十五代目仁左衛門の松浦侯・四代目松緑の源吾〜「松浦の太鼓」
令和5年11月歌舞伎座:「松浦の太鼓」
十五代目片岡仁左衛門(松浦鎮信)、五代目中村歌六(宝井其角)、四代目尾上松緑(大高源吾)、五代目中村米吉(お縫)他
松浦の殿様は人が好いけれど気分屋で、ご機嫌がいいかと思ったら、何かの拍子にプイッと機嫌が悪くなる。キャラとしては薄っぺらいのだけれど、それもこれも元禄の世を憂い・大石が本望を遂げることを願うゆえと云うところでしょうか。気分がコロコロ変わるのは「揺れる」感覚に通じるところがあるので、上方和事を得意とする仁左衛門としては、そんなところが手掛かりかなどと思ったりもします。ヒョンなところから和事と松浦侯の近しい関係が浮かんで来るようにも思いますね。「松浦の太鼓」はもともと大阪で生まれた芝居ですから、まんざら関係がないわけでないかも知れません。そこが興味深い。
しかし、仁左衛門の柄であると・どうしても賢君のイメージが強くなってしまうようで、松浦侯の薄っぺらさとは多少の齟齬を感じるところがないではない。吉之助には仁左衛門が得意とする青果の「元禄忠臣蔵・御浜御殿」が思い出されて、何だか徳川綱豊卿が連歌会をやっているみたいな妙な感じがしてしまうのですが、そこは芝居巧者の仁左衛門ですから、そこのところは持前の愛嬌で上手く取り繕って観客を掴んで放しません。そう云うところに仁左衛門に如才あるはずがありません。松浦侯は役者が演じて気分がいい役なのでしょうねえ。
興味深いと云えば、松緑の大高源吾もなかなか興味深いものです。松緑の源吾は、第1場・両国橋ではこの人の持ち味で時代っぽい生硬さがあって・最初はもうちょっと世話にやって欲しいと感じたのですが、耳が慣れてくると、何やらこれが源吾が背負っているもの(仇討ちという時代物の論理)の重さを感じる気がして来るから面白い。世話を基調とする芝居(武家屋敷を舞台としていますが写実だから世話が基調になります)のなかで、これが良い対照を見せます。この対照が第3場・松浦邸玄関先で効いて来ます。討ち入りの情景を源吾が物語る場面は、いつもの台詞の癖もあまり感じさせず、実を以てイキイキと語れていました。松緑の時代っぽさがここで生きて来ます。「忠臣蔵」の芝居(外伝)らしい感触になって来るのです。傍らでそれをハラハラしながら聞く松浦侯との対照がよく効いていたと思います。おかげで幕切れの松浦侯の「褒めてやれ・褒めてやれ」が機嫌良く響きました。
(R5・11・15)