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五代目菊之助の「鷺娘」

令和4年6月博多座:「鷺娘」

五代目尾上菊之助(鷺の精)


本稿は、令和4年6月博多座での、菊之助による「鷺娘」舞台映像の観劇随想です。菊之助は、舞踊会などで「鷺娘」を何度か単発で踊っていますが、本興行としては今回が初めてであるようです。ところで「鷺娘」が変化舞踊からの一曲であることは、よく知られています。これは、二代目瀬川菊之丞が宝暦12年(1762)4月・江戸市村座で初演した四変化・「柳雛諸鳥囀」(やなぎひなしょちょうのさえづり)のなかの一つで、まず「傾城」、次に「鷺娘」、後に「うしろ面」・「布袋」と続けて、切に「花笠踊」を付けたものであったようです。(このため五変化と記している文献も見えますが、四変化とするのが正しいようです。)ちなみに変化物が盛んになるのは文化文政期以降のことで、宝暦生まれの「鷺娘」はこれ以前の作品です。

変化物の全盛は江戸の終わりの時期であり、妖怪変化が踊るものというイメージが付きまとうせいもあって、ともすれば変化物は、ケレン味が強い・正統を外れた舞踊という見方をされ勝ちのところがあると思います。しかし、「同じ役者が複数の役を兼ねて踊る」ということには、実は演劇的な意味があるのです。(これについては別稿「兼ねることには意味がある」で論じました。)つまり、「ひとつの人格(役者)が、表面的な姿を変化させながら複数の役を演じる、しかし芯となる人格は変わらない(同じ役者が演じている)」ことに、変化舞踊の本来的な意味があるわけなのです。さらにこのことは、「そこに見える姿はひとつの人格がまとった仮の姿である」という哲学的観念にまで至るものです。

こういうことは、「鷺娘」だけを単独で切り出して踊る分にはあまり関係ないと思うでしょう。変化物のひとつの場面を見せるに過ぎないと考えることはもちろん出来ます。しかし「鷺娘」は、歌詞を読んでも、作品イメージを確固たるものにすることがなかなか難しいようです。例えば舞台で踊るのが鷺の精であるのか・人間の娘が鷺になったのか、生霊であるのか・死霊であるのか、或いは冒頭の白無垢は婚礼の衣装ではなく・葬礼の衣装であるとの説もあって、いろんな解釈があり得るし・どのような解釈も許容する、そんなところがあるようです。「鷺娘」の場合、許容される解釈の幅がとりわけ大きい気がします。それは、ひとつには「鷺娘」が変化舞踊の欠片(ピース)であることから来ます。だからホントは「柳雛諸鳥囀」全体の流れを振り返って考える必要があるのでしょうねえ。もうひとつは、本作が菊之丞の初演以降も様々な変遷を経て、いろんな演出・解釈を取り込んで来たことです。「鷺娘」とされるものは、少なくとも三種存在します。これらが相互に影響し合っているようです。さらに大正期には、アンナ・パヴァロヴァのバレエの名品「瀕死の白鳥」のイメージまでも取り込んで、変容を続けてきました。

「鷺娘」に見えるものが「ひとつの人格(踊り手)が呼び起こす仮のイメージ」であるとすると、逆説的に、こんなことが言えるかも知れませんねえ。つまり、ひとつの作品(「鷺娘」)によって、踊り手の個性があぶり出されるということです。舞台とは、「鷺娘」が見せる仮のイメージである。長い歴史のなかでも「鷺娘」が持つ本質は変わらないと云うことでしょうかね。

「鷺娘」については、我々は玉三郎による名品をよく覚えています。ただし玉三郎は「鷺娘」をもう踊らないと宣言してしまいましたから、現在ではこれを映像で見ることしか叶いませんが、玉三郎の「鷺娘」は、これはまさに日本版「瀕死の白鳥」だと納得してしまう芸術的な舞台でありましたね。玉三郎が踊るのは、人間に恋してしまった罪で地獄の業火の責めを受けなければならぬ鷺の精でありましょうか。イヤ玉三郎本人がどのような解釈だったか分かりませんが、吉之助にはそのように思われたのです。この玉三郎の舞台を「鷺娘」の究極の形と考えたいのですが、ただし感触がジャパニーズ・バレエになってしまったような、日本舞踊の美意識から逸脱してしまった気もしなくもない。そこをどう評価するかと云うことはあるかも知れませんね。

そこで今回(令和4年6月博多座)の菊之助による「鷺娘」のことですが、演出・段取りとして玉三郎のものをほぼ踏襲しているようですが、受ける印象はかなり違います。菊之助の「鷺娘」には、もう少し人間(娘)の方に寄った実(じつ)の感覚があります。それは素材としての菊之助の肉体、あるいは菊之助の端正な所作から来るものでしょう。玉三郎の美意識がピーンと張った「鷺娘」の方から比べると、菊之助の「鷺娘」は、日本舞踊の本来の感触へと「引き戻した」印象がします。それでちょっと「ホッと安心する」ところがあります。余白があると云うか、観客に解釈の余地を許容するという感じがある。おかげでとても心地良く舞台を見ました。

(R4・9・22)




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