伝統芸能現代化の試み
平成19年5月20日(日)・世田谷パブリック・シアター・「能楽現在形」公演
舞囃子「猩々乱」・能「鉄輪」
片山清司(シテ、観世流)、野村萬齋(間)
1)能現代化の試み
野村萬齋ほか能狂言の若手によるユニット「能楽現在形」による公演で、三軒茶屋の世田谷パブリック・シアターでの舞囃子「猩々乱」・能「鉄輪」を見てきました。普段の能楽堂での上演と違って、現代演劇や舞踊などのパフォーマンスを上演するための異質な劇場空間において能楽を上演することはいろんな意味で「挑戦」で、現代に生きる能楽を考える上で興味深い試みとなりました。
世田谷パブリック・シアターはもともと舞台を観客席が半円形に取り囲むような構造になっていますが、今回の上演では観客席に向かってせり出した形の本舞台から右・左・後方に向けて三方向に橋懸かりを設けるという特設舞台が使われました。能「 鉄輪」では夫に棄てられて・嫉妬に苦しむ先妻が鉄輪(鉄の輪に三本足をつけた五徳)を頭にいただき・恐ろしい生霊となって登場します。舞台奥の暗闇に照明で浮き上がった生霊が中央の橋懸かりを通って本舞台の方へ真っ直ぐに向かってくるのはなかなか生々しく・おどろおどろしい瞬間でありました。これなど・その照明効果も含めて・いつもの能舞台では決して見られない印象的なシーンです。このほか「鉄輪」では陰陽師・安倍晴明が張り巡らせた結界や五芒星を床に照明で映し出すなどの照明効果が使われました。また「猩々乱」でも猩々が海上から現れ・波の上を舞い遊ぶ場面で舞台に波状模様が映し出されました。
このように能楽の上演で照明を駆使することは見る人によっていろいろ意見があると思います。能の象徴性が照明で解説されてしまうことで・その神秘性が失われてしまうとか、観客が想像力を働かせる余地を奪ってしまうという見方もあると思います。現代人には難解な能の世界を少しでも分かりやすくして・理解への糸口を付けてあげることは大事なことだと肯定的に見ることももちろん出来ます。これはどちらの要素もあると思います。あちらを取れば・こちらは失われ、こちらを取れば・あちらを捨ててしまうことになるのです。それを怖がっていては・仕事になりません。演出・解釈とはそういうものです。
今回の3日間の上演では・演出のいくつかのオプションを劇場側が提示して・三人のシテ方に自由に選択をしてもらったそうで、結果的に三者三様の舞台に仕上がったようです。せっかくいつもの能舞台とは違った空間で演るのだから・思い切っていつもと違うことをしてみたいという方もあれば、こういう違った空間であるからこそ、(安全志向ということではなく)ここはいつもの演じ方が通じるかどうか試してみたいと言う方もあるかも知れません。聞くところでは他の日には「鉄輪」の生霊の登場場面で照明・音響効果で稲妻が炸裂し・響き渡るという具合で、これはなかなかの迫力であったそうです。また橋懸かりの位置が違うだけでも、シテの動き・段取りはかなり変わってくるものがあると思います。それはどのシテの行き方(演出)が正解であるかとか・こっちの方が良いか悪いかという問題ではなく、そこに演者の風・個性が自然と出てくるものなのでしょう。
(H19・5・23)
2)能の隠された真実
それにしても音響や照明で色を付けるという程度のささやかなものではありますが、能楽の場合にはそれでもずいぶんと雰囲気が変わるものだと思いました。そこに演劇における写実(リアルさ)というものを考える材料があるようです。武智鉄二はこんなことを書いています。
『この一枚の松羽目が海淵であると同時に深山であり、地獄であると同時に極楽であり、草原であると同時に殿堂であらねばならぬ。これを空間性の制約を超越した豊かなる能の表現性の例証だという説をなす人もあるが、これほどあきれた現実無視の言はない。松羽目のある三間四方の舞台は、つねにただそれだけでしかない。能にあってはシテの仮面から始まって舞台装置にいたるまで、ことごとく劇的内容、その人間性につらなる一切のものの表現を否定するために用意されているとしか思えない。』(武智鉄二:「能楽の特異な性格について」・昭和28年10月)
これは狂言を実際に演じ・知り尽くした武智鉄二であるから言える言葉であるのはもちろんです。能狂言は田楽猿楽に発し・その芸は物真似から始まりますから、その芸の根本はもちろん写実なのです。しかし、能狂言が様式として固まっていくなかで、能狂言はあるレベル以上の写実の表現を削ぎ落として抽象化していきます。能狂言 は様式としてある一定枠外の写実の表現を許さなくなるのです。これを言い換えますと、何かがそれ以上の自由な表現・更なる写実を阻んでいるということにもなります。「花」だとか「幽玄」などと言う 理念は、これを正当化するために後から出て来た理屈なのかも知れません。このことを武智鉄二は言っています。
芸能は人間の実生活を活写するべきものであるという考え方・写実こそ究極の芸術の方向であるとする史観 (必ずしもそれだけでもないと思いますが・そういう史観もある)からすると、「この一枚の松羽目が海淵であると同時に深山であり・地獄であると同時に極楽であり・草原である」と理屈をこね出した瞬間から、能狂言は自らの表現に枠をはめてしまって次第に様式化して行くということになるわけです。その時点で写実の更なる段階は次世代の芸能に期待されるということになるのです。能狂言から歌舞伎への時代の役割の移行は、そのようにも考えられると思います。
そう考えますと、海を表現するために床に波状模様を映し出す・あるいはおどろどろしい雰囲気を出すために舞台に稲妻を鳴り響かせるというのは、「松羽目の三間四方の舞台はつねにただそれだけでしかない」という能楽の隠された真実を暴き出すことになるわけです。つまり、それは非常にラジカルな実験なのです。
(H19・5・27)
3)歌舞伎の現代化はならぬのか
歌舞伎は能狂言より具象的で・より写実に近い芸能であるのですが、歌舞伎は歌舞伎で表現の制約を抱えています。歌舞伎の古典に照明や音響の効果を加えることは却って煩わしく 感じられて、むしろ能狂言の方がこうした試みを面白く見られるというところがあるようです。昔、八代目中車が「双蝶々曲輪日記:引窓」で引窓の開閉をするたびに舞台を明るくしたり・暗くするという写実演出を試みたことがありますが、とても評判が悪かったそうです。写実の手法が観客に舞台の嘘を意識させてしまうのです。
歌舞伎の様式は江戸という時代と密接に絡み合う要素が強いだけに、表現の自由度が意外に狭いのかも知れません。明治になって盛んに作られた歌舞伎の松羽目物を見ると、明治期には能役者たちは 既にみんな散切り頭になっていたにも関わらず・それを真似する歌舞伎役者の方がチョンマゲをつけて太郎冠者をするというのも、これは考えれば奇異なことです。実は明治12年(1879)2月新富座の「勧進帳」において九代目団十郎が「素顔に地天窓(あたま)にて眉毛も格別太くせず白粉も施すことなく・・」という散切り頭の扮装で弁慶を演じた記録があります。九代目が「活歴」に熱中していた頃のことです。しかし、この時の弁慶の扮装が幸か不幸か甚だしく評判が悪かったのです。それで九代目も仕方なく「勧進帳」 を昔風の姿に戻したのです。もし・ここで九代目の「実験」が成功していたら、現代の舞台の「勧進帳」や松羽目舞踊は散切り頭で演じられていたことでしょう。しかし、結果としてそうはならなかった。そこに歌舞伎の本質もあり、また表現の限界もあると思います。
それでは歌舞伎の現代化はならぬのでありましょうか。7月歌舞伎座では「NINAGAWA十二夜」の再演が予定されています。初演の時には吉之助はどうせシェークスピアを演るなら・シュークスピア劇を歌舞伎の様式のなかに取り込んじゃうくらいに果敢に原作のまま挑戦をしてもらいたいものだと思ったのですが、結局、「十二夜」では江戸時代の風俗・言葉に置き換える翻案という形になってしまいました。その方が 歌舞伎役者が演り易いのは分かりますが、もっと違う土俵で歌舞伎の技法の可能性を試してもらいたかったなあとちょっと残念でありました。まあ、そう言う意味で「NINAGAWA十二夜」は歌舞伎にとっても・蜷川さんにとってもホントのガチンコ勝負にはなっていないと思うのです。(注:ただし今井豊茂の脚本はうまく翻案をしていて、それ自体は良い仕事であったことは付け加えておきます。)
2005年9月世田谷パブリック・シアターで野村萬齋が「敦〜山月記・名人伝」を能狂言の手法で上演した時、萬齋はインタヴューで「狂言役者の象徴である足袋と(・・ござる)を捨てて挑戦する」と言ったそうです。その意気や良しです。歌舞伎の現代化をトコトン試すなら歌舞伎役者もチョンマゲと・女形の「・・じゃわいなあ」を捨てる気概が必要だなあと思うのです。
(H19・6・1)