代目坂東玉三郎(卿の君)、七代目坂東蓑助(九代目坂東三津五郎)(相模五郎)、十代目岩井半四郎(逸見藤太)他


1)三人の偽首の謎

本稿で紹介するのは、昭和51年(1976)10月〜11月国立劇場で行われた通し狂言「義経千本桜」の映像です。本公演の話題は、2か月掛けて二代目松緑が三役を完演すると云うことでした。松緑の知盛の件(渡海屋・大物浦)は別稿にて論じましたので、本観劇随想では第1部のこれ以外の場面を、鳥居前と吉野山を中心に取り上げたいと思います。

「義経千本桜」を通し狂言に仕立てるための大事な視点は、義経が平家一門を滅ぼしたはずが、知盛・維盛・教経の三人の首が偽首であった(つまり三人はどこかで生きているらしい)、この問題を義経は意図的に鎌倉に隠蔽(いんぺい)したのではないかと、鎌倉にいる兄頼朝から強い不信感を持たれていると云うことです。これは我々が史実としていることに大きく反します。(当時の庶民の感覚としては「平家物語」・「義経記」が述べていることに反します。)しかし、史実から大胆に離れることでドラマの新たな展開を得ようとする、これが浄瑠璃作者の趣向です。これはSF小説などによくある手法です。つまり「千本桜」とは、義経に突き付けられた三人の偽首を謎をひとつずつ解き明かしていくドラマであり、知盛・維盛・教経は三人三様のやり方で「平家物語」の世界へと戻っていく、このような反義的なプロセスを経ることで、浄瑠璃作者は「平家物語」の世界を裏打ちして行くということなのです。したがって観客に対して「千本桜」序幕で「三つの偽首の謎」がしっかり提示されねばなりません。そうでなければ正しい通し狂言の展開になりません。

まあそうやって見ると、今回(昭和51年10月〜11月)国立劇場での「千本桜」通し上演は、それが出来ていないとは云わないが、それが十分出来ているとも云えない微妙な印象ではありますね。「いつもの上演では欠落して筋がよく分からなくなっていた部分を補いました」という点では確かに頑張ってはいるのだが、いつもの歌舞伎座での見取り上演の批判型にまでは至っていません。そこは通常上演との折衷型に留まっています。せっかくの国立劇場での通し上演の企画なのですから、回数を2回から3回に増やしてでも、上演時間の制約なく、じっくり取り組んで欲しかったと思います。要するに、演出コンセプトが明確でないということですかね。そこは残念ですが、しかし、別稿にて述べた通り、スタンダードな重厚さはあるので、いつもの上演だと思って見るならばお得感はあります。

例えば(いつもの上演ではカットされますが)渡海屋冒頭で弁慶がお昼寝している娘お安をまたごうとして・足を痺れさせる場面があります。ここは大事な場面で、実はこれは義経が弁慶に命じてお安が安徳帝かどうか確かめるための行為であった、弁慶の足が痺れたことで義経は銀平(実は知盛)の計略までも見抜いたということです。大物浦での義経の台詞に次のようにあります。

「我この家に逗留せしより、並々ならぬ人相骨柄、察する所平家の落人。弁慶に言ひ含め、帝を探る計略(はかりこと)。誤つて踏み越えしに、果たして武蔵が五体の痺(しび)れ。その上我に方人(かとうど)の体を見せ、心を赦させ討ち取る術。我れその事を量(はか)り知り、艀(はしふね)の船頭を海へ切り込み、裏海へ船を廻しとくより是へ入り込んで、始終詳しく見届け・・」(「大物浦」での義経の台詞)

このように大事な場面を復活してくれているのですが、残念なのはその場面が観客の注目を呼び起こさないということですねえ。これはこの場面の弁慶(羽左衛門)の演技も更なる工夫が必要だと思いますが、もうひとつ、大物浦での義経(辰之助)の上掲の台詞にもっと工夫が必要です。「ああやっぱりあそこで義経は気付いていたんだ」と観客に思い起こさせる台詞回しをして欲しいものです。辰之助は全体としていつもの通り手堅くやってはいます。だけど辰之助の義経はそれ以上のものを呼び起こしませんねえ。義経は「千本桜」の単なる狂言廻しに過ぎないと勘違いしているのではないかな。そうではなくて、「千本桜」の主人公は源義経なのですけどね。

戻って今回上演の序幕・堀川御所ですが、ここでは鎌倉からの謀反の疑いを解くために義経の正妻・卿の君(玉三郎)が自害する悲劇があります。同時にこれは実父である川越太郎(権十郎)の悲劇でもあるわけです。今回上演ではそこに重点を置いたような印象ですが、実は通し狂言での堀川御所の主眼はここではなく、「どんな言い訳をしても鎌倉の疑いを解くことは叶わず、遂に義経一行は都落ちをせざるを得なくなった」と云うところが、通し狂言での序段の位置付けです。ここから義経の「三人の偽首の謎解き」の冒険が始まるのですから、堀川御所の幕切れを「サテこれからどうなる?」というような・ワクワクした感じに出来ないものかと思うのですが。(この稿つづく)

(R6・6・18)


2)松緑の「鳥居前」

「義経千本桜」は人気狂言ですが、「仮名手本忠臣蔵」と比べると通し上演の頻度が低いので、見取り上演での演出が独自に発達してしまって、現行上演での各幕の統一感が取れていない。例えば狐忠信であると、鳥居前は荒事・吉野山は舞踊・四の切はケレンの見せ場、これはそれぞれそうなるべき理由があって・そうなったわけだし、各々の演出はどれも洗練されたものですが、狐忠信として通した時にイメージがバラバラと云うことはある。通し狂言の流れだと、四の切でアレは狐が忠信に化けていたんだと分かるまで狐の正体は伏せねばならぬはずです。ところが歌舞伎では最初から正体をバラす。まあそれを悪いと言っているのではなく、今更それを元に戻せと言っても仕方ないことですが、話の次いでに、ちょっと考えてみたいことがあります。

「鳥居前」は本来二段目の序(端場)ですが、現行上演だと狐忠信の荒事芸を発揮する大舞台になるので見取り狂言として立派に成立する、そのために「鳥居前」が序段の切場(序切)みたいな感じに見えてくるのです。前章で「堀川御所の幕切れを「サテこれからどうなる?」というような・ワクワクした感じに出来ないものか」と書きました。しかし、一般的には、義経の「三人の偽首の謎解き」の冒険は「鳥居前」から始まる、つまり義経は伏見稲荷から摂津国大物浦へ向い、ここから義経の逃避行が始まると云うイメージになるだろうと思います。吉之助も昔は何となくそんな感じに考えていましたが、実はそれは違うのですよね。鎌倉方の土佐坊が義経が拠点としていた堀川御所を夜討ちした、これを弁慶が撃退し・土佐坊を殺してしまったことから、鎌倉からの謀反の疑いを解くため恭順の態度を守っていた義経はどうにもならなくなって都落ちを決意するのです。ここから義経の逃避行が始まるのです。つまり「千本桜」での「三人の偽首の謎解き」の冒険が始まるのは、序切・「堀川御所」の幕切れからだと云うことです。

こうなると浄瑠璃作者が「鳥居前」をわざわざ二段目序に置いた意味をもう一度考え直さねばならなくなります。これについては別稿「歴史と虚構の対立」で触れたので・詳細はそちらをお読みいただきたいですが、謡曲「船弁慶」は義経一行が大物浦から九州へ落ち延びようとするところに・静御前が追いかけてくる、義経は静を宥(なだ)め、都に帰って時節を待つように説いて別れると云う筋です。そこを浄瑠璃作者は場所を伏見に変えて、義経と静の別れに狐忠信を絡めた、これが「鳥居前」なのです。つまり「鳥居前」を前場に置いて・「大物浦」を後場に置く、世話の銀平が活躍する「渡海屋」を「アシライ間」の間狂言に見立てる、これで二段目全体が謡曲「船弁慶」の見立てになっていると云うことです。

そんなことも芝居を何度も見ていれば次第に気が付くことですが、吉之助も三代目猿之助の通し上演(昭和55年・1980・7月歌舞伎座)の時には分からなかったし、今回(昭和51年・1976・10月国立劇場)の二代目松緑の通し上演映像を見ても、やはり見立ては見えてきません。多分、序幕(堀川御所)-二幕目(鳥居前)-三幕目(渡海屋・大物浦)という場割りがいけないのでしょう。しかし、休憩なしで鳥居前から渡海屋・大物浦までを続けてやるのも現実的ではなさそうです。まあ吉之助は別にこれに固執するつもりはありません。しかし、浄瑠璃作者の仕掛けは分かっておいてもらいたいですね。

そこで今回の二代目松緑の「鳥居前」のことです。もちろんいつも通りの・荒事の狐忠信です。しかし、数々の歌舞伎十八番を演じてきた松緑だけに、これがまったく尋常ではない重量感なのです。怒りの感情がムクムクと形を成して狐忠信と化したような印象、これは義経が鎌倉から不当な扱いを受けていることに対する狐忠信の義憤と見るべきでしょうか・何だろうね、とにかく隈取りが似合って実に「でっけい」狐忠信なのです。本来の荒事発声は、高調子が似合うものです。一方、松緑は低調子の人ですが、台詞回しをよく工夫して、調子が低いハンデを上手くカバーして、そのような不満をまったく感じさせません。荒事を勤める役者は、松緑の台詞回しを研究して・そのノウハウを吸収して欲しいと思いますね。まったくこれ以上に見事な荒事発声のお手本はないと言うべきです。

したがって、これではいつもの序切じゃないかと思うような重い感触の「鳥居前」ではあるのですが、「これで悪いか」と云われたら・何も文句が言えなくなるほどの半端でない説得力。それもこれも松緑が基本を忠実に履行しているから成せる術なのです。松緑の芸の「スタンダード」な印象はここからも来ます。(この稿つづく)

(R6・6・19)


3)松緑の「吉野山」

今回(昭和51年・1976・10月国立劇場)の第1部上演では、序幕(堀川御所)-二幕目(鳥居前)-三幕目(渡海屋・大物浦)が終わった後、第4幕・吉野山(道行初音旅)が続きます。今回の「千本桜」通しは2月かけて二代目松緑が三役を通すということですから、第1部と第2部との負担のバランスを考えねばなりません。それで吉野山が第1部の最後に割り振られたと云うことでしょう。事情は重々分かっているけれども、「千本桜」を「三人の偽首の謎解き」の冒険と考えると、一人目(知盛)の謎解き(大物浦)が終わった後に・すぐに吉野山が来てしまうと、「アレッ冒険はもう終わりに差し掛かってるの?」と云う奇妙な気分になることも事実なのですよね。「千本桜」の冒険はまだ続くはずです。本来の五段形式であると、吉野山は四段目冒頭に来るわけです。やはりモノには本来あるべき順番があると云うことを思いますね。ところで折口信夫は「日本の謡い物文学は旅行する」と云うことを言っています。

『道行ぶりの文学が入ることは、全体の筋立てのなかに、必ず旅行すべきものを作らねばならない。みな必ず道行を入れているのは、必ず小部分の旅行がある。近代の語り物は旅行文学だと言ってもいいものだ。不思議と言えば不思議だが、叙事文学には宿命的にくっついている。日本のが出来ぬうちから一つの様式なので、入らぬとはずれていることになる。入らぬと成分が抜けている気がするのだ。』(折口信夫:「旅行の文学」〜昭和22年芸能史講義」)

折口信夫芸能史講義・戦後編(慶応義塾大学出版会)

折口の言を「千本桜」に当てはめると、舞台の視座は京都(序段)から伏見(鳥居前)-摂津国大物(渡海屋・大物浦)-吉野国下市村(椎の木・鮓屋)-吉野山近く(道行)-吉野大峰山(川連法眼館・奥庭)へと徐々に動いていく、まさに「千本桜」のドラマは旅行しているのです。いろんな場所を順番に巡っていく。だから通し上演で大物浦のすぐ後に吉野山が来ると、何だか居心地が良くないのです。

ちなみに今回通しの第2部(11月)上演では、権太の件(椎の木・鮓屋)の前に珍しい北嵯峨庵室の場(若葉の内侍と六代君が維盛が高野山近くにいると聞いて京都を発つ)が付きますが、これも見ていると奇妙な感覚がちょっとしますね。北嵯峨は維盛の筋の上では確かに発端みたいな感じに見えますが、浄瑠璃作者がこの場をわざわざ序段に置いたのは、京都から下市村へと視点が徐々に動いていく流れから来るのです。だから場割りだけで北嵯峨から下市村への移動の時間的経緯が自然と感得されることになる。そういう風に出来ているのですね。これを続けてやってしまうと、北嵯峨から下市村への時間差・距離感がよく分からぬ。まあそのようなことも、台本の字面眺めているだけではなかなか掴めぬもので、実際に上演されてみて初めて分かることです。

まあそれは兎も角、二代目松緑の体力的負担を考えれば、第1部の最後に吉野山を置くのは仕方ないことではあります。これ以上の文句は言わないことにしましょう。なお通し上演では逸見藤太は鳥居前で殺されてしまうので、今回上演の吉野山は立ち回りはなしで、最後は静御前と狐忠信が絵面に決まって幕となります。これは簡素なやり方で良いことです。

踊りの上手さでは定評ある松緑のことですから・この吉野山が悪かろうはずがありませんが、恐らくこの前の鳥居前で荒事の狐忠信の強烈な印象が残っているせいもあって、この吉野山に於いても狐忠信の重量感が半端でないのです。普通であると吉野山は満開の桜の森を背景にしたファンタジックな舞踊ということになるでしょう。鼓の響きに応じて狐忠信の姿は現れたり消えたりして、そのイメージは軽やかなものになります。もちろんそういう吉野山はあり得るし、吉之助もこれで魅力的な狐忠信役者を何人も挙げることが出来ます。一方、松緑の狐忠信の印象であると、中央にドッカと居座る重いイメージになって来ます。だから狐忠信の八島の戦物語がグッとシリアスな色調になるようです。

七代目三津五郎は「舞踊芸話」のなかで、「継信の討死の件りで、まるでほんとうの忠信になったつもりで、愁嘆を利かせて真剣にやったりするのは間違いで、この忠信は親狐の鼓の皮に惹かされた子狐が化けて出ているのですから、そんなにムキになっては理屈に合いません」と言いました。これは確かにその通りだと思います。事実丸本の詞章では継信の討死は淡々と描かれています。しかし、松緑の狐忠信でこの継信の討死の件を見ると、狐忠信はこのことに対し本気で怒っているのだと確かに感じますね。吉野山の狐忠信は荒事ではないけれど、鳥居前と同様、何かしら義憤にも似た感情に動かされたところで狐忠信はこの場に現れている、吉之助にはそのように感じるのです。松緑の狐忠信を見ると、その気持ちが分かる気がします。

八島の戦いで佐藤継信(忠信の兄)が戦死したのは、能登守教経が義経を射殺そうと放った矢を継信が身を挺して主人義経を守ったからでした。つまり弟忠信(=狐忠信)もまた、身を挺して主人義経を守らねばならない宿命にあると云うこと、それゆえ伏見稲荷でのピンチに狐忠信が現れたのです。このような外的動機とは別に、狐忠信には内的動機がありました。それは鼓の親のことですが、そのことは四の切で明らかになることで・観客は未だ預かり知らぬことです。従って吉野山の時点では、何かしら義憤にも似た強い感情が狐忠信の背後にあると感じる、それで良いのです。

もうひとつ吉野山で継信討死の件が大事なのは、「千本桜」では(忠信にとって仇と云うべき)能登守教経が荒法師・横川覚範として吉野金峯山寺に潜伏していると云うことです。もちろん狐忠信がそのことを知るはずがありません。しかし、一つ目の謎(知盛)は解かれた、二つ目の謎(維盛)も解かれた、そして三つ目の謎(教経)の解明に向かって、ドラマはもう動き始めているのです。既に義経は川連法眼館に逗留しています。続いて引き寄せられるが如く静御前と狐忠信が吉野へと向かっています。本物の忠信も吉野へ向かっている。「三つ目の謎の解明」がいよいよ始まる。松緑の狐忠信の感触は重いけれども、そのような先行きへの期待を抱かせる、通し狂言「義経千本桜」のなかでの「吉野山道行」の重い位置を改めて考えさせる良い機会になったと思いますね。

(R6・6・21)


 

 


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