初代壱太郎・初役の「櫓のお七」
令和6年4月琴平町金丸座:「伊達娘恋緋鹿子〜櫓のお七」
初代中村壱太郎(八百屋お七)
本稿は令和6年4月琴平町金丸座での四国こんぴら歌舞伎大芝居・「伊達娘恋緋鹿子〜櫓のお七」の観劇随想です。眼目はこのところメキメキ頭角を現している若手女形のホープ・壱太郎が初役で「櫓のお七」の人形振りを見せることです。芝居にとって本来人形振りは外連(ケレン)の技芸ですが、「異形」の相を見せることで、人間は何やら得体の知れない感情に操られる木偶(デク・人形)に過ぎないと云う切り口を見せるものです。その正体は現代では深層心理とか潜在意識とか呼ばれるものですが、歌舞伎ではまるでフロイトの「無意識」の概念の発見に先駆けるが如く、このことを見事に形象化しているのは驚くべきことですね。
「私は吉三さんのことが大好き・吉三さんに会いたい」と云うのは、まあ娘らしい・可愛い感情だと言えます。しかし、「私は何しても吉三さんに会いたい・どうしても吉三さんに会いたい」となると、何やら雲行きが怪しくなって来る。「ご法度しても吉三さんに会いたい」、さらに「火付けをしてでも吉三さんに会いたい」(実在のお七はどうやらそれをしたらしい)となると、もうそれは人間的なポジティヴな感情とは言い難いわけなのです。見方によってはトンでもない馬鹿娘なのですが、そういうポジティヴかネガティブか・境目が付かないところにお七はいるわけなのです。
しかし、江戸の民衆は「私は吉三さんのことが大好き・何としても吉三さんに会いたい」と苦しむお七の気持ちを「あはれ」であると受け取って、お七のことを供養してやりたいと思ったのです。そこに何かしら気分的に解き放たれていなかった江戸の庶民の日常を思いますねえ。彼らも「こんな風に情熱に身を焼かれる熱い恋もあるのだなあ」と云うことを思ったに違いありません。チラと羨ましく感じたかも知れません。しかし、これを真似しちゃいけないくらいの分別は江戸の観客は皆ちゃんと持っていました。芝居から帰ったら、観客は明日からまた同じような日常を送らなければなりません。これは現代の観客が「櫓のお七」の人形振りを見ても同じことですね。
だから吉之助が申しあげたいのは、「松竹梅湯島掛額」のなかのお七から、「櫓のお七」の人形振りが唐突に出たように感じられてはならないということです。段差はあってよいのだけれど(そうでないと衝撃がないことになる)、どこかに繋がっている感覚が欲しいと思います。吉祥院お土砂の場は他愛のない笑劇に違いありませんが、この場でお七役者が娘方の定形のヒナヒナした演技に終始して「イヤじゃわいノオ」とヒイヒイ泣いて生きた演技をしないのを見ると、吉之助にはこのお七が恋に身を焼いて・遂にはご法度の行為にまで及ぶとはとても思えません。何と云いますかねえ、生きた娘からでないと・生きた恋心は出て来ないのです。これがお七の行為をポジティヴな印象に繋ぎ止めるために必要なことだと思います。吉三への恋心の真実味をほのめかしてくれないと、後に続く人形振りが嘘事になってしまいます。だからお七役者には娘方の定形の演技に終始して欲しくありません。しかし、お土砂の場のお七は大抵の場合そうなりやすいようです。
若女形はただ綺麗なばかりでは駄目で、自らのセンスでその時代の若い女性の気分を取り込んで行かねばなりません。時代を代表すると云われる女形はみんなそうだったのです。壱太郎の女形には、そんな生きた感覚があるようです。お七が内側にある得体の知れないものに操られる異形の感覚が確かにあります。それは人形振り以前のお七に生きた娘の感覚が見えるからです。
(R6・4・28)