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見取り狂言「サド侯爵夫人」

令和4年12月吉祥寺シアター:「サド侯爵夫人」第2幕

佐藤ジョンソンあき(サド侯爵夫人・ルネ)、斎藤真紀(モントルイユ夫人)、鬼頭理沙(アンヌ)、内藤千恵子(サン・フォン伯爵夫人)

(SCOT公演、鈴木忠志・演出)


1)見取り狂言「サド侯爵夫人」

先日(令和4年12月)に吉祥寺シアターで鈴木忠志演出のSCOT公演「サド侯爵夫人」第2幕を見てきました。(SCOTとは、Suzuki Company of Togaの略で、富山県利賀村に拠点を置く劇団です。)鈴木演出の「サド侯爵夫人」第2幕については、ちょうど10年前(平成24年・2012・12月・吉祥寺シアター)での公演を見ており、観劇随想も書きました。あれから10年、吉之助も鈴木演出作品をいくつか見て・知見も多少は増えたので、今回は別視点から鈴木演出「サド侯爵夫人」を考えてみようと思いました。何故「サド侯爵夫人」全3幕上演ではなく・第2幕のみの上演か?第2幕のみの上演によって、これまで見えなかった三島由紀夫の「サド侯爵夫人」の別の様相が浮かび上がってくるか?という点を考えてみたかったのです。

ご存知の通り、歌舞伎では長い通し狂言から一幕のみを抜き出す見取り上演が珍しくありません。実際見取り上演によってこれまで見えなかった・まったく別のドラマの様相が浮かび上がってくることがあるものです。イヤ正確に云うならば、それは元から芝居に内包されていた「真実」です。それは「そは然り」という古典的構図の中で、穏便な形で納められてしまった為に、見えなかっただけなのです。歌舞伎で見取り上演が始まったのは、随分昔のことであったと思います。最初のうちは、深い思惑があって始まったことではなかったでしょう。興行的な事情がいろいろあったにせよ、それは結局「いいとこ取り」の発想で始まったものだと思います。

しかし、例えば「仮名手本忠臣蔵」は、全体からすると忠義礼賛・仇討ち賛美の色合いが濃いように見えるかも知れませんが、見取りで切り分けると、四段目では御家断絶で禄を失った武士たちの憤(いきどお)り、六段目では仇討ちの仲間に加えてもらおうとあがきながら果たせず死んでいく勘平の無念、七段目では忠義・仇討ちは本音か建前か・それさえも分からなくなる由良助の倒錯と苦悩、九段目では「武士の本分は戦場でこそ尽くされるべきであろうに・仇討ちなんかでそれをやらねばならぬとは」という本蔵・由良助の慟哭がくっきりと浮かび上がってきます。「そは然り」という古典的構図の中から、「然り、しかしこれで良いのか」と云う懐疑が湧きあがります。これこそ内に隠されていた作品の真の主題です。見取り上演を繰り返すうちに、歌舞伎役者もこのような予期せぬ効果に気が付いたと思います。ここから歌舞伎にとって見取り上演が戦略的な意味を持つことになります。

「サド侯爵夫人」第2幕のみの見取り上演でも、多分似たようなことが起こるに違いないと、一応当たりを付けることにします。ただし歌舞伎の「忠臣蔵」であると、タラタラと一日掛けて上演する長い芝居ですから、作品の劇的密度の在り方が、近代演劇とは根本的に異なると思います。長丁場の芝居では一日中緊張し続けるわけに行きませんから、どうしてもダレ場が必要になるのです。歌舞伎での通し狂言はそんな感じで劇的密度がタラーッと薄く・開放的に流れて行くものです。そのような芝居を一幕仕立てに切り詰めることで、劇的密度を高めることが出来るわけです。

これに対し近代演劇に於いては、最初から劇的構成を緊密に組み立てる(ギュッと内に凝縮させる)作劇法が普通のことです。もちろん三島の「サド侯爵夫人」も例外ではありません。三島は「サド侯爵夫人」の執筆動機について・次のように書いています。

「私がもっとも作家的興味をそそられたのは、サド侯爵夫人があれほど貞節を貫き、獄中の良人に終始一貫尽くしていながら、なぜサドが、老年に及んではじめて自由の身になると、とたんに別れてしまうのか、という謎であった。この芝居はこの謎から出発し、その謎の論理的解明を試みたものである。」(三島由紀夫:「跋(「サド侯爵夫人」)」・昭和40年11月)

上述のような動機から三島は「サド侯爵夫人」全3幕を書いたのです。戯曲構成は序破急の・緊密な三部形式です。第1幕は「なぜサドが牢獄に閉じ込められなくてはならなかったか」の謎の発端(序)、第2幕は「サド侯爵夫人ルネがどれほど身も心も獄中の良人に尽くしたか」の謎の説明(破)、そして第3幕は「やっと良人が自由の身となったと云うのに・ルネは簡単に良人を見捨ててしまう」の謎の解明(急)です。だから第2幕の見取り上演であると謎の説明だけになり、芝居としての結論がなくなってしまいます。だから「サド侯爵夫人」第2幕の見取り上演で起こることは、歌舞伎の見取り狂言と似ているようだけれど、質的にかなり異なります。見えて来るものが違うと云うことです。

これについては、吉之助が観劇した日の終演後のトークで・鈴木忠志がヒントになりそうなことを語ってくれました。鈴木が語ったのは大体こんなことで、

「私(鈴木)は演劇としての「物語」には関心がないんです。演劇を前提にして「物語」をやるつもりはない。「サド侯爵夫人」台本を読むと、第1幕と第3幕は「物語」としての形が付きすぎて、あまり面白くない。第2幕だけをやれば、それで十分だと思った。」

と云うのです。吉之助の理解で解説すると、演劇には筋(ストーリー・ライン)というものがあって、例えば、最初に、状況の提示(起)、そこから新たな出来事が起こる(承)、さらに展開して次々事件が起きる場合もある(転)、そしてやがて大団円を迎え(結)、最終的にひとつの「物語」が出来上がると云うことです。近代演劇の多幕形式のドラマは、大体こんな感じで緊密に出来ているのです。(鈴木の考えに拠れば)「サド侯爵夫人」第1幕と第3幕には、「物語」のなかで果たすべき役割(発端と結末)がしっかり付いています。しかし、鈴木としては演劇で「物語」をやるつもりがないから、そこには関心がない。切り取られた第2幕だけが、興味の対象となると云うことですね。(この稿つづく)

(R4・12・30)


2)アルフォンヌ・または「精神のやくざ」について

「演劇を前提にして「物語」をやるつもりはない」という鈴木忠志のトークを聞いて、吉之助は鈴木が何故「サド侯爵夫人」第2幕のみで上演したのか・やっと理解が出来ました。三島が「サド侯爵夫人があれほど貞節を貫き、獄中の良人に終始一貫尽くしていながら、なぜサドが、老年に及んではじめて自由の身になると、とたんに別れてしまうのか」という謎解きとして自作を書いたことに、鈴木は最初から興味がなかったのです。演劇が描く「物語」に、鈴木は全然興味がないのです。

そこで吉之助の頭のなかに浮かんだのは、かつて吉之助が見た鈴木忠志演出作品、例えば「劇的なるものをめぐって・U」(昭和45年5月早稲田小劇場)の映像、或いは「世界の果てからこんにちは・U」(令和3年12月・吉祥寺シアター)の舞台なのですが、これらの演劇を何と表現したら宜しいのでしょうかねえ。便宜上これらを「コラージュ風演劇」とか「パッチワーク風演劇」とか自分勝手に呼ぶことにしますが、要するに、芝居の切れっ端(寸劇)の寄せ集めから出来上がったような芝居です。切れっ端同士に相互の関連はありません。寄せ集まった芝居全体から浮かび上がる風景が何らかのメッセージになっている(らしい)と云うものです。

そうすると「サド侯爵夫人」第2幕は「切れっ端」としては異様に尺が長いものに思われますが、ここでは恐らく4人の登場人物(ルネ・モントルイユ・アンヌ・サンフォン)が「切れっ端」なのです。その4人の切れっ端が織りなす「コラージュ風演劇」が「サド侯爵夫人」第2幕であると云うのが、鈴木の「見立て」なのでしょうねえ。

サド侯爵は何らかの罪で牢屋にぶち込まれており、「サドと別れてしまいなさい」という周囲の説得に妻のルネは頑として応じません。ルネは貞淑な妻のイメージに固執しているのか?ルネの真意はまだ分かりません。ここまでが「サド侯爵夫人」第1幕の範疇ですが、第2幕への事前知識としてはこれくらいで十分です。第2幕では驚くべきことに、サドの不道徳な行為にルネも巻き込まれていたことが明らかとなります。モントルイユはルネを見て「ああ、そういうお前の顔が・・・アルフォンヌに似てしまった、怖ろしいほど」と言います。これに対してルネは微笑して「アルフォンヌは、私だったのです」と言います。ここで観客のなかのルネの清らかなイメージが完全に崩れます。

ところで「この世界は病院で、そのなかに人間は住んでいるのではないか」という演出コンセプトは鈴木が好んでいろんな演出作品で使ったもので、これは「リア王」(初演1984年利賀山房)で初めて試みたものだそうです。「この世界は病院だ」と云うことは、鈴木も「一病人」であり・観客もまた「病人」であるということです。このコンセプトを「サド侯爵夫人」に重ね合わせると、「アルフォンヌは私だったのです」が鈴木のメッセージになるでしょうね。つまり「アルフォンヌは私(鈴木)であり、観客の貴方でもあるのです」ということです。ただしこれは三島由紀夫の意図のなかにあったことではないと思います。作者の意図にはなかったが、多分それはルネのポーズ(ルネの生き様)のなかに在ったものです。しかし、「貴方もアルフォンヌだ」とまではルネ自身も意識していないかも知れません。鈴木はそれを抉(えぐ)り出して見せてくれたと云うことだと思います。これが見取り狂言「サド侯爵夫人」の予期せぬ効果であったと思います。(前章で歌舞伎の見取り狂言と似ているようだけれど、見えて来るものが違うと書いたのは、そこのところです。)

この場合、「アルフォンヌは私」の「アルフォンヌ」とは何を意味するのでしょうか。不道徳者という意味ではなかろうと思います。終演後のトークでは・鈴木忠志は、芸術家とは「精神のやくざ」だと云うことも言っていました。鈴木が「精神的のやくざ」と云う・その心は、やくざのポーズは(しばしば世間から誤解されているけれども)「反権力」ではない、それは「非権力」だと云うことです。モントルイユはアルフォンヌをはっきり「反権力・反道徳」だと決め付け、アルフォンヌからルネを引き離そうとしていました。これに対しルネは夫をそのように見ません。反権力でなくて非権力であるとしても、それが何だという明確なイメージまでは持てていないのだが、そこに何かしら崇高なものがあると云う予感くらいは見ているという状態だろうと思います。結論から言えば、それが何だという明確なイメージを掴むことは人間には決して叶わないのです。だけど、それに出来るだけ近づこうとする「ポーズ」は取れる。その意味において、私はアルフォンヌ・「精神のやくざ」でありたいと云うのが、鈴木のメッセージであるということでしょうかねえ。(この稿つづく)

*追記:SCOT公式サイトの鈴木忠志のエッセイ:「精神の「やくざ」について」もご参照ください。

(R5・1・7)


3)切り取られた風景

登場人物4人の切れっ端が織りなす「コラージュ風演劇」が「サド侯爵夫人」第2幕であると云うのが鈴木忠志の「見立て」だと云うことは、なかなか興味深いことです。例えば「世界の果てからこんにちは・U」(令和3年12月・吉祥寺シアター)では、観客の困惑をよそに「一病人」たる登場人物が「ニッポン」を熱く語ります。正確に云うと語るというよりも、他人が聞いているかどうかは関係なく、自らの心情をまくし立てるのです。つまりすべての台詞が「独白」(独り言)のようなものです。しかも、そのまくし立てる内容は、東映任侠映画を愛し・演歌を愛し・ラーメンが好き・・と云う、その程度のことです。しかし、彼らは「もはやニッポン人であることを忘れてしまったニッポン人」に対する最後の縁(よすが)をそこに見ていると云うことです。何だか吉之助にも「サド侯爵夫人」第2幕がそんな風に見えてきました。(これは鈴木の洗脳が効いてきたのかも知れませんねえ。)

ところで鈴木演出の「サド侯爵夫人」第2幕では、役者の動きがほとんどありません。役者は登場すると、舞台の所定の位置に着き、立っているか・座っているかして・静止したまま正面を向いて台詞をしゃべり、役目が終わると舞台からゆっくりと去ります。そのせいで様式的な感触が強いようです。恐らくこれは能の居グセの踏襲でしょう。居グセとは、地謡(じうたい)が曲(くせ)を謡う時に、シテが舞わないで・じっと座ったままで演技することを云います。もともと鈴木演出作品は確たるスタイルを持っていて様式性がどれも強いものばかりですが、そのなかでもこの「サド侯爵夫人」第2幕は特に様式感覚が強いようです。それは役者の動きが極端に少ないからです。居グセを取り入れることで、鈴木は舞台から対話を消してしまいました。

「サド侯爵夫人」第2幕に於いては、4人の登場人物(ルネ・モントルイユ・アンヌ・サンフォン)はそれぞれ自分の思いを熱く語りますが、互いに話が噛み合っていないように見えます。表面的には論理の応酬になっているのですが、相手に説き伏せられるとか・心を動かされるとか云う場面はありません。4人の登場人物がめいめい自分勝手にしゃべっており、自分に酔っているかのようです。それは4人の独白の連なりみたいなものです。つまり普通の意味での演劇の形(対話)になっていないと云うことです。ここには筋(ストーリーライン)と云うものはない。だから「サド侯爵夫人」が「コラージュ風演劇」のように見えて来るのです。

これは別に作品の欠陥だということではなくて、「サド侯爵夫人」はもとから全3幕で設計されているわけですから、作品は全3幕で評価すべきことです。第2幕だけあげつらってそう云われても・それは三島に責任があることではないのだけれど、第2幕だけ切り取ってみれば、ちょっと違った様相で見えて来ると云うことですね。そこに鈴木の見取り狂言「サド侯爵夫人」の意図があったと思います。

(R5・1・9)



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