八代目芝翫の天河屋義平
令和5年3月歌舞伎座:「仮名手本忠臣蔵〜十段目・天河屋」
八代目中村芝翫(天河屋義平)、十代目松本幸四郎(大星由良助)、初代片岡孝太郎(義平女房お園)、初代市村橘太郎(医者太田了竹)他
本稿は、令和5年3月歌舞伎座での、芝翫の天河屋義平による「仮名手本忠臣蔵〜十段目(天河屋)」の観劇随想です。ご存知の通り「十段目」の上演は珍しく、戦後の上演はこれまで5回ありますが、すべて通し狂言のなかの一幕です。今回のように「十段目」が単独で出るのは、もしかしたら初めてのことかも知れません。歌舞伎でも「十段目」は、天保頃まではよく掛かったものだそうです。しかし、幕末近く安政頃になってくると、「十段目」の上演が次第に減って行きます。理由ははっきりしませんが、一説には、これには幕末の社会情勢が影響していて、尊王だ攘夷だと騒いでいるご時勢では、徒党を組むとか・江戸への武器持ち込みなんて芝居が憚(はばか)られたからだそうです。真相はそんなところだと思いますが、歌舞伎の「十段目」では町人の義平が主役のようで、由良助は「畳に頭を擦りつけて」義平に平伏すると云うことで・由良助の人物が小さく見えるために、明治の世になっても復権と行かなかったのだろうと思います。
まあそれは兎も角、「忠臣蔵」には11のエピソードがあるとは云いますが、11のお団子がみな等分の大きさをしているわけではなく、全十一段のなかで団子がそれぞれ相応の重さを持つものなのです。「忠臣蔵」を浄瑠璃定式の五段構成に配置し直すと、天河屋は五段目切場に当たります。ちなみに二段目切場が判官切腹、三段目切場が勘平切腹、四段目切場が山科閑居になります。他の時代浄瑠璃で五段目がほぼ廃絶の現状からも分かる通り、五段目の扱いは大抵そんな程度のもので、つまりドラマ的に内容が薄いものが多い。時代浄瑠璃の芯は、もちろん二・三・四段目です。芝居はその段の格式において行わなければならぬものです。つまり天河屋の場が、二段目(例えば「千本桜」の渡海屋)の感覚で処理されてはならないと云うことです。時代浄瑠璃の五段目の格(それ相応の重さと云うよりも・敢えて軽さと云った方が良いでしょう)で処理されねばなりません。
今回(令和5年3月歌舞伎座)上演の「十段目」を見た印象では、役者の皆さんあまりそう云うことをお考えではないようですねえ。「忠臣蔵」は時代浄瑠璃だから、どの場面でも等しく時代っぽく重々しく演れば良い、「十段目」も時代物だと云うような思い込みがあるようです。特に芝翫の天河屋義平ですが、まるで「千本桜」の渡海屋銀平の感覚でやっているのが見え見えです。銀平(実は知盛)をやるのであれば、まあこれで宜しいとしましょう。そう云うことならば芝翫の押し出しの大きさが生きます。ここで「天河屋義平は男でごーざーるー」と啖呵切ると「どうだいカッコいいだろ」と、そんなところですかねえ。しかし、これではまるで二段目の感覚です。全然五段目の格になっていない。五段目ならば五段目なりの、軽さ・小ささと云うものが表出されねばなりません。そろそろ芝翫はそのような違いを仕分けられるようになってもらいたいものですが、芝翫ももう57歳なのですね。
吉之助が思うには、そもそも現行歌舞伎での(知盛の正体を見顕わす以前の)渡海屋銀平も、時代っぽくて重過ぎると感じます。ここは廻船問屋・つまり世話場なのですから、もっと演技の軽さと云うか・世話の感覚を表出すべきなのです。平穏であるべき町人の世界に突然時代の論理(源平合戦の世界)が襲い掛かるから事件(サプライズ)なのです。そこに世話と時代の押し引きが生まれます。そうでないと知盛の正体(時代の様式)を見顕わした時のサプライズが効いて来ません。二段目の銀平でさえ、こう云う誤解が起きます。ましてや五段目で・しかも見顕わしをしない天河屋義平ならば、何をか言わんやです。芝翫はそこをいつもの「らしさ」で一本調子に押しています。
それにしても義平役者は主役然としていないで、由良助をもっと立てることを考えて欲しいと思いますね。現行歌舞伎での「十段目」の幕切れは義平一家が上段中央に立ち・由良助は平舞台に立って絵面で決まるのが通例のようですが、これはどう考えても変です。「寺子屋」幕切れで、菅秀才を差し置いて松王夫婦が上段中央に立ったらどうなるか想像してみれば良いです。芝居のなかで誰が格上なのかを考えないから、こういうおかしなことが平気で起きます。(文楽の「十段目」幕切れでは、由良助が上段に立ちます。)そこらを直せば「十段目」はまだ復権の可能性はあると思いますがね。単独ではなくても、通し上演で「十段目」をしっかり残してもらいたいものです。
孝太郎のお園は、芝翫の義平に合わせたのかも知れないが、武家女房の雰囲気で世話女房になっていない感じがします。もっと世話に「紙治」のおさんみたいな・しっとりした感じであっても良いと思います。幸四郎の由良助は決して悪くはないけれど、やはり重さと云うか・貫禄に不足するようです。「十段目」の主役は確かに義平ではあろうが、すべて事を「上から目線」で仕切ってみせる、そこに討ち入りに向けての由良助の意志の強さが出るものだろうと思います。
(R5・4・21)