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前進座の「お六と願哲」

令和4年5月国立劇場:前進座公演「杜若艶色紫〜お六と願哲」

六代目河原崎国太郎(土手のお六・遊女八つ橋二役)、藤川矢之輔(願哲)、七代目嵐芳三郎(佐野次郎左衛門)、中嶋宏太郎(お守り伝兵衛)、早瀬栄之丞(金屋金五郎)、玉浦有之祐(玉本小三)、益城孝次郎(釣鐘弥左衛門)他


1)前進座の「杜若艶色紫」

国立劇場での前進座公演「杜若艶色紫」(かきつばたいろもえどぞめ)を見てきました。吉之助は昔から前進座の南北物を高く評価しています。歌舞伎の南北物では、文化文政期前後の初演から切れ目なく上演されて来たのは、「四谷怪談」など限られた演目に過ぎません。南北物の伝統は幕末までで途切れているのです。その後、大正から昭和初めの・第1次南北ブーム、戦後の昭和40〜50年代の・第2次南北ブームで、いくつかの作品が復活されて現行レパートリーになっていますが、歌舞伎座で上演される南北物は、幕末歌舞伎のテクニックで処理されるので、間延びが甚だしい。一例を挙げると、「桜姫東文章・桜谷草庵」で仁左衛門の権助が桜姫の胸元に手を入れてニンマリとして「久しぶりだナ〜ア〜ァ」と云う、その台詞廻しがまるで切られ与三郎です。と云うかここで与三郎を重ねていると云うのが正直なところじゃないでしょうかね。南北は台詞の末尾を引き伸ばさないのです。引き伸ばすのは、南北の時代から50年ほど下りますが、幕末歌舞伎のテクニックです。台詞のしゃべりの速さももっと早い。そう云うわけで、空ッ世話の南北を歌舞伎座で見る期待はあまり持てません。

そこで前進座に期待が掛かることになるわけです。今回(令和4年5月国立劇場)の「杜若艶色紫」上演ですが、休憩時間を除いて大体2時間25分くらいで上げています。松竹歌舞伎で同じ内容をやるとすると、恐らく3時間で収まらないだろうと思います。これは役者の台詞のしゃべりの速さの違いだけではなく、いろんな所作の間(ま)の取り方・下座の扱いの違い、要するに現在の我々がこれが「かぶきらしい」と感じる様々なテクニックが積み重なって、結果的にそれくらいの時間差になって表れるのです。今回の上演を見ても、前進座の芝居は、さらっとしてテンポが良い。これが大事なことなのです。筋がこんがらがって分かりにくい(これは南北の原作のせい)ですが、そんなことおかまいなしに芝居がトントン運んで行くので、ちょうど遊園地のジェットコースターに乗っているようなもので、場面場面の面白さをアレヨアレヨと愉しんでいるうちに、瞬く間に時間が過ぎて行く。そうすると筋の細かい辻褄なんてどうでも良くなると云うか、終わってみれば「まあそんなところか」ということで何となく納得した気分になる。「杜若艶色紫」の愉しみ方は、これで十分だと思うのですねえ。

日頃松竹歌舞伎を見慣れた目からすると、最初のうちは前進座の役者さんたちの所作・台詞廻しがアッサリし過ぎに思えると云うか、薄味と云うか、「もうちょっとタップリと決めてくれないかねえ」と不満を感じる方が少なからずいらっしゃることでしょう。幕末期の江戸の閉塞した気分が持つ暗くて重めの・ちょっと湿り気を帯びた芝居のテクニック、そう云うものを明治以降の歌舞伎は「江戸のかぶきらしい感覚」であるとして大事に守って来ました。そのような長い年月をかけて表面にこびりついた古色を取り去って、文化文政期前後の南北の芝居を改めて見直してみると、それは存外アッケラカンと明るく健康的なものかも知れないと想像してみて欲しいと思います。吉之助は前進座の舞台が正解だと言っているわけではありませんが、前進座の舞台はそのようなことを考える良きヒントを与えてくれると思います。(この稿つづく)

(R4・5・25)


2)南北の「未来性」について

「杜若艶色紫」(かきつばたいろもえどぞめ)は文化12年(1815)5月・江戸河原崎座での初演。題名に悪婆役で鳴らした五代目半四郎の俳名「杜若(とじゃく)」を利かせたところが味噌で、半四郎が蛇遣い女の土手のお六と遊女八つ橋の二役を勤めて、芝居の芯を取っています。五代目幸四郎がワキへ回って修行者願哲を勤め、七代目団十郎がお守り伝兵衛と佐野次郎左衛門の二役を勤めました。筋としては、お六と伝兵衛、八つ橋と次郎左衛門、小三と金五郎という、三組の男女関係が複雑に絡み合いますが、行き違いから次郎左衛門が八つ橋を殺してしまい、さらにお六と八つ橋が実は姉妹だったという新たな事実が発覚して、事態がよじれて行くという展開を見せます。後年の南北の「四谷怪談」(文政8年・1825)などと比べても、主題と云うほどのものはあまりなくて、役者それぞれの個性を生かした茶番劇の連続と言った方が良いかも知れません。

近代演劇においては、作家が書いた戯曲がまず最初にあり、作品世界に基づいた筋(ストーリー)というものがあって、役者がこれを具現化するわけです。だから戯曲(テキスト)が記したもの(主題)を如何に血肉化するかと云うところに役者の仕事があるのです。戯曲が主であって、役者が従であると、一般的にはまあそう云うことになるかと思います。そのような視点からすると、今回の「杜若艶色紫」のように、まともな「筋」を持たず・役者を生かすための素材にすぎないような芝居は演劇の「前近代的な形態」であると見える、そのような見方もあるわけです。しかし、よじれよじれた筋のなかから、観客それぞれの心のなかに、何か「世界」の様相が浮かび上がって来るであろう、各々それを見詰めてくれと云うことならば、これはベケットのような現代演劇にも通じる、南北の「前衛性」(未来性)であると受け取ることも出来るかも知れません。別稿「南北の台詞は現代に蘇ったか」では、この問題を取り上げています。しかし、漫然と「かぶきらしさ」に浸っているのならば、それは無理なことです。そのためには演技のエッジが立っていなければなりませんね。

『今では、ほとんど日の目を見ることもない、歌舞伎正本類を見ても考えさせられることだが、この狂言は果たしてどれが主役になるのだろうと思うようなのが、相当にある。またそう云うものの中に、幸い今も演出者が伝承されていて、時々舞台にのぼっている戯曲などのあることがある。(中略)茶番のつもりであったものが、だんだん真の写実劇になった例が、ほとんどすべての歌舞伎劇を例に取ることが出来る。(中略)遡れば、多くは茶番類似のものが、そのくらいの自覚しか持たぬ人々の手で行なわれていたのであった。だから歌舞伎芝居は、この発生様態の悪臭を洗い落とす必要が、今でもある。散切り物なども世話狂言の引き続きと云えば正当なものと考えられそうだが、世話物のなかでも、殊にあてこみ・場当たり・一夜漬けの傾向の甚だしく残って見えるものである。殊に、自然主義で行かねばならぬ写実劇に、最も不調和な台詞廻しや、こなしの問題が、江戸芝居のままに、今までも持ち越して来た。そんななかにも、名優の練り上げた型が、不調和や不自然を幾分滑り良くして、それほど噴き出さずに済まして居られる程度に見えるものもあるが、これも慣れてきたしびれに過ぎない。』(折口信夫:雑感・昭和21年3月)

ここで折口が回りくどく書いていることは、歌舞伎が現代に真の写実劇として(つまり演劇芸術として)立つために、洗い落としていかねばならぬ「悪臭」があると云うことです。そう云うと、長年の歌舞伎ファンならひと言物申したくなる方は多かろうと思います。しかし、そこは折口自身がそのような「かぶきらしさ」の悪臭の呪縛から終に逃れることが出来なかった人であったと云うことを思い出して、まずは折口の言うことを聞いて欲しいと思います。そうすると、南北の生世話芝居の延長線上に、写実劇の可能性(未来性)が見えて来るだろうと思うのです。(この稿つづく)

(R4・5・26)


)国太郎の土手のお六

今回(令和4年5月国立劇場)の「杜若艶色紫」は、「五代目河原崎国太郎33回忌追善」と銘打たれています。国太郎が亡くなって、もう33年になるんですねえ。いつぞや書きましたが、何を隠そう吉之助が初めて見た歌舞伎の女形が国太郎でありました。今から50年前のことです。吉之助が生(なま)で見た国太郎の舞台はそれほど多いわけではないですが、幸い悪婆物では「切られお富」を見ることが出来ました。国太郎はバラガキの味わいのする貴重な女形でありましたねえ。

「バラガキ」と言う言葉は、現在ではすっかり死語になってしまいました。バラガキとは、日常会話に近い、散文的なパサパサした写実の風(ふう)です。テンポは早く・歯切れよく、台詞の末尾を引き伸ばすことはしません。そのような乾いた台詞廻しから引き出される悪婆の役どころの印象とは、彼女らの性根が決して曲がっていないと云うことです。育ちは悪くて・言葉遣いは粗暴だけれども、根は善良である。自分の信条に忠実で、一生懸命ただひたすらに生きていると云うことです。別稿「悪婆の愛嬌」で触れましたが、出刃包丁を振り回しながらも、「ホントはこんなことはやりたくないんですよ、やりたくないんだけど、愛する人の為だから仕方ないのよ」という愛嬌が切られお富から滲み出るのは、性根が善人(お人良しなくらいの善)に根差しているからです。「杜若艶色紫」の土手のお六も同じ様なもので、最初は亭主(伝兵衛)の身内の金五郎のために悪事に加担するということであり、途中で八つ橋が探していた妹であったということが分かって軌道修正することになります。願哲はどうしてお六が豹変したのか最後まで理解出来なかったでしょうねえ。お気の毒なことです。しかし、お六のなかでは決して行動はブレたわけではなく、性根は真っすぐ善に根差しているのです。

もうひとつ大事なことは、五代目国太郎にとっての女形芸の在り方がサッパリと健康的な感触で、そこが悪婆の愛嬌と相通じるところがあったと云うことだと思います。別稿「悪婆についての考察」でも触れましたが、女形が出刃包丁を振り回すような振る舞いをしても、立役が悪女を勤める場合(例えば岩藤や八汐)とはまったく違うということ、それは或る種の露悪趣味であって・女形の慎ましい清楚なイメージをぶち壊すことを意図するものですから、まったく違うものだということです。(ここのところは現在ではしばしば混同されています。)悪婆の役どころは女形芸の延長線上にあるもので、女形の慎ましい清楚な善のイメージをしっかり守ったものです。五代目国太郎の悪婆は、そこのところを再認識させてくれるものでした。杜若半四郎(五代目半四郎)が演じる悪婆とはそう云うものであったに違いありません。

今回(令和4年5月国立劇場)の(先代の孫に当たる)六代目国太郎も、先代のサッパリした悪婆を意識した役作りで、なかなか良かったのではないでしょうか。先代よりは見た目に線が太い印象がするせいか、このため愛嬌というところがいまひとつであったかも知れませんが、まあそれは個性の違いと云うことです。自分の信条に忠実で・ひたすらにまっしぐらと云うお六の生き様をしっかり見せてくれたと思います。(この稿つづく)

(R4・5・29)


4)矢之輔の願哲

矢之輔の願哲も、間が抜けたところがある悪役を軽妙に演じて、なかなか面白く見せました。願哲は武士に変装して、「自分が八つ橋を身請けした次郎左衛門である」と偽って万寿屋寮に乗り込みます。次郎左衛門は次郎左衛門でも、佐野次郎左衛門ではなくて船橋次郎左衛門だというのは観客が笑えるところで、初めから尻尾を出してしまっている、これは法界坊にも似たところがある・ちょっと間抜けた悪坊主なのです。願哲はお六に協力して首尾よく事を運んだつもりなのに、お六が自分の事情で勝手に方向転換してしまうものだから、何がなんだか分からないままお六に殺されてしまって、ちょっと可哀そうなところがありますが、この「杜若」を見ても結局願哲がどういう位置付けの役であるのか、よく分からないところがあります。逆に云えば、願哲というのはそのような軽い感じの悪役であると云うことなのです。

このことは、文化12年(1815)初演の五代目半四郎の土手のお六の悪婆の役どころの対照からも考えることが出来そうです。悪婆には「ホントはこんなことはやりたくないんですよ、やりたくないんだけど、愛する人の為だから仕方ないのよ」という愛嬌が必要であることは、前章で触れました。そのような悪婆とコンビを組む立役が、ニヒルで冷酷極まりない真の悪人であろうはずがありません。その相手役は、ちょっと抜けた、悪(ワル)と云っても、お人好しなところがどこかにある悪人と云うことになるでしょう。

別稿「南北の感触は何処に」でも触れましたが、五代目幸四郎は稀代の実悪役者と云われた名優でした。だから世間のイメージはどうしても、例えば仁木弾正のような、スケールが大きい時代物の重量感を持つ大敵になり勝ちです。しかし、この「杜若」の願哲や・「於染久松色読販」の鬼門の喜兵衛を見ると、ちょっと小振りで・動きがチョコマカと軽妙で、間が抜けたところがあって、マンガチックな端敵なのです。五代目半四郎の土手のお六の引き立て役に廻っても、そんなことはちっとも気にしない、そんな五代目幸四郎のきさくな人柄さえ感じてしまいます。だから願哲のような役を大敵のイメージで演じてしまうと、ちょっと具合が良くない。少なくとも(五代目幸四郎初演の)南北の生世話の悪役に関しては、「スケールが大きい・冷酷極まりない悪役」と云う思い込みを捨てた方が宜しいのではないでしょうかね。矢之輔の願哲を見ていると、そのような願哲の軽いイメージが湧いてくるのです。前進座の舞台は、「南北の悪」を考える時の良いヒントになると思います。

(R4・6・2)



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